2006.09.01

内田樹 「子どもは判ってくれない」

ここ最近の愛読書になっているのが、内田樹氏の「子どもは判ってくれない」というエッセイ集である。

これが、すこぶる面白い。

教養が無いと嘆くものには、問題は教養の不足ではなく、「教養が不足している」同時代人としか自分を比較しないことにより「自分たちには教養が不足している」という事実そのものが認知されないことを説く。

「人に迷惑をかけない」という「社会人として最低のライン」だけを守ればいいだろう、という"正論"に対しては、自分自身に「社会人としての最低ライン」しか要求しない人間は、当然だけれども、他人からも「社会人として最低の扱い」しか受けることができないのだと切り返す。

職業選択というのは「好きなことをやる」のではなく、「できないこと」「やりたくないこと」を消去していったはてに「残ったことをやる」ものだと考え、自分が何かをやりたくない、できないという場合、自分にそれを納得させるためには、そのような倦厭のあり方、不能の構造をきちんと言語化することが必要だとする。それは難しいことだが、「だっせー」等と単純な語彙で己の嫌悪を語ってすませることができる人間では、「好きなこと」を見出して、個性を実現するなどできないことだと主張する。

こんな風に、物事に鋭く切り込むことができたら・・・。

眠りにつく前、僕は、いつもほんの少しの嫉妬と焦燥を感じることを正直に吐露せざるをえない。

2006.08.25

研究者を志した1冊 - 稲垣・波多野"人はいかに学ぶか" -

学校がキライだった僕に、研究者になりたい、よりよい学習とは何かを考えていきたいと思わせた、僕の原点でもある1冊です。未だに悩むとこの本を手にとります。もっと勉強して、こんな本に沢山出会いたい、願わくばこんな本を死ぬまでに1冊でいいから書いてみたい、そう思わせる本なのです。

この本の主張は単純です。世の中には、沢山の"賢い学び"が存在し、ひとは誰でもが賢く学んでいる、という当たり前の事実を明らかにすること、だと言えるでしょう。

このために著者らはまず、世の中に広く信じられている"伝統的学習観"の存在を明らかにしていきます。私たちは知らず知らずのうち、"伝統的学習観"を支える前提、"学び手は受動的な存在"であり"学び手は有能ではない"という考えを受け入れてしまってはいないでしょうか。これまでの心理学的な知見もまたそれを裏付けるような証拠を出してきました。
ところが、一旦研究室の外に目を向け、普段私たちが何気なく行っている学びを考えてみると、その前提が大いに疑わしいことは明らかです。

人は世界を整合的に理解する為に、積極的に世界へと働きかけ、必要とあらば周りの環境を組み替え、自分ひとりではなく人とのインタラクションの中で能動的に学んでいくことが、様々な事例を通して明らかにされていきます。

ともすれば"伝統的な学習観"に立ち戻ってしまう僕に、より良い学びがあるよと、そっとささやいてくれる、そんな1冊です。

稲垣佳世子, 波多野誼余夫 (1989) 「人はいかに学ぶか」 中公新書

2006.08.17

【Book Review】柴田義松『ヴィゴツキー入門』

<おすすめのポイント>
ヴィゴツキーが大事そうだなあと思いつつも、一歩が踏み出せない方へ。
だいたい知っているけれど、詳しく話せと言われると「ドキッ」とする方へ。
一応全体像をつかんでおきたいと思う方へ。

<書評>
山内研夏合宿シリーズで扱った流れにのせて、ヴィゴツキー本を紹介しておこうと思います。本当はもう少しヘビーな本を紹介して「おっ」と思わせたいのですが、入門本でごめんなさい。しかし、一歩目を踏み出すという意味では全体が網羅されていておいしい本ではないかと思います。

内容はというと、ヴィゴツキーの生涯、発達の最近接領域、彼のアイデアを生み出すことになった時代背景などなど、ほぼ全体を網羅しています。私は彼のアイデア自体は知っていたものの、その時代背景や彼がどんな人物であったのかということを知るという意味でとてもためになりました。

当然この一冊でヴィゴツキーを知ったというのは難しいです。ピアジェとの関連は述べられていますが、彼が批判された点、さらには彼の後にどんな人が育っていったのかという詳しい点はのっていません。しかし、全体像をつかむことはできると思います。インデックスを作るという意味で、一度読んでおくといい本ではないでしょうか。

