2023.07.25

自分の研究に影響を与えた書籍の紹介(D2岩澤直美)

こんにちは、D2の岩澤直美です。
引き続き「自分の研究に影響を与えた書籍の紹介」というテーマで執筆させていただきます。

今回ご紹介する2冊の本は、私が研究テーマに辿り着くまでの過程で、考え方や問題意識の言語化に非常に大きな影響を与えてくれた本です。

まず1冊目に挙げるのは、社会学者の山口一男氏によるファンタジー小説『ダイバーシティ』です。この作品との出会いは、中学生の頃に遡ります。特に印象的だったのは、本の前半の『六つボタンのミナとカズの魔法使い』という話です。このお話では、マイノリティの立場にある子どもが主人公となり、他者との接触を通じて、自分だけが周りと異なっていることを自覚し、そのコミュニケーションの難しさに直面していきます。この物語を読みながら、当時の私自身が自分を照らし合わせていたのだと思います。というのも、私は日本とチェコにルーツを持ち、日本、ハンガリー、ドイツを転々とした経験の中で、アイデンティティやダイバーシティの不確実性や、バイアスと偏見の課題、文化の境界線への戸惑いなど、自分自身について理解できない部分が多くある時期だったからです。

この物語は、多様性や異文化コミュニケーションの重要性と難しさを深く描いています。また、社会科学分野の様々なトピック(囚人のジレンマ、予言の自己成就、多文化主義、アイデンティティ、カントの道徳哲学、規範と自由、など)が巧みに組み込まれています。これらの概念やメカニズムを学びながら、経験や意識がどのようにカテゴリーを形成したり変化させたりするのかを考えることは、当時の私にとって大きな希望を与えるものでした。

何年も経ち、この本と再会したのは、M1の頃に本棚を整理していたときでした。改めて読み直すと、この本の主題には「コンフリクト・アイデンティティ」にどう向き合い、その課題をどのように解決していくのかというテーマが根底にあるように感じました。自分自身で位置づけるアイデンティティと、他者から押し付けられるカテゴリーを一致させなければーーと迷い込んでいましたが、この課題を解消するのがダイバーシティである、と新たに気づかされたのです。

そしてその直後に出会ったのが、次に紹介するケネス・J・ガーゲン氏の『あなたの社会構成主義』です。

この本は、社会構成主義とは何か、そしてそれがどのように私たちの理解と世界を形成するのかを掘り下げた一冊です。
ガーゲン氏は社会構成主義の視点から、事実や現実、アイデンティティなど全てが社会的な相互作用によって形成され、変化するのだと論じています。つまり、私たちは自分自身や他者、社会を経験を通して構築しており、その経験に多様性があるならば、視点の多様性も広がっていく、と。にもかかわらず、カテゴリーを固定的なものとして位置付けてしまうことによって、差異が破壊されたり、「多様性」を抑圧してしまうのだと説明がされており、先の『ダイバーシティ』の小説と私の中で繋がってくるものがありました。

これらの本は、いずれも先行研究として位置付けるものではありませんが、研究の方向性と、自分自身の興味と意識の明確化に影響したと考えています。私のその後の研究では、カテゴリーの可変性の認知や、コンテクスト・シフティングの事前学習を取り入れた「異文化間感受性の学習」に焦点を当てています。建設的な関係性を築き、積極的な対話を生むためには、「他者への認識」を変える必要があるという私の意識と関心が、研究に繋がっていきました。カテゴリーやコンテクストの認識を状況に応じて変えるために、どのような支援が可能なのかを探求しています。

これらのテーマをじっくりと探っていく中で、私たちがどう意味を紡ぎだし、それが私たちの認識や行動にどう影響を与えるのかという問いや視点は、異文化コミュニケーションや多様性への理解を広げる上で、とても大切なものと感じています。この2冊の本は、研究を進める過程で、また立ち戻ることがあると思います。同時に、今後もさまざまな本と出会い、新たな視点や知識を得ながら、研究を深めていきたいと思っています。
(D2 岩澤直美)

2023.06.04

自分の研究に影響を与えた書籍の紹介(M1松谷春花)

みなさん、こんにちは。M1の松谷春花です。
この4月から山内研究室のメンバーとして加わりました。あっという間に2か月が経ち、もう6月ですね。

2023年度前期のテーマは2022年度後期から引き続き「自分の研究に影響を与えた書籍の紹介」です。どの本を選ぶか迷いましたが、私がワークショップに研究という側面から関わりたいと思うきっかけとなった本の中から、この一冊を選びました。


『凡才の集団は孤高の天才に勝る』キース・ソーヤー/金子宣子訳(ダイヤモンド社、二〇〇九)

