2007.04.26
佐伯ゆたか,宮崎清孝,佐藤学,石黒広昭 (1998)『心理学と教育実践の間で』東京大学出版会
山内研のメンバーは様々な研究テーマに取組んでいますが,私たちの間で交わされる議論には心理学の知見がたくさん出てきます。と同時に,教育の話題も登場するといった具合です。
ところが,いくらか前には心理学と教育学はあんまり仲がよくないということがまことしやかに語られた時代もあり,実際,教育の現場に心理学の成果をどう生かすのかはいつも議論になる事柄でした。この本もそのような背景のもとで上梓されたものといえるかも知れません。
「おお,心理学と教育実践の溝を埋めるヒントが書いてあるかも…」とかつて教員を志望していた若き私は思いました。実際に読み始めて私は自分の浅はかさを知りました。
「む,むずかしい…」
本書は序章に始まり,以下のような5章立て構成となっています。
序 心理学と教育実践の間で(佐伯)
1章 教師の実践的思考の中の心理学(佐藤)
2章 心理学は実践知をいかにして越えるか(宮崎)
3章 心理学を実践から遠ざけるもの(石黒)
4章 学習の「転移」から学ぶ(佐伯)
5章 コメントとコメントへの返答
1章,教育研究者の佐藤氏が書いた「理論と実践」に関する問題を,2章3章で心理学研究者の立場から宮崎氏と石黒氏が引き受けて論を展開するという形になっています。教育研究者として,或いは心理学者としての在り方に深く考察を加えていこうとする試みに,読者として追いつくのはなかなか大変です。
そんな私を救ってくれたのは4章の佐伯先生の論考で,これは教育の世界と心理学の世界をつなげて考えたい者にとってはよい入口に見えたのでした。
行動主義から認知主義,そして構成主義へと移り変わる心理学の世界について,流れるように…とまではいきませんが,解説を加えてくれているので,大変参考になると思います。
というわけで,お薦めする「1冊」というには前半部分は大変重たい本ですが,4章から読み始めて,いずれ教育との関係を深く考えたくなったときに残りの部分をじっくり検討するのがよいと思います。5章のコメント部分は議論の理解を助けてくれるのではないでしょうか。
[林向達]
2007.04.18
『ワークショップー新しい学びと創造の場ー』中野民夫著 岩波新書,2001
ワークショップに参加したことがありますか?
最近では、学校や美術館、まちづくりなど、ワークショップという言葉を耳にする機会も多いと思います。
本書は、ワークショップとは何か、ワークショップの実際、ワークショップの意義、ワークショップの応用、の4章から成り、著者が参加した、或いは企画、運営に関わった多くの具体例を挙げながら、「新しい学びと創造の場」であるワークショップの魅力や可能性を紹介しています。
著者はワークショップを「講義など一方的な知識伝達のスタイルではなく、参加者が自ら参加・体験して共同で何かを学びあったり創り出したりする学びと創造のスタイル」と定義しています。
ワークショップでは、主体的な「参加」、頭だけでなく身体や心をまるごと使った「体験」を大切にします。それは、従来の教育で一般的な、教える側から学ぶ側への一方通行ではなく、双方向的な学びのスタイルです。
体験談の中には、ワークショップという手法の中にあるエッセンスがたくさんちりばめられています。
一人で感じる、二人でペアになって体験する、グループで話し合う、全体で発表するなどの活動形式や、話を聞く、自ら話す、身体を使って動く、静かに感じるなどの様々な活動の仕方を行き来することは、個人の学びを深めるだけでなく、その場全体としての相互作用を生み、将来の持続的な学びへとつながっていく可能性を持っているようです。
また、他者の話をじっくりと最後まで聞くこと、自分自身にも耳を傾けること、他者の意見を批判しないこと、唯一の正解を求めないこと、自分の言動が場を動かすことを知ること、などといった態度が求められるのは、ワークショップという場だけではないと思います。
著者は、ワークショップにももちろん限界や注意点があると述べた上で、社会の様々な分野で応用することができるとしています。
ワークショップをデザインする人、ワークショップに参加したい人、参加したワークショップを振り返りたい人、会議や活動にワークショップ的な要素を取り入れたい人…。様々な視点から学ぶことができる本ではないかと思います。
