BLOG & NEWS

2006.09.27

【Book Review】イスラム報道

エドワード・W・サイード(浅井信雄・佐藤成文(訳)(1981)イスラム報道.みすず書房,東京

 異文化に住んでいる人びと・他者に対して、私たちが抱くイメージや知識は、どのように創られているのでしょうか?
 
 例えば、映画やテレビで描かれ、ニュースで報道されるアラブやイスラムの人びとや世界から、私たちはどのような印象をうけているのでしょうか?
 
 エドワード・サイードは、主著『オリエンタリズム』の中で、西洋の研究者やメディアが、長い歴史の中で、アラブやイスラムに対するイメージを、その実像とは関係なく作り上げ、ネガティブなレッテルを貼り、かえって事実を覆い隠してきたと膨大な資料から歴史的に分析・批判しました。
 
 この『イスラム報道』では、「イスラム」を題材に、とりわけアメリカのマスメディアや研究者・専門家などが、イスラム世界の出来事をどのように研究・報道してきたかの綿密な分析と批判を行っています。イスラムを伝え解説する人たちがどのような権力や企業等との関わり合いを持っていたのか。どのような役割を果たしたのか。その渦中で「イスラム」はどう解釈され、知識が生み出されたか。
 
 サイードは、人間社会に関するあらゆる知識が、自然界に関する知識と異なって歴史的なものであることを説きます。知識は人間の判断と解釈に基づくものなのです。解釈は、誰によって解釈されたのか、誰に対し、何の目的で、また歴史のどの時点でそれがなされたのか、ということに大きく関わっています。全ての解釈された事象は状況の産物なのです。
 
 これは「イスラム」の問題に限った話ではありません。幅広い意味で「他者」に関して言えることなのです。そしてこの問いは、私たち自身にも跳ね返ってきます。

 1981年に出版されたこの本は、インターネットが地球を覆い、多様に解釈された知識が様々なメディアを駆けめぐっても、今なお、大切な視点を与えてくれます。メディア・リテラシー、情報教育など、メディアと学びに関わる全ての人びとに、有益な古典です。[酒井 俊典]

2006.09.22

【Book Review】統計の本(基礎編)

大学で学習をする上で,多くの人が悩み,格闘するのは統計ではないでしょうか.今回は,ちょっとテイストを変えて,学習に関する研究をする上で,質的研究を志す人でも,是非手に取っていただきたい(そしていつもそばに携えていただきたい)書籍を2冊紹介したいと思います.

●田中 敏,山際 勇一郎 (1992) ユーザーのための教育・心理統計と実験計画法―方法の理解から論文の書き方まで.教育出版.

 この書籍で扱っている統計処理の範囲はちょっと狭いです.分割表・相関・重回帰・分散分析程度までしかカバーしていません.したがって,多変量解析やノンパラメトリック検定を志向する人にはちょっと不満があるかもしれません.

 ですが,この本のミソは,次のようなところにあります.

1.初心者が取り扱いを間違いそうな尺度の違い(名義尺度/間隔尺度/順序(順位)尺度)にフォーカスをし,分析の際に注意できるように指南している点

2.事例を交えることによって,どのようなケースで当該の分析手法を利用すればよいかを分かりやすく説明している点.

3.論文においてどのように統計の結果を示せばよいか,文章記載例を示している点.

 ある程度統計を使うようになっても,ぜひ参照したいのは第3の点です.論文に統計データを書く際によく参考にするのは,自分のテリトリーの学会論文誌だと思います.ですが,掲載された論文でも,読者にとって必ずしも十分に記載していない場合もあったりします(それは審査の結果ですからしようがないのですが).そんなときに,確認の意味を込めてこの本を手に取るとよいでしょう.細かい表現からきっと参考になります.

●森 敏昭,吉田 寿夫(1990) 心理学のためのデータ解析テクニカルブック,北大路書房.

 この書籍がカバーしているのは,分散分析も三元配置まで,ノンパラメトリック検定や質的データの統計処理(ただし,数量化理論などの多変量解析までは踏み込んでいません)など多岐にわたります.行動計量学や数理心理学を専門としないのであれば,この一冊でかなりのことがカバーできます.

 内容のテイストは,前述の「ユーザのための…」よりは2レベルくらいadvancedです.数式も書いてあり,一瞬ひるんでしまうかもしれませんね.ですが,単に数式を書いてあるだけでなく,その過程について,意味を十分丁寧に説明してくれているので,ちょっとまじめに読んでみると,とてもうれしい内容だということが分かります.近頃はSASやSPSS,Rをちょっと回せば大概の処理はできますが,何も勉強しないまま使うのはとても怖いことです.何をしてよいのか,何はダメなのかを真剣に考えるのには,数学が苦手でも十分理解可能な内容です.