キース・ソーヤーは、フロー理論で知られる心理学者チクセントミハイの弟子であり、創造性とイノベーションの科学的分析を行う研究者として知られています。また、The Cambridge Handbook of Learning Science(学習科学研究で有名なハンドブック)の編者でもあることから学習科学分野でもよく見る研究者です。彼は画期的なイノベーションは孤高の天才による閃きによるものなのではなく、集団による「グループ・ジーニアス」こそがイノベーティブなアイディアを生み出すのだと主張します。(余談ですが彼はジャズプレイヤーでもあり、チームの創造性とジャズの即興演奏を絡めた議論はジャズ好きな私にとって魅力的に映りました。)彼は一人の天才ではなく、グループによって生み出される力を様々な例を出しながら説明しています。


ここで私の研究に大きな影響を与えた原体験の話になるのですが、私は高校一年生の夏に参加したワークショップで、世界の見え方や考え方がガラッと変わる体験をしました。そのワークショップは、各地域から集まった高校生と、東大生、海外大学生と共に「地域の魅力を伝えるためのイノベーティブなアイディア」を考えるというものでした。
当時の私は「勉強」ができて「知識」をたくさん持っている人が頭のいい人で、その頂点にいるのが東大生や世界をリードする人たちなのだというイメージを持っていました。しかし、そこで出会った大学生は知識を手段として用いて、全く新しいアイディアを創造していたのです!!!それまで持っていたイメージが崩れ、本当に社会において必要な力が何かという点についての考え方が大きく変わり、私もこうなりたいと強く憧れる瞬間でした。そして、新たなものを創造するときにおけるチームワークの素晴らしさを実感した経験でもあります。


そのような思いのもと、高校から大学学部生の間、イノベーションワークショップ(先に出てきたようなイノベーティブなアイディアを出すことを目指したワークショップ)においてグループでアイディアを考えるというワークを積み重ねてきました。ワークを重ねる中で、いいチームワークができるときとそうでないとき、いいアイディアがでそうなチームの状態、あるいは個人であるよりもチームの方がいいと思える状態とはどのようなものなのか、どのような違いがあるのかという疑問を持つようになりました。その際にファシリテーターの教授から薦めていただいたのがこの本です。この本を通じてワークショップを研究として分析することができることを知り、自身がこれまでのワークで抱いてきた疑問を学術的に研究したいと思うようになりました。そして、チームの議論に関する研究にRA(リサーチアシスタント)として携わってきました。


さて、私は本研究室で「高校生を対象としたワークショップでの心理的な変化」をテーマとして取り扱う予定です。というのも、チームの議論に関する研究を手伝いながらも、自分の原体験となったあの体験は、それがどのようにして起きたのか、何が引き起こす要因になっていたのか、そしてその体験を設計することはできるのか、という大きな疑問を私に残し続けているためです。それはイノベーションワークショップやチームでのアイディア創造というワークに固有の体験なのか、それとも他の要因があるのか。あの高校1年生の夏、そして大学入学後のワークで感じたチームの力と没頭感、新たなものをチームで作り上げる体験、そこに何かヒントがあるのではないか。そのような自身の体験を頭に置きながら、私がずっと抱えてきた疑問に研究という形でアプローチすべく、今後山内研究室で取り組んでいければと思います。

2023.05.31

自分の研究に影響を与えた書籍の紹介(M1平嶋友裕)

皆様、はじめまして。今年4月より山内研究室に加わりました、平嶋友裕と申します。
大学院に入学しまだ約1ヶ月半ですが、多様な背景・関心を持つ研究室メンバーの皆さんから刺激を受けて日々研究に取り組んでいます。

さて2023年上半期のテーマは、「自分の研究に影響を与えた書籍の紹介」になります。どの本を選ぶか苦心しましたが、なんとか一冊を選択することができました!私のバックグラウンドの説明も兼ねて紹介させて頂きます。

『Mindstorms: Children, Computers, and Powerful Ideas(邦題:マインドストーム: 子供,コンピューター,そして強力なアイデア)』  シーモア・パパート

パパートは南アフリカ出身の数学者・教育者であり、発達心理学者であるジャン・ピアジェとの共同研究の中で、彼の教育理論である構成主義から大きな影響を受けました。パパートは同理論を発展させた「構築主義(コンストラクショニズム)」を提唱し、学習者が外部社会における経験から主体的に知識を構築するプロセスを、ものづくり活動を中心とした学習により推進する重要性を訴えました。