ワークショップに参加したことのない人は、机の上で一人なるほど…と読むよりも、実際に一度ワークショップに参加してみてから再度読むと、具体的な体験と結びつけて感じることができていいのではないかと思います。
ワークショップは「参加体験型」の学びのスタイルですから。
[牧村真帆]
2007.04.12
『学ぶ意欲の心理学』市川伸一著 PHP新書,2001
動機付けの理論の概要について学ぶには読みやすい本だと思います。全体的に口語調の文章なので,すらすらと自分の経験を振り返りながら読むことができます。
個人的には,日頃過ごしている中で何気なく感じていることを,学術的な観点から見ることの楽しさを教えてくれました。
4章で構成されており,第1章では動機付けの心理学の展望として,基本的な古典研究から,「学習動機の2要因モデル」といった著者の研究まで,具体例を踏まえながら概略を述べていきます。
第2章と第3章では,動機付けの心理学に対して比較的批判的な論を持っている方との対談をそれぞれ行います。それぞれ異なる考えを,現代の教育問題や労働環境などに沿って展開していくことで,動機付けの理論を,教育現場や日頃の生活やる気の出し方やその維持にどのように生かしていくか考えていく第4章へとつながっていきます。
個人的に興味があるのは第3章の討論です。
ここでは,内発的動機付けを重視する傾向が,安易に「こどもはみんな学びたがっている」と一般化されてしまうことについて警鐘を鳴らしています。
俗流化してしまった動機付け理論の観点に立つと,家庭といったような周辺環境から受ける内面的・心理的な影響によって,当然学ぶ姿勢や学力も変化してくるという点を見落としてしまいがちになる,というのがこの章で取り上げている問題点です。
これについて,筆者は俗流の動機付け理論と学術的な動機付け理論を再度整理した上で,学術的な動機付け理論こそ外的な要因を考慮していること,すなわち外発的な状態から内発に移行していく自律性の高め方の重要性について言及し,理論を実践へつなげていく方法について考察していきます。
全体を通して具体的な実践例が多く,最初から最後まで理論と実践の考え方が行き来しています。そのため,決して両者のどちらかが優れているわけではなく,両方のつながりを忘れずに研究していかなければいけないということを改めて気付かせてくれる本だと思います。
[坂本篤郎]
2007.03.29
リチャード・フォーティ著 垂水雄二訳(2000=2002)『三葉虫の謎』早川書房
「三葉虫」という生き物をご存知でしょうか? そう、理科の教科書などでおなじみの、殻を持った、平べったい古代の節足動物です。非常にポピュラーな古生物なので、皆さんも写真や映像など、どこかで一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。この本は、三葉虫研究の第一人者であるイギリスのリチャード・フォーティ博士によって書かれました。
研究者が書いた本だから難しいことばかり書かれているかというと、そんなことはありません。トマス・ハーディの小説の一節から始まり、硬い殻、柔らかい脚からその進化のプロセスへと次々に語り継いでいく著者の語り口に、読者は一気に引き込まれてしまいます。その後も、化石発掘の際の苦労と喜び、同僚の科学者との交感、科学者の日常生活など、数多くのエピソードを基に、三葉虫研究の最前線がわかりやすく語られていきます。
この本で、三葉虫研究を通じて著者が語ろうとしていることは、三葉虫という生き物の詳細な生態だけではありません。著者は、科学するということ、あるいは、科学者という生き方について、多くのことを述べています。言ってみれば、三葉虫の“眼の探求”を通じた、科学者の“眼の探求”です。
研究の最前線とは、いつも過去の偉大な業績との戦いであり、その意味で過去は不変ではあり得ず、変わりうるものであるということ。科学とは協調的なプロセスであり、科学者同士が協力し、ときに対立しながら、ともに知を作り上げていかなければならないこと。絶対的な真理など存在せず、科学者たちはその方向へと向かい続けることしかできないこと…。これらは、古生物研究だけに言えることではないと思います。
