2006.08.25
学校がキライだった僕に、研究者になりたい、よりよい学習とは何かを考えていきたいと思わせた、僕の原点でもある1冊です。未だに悩むとこの本を手にとります。もっと勉強して、こんな本に沢山出会いたい、願わくばこんな本を死ぬまでに1冊でいいから書いてみたい、そう思わせる本なのです。
この本の主張は単純です。世の中には、沢山の"賢い学び"が存在し、ひとは誰でもが賢く学んでいる、という当たり前の事実を明らかにすること、だと言えるでしょう。
このために著者らはまず、世の中に広く信じられている"伝統的学習観"の存在を明らかにしていきます。私たちは知らず知らずのうち、"伝統的学習観"を支える前提、"学び手は受動的な存在"であり"学び手は有能ではない"という考えを受け入れてしまってはいないでしょうか。これまでの心理学的な知見もまたそれを裏付けるような証拠を出してきました。
ところが、一旦研究室の外に目を向け、普段私たちが何気なく行っている学びを考えてみると、その前提が大いに疑わしいことは明らかです。
人は世界を整合的に理解する為に、積極的に世界へと働きかけ、必要とあらば周りの環境を組み替え、自分ひとりではなく人とのインタラクションの中で能動的に学んでいくことが、様々な事例を通して明らかにされていきます。
ともすれば"伝統的な学習観"に立ち戻ってしまう僕に、より良い学びがあるよと、そっとささやいてくれる、そんな1冊です。
稲垣佳世子, 波多野誼余夫 (1989) 「人はいかに学ぶか」 中公新書