そして本著では、子ども達の学びに向かう主体性を養うツールとして、コンピューター及びプログラミングの可能性が強調されています。この背景として、『Mindstorms』の初版が発行された1980年代の学校教育では多くの場合、理系知識を学習者に習得させる目的が「テストで良い点を取る」ことなど、閉じられた学校内の文脈に落とし込まれていました。その結果、子ども達が学校外の場面に焦点を当てた理系知識の活用方法を学ぶことは困難だったのです。それに対してパパートは、学習とは子ども達にとって、自身の所属する社会において意味のあるアイデアを考案するためにあるとしました。そして問題意識やアイデアを外部に表現するためのコンピューター上の道具(プログラミングなど)が子ども達にあれば、学校での理系知識の学習が子どもの属する社会に接続される。その結果、彼らが理系知識の学習に意味を見出して能動的な行動を取ることに繋がると本著で主張しています。

但し、同時期では個人単位でのコンピューターの所有・活用という発想は極めて珍しかったようです。しかし、パパートはその状況下でも、プログラミング言語LOGOの作成など当時のコンピューターを駆使して学習環境を構築し、学習者個人の文脈や意思に沿った学習の実現のため奮闘したことが本著からは伝わります。そしてその結果がScratchに代表される、現在の個人単位で活用可能な教育用プログラミングの発展に貢献しているという事実には感慨深いものがあります。

この『Mindstorms』の内容は私の原体験と結びついたことで、私の研究のテーマに大きな影響を与えています。私自身は、社会的課題を解決するためのロボット実装に取り組むロボット競技会に小学校から高校まで参加していました。そしてロボットを改善するために、私達は注目する課題を抱えるコミュニティ・人々に対して、調査の実施やロボットの試験運用、フィードバックの習得・反映などを行いました。これにより、当初は部外者であった私達はコミュニティに徐々に接続され、その一員として問題解決を行うために学び続けたいという思いが強くなりました。この経験を通して、私は理系知識やプログラミングを用いて形にしたアイデアを基に他者と交流することで、子どもでも社会への接続・参画が可能になること。また、社会に存在する人々やコミュニティと接続し交流を重ねることは、学校や教室以上に自身の問題意識を満たす発見や学びを得られることを実感しました。

上記の大会を引退した直後に『Mindstorms』を読んだことで、私はパパートが重要視する「自身の属する、あるいは関心ある世界と繋がりを持つ学習者像」に共感し、その実現のためのコンピューター機器や理系知識を活用する学習活動に関心を持つ様になりました。そして時が経ち、私は現時点での研究テーマに、「構築主義を適用したSTEAM教育が、学習者の校外コミュニティに参加する自発性に与える影響」を選択していますが、元を辿ればこの発想はパパートが志した教育思想と学習活動に影響されています。故にこれからの研究生活においては、学習者が自身の知識や問題意識を深めるために、多様な社会やコミュニティと主体的に接続を行うことを促す学習手段のあり方を追求できればと考えております。

2023.05.19

自分の研究に影響を与えた書籍の紹介(M1入澤充)

みなさん、こんにちは。M1の入澤です。
この4月から山内研究室のメンバーとして研究に励んでおります。

2023年度前期最初のテーマは2022年度後期から引き続き「自分の研究に影響を与えた書籍の紹介」です。どんな本を紹介しようかと悩んだのですが、この一冊にしました。

『被抑圧者の教育学』パウロ・フレイレ

フレイレはブラジルの教育者として知られ、『被抑圧者の教育学』は彼の実践・哲学をまとめた教育学の古典の一つです。フレイレはブラジルの農村の識字率の低い貧しい地域で字を読むことができない農夫たちを対象に識字教育を実践するのですが、その時に単純に文字を教えるのではなく、「文字と世界を同時に読む」ことを実践の中心に据え、大きな成果をあげました。「文字と世界を同時に読む」とは、単純に文字を読めるようにするための学習法(例えばドリル学習のようなもの)に依存するのではなく、学習者が自分が置かれている境遇を考えて生活を変えていくプロセスの中で必要な文字を学ぶようにすることを意味します。フレイレは、単純な知識注入型の教育を「銀行型教育」として批判し、学習者が世界を読むための「対話」を重視しました。

私はこの本に二度出会っています。
一度は大学2年生の夏休み。当時、国際協力の分野に興味があった私は国際協力関係の文献を大学図書館で読んでいてフレイレの存在を知りました。そのまま、図書館の棚を漁って『被抑圧者の教育学』を見つけ、その面白さに引き込まれ読み耽ってしまいました。どうしてもより学びを深めたいと思った私はその日のうちに自分の大学でフレイレを研究している先生を見つけ、秋からゼミに潜らせて欲しいという内容のメールを書いてその先生に送りました。これが私が教育を学び始めるきっかけです。