ヴィゴツキーを勉強したところでただちに自分の研究が進むというようなものではないかもしれませんが、こうした人物について知っておくことは基礎的な体力づけに最適かなと思います。夏にじっくりヴィゴツキーと向き合うというのもなかなかオツな過ごし方と言えるのではないでしょうか。

ちなみに関連する話が、BEATのメルマガで説明されています。
BEAT -Beating Back Number-
http://beatiii.jp/beating/014.html

[舘野泰一]

2006.08.11

【Book Review】S.パパート『マインドストーム』

Seymour Papert (1980) "Mindstorms" Basic Books
(S.パパート 奥村貴世子訳(1982)『マインドストーム』未来社)

1960年代末にLogoという子ども向けのプログラミング言語を開発したシーモア・パパートによる、Logoの哲学と「強力な概念」の有効性について解説した本です。パパートについては、つい先日行われた山内研究室夏合宿の学習プログラム〈学習研究の古典を読む〉でも取り上げられました。

MITメディアラボ教授のパパートは若いころ、児童心理学者のジャン・ピアジェと共同研究を行っています。強力な概念は外から与えられるのではなく、Logoをプログラミングすることで学習者が自ら構成していくとする彼の考え方には、ピアジェの影響が強く見られます。

この時代特有の、コンピュータが教育の現場に入ればすべてがうまくいく、というユートピア的な未来予想図には必ずしも賛同できませんが(本当にそうなら学習環境デザイン論の必要性はないでしょう)、それまでのコンピュータ教育を転換させた、コンピュータを思考のツールとして活用するという考え方は、今から見ても有効なものだと思います。

ちなみに、ブロック遊びとプログラミングを組み合わせたLEGOの知育玩具「LEGO Mindstorms」は、彼の功績に敬意を表して、この本のタイトルから名づけられています。[平野智紀]

2006.08.03

工藤和美 (2004) 学校をつくろう!

工藤和美 (2004) 学校をつくろう!,TOTO出版


この本の著者である工藤和美さんは建築家。
とりわけ、千葉県市立打瀬小学校(日本建築学会賞受賞)、福岡県立博多小学校など、ユニークな学校建築で有名。現在は東洋大学教授。
http://www.coelacanth-kandh.co.jp

この書は、工藤さんが博多小学校をつくった1460日のプロセスをつづったものである。

私と工藤さんとの初対面は7年前。つい最近はラーニングスタイルセッションでお会いした。サバサバ、きさくなところが九州人だなあ、と思う。彼女は、働く女性としての立場や母としての経験などもうまく生かし、学校のデザインを考えている。珍しい建築家さんだと思う。
最近、ゼミでの輪読文献などの影響でオンラインコミュニティのデザインなどについて考える機会が増えた。この本につづられた実際の学校建築が出来上がっていくプロセスには、オンライン学習環境構築を考える上でも参考になる要素があるように思う。

―私はそもそも建築は、完成したときに立ちはだかるものではなく、存在感がスーッと消えて、そこには生まれるさまざまな活動がメインになればよいと考えていた。主役は子どもたちである。―

写真や設計図などビジュアルな資料も豊富。文章も平易。
いろいろな切り口で楽しめる、この夏お勧めのさわやかな一冊である。

(文責 森玲奈)

2006.07.31

工学・工業教育研究講演会

週末に、小倉で開かれた工学・工業教育研究講演会に行ってきました。
梅雨が明けた九州はじりじりと暑かったです。

工学・工業教育研究講演会は、工学教育に関わる実践者の実践報告が行われる会で、今回は、その中で行われたeラーニングに関するオーガナイズドセッションに出てきました。

> ◎オーガナイズドセッション<e-ラーニング>
> オーガナイザー:植野 真臣(電気通信大学),不破 泰(信州大学)
> 日時:7月29日(土)14:15-17:45 会 場:第8室
>  ワークショップ(16:45-17:45)
> テーマ:対面授業を越えるe-Learningは可能か?
> 概 要:e-Learningを多くの人が,単なる対面授業の近似であると考えている.
> その場合,コピー元となる対面授業には絶対に勝てない.しかし,現実
> のe-Learningの持つポテンシャルはより高いと考えられる.E-Learning
> を用いた学習の協働,実践の支援ははるかに対面式授業に比べ本質
> 的な学習を実現できる可能性を持つ.ここでは,実際に,対面授業を越
> えるe-Learningを実現するための条件や可能性について議論する.
> パネリスト: 山内 祐平(東京大学),永森 正仁(長岡技術科学大学),西之園晴夫
> (佛教大学),国宗永佳(信州大学),金西 計英(徳島大学)不破 泰(信州大学)

