2007.05.17

【受験生に薦める1冊】「インターネットの子どもたち 」

『インターネットの子どもたち 』 三宅 なほみ (著) 岩波書店 (1997/07)


 インターネットやコンピュータの普及により、子どもたちの学習や遊びやコミュニケーションがどのように変化していくのか、この研究室を志望される方の中にはそのような興味をお持ちになる方もいらっしゃるかと思います。

 この書は、当時のインターネット最前線にいる子どもたちの諸活動を紹介するとともに、「自己表現のための創造的メディアとしてのコンピュータの可能性」について取り上げています。この書で書かれた「インターネットの関わり中で子どもがどのように学ぶか」についての問いは、10年経った今でも変わりません。大変読みやすく、入門書としてお薦めします。

 例えば「第五章インターネットで英語を学べるか」では、インターネットによる英語教育の支援を考えるために、英語教育の「真実性」問うことから始めています。学校教育現場で行われている英語教育が、最終的に受験等の試験で評価される場合、教える知識や技能はその目標を満たすものになってしまいます。つまり、将来実際に英語を使う場面で必要とされる知識や技能とは異なります。そこで、真実性を持たせるためにインターネットの役割が期待されます。インターネット上では、世界の専門家たちとのつながりが持てるわけで、自分が「知りたいこと・知らせたいこと」のコミュニケーションに英語を使うことができるわけです。
 さらに、この書が大変面白いのは、各々で学んだ経験の結果を比較しているところです。両者の差は、単純に点数の上下というものではありませんでした。影響が出たのはむしろ穴埋め問題や他人が書いた手紙を読みやすく直す問題でした。ものすごくテスト的な問題にみえますが、実はこれが実際のコミュニケーション能力を反映するそうです。日常的な会話でも聞き取れない言葉を自分で生めることが出来れば会話が成立しますし、それは相当の言語使用力があることを意味するそうです。その他の結果も興味深いものでしたが、ここでは、両者を比較する際の評価の難しさについても言及していました。

 人工物を用いて「学び」を支援するためには、本来の「学び」の真実性を問い、新たな「学び」を提案することになるのだと思います。そして、提案した「学び」が引き起こす変化がいかなるものであるのか、さらに問い続ける姿勢が大切なわけです。この書で書かれた一連の流れは、対象者や支援形態も全く異なる私の修士における開発研究にも重なることが多々ありました。

 これからの子どもが必要なものとして、未知を創造する力について次のように言及しています。「ものを知っていること」から「どこに行ったらどのようなことを知ることができるかを知ってること」について、また、「問題を解けること」より「問題を解けるためにはそもそも何をしたらよさそうかを知っていること」、「何が問題かを見つけ出すこと」、さらに「問題そのものを作り出すこと」が必要なわけです。そのためには一人で学ぶことには限界がある。新たな学びの可能性をインターネットを通じた協調活動へ託してます。本書は、平易な文章で書かれ大変読みやすいのですが、とーっても奥深いです。

[佐藤朝美]

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