二度目はトロント大学のオンタリオ教育研究所に留学中に出会いました。私は実は左記の大学院で実践家向けの修士課程(MEd)を修了しています。その時に履修していたコースの中で度々フレイレの『被抑圧者の教育学』と他の著作・論文を読んでいました。北米ではフレイレの思想に影響を受けたクリティカル・ペダゴジーという分野が盛んに研究されており、フェミニスト・ペダゴジーなど隣接領域との相互批判・対話を経て社会正義を志向する教育の大きな流れを形成しています。フレイレの実践から生まれた哲学が大きく広がったそのダイナミズムを感じ、深い感銘を受けました。

さて、私は「マジョリティが自身の特権と向き合う学習環境のデザイン」を研究テーマとしていく予定です。まだまだ荒削りなこの研究テーマも、ずっと遡ればフレイレに行きつきます。マジョリティが「多様性」のような言葉の文字面に表面的な共感を示すことからさらに踏み込み、自身が享受する特権に向き合って「世界を読む」ことができるような、そんな学習環境の作り方を考えていければと思います。

2023.04.25

2022年度 春の合宿研究会 レポート

皆さまこんにちは、M2になりました田中です。
今回は、今年3月に千葉県いすみ市方面にて実施した、春の合宿研究会について紹介しようと思います。

夏の合宿研究会は、学習科学の古典理論を中心としたプログラムであったのに対して、
(参考:2022夏 合宿研究会 活動報告(学者レビュー会))
春の合宿研究会は、学習環境研究の多様な方法論に関するプログラムになっています。

研究会では、まずNPOいすみライフスタイル研究所の江崎亮様に、地域が抱えている困りごとを大学と連携しつつサポートするいすみライフスタイル研究所の取り組みについて紹介していただきました。
また、講演いただいた内容から、介入を行う学習環境研究において欠かせない、実践連携先との関係構築についてディスカッションを行いました。
私たちが日々接している研究も、実践先や研究協力者の協力なしにはできないことばかりなので、実際に地域の方が抱えている問題や、それを支えているいすみライフスタイル研究所の方たちのリアルな事情や困りごとをお聞きできたのはとてもありがたい機会でした。

江崎様のプログラムの後は、学習環境研究における多様な研究方法や分析方法(質的分析、量的分析など)についての講演とディスカッションを行い、様々な研究法への理解を深めました。

二日間通して、実際に現場で学習を支援したり評価したりする際のリアルな難しさや困りごと、またそのやりがいや楽しさについて、いろいろな研究手法や立場から見つめ直す機会となりました。
M2の私は、まさにこれから自分の研究を実際に組み立てていこうというところなので、これからの1年でこの研究会の内容を再度噛みしめ直すことになるのかな、と想像しています。

ちなみに、研究会の二日間、研究プログラムがみっちり入っていてバタバタではありましたが、江崎様が「ぜひ見てほしい」とおっしゃっていた九十九里海岸を、空き時間でメンバーが写真におさめて共有してくれたので、こちらでも紹介しようと思います。ずばーっと開けた開放感がすごいですね。

2023.04.21

自分の研究に影響を与えた書籍の紹介 (M2加藤亮介)

本を手に取ると読んだ時の風景を思い出すことがある。

私が『古代への情熱 ―シュリーマン自伝―』を読んでいたのは前職の会社の外階段だった。昼休みを早めに切り上げて、7階にあった私の職場と一つ上、最上階の8階の間にある階段、人通りの少ないあの階段に腰掛け、中古で買った文庫本を開いていた。

その本を知ったのは確か語学学習についての本を読んでいる時だったと思う。会社で英語を、趣味で中国語の勉強を続けていた私は、どこか当時の勉強に行き詰まりを感じていた。営業の仕事自体にも慣れていなかったので、自分の中で順調なものが何も見つからない。そんな時期だった。シュリーマンと言えばトロヤ遺跡を執念で発見した人物で、その語学学習の本には彼が実践した語学の勉強法が紹介されていた。勉強法を知るだけならその本だけで十分だったが、引用元が彼の自伝になっていたのが妙に印象的で、細かい勉強法をわざわざ自伝に書く人に興味がわいた。

自伝だから例のごとく幼少期の思い出から始まるが、シュリーマンの幼少期は壮絶なものだった。ドイツの地方都市の貧しい説教師の父の下に生まれたシュリーマンは、9歳で母を亡くし、11歳でギムナジウムに入学、大学への道が開かれたと思った矢先、父が停職となり3か月で退学、実科学校に転校し3年で卒業して小売店に就職する。14歳の時である。いかにも恵まれない人の境遇と言えばそうだが、その境遇を覆うようにシュリーマンの勉強への熱意がつづられている。ホメロスの英雄伝を語り、ラテン語を教える父、様々な逸話を記憶し弁が立つ村の仕立て屋、ホメロスを暗唱して聞かせる粉屋の職人。彼が幼少期に出会った誰もが社会的地位が高いとは言えない「落ちこぼれ」であった。ただ、そんな彼らに出会いによって当時は伝説と思われていたトロヤの町を発見するという夢を持ち続け、49歳でトロヤを発見することになる。15か国語を話せるようになった、という肝心の彼の勉強法はほとんど記憶に残らなかったが、自分の想いに向かってひたすらに突き進む姿に一学び手としてあこがれた。この本が決め手というわけではないが、「探究学習」や「学校外での学び」が私の中心的なテーマであり続けるのは、シュリーマンのようなどんな逆境でも目的に向かって経験を組み立てていく学習者像に惹かれているからかもしれない。

