2007.07.09
仕事柄、多くの研究計画書を読む機会があります。
人生をかけているもの、お金を取りにいくもの、目的はさまざまですが、人をうならせるような研究計画書と出会うことはなかなかありません。事情や思いはわかるのですが、そこから先が問題なのです。
研究計画書は一種の企画書ですので、「おもしろい!」と思わせることと、「できるかも.」と納得させるというふたつの条件を満たす必要があります。
「おもしろい!」と思わせる研究計画書
・先行研究が丁寧にレビューしてあること
・先行研究の問題点を端的に指摘できていること
・問題を解決するための「新しい」アイデアが述べられていること
・「新しい」アイデアに応用可能性や広がりがあること
「できるかも.」と納得させる研究計画書
・研究の方法が詳しく書かれていること
・スケジュールがきちんと立てられていること
・予算の範囲内でできる計画になっていること
・申請者の能力でできる計画になっていること
こうやって並べてみると当たり前のことばかりのようですが、全部そろっている計画書はなかなかないのです。
一番多い失敗例が、「思いつき型」です。「新しい」と主張しているアイデアがすでに実現されていたり、インパクトに欠けているという場合です。「ちょっとこんなこと考えてみました」という感じで、研究計画書が薄っぺらに見えます。
次に多いのが、「誇大妄想型」です。研究の課題が大きすぎ、一生かかってもできないだろうという設定をしているので、実現可能性がありません。(例:教育システムを根本的に変えるなど)この場合、できたらすごいことはわかりますが、できると思えないので評価が低くなります。
この二つは対照的な例に見えますが、「先行研究のレビューが足りない」という点は共通しています。地道に先行研究をレビューして、それを乗り越えようとすれば、思いつきではない重みがでますし、研究の課題も分節化できるはずです。
[山内 祐平]
2007.07.05
山田剛史・村井潤一郎(2004)『よくわかる心理統計』ミネルヴァ書房
今回の「受験生に薦める一冊」は統計の勉強をするのに役立つ書を紹介しようと考えました。ところが,統計を勉強し始めて気づくことは,「これ一冊でOKというテキストがない」ということだったのです。
というわけで,お薦めする本は一冊ではなく,複数の本となるのですが,代表選手として『よくわかる心理統計』をタイトルとして掲げました。この本の筆者の方々自身が「どうも適当な教科書がない」という思いから執筆し始めたテキストであることと,文系人間に対して丁寧に解説を重ねている点で助けになることが多い書だからです。
ただ残念ながらこの書を持ってしても,万事OKというわけにはいかないのです。いや,根気強く付き合えば,この書はかなり役立ちます。それは確かです。けれども,「心理統計」と銘打たれていることからもわかるように,この書も統計の一側面を照らしているに過ぎないのです。
ちなみに山内研で触れる統計は「心理統計」であることも多いので,そういう意味でこの書をぜひ読んでおきたいものです。
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いろんな論文に触れるようになると,統計の手法を使った研究に出くわします。文章で論じらる事柄は読んで理解できても,統計の数値を表やグラフで示された部分を見て歯がゆく思ったこと,皆さんにも経験があるのではないでしょうか。自分にはわからないけれど,統計的手法を使った高度な研究なのだなと,変に崇めたりした頃もありました。
しかし,どうも納得できない。統計というのはそんなに凄いものなのか?募る疑問を解決するには,自分で統計という言語を理解するしかありません。そうやって統計を