 とくに統計処理をするときに,各手法で「使ってはいけない場合」がありますが,そうしたことも丁寧に記述されていますので,初めて学ぶ人でもぜひ手元に置いておきたい,まさに「修論のお伴」な一冊です.

2006.09.15

【Book Review】仕事の中での学習 -状況論的アプローチ-

仕事の中での学習 -状況論的アプローチ-
上野直樹(1999) 東京大学出版 シリーズ人間の発達9

-「状況論」というコトバを理解したいならこの1冊-

「認知科学」は、学習環境の設計をしようとする私たちに「学習」や「知る」という概念について、様々な知見を与えてくれる分野です。この本は、80年代の後半以降、その認知科学の中で大きなムーブメントとなった「状況論」についての概説書です。

この本では、例えば次のようなものを「実体」として捉えるのではなく、ヒトや道具やコトバやテクノロジーの関わりの中で相互構成されるものとして捉えていきます。

機能システム/コンテキスト/プラン/コミュニティ/“マクロ”な社会/発達や学習

上記のようなものたちは、その複雑な成り立ちゆえに、私たちがその姿を描けば、次の瞬間変質してしまうナイーブなものです。あるいは、研究者がシステムを変革しようという意図で設計した道具を持ちこんだところで、再びもととよく似たシステム等が構成されてしまうというような、堅固なものでもあったりもします。

そんな幻のような対象に対して、果たして設計という行為が従来通りの意味(設計者の優れた意図が実体としての現実を変革する)を持てるのか、あるいはそのような視点を経た後に、設計という行為はどうあるべきなのか。

ま、そこんところはヤヤコシイですが、「状況論」を知ることよって、我々が道具や環境と認知の関係についての非常に整理された見通しを得られることは間違いないかと思います。

2006.09.10

大地の芸術祭-越後妻有アートトリエンナーレ2006

先週、ベネッセの福武会長の奥様のご招待を受けて、大地の芸術祭-越後妻有アートトリエンナーレ2006を回ってきました。
(お世話になったみなさま、本当にありがとうございました。)

以前からうわさには聞いていたものの、住民参加の現代アートイベントが本当に成立するのかと半信半疑だったのですが、想像以上にすばらしいものでした。

もちろん、作品もおもしろかったのですが、住んでいる人の関わり方に無理がなく、徐々に巻き込まれている様子が「正統的周辺参加的」で大変興味深いものでした。

写真の作品は、スーパーの袋を地元のお年寄りが花にして、廃校にかざっているものです。このような作品であれば、難解といわれる現代アートへの関わり方もかわってくるのではないかと思います。

RIMG0103.JPG

RIMG0106.JPG


あと、展示がそれぞれの地域の生活の場(学校や空き家)などに分散しているのがポイントだと思いました。プロデューサの北川フラムさんもおっしゃっていましたが、こうすることによって、自分の家の近くに、大量の観客が押し寄せ、「評価されている」という張り合いがでるのでしょう。

トリエンナーレですので、次は3年後ですが、3年後はじっくり時間をかけて回ってみたいと思いました。

山内祐平

2006.09.01

内田樹 「子どもは判ってくれない」

ここ最近の愛読書になっているのが、内田樹氏の「子どもは判ってくれない」というエッセイ集である。

これが、すこぶる面白い。

教養が無いと嘆くものには、問題は教養の不足ではなく、「教養が不足している」同時代人としか自分を比較しないことにより「自分たちには教養が不足している」という事実そのものが認知されないことを説く。

「人に迷惑をかけない」という「社会人として最低のライン」だけを守ればいいだろう、という"正論"に対しては、自分自身に「社会人としての最低ライン」しか要求しない人間は、当然だけれども、他人からも「社会人として最低の扱い」しか受けることができないのだと切り返す。

職業選択というのは「好きなことをやる」のではなく、「できないこと」「やりたくないこと」を消去していったはてに「残ったことをやる」ものだと考え、自分が何かをやりたくない、できないという場合、自分にそれを納得させるためには、そのような倦厭のあり方、不能の構造をきちんと言語化することが必要だとする。それは難しいことだが、「だっせー」等と単純な語彙で己の嫌悪を語ってすませることができる人間では、「好きなこと」を見出して、個性を実現するなどできないことだと主張する。

こんな風に、物事に鋭く切り込むことができたら・・・。

眠りにつく前、僕は、いつもほんの少しの嫉妬と焦燥を感じることを正直に吐露せざるをえない。

PAGE TOP