久しぶりにこの本を手に取ると、ビルの間から車が行きかうあの景色を思い出した。会社を辞めて1年、建て直しがありそのビルはもうない。それでも、あの頃にあこがれたものを今の自分が形にできているか、この本があればあの階段に腰掛けて考えることができそうだ。

(後日談)
今回の執筆にあたり少し調べてみると、シュリーマンの自伝の記述にはかなり脚色があるようで、幼少期にトロヤ発掘を志したというのは後付けの創作、実際は15か国語も話せなかったという指摘もある(『甦るトロイア戦争』)。それでも今回の本の紹介をしたのは当時私が出会った「シュリーマン」を伝えたかったからだ。

2023.01.01

2022夏 合宿研究会 学者レビュー振り返り(ヴィゴツキー班)

皆さま、あけましておめでとうございます!

少し遅くなってしまいましたが、この記事では、夏の合宿研究会2022の学者レビューでヴィゴツキーを担当したD2増田、M1田中が、レビューの内容や感想について紹介していきます。

ヴィゴツキー(1896-1934)は、十月革命後のソビエト連邦を生きた心理学者です。37歳で結核で病死するまでの短い研究期間の中で、現代の教育学や心理学につながる数々の業績を残しました。主な業績としては、人間の心理発達について説明した「文化-歴史的理論」、またそれを教授-学習過程に適用した「発達の最近接領域」などが有名です。その他にも、芸術作品の構造分析を通じて、芸術作品が人間の心理に与える法則性を明らかにしようとした「芸術心理学」など、業績は多岐にわたります。

【田中の感想】
田中は主に、ヴィゴツキーの生涯と、文化-歴史的理論について調査しました。
ヴィゴツキーが生きた時代のソビエトで支配的であった心理学派は、反射学や反応学といった、人間を機械論的に説明しようとする立場のものでした。これらの心理学は「意識」を主観的であるという理由で心理学の対象から除外してしまいます。このような情勢の中、ヴィゴツキーは一貫して、人間の高次な心理機能である「意識」を科学的に説明することがこれからの心理学の進む道であるという立場をとりました。

彼の文化-歴史的理論は、この背景を色濃く映し出したものとなっています。ヴィゴツキーは、意識の発達における言葉の被媒介性に着目することで、意識の発達を弁証法的に説明しようとしたのです。子供は生まれてから徐々に、自分の思考や行動を言葉によってコントロールできるようになっていきます。これが、言葉を媒介とした意識の発達であるということです。
このように、言葉によって自身の思考をより自覚的かつ随意的に支配できるようになっていく過程が、言語を用いる人間固有の意識の発達過程ということです。そして、より高次な自覚性と随意性の領域の発達は、より低次な具体性と経験の領域の発達と両輪の関係にあるとされています。例えば、より高次な概念である科学的概念を学校で学ぶ中で、それがより低次な概念である生活的概念(生活の中での経験から身につけていくもので、自覚性・随意性に欠ける)と結びついていくように、高次・低次な領域において、反対方向の発達が起こるというのです。

この心理発達の法則を教授-学習過程に適用したものが、発達の最近接領域の概念です。生徒の生活の中で、まだ未発達な特性である自覚性・随意性は、彼らの発達の最近接領域(今日一人ではできないが他人の助けを借りればなし得る領域)にあり、これは大人の思想との協同のなかで顕現し、活動をはじめます。つまり、教授の本質とは、学校で生徒が今はまだ理解できない(自覚的・随意的に扱えない)科学的理論を、理論を理解している大人と一緒に、ちょっと無理して学ぶことによって、生徒の発達の最近接領域を作り出している点にあるというのです。ヴィゴツキーはこの理論をもとに、教育者は子供が今日できることをよりも、今日まだできないことに目を向ける必要があると主張します。テストで今日できるかを確かめるのではなく、子供が今日まだ一人ではできないことを教室でみんなでやるというところに、学校教育の意義を見出したわけですね。

私はレビュー前、ヴィゴツキーの業績といえば「発達の最近接領域」である、というのを、キーワードレベルでぼんやりとしか認識していませんでした。今回のレビューで、この発達の最近接領域の概念と、ヴィゴツキーの生きた時代の背景、それを強く反映した心理学的理論を自分の中で繋げられたことで、発達の最近接領域概念をより深く理解できたという点が、個人的に一番の収穫だったかなと思います。