ディスカッションもよかったのですが、信州大学で行われているeラーニング離脱防止システムがおもしろかったです。離脱気味の学生の状況に合わせて、メールや電話などで適切なアドバイスをするというものでした。時間がない場合は履修期間の延長、動機に問題がある場合は、相談と休学などが選択肢として提示されるそうです。

eラーニングが教材だけでなんとかなる時代はすぎ、学習者ひとりひとりにどうアプローチするかという部分が重要になってきていることがよくわかる発表でした。研究的にもメンター養成がはやっていますが、実践現場でもそれに対応した動きが増えつつあるようです。

人員的な組織化はまだだそうですが、今後の展開が期待されます。

2006.07.27

【Book Review】「新 コンピュータと教育」

「新 コンピュータと教育」 佐伯 胖 岩波書店 (1997/05)


コンピュータは、1990年代後半より学校への導入が急速に進みました。初めて出会うテクノロジーに対し、基本的な方針をもてないまま、その対応におわれるだけという混迷した状況も見られました。そんな当時に出されたこの書籍では、人間教育の立場からコンピュータを利用することに主眼をおき、インターネットの活用も含め、その問題点と可能性を指摘しています。

「本当の学びを育てる」道具としてのコンピュータ利用というものはどういうものでしょうか。このことを考えるために、「本当の学び」を再検討し、その観点から望ましいソフトウェアの条件を以下のように導いています。

1.真正の文化的実践へのアクセスが可能になっていること
2.自分にとっての学びの道具とするために、
  「自分さがし」「自分づくり」に貢献するものであること
3.他者とつながり、コミュニケーションをもって、
  「学びの共同体」をつくり、それに参加していく道が開かれていること

この条件は、10年近く経た現在でも変わらない指針といえるでしょう。

Ylablogでも度々出てくる言葉に、「オンラインコミュニティ」がありますが、これは、3つ目の「学びの共同体」のインターネット版といえます。学校を超えて、地域、家庭まで、オンラインコミュニティは今後益々拡張していくと思われます。本書のような道具や環境により変わらない本質を追求するという視座は、こうしたあらたな環境とつきあっていく際にも重要なものとなるでしょう。

この書籍は、オンラインの複雑な社会が出現する以前に出版されたものですが、ITの進化により変容しない学びの本質から詳述されており、ITとの関わりの多少にかかわらず、一度は読んでおかれるとよいのではないかと思います。[佐藤朝美]

2006.07.20

【Book Review】「リクルートのナレッジマネジメント―1998~2000年の実験」

「リクルートのナレッジマネジメント―1998~2000年の実験」 リクルートナレッジマネジメントグループ 日経BP社 (2000/11)


株式会社リクルートにおいて、「営業が喜ぶことをしよう」という抽象的な目的の提示から、システムの運用に至るまでのプロセスを示したケーススタディ本。

ナレッジマネジメント(Knowledge Management)は、いわゆるデータに分類されるような「形式知」のみではなく、仕事上のノウハウなどの言語化されにくい「暗黙知」までも含んでいることを確認できます。

現代によく見られるような『情報共有ツールならwiki』『コミュニケーションツールならsns/blog』のような安易な発想ではなく、社内に潜在化している特有の問題意識を顕在化し、それに則った問題解決のためのシステムの提案から構築までの経緯が示されています。
システムを開発する際に、目的と方法論の逆転が起こってしまう(←結果的に成功する例もありますが…)ことも多いですが、この本の実践においては、きちんと目的に沿った方法論が展開されています。