物言わぬ三葉虫の眼が、私たちに多くのことを語りかけてきます。私たち人類は、三葉虫の生きた時代:2億5000万年のうち、まだ1000分の1も生きていないのです。[平野智紀]
2007.03.23
トム・ケリー&ジョナサン・リットマン 鈴木主税訳(2006)
『イノベーションの達人!発想する会社をつくる10の人材』
早川書房
この本は以前、平野さんのほうで紹介していただいた「発想する会社!」の続編に当たる本です。(前作の詳しい話は、そちらの書評をご覧下さい。)
前作のポイントをヒトコトでいうのならば、IDEOという会社の「イノベーションの方法」について書かれたものでした。クリエイティブな仕事の土台となっている「企業文化」や、「環境」、「技法」について書かれており、そのやり方は非常に大きなインパクトを与えました。
今作で注目しているポイントというのは、ズバリ「人」です。前作で紹介したような企業文化を実現には、なんといっても、それを支える人材が必要です。今作では、そこに必要とされる人材の役割を10のキャラクターで表現し、ホットなチームへ必要な要素について述べています。
10のキャラクターは大きく3つのカテゴリーに分かれています。
・情報収集をするキャラクター
1 人類学者:観察する人
2 実験者:プロトタイプを作成し改善点を見つける人
3 花粉の運び手:異なる分野の要素を導入する人
・土台をつくるキャラクター
4 ハードル選手:障害物を乗り越える人
5 コラボレーター:横断的な解決法を生み出す人
6 監督:人材を集め、調整する人
・イノベーションを実現するキャラクター
7 経験デザイナー:説得力のある顧客体験を提供する人
8 舞台装置家:最高の環境を整える人
9 介護人:理想的なサービスを提供する人
10 語り部:ブランドを培う人
本の中では、それぞれの特徴、役割が細かく書かれています。今作も、前作と同じく、具体例が豊富であり、身近なものを取り上げていることも多いので、気軽に読み進める事ができます。
ポイントとなっているのは、イノベーションについて、ひとりの天才に注目するのではなく、キャラクター同士のチームプレーとして捉えている点です。例えば、ある問題について、人類学者が人々の様子を観察して情報を集め、コラボレーターなどがイノベーションのための土台を作り、語り部が聴衆をあっと言わせる。
こうしたチームを作る事で困難を乗り越えようとしています。
イノベーションを起こす方法については、おそらく様々な本が出ていると思いますが、この本がよいところは、問題を身近に感じられるところかなと思います。それは分かりやすいメタファーを用いてキャラクターの説明しているだけでなく、IDEOという会社で起こっている事を題材としたり、豊富な実例があるからでしょう。
より専門的な本とはまた別に、こうした本を読む事で、大きなイメージをつかんだり、専門書とはまた違ったインスピレーションを得る事ができるのではないかと思います。前作を読んだ方は、ぜひ今作も読んでみたらいかがでしょうか。[舘野泰一]
2007.02.22
G.ハメル&C.K,プラハラド著・一條和生訳『コア・コンピタンス経営』日本経済新聞社,1995。
原著はG. Hamel & C. K, Prahalad.,”Competing For The Future”(1994)です。
著者は両者とも経営学(国際経営・企業戦略)の研究者です。
内容は経営戦略論です。文量は380頁程度。訳は読み易いです。
本書は経営戦略論では、資源論(競争優位の源泉を組織資源により議論する学派)に位置づけることができます。
学術的な有用度は、経営戦略論ならば“重要”、更に資源論が論点ならば“避けては通れない”です。
本書は企業が“持続的に競争優位を獲得する”ための考え方を示しています。
題名にあるコア・コンピタンスとは、“顧客価値を提供する自社の中核能力”のことです。
このコア・コンピタンスを未来市場において増強することが、持続的競争優位につながるということが論点です。
私情では原題の”Competing For The Future”が大変気に入っています。本書の内容はまさにこの原題に尽きるからです。
「コア・コンピタンス経営」というと、さもそういった経営プロセスがあるような誤解を受けます。
しかし本書で示されていることは、未来市場で勝つことを構想し、どのように組織資源を増強するかという考え方です。