【増田の感想】
増田は、ヴィゴツキーと芸術との関わりを担当しました。
ヴィゴツキーといえば「発達の最近接領域」ですが、芸術関連の方であれば、彼の著作である「芸術心理学」を思い浮かべる方も多いはずです。学生時代から文学や歴史経済など多方面の研究を行っていたヴィゴツキーですが、芸術との関わりも深く、彼の卒業論文はシェイクスピアをの作品を扱ったものでした。

1925年に脱稿した「芸術心理学」は、芸術作品の構造の分析から、芸術が人間の真理に呼び起こす美的反応の法則性を明らかにしようとしたものでした。このようにヴィゴツキーは芸術とは何かという視点を持ちつつ、その教育にも関心をもっており、1926年に出版された「教育心理学講義」では芸術教育の目的・方法・意義についての議論を展開しています。
教育においては、美意識は「認識・感情・道徳」を教育する手段であり方法として扱われてきていることにヴィゴツキーは疑義を呈します。例えば、童話や物語が学校で道徳教育として読み聞かせられることがありますが、そのように多様な解釈の可能性のありうる芸術作品を、一定の道徳的な解釈に落とし込むことは美的な感情を失わせるものであるとヴィゴツキーは言います。
ヴィゴツキーは芸術教育における3つの課題を挙げています。
1つ目が「創造性の教育」、2つ目が「技術を教える教育」、3つ目が「芸術作品の鑑賞教育」です。これらはそれぞれ独立しているものではなく、相互に関連しており、結びついて行わなければならないことをヴィゴツキーは強調します。また、特にこの中では3つ目の「鑑賞教育」はこれまで検討されることが少なかった問題であることを指摘し、普通教育の重要課題であることを指摘します。思い返せば、私も高校までの美術や音楽の時間に、作品をどのように「鑑賞」すればいいのかを授業で習った経験はありませんでした。美術界では、今でこそ教養や新たなビジネスセンスを育むものとして美術作品の鑑賞(このような美意識と関係のない課題や目的に芸術を使うことをヴィゴツキーは批判していますが)が注目されていますが、「どのように芸術を受容すればいいのか」という課題は、ヴィゴツキーの言うように「見て聞いて喜びを得ることになに特別な教育は必要ないと思われていた」ゆえに、これまで見過ごされてきたように思われます。

田中さんも書かれているように、私もヴィゴツキーといえば発達の最近接領域のイメージを強くもっていました。しかし今回ヴィゴツキーの芸術教育に関する意見に触れ、現代の芸術教育の現状にも通ずるアクチュアルな問題提議をされていることに驚くと同時に、これらの問題が未だ芸術教育のなかで課題として残り続けていることも強く感じます。

参考:
中村和夫(1998)ヴィゴーツキーの発達論―文化‐歴史的理論の形成と展開. 東京大学出版会.
柴田義松(2006)ヴィゴツキー入門. 子どもの未来社.
柴田義松(2006)新訳版 芸術心理学. 学文社.
柴田義松(2005)ヴィゴツキ―教育心理学講義. 新読書社.

2022.12.14

自分の研究に影響を与えた書籍の紹介 (M1田中冴)

みなさまこんにちは。M1の田中です。

2022年度後期のブログテーマは「自分の研究に影響を与えた書籍の紹介」となりました。
これから山内研メンバーが持ち回りで執筆していきます。お楽しみに!

自分の研究に影響を与えた書籍ということで、複数候補が思い浮かび非常に悩んだのですが、人間の思考の道具としてのコンピュータへの興味に最初に私を駆り立てた本ということで、学部時代に出会ったこちらの一冊を選びました。

思想としてのパソコン(1997) 西垣通
(この本は山内研がある福武ホール内の学環コモンズの本棚にも置かれているのですが、そちらは西垣通先生ご本人のサイン入りでした。入学早々見つけてぶち上がりました)


この本は、西垣先生がパーソナル・コンピュータの歴史におけるキーマンとして取り上げた、ヴァネバー・ブッシュ/アラン・チューリング/J・C・R・リックライダー/ダグラス・エンゲルバート/テッド・ネルソン/テリー・ウィノグラード/フィリップ・ケオーの7人の言説から「パソコンという思想」の成り立ちを追いかけていくというもので、西垣先生による序章と、7人のキーマンの主要な論文の日訳で構成されています。なのでこの本のメインは日訳された7本の論文になるのですが、学部時代の私が大きく影響を受けたのは、その論文の前に掲載されている序章部分でした。