1998~2000年の実践であり、技術としては決して新しいモノではありませんが、「そのシステムを使う人が嬉しいことをしよう」という発想自体はいつの時代も変わらないモノであるべきだし、そういった意味ではナレッジマネジメントの概念を学ぶうえでの教科書的な本といえると思います。[大川内隆朗]

2006.07.17

特許公開

【特許公開】東大とベネッセの共同研究の成果として申請していた特許が公開されました。
この研究は、RFIDを用いて持ち方を判定し、適切な教育コンテンツを提示するというものです。
修了生の飛騨さんが三葉虫の化石が自らを語るという科学館向けのシステムを開発しました。

monogatari.jpg

発明の名称 : 把持状態判定システム及び方法

要約:

【課題】 把持手段により把持対象の把持状態を好適に判定することのできる把持状態判定システムを提供すること。
【解決手段】 把持対象に取り付けられ、それぞれ位置IDを送信する複数のRFIDタグと、グローブ10に取り付けられ、位置IDを受信する複数のRFIDアンテナ14と、グローブ10による前記把持対象の把持状態毎に、前記各RFIDアンテナ14により受信される位置IDの条件を記憶する把持パターン記憶部48と、前記複数のRFIDアンテナ14により受信される位置IDと、把持パターン記憶部48に記憶される条件と、に基づいて、グローブ10による前記把持対象の把持状態を判定する把持状態判定部44と、を含むことを特徴とする。

(この特許は教育目的だけでなく、広くRFIDで持ち方を判定するための技術として申請してあります。)

公開されている特許情報は、特許庁のウェブで検索できるようになっています。

http://www2.ipdl.ncipi.go.jp/BE0/

特許庁のデータベースが公開される前は、特許の先行調査もできなかった(有料サービスはものすごく高かったのです)ので、研究が特許になりそうかどうか見当もつかない状態でした。

いろいろなキーワードで検索してみると、「こういう特許もあるのか」となかなか参考になります。(特許は用語が特殊なので、慣れるまでちょっと面食らうかもしれません。)

企業と共同研究する場合には、資金に対して大学が提供できる強い知財になりますので、教育システムについて研究される方は、特許について基礎的な知識を持っておいた方がいいと思います。

2006.07.13

ジーン・レイヴ&エティエンヌ・ウェンガー(著)・佐伯胖(訳)『状況に埋め込まれた学習』

ジーン・レイヴ&エティエンヌ・ウェンガー(著)・佐伯胖(訳)(1993)状況に埋め込まれた学習,産業図書,東京

教育学者のジーン・レイヴとエティエンヌ・ウェンガーによる、学習に関する本。日本では1993年に翻訳され、学習研究に一石を投じました。

「状況に埋め込まれた」という独特の言葉は、‘situated’の訳語です。「状況に埋め込まれた学習」とは、学習が個人の頭の中ではなく、人々と共同の活動に参加する中で行われる社会的営みであることを指した言葉です。この考え方は、学習研究者の関心を人間の頭の中(脳)から広く社会に向けさせることとなりました。学習を起こすには、個人の頭の中に知識をインプットするのではなく、学習が行われる場を整えればよいと考えたからです。

レイヴらは、学習が行われる場を「実践共同体(community of practice)」と呼びます。実践共同体とは、ある目的を共有し、ともに活動を行う人々の共同体です。そして、新参者が実践共同体に参加しながら次第にスキルや知識を身につけていく過程を、「正統的周辺参加(legitimate peripheral participation)」と呼びます。徒弟制を考えると分かりやすいでしょう。例えば、美容師は資格を取ったからといってすぐに一人前になれるわけではありません。最初は店で先輩美容師の手伝いをし、そのやり方を見ながら、一人前の美容師になっていきます。この過程が、正統的周辺参加です。

折りしも1990年代、日本では経営学において、組織が成員の知識を結びつけ、知識を組織に蓄積するための「ナレッジ・マネジメント」という考え方が流行しました。実践共同体は、人々が共に活動し知識を蓄積する場として、経営学者からも注目を浴びることとなります。そして今、「コミュニティ(共同体)」という言葉は、学習に限らず社会の様々な分野で耳にします。しかし、その定義は一様ではありません。学習におけるコミュニティ(共同体)を考える上で、その原点となる一冊が本著です。〔荒木淳子〕

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