目先の(今重要に思える)活動を場当たり的に連鎖させるのではなく、10年後の未来市場を構想し戦略を構築する、という考え方には、
私達が組織運営を考える場合の“判っているようで解っていない”、重要な指摘があると思います。
[M0 山田寛邦]
2007.02.19
石井裕著(1994)『グループウェアのデザイン』共立出版
本書はグループウェアとは何かやグループウェアの設計や具体例について書かれています。
グループウェアとは「共通の仕事や目的を持って働くユーザーグループを支援し、共同作業環境へのインターフェースを提供するコンピュータベースのシステム」です。グループウェアの対象とするグループとは、一般的に全社的な規模のそれではなく、比較的小規模なタスクフォース的なグループをさしています。。
グループウェアを従来のシステムと区別する重要な要件としてウィノグラードは、人々の協調構造に基づいて設計されたシステムであることをあげています。すなわち、グループウェア実現に用いるコンピュータシステムの構造ではなく、グループワークそのものの構造に設計の焦点があるということです。
グループウェアは構造的アプローチと非構造アプローチがあります。
構造アプローチは、ヒューマンコミュニケーション構造のモデル化です。これらは非同期型のグループウェアで有効になるでしょう。しかし、構造アプローチは例外処理に弱いという欠点があります。
つまり、支援システムに構造を持ち込むことはツールをあるタスクに特化することであり、ユーザーにその構造を制約としてかすことなのです。
非構造アプローチは、構造アプローチの逆となるものです。映像を生かしたマルチメディアグループウェアなどがあげられます。
私は学部時代、コンピュータサイエンスを専攻していました。その影響で協調システム等を設計しようとした場合、システムの構造をどうするかのみ考えがちになります。この本はそういった人にもどのようにシステムを考えていけばよいか示唆を与えてくれます。
2007.02.08
トム・ケリー&ジョナサン・リットマン 鈴木主税・秀岡尚子訳(2002)
『発想する会社!-世界最高のデザイン・ファーム・IDEOに学ぶイノベーションの技法』
早川書房
だいぶ前にコピーライターで劇作家の知人の方に紹介していただいた本。
「こんな風にものづくりができたら楽しいだろうなあ」という話が、たくさんのカラフルな写真とエピソードとともに描かれており、とても刺激的な本です。
IDEOは、古くはマッキントッシュの初期のマウスをデザインしたほか、歯磨きのチューブ、ラップトップコンピュータ、医療機器、マウンテンバイク用のウォーターボトル、子ども用歯ブラシ、玩具、鉄道車両など、「機能的で遊び心に満ちた」デザインで名をとどろかせている会社です。クライアントも、アップル、パーム、プラダ、ペプシ、ピクサー、P&Gなど。最近では「なぜIDEOではクリエイティブなデザインが生まれるのか」と、この会社そのものが注目を集めるようになっており、今では“働き方そのもの”をコンサルティングするようなことまでやっているそうです。
難しい理屈ではなく、実例が豊富なのがこの本の良いところです。写真も装丁もきれいで、眺めているだけで楽しい。「コミュニティ・オブ・プラクティス」や「企業内人材育成入門」のようなちょっと硬めの本を読む前に、こういう柔らかい本にざっと目を通しておくと、理解がぐっと深まるのではないでしょうか。
IDEOのメンバーはみんなイタズラ好きで、この本に収められたエピソードひとつひとつから、会社の生き生きとした雰囲気が伝わってきます。多くの日本の企業に勤める人にとって、このような働き方は斬新を通り越して、ほとんど革命的なのではないでしょうか。
もちろん「プロダクト・デザイン」という職種だからこそできることもあるのだと思いますが、ここに描かれている、自分が選んだ仕事・プロジェクトとの向き合い方、その構えのようなものは、どんな仕事をしている人にも(もちろん研究者にも)、適用できるものであるはずです。[平野智紀]
2007.02.01
金出武雄(2004)『素人のように考え、玄人として実行する』PHP研究所
「なにか困ったときに、ふと手にとってみると、その答えが書いてある」という体験をさせてくれる本はいくつかありますが、今回紹介する本は、そんな本の1つです。