序章前半では、7本の論文を時系列で概観しパソコンの歴史をコンパクトに解説してくれています。
パソコンが主流になる前の1970年ごろまでは、コンピュータといえばもっぱら”メインフレーム”と呼ばれる汎用大型コンピュータでした。それは恐ろしく高価で、部屋いっぱいを占めるほど大きくて、動かすのに人が何人もいるような大層なものでした。そのため、メインフレームを所持できるのは大企業や軍隊といったエリートのみでした。これが、戦時中は弾道計算なんかに使われたということです。
パソコンは、このメインフレームに対抗して、1960年〜80年代のアメリカで誕生しました。「エリートたちが使ってるアレを俺たちも使うぞ!」という感じでしょうか。中央管理や権威を嫌い、反戦を訴えるカウンターカルチャーとしての側面が強かったため、その基底には「一般市民のための安くて使いやすいコンピュータ」という思想がありました。
こういった歴史を追いかけていくと、コンピュータという機械自体の可能性を問い続けるメインフレーム・コンピュータと、コンピュータをヒトの道具としていっそう洗練させていこうとするパーソナル・コンピュータという2つの大きな流れが見えてきます。本で紹介される7人のキーマンは、まさにこれらの流れが混交する時代(1940~1990)を生き、「パソコンという思想」の基盤をつくっていった人物たちと言えるでしょう。

序章後半では、これらの歴史を踏まえ、パソコンを”思想”として見つめ直していきます。この本、そして序章のタイトルがともに「”思想”としてのパソコン」である理由とも言えるパートだと思います。パソコンに何かを期待する人たちの思想を形作っているのはどんなものかについて、機械製作により自分の中の獣性を克服しようと努力する西洋の宗教的情熱や、統御支配できる領域を拡大していこうとするアメリカのフロンティア精神などを引用しつつ論考されています。序章の最後では、パソコンという思想はまだ未完のものであり、その中枢はこれから我々がつくっていくものであると締めくくられます。


それまでは、ただ”技術”として見つめていたコンピュータを、”思想”として見つめるきっかけをくれたという意味で、私にとっては大事な一冊です。この本を起点にして、特にネルソンやウィノグラードの思想に興味を持ち出し、人間の道具としてのパーソナルなコンピュータとその思想に次第に嵌まり込んでいくこととなりました。学部時代は計算技術そのものに関心を寄せていた時期もありましたが、こういった本や思想と出会い、「人間はコンピュータをどう使えばいいのか、人間はコンピュータに何を期待するのか、人間とコンピュータはどう異なるのか」といったことばかり考えるようになり、気づいたら人間のことばかり考えていました。人間とコンピュータはどう異なるのかを考えれば考えるほどそのコントラストが強くなり、人間のやっていることの複雑さや面白さが気になり始めたんです。その結果、今は大学院で人間の学習を扱う研究室にいます。

最後に、本書序章内の、私が大好きな一節を引用して終わりにしようと思います。
「電脳批判派は機械を自然に対立するものとして位置付けるが、それは正鵠を得ているだろうか。とくに問題となるのは「ヒト(人間)」と「コンピュータ」との関係である。ヒトがコンピュータに期待することは本質的に何なのか。ヒトとコンピュータとは異質な存在なのか。もし相違点があるとすれば、それは何なのか。そういう、ヒトとコンピュータの関係の深層にメスを入れないかぎり、情報化社会の未来図を描くことはできない。情報化社会をデザインするとは、ある意味では、ヒトとコンピュータのあらゆる関係をデザインしていくことだからだ。」

【田中冴】

2022.10.24

2022夏 合宿研究会 学者レビュー振り返り(バフチン班)

こんにちは、D3の井坪とM1の仲沢です。
前回の田中さんの記事であったように、これから数回にかけて各学者レビューの内容と、担当者の感想をご紹介していきたいと思います。


私たちがレビューしたのはロシアの学者、ミハイル・バフチンです。
バフチンはドストエフスキー小説を扱った文学研究者としての側面が有名かもしれませんが、それ以外にも美学・記号学・哲学・・・と、「対話」の原理を大きな背景として、学際的な知を形成していました。

バフチンは、自分と一体化・融合することのない別の人間を「他者」とし、自分と他者の「差異」を大切にしたとされています。バフチンが考える「対話(ダイアローグ)」は、他者との相互作用という出来事であり、単に話を交える行為以上の出来事そのもの、世界そのものでした。そして、その動的な関係の中で生じている意味や価値を重視していたのです。
興味深いのは、ともすればお互いに分かり合うために譲歩しあうプロセスと見なされかねない対話について、バフチンは「理解行為においては闘争が生じるのであり、その結果、相互が変化し豊穣化する」と述べている点です。能動的な同意・不同意には意味があるとしつつも、相互の溶解や混合が起こった時点で、ダイアローグはモノローグになってしまうと解釈していたのでした。
ダイアローグがモノローグにならないためには、バフチンが注目していた対話における聴き手の「能動性」の考え方が参考になりそうです。バフチンは、受動的な理解は、理解されている言葉を複製するのみで豊かにはしないということを述べており、実際に世界で起こっている能動的な理解は両者のあいだに新たな意味が見出されるものだと考えていました。相異なる他者との相互作用のなかにおける同意・共鳴と不同意・不協和は、バフチンにとっては同等に価値あるものだったのでしょう。相手との差異を操作的に統合しないような能動的理解とは、具体的にどのような実践になるのか、バフチンの理論を能動的に理解しながら考えてみたいです。


以下、レビュー担当者からの感想です。

「バフチンの考え方は、近年、外国語教育といった分野にも応用されており、一般的・普遍的な言語はなく、言葉は他者のコンテクストの中から獲得して自己のものとしなければならないといった形で解釈をされています。その背景にあるのは、バフチンが言う"他者"の異質性かと思います。人間は各個人違う背景や文脈を背負っており、異質なものであるけれども、そこでインタラクションを諦めるのではなく、異質だからこそ言葉を紡ぎ、対話をすることが重要だと解釈しました。」(井坪)

「バフチンは、ドストエフスキーの小説やラブレーの小説を対象として分析することをとおしてこの世界の相互作用を探究しました。
ドストエフスキー小説における〈ポリフォニー〉は、複数の対等な意識が融合しないまま組み合わさって動的な統一体を為すものだと説明されます。また、ラブレー小説における〈笑い〉や〈カーニヴァル〉は、両極的な価値や立場が統合されておりその二極の交替のプロセスそのものを祝うものだと解釈できます。このように一言で説明してしまうと、バフチンの分析対象やそこから生成された概念はかなり特殊なものに思えてしまうかもしれません。しかし、バフチンはこのような特殊例も我々の生活も同じ対話原理が貫いていると考えていました。すると、私たちにできることは、シングルケースの研究から気づきを得るように、特殊事例を切り離して考えず、バフチンが生んだ概念を元にして具体的な実践や生活をデザインしていくことだと思います。
個人的な関心と紐付けると、バフチンが分析対象とした対話事例が小説という芸術作品であったことは見落とせない点だと考えています(バフチン自身もそこに言及しています)。もしかすると、実践の中で〈ポリフォニー〉や〈カーニヴァルの笑い〉が実現する際には、芸術的な表出が必要になるのかもしれません。ワークショップにおけるグラフィックレコーディングの絵の要素やSTEAM教育のArtの要素の意義は、まだ明らかになっていない部分が多く残されていますが、非記号的な芸術的表出によってこそ成し得ることを探究していきたい思いです。その探究の過程で、バフチンの思想からはおおいに刺激を受けました。」(仲沢)


以上、バフチン班からのレポートでした!


【参考文献】
桑野 隆(2020)バフチン : カーニヴァル・対話・笑い 増補版.平凡社
立本秀洋(2019)「 ミハイル・バフチン: 外国語学習と了解者」英語表現研究, 36, 49-63.

2022.10.05

2022夏 合宿研究会 活動報告(学者レビュー会)

皆さまこんにちは、M1の田中です。
前の2つの記事に引き続き、今回も夏の合宿研究会のレポート記事です。
この記事では、合宿研究会のメインの活動である学者レビュー会について紹介いたします。

山内研には、学習や教育以外に関するバックグラウンドを持つメンバーも多く、各自の研究テーマも多種多様です。
そんな多様な山内研メンバーの研究を根底でつないでいる、教育・学習の研究分野の古典を学ぶのが、学者レビュー会の目的です。
普段の自分の研究に関わるレビューではあまり触れられないような古典の思想家について、夏休みの期間を使って各自調査し、合宿当日に発表を行います。

例年、デューイ、ピアジェ、ヴィゴツキーの固定の3名の学者に、M1の希望を中心とした+αの学者を加えてレビューが行われます。
今年の+α学者は、バフチン、ブルーナーでした。
各学者を2、3名の学生で担当してレビューを行いました。

合宿一日目では、各チームが夏休み期間に準備した、各学者に関する発表を聞き合います。
合宿二日目では、一日目に聞いた各学者の発表をもとに、学者マッピングを作成していきます。
学者マッピングとは、担当学者や、それに影響を受けた他の学者、思想などの関係性について、オンラインのホワイトボード上で視覚的にマップを作っていく作業です。
学者レビュー会最後の時間には、作成した学者マッピング上で各自の研究がどこに位置づくかを考え、自分の研究と古典の思想家たちとの関係を意識することを目指しました。

これから、各学者担当チームの執筆する、各学者レビューの内容や感想の記事も随時上がっていく予定です。お楽しみに!

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