この本はロボット工学の研究者である著者が、「問題解決の方法」について書いたものです。内容は、著者自身の経験から、考え方のコツや、そのときのメンタル的な部分まで幅広く書かれています。
「考え方」について書かれた本というのは、いくつかあると思いますが、この本の主要なメッセージというのは、シンプルでありつつ、強力です。それはタイトルにまさに集約されているのですが、ポイントは、
・発想は、単純、素直、自由、簡単に(素人のように)
・実行は、知識と習熟した技で(玄人として)
ということです。本の中で紹介されている方法や、考え方は、基本的にこのアイデアが元となっています。
例えば、その中の一つに「キス(KISS)アプローチ」というものがあります。KISSとは、"Keep it simple, stupid"の頭文字です。意味は、「こら、簡単にやれ!バカモノ」ということらしいのですが、もっとストレートにいえば、「ごちゃごちゃ言わずにやれ」ということのようです。
これは、なにかをやり遂げる前に「できないこと」をいろいろ想像して前に進まない学生に対して言うそうです。つまり、やる前に思い悩んでいてもなにも進まないが、それをやってみることで「何が難しいか」がわかることもある。つまり、簡単に一歩目を踏み出すことで、困難な点が明らかになってくるということを示しています。
「素人発想、玄人実行が大切だ!」とわざわざ書いていたり、なるほどと思うのは、人は得てして、その反対の「玄人発想、素人実行」になりがちだからだと思います。
自分自身を振り返ってみても、まさにそうなっている部分というのが多々あります。学部3年のときに買ったこの本を、なぜかいまごろ手を伸ばして読み直しているのも、こうした反省からかもしれません。
「素人のように考え、玄人として実行する」
当たり前のようでいて、難しいこの言葉ですが、自分の考え方、問題解決の仕方がうまくいっているのかを振り返るときに、ひとつのよい指標となるのではないでしょうか。みなさんにおすすめというよりも、自分自身にたいしてのメッセージが強い気もしますが、この本は研究活動をしていく上で、基本になる一冊のように思います。
[舘野泰一]
2007.01.26
哲学への入門書として定評のある本書は,ヴィトゲンシュタインの後見人としても知られるバートランド・ラッセルによって50年以上前に書かれました.上中下3冊900p超と気軽に読める量ではありませんが,それでも一読の価値はある本かと思います.
推薦理由として3点.
はじめに,なんといっても哲学の世界への良い入り口となってくれる点,哲学とは何か,ではなく,哲学をするとは何かを明瞭に浮かび上がらせてくれる点があげられます.ミームとしての神秘主義(オルフィック教的な主義)がプラトンから連綿とヘーゲルまで伝わっていく様など,僕のこれまでの哲学観を大きくかえてくれました.
次に,入門書と呼ばれる所以でもある,その後の読者の哲学的学びへのよい準備となってくれる点があげられるのではないでしょうか.ひとりひとりの"大"哲学者たちは,長くても50p以内で簡潔にまとめられており,その意味では,本書だけで分かったつもりになるのは危ないのではないかとすら思わせます.しかしながら,たとえばヒュームは,ヒュームだけで語られるのではないのです.ロックから連なる経験論哲学において,バークリーが実体という観念を物理学から追放したことを眺めながら,ヒュームによる心理学からの実体の追放が描き出されていくといったように,随所で歴史と思想が絡み合い,読者の頭の中に哲学史の世界地図を築き上げていくラッセルの手腕は,見事だというほかありません.
最後の点は,上記の点と関係がなくもありませんが,常識的な世界史の知識と哲学史との繋がりが示されることで,単に哲学史を概観するよりも,よりリアルな哲学者像を想像しながら読めること,です.何故,スコラ哲学においてアリストテレスが至上とされたのか,何故,教会と国家の関係が哲学へと影響を与えたのか.これまで僕には想像の世界の中で難解なことばを振りかざすイメージでしかなかった哲学者達が,わたしたちと同じように生活し,いきていたことをリアルに意識させてくれました.この意味において,貴重な書だと考えます.
ただ,実のところ,いとも簡単な言葉で知をあらわすラッセルのことばに酔いしれられること,それが僕の一番大きな推薦理由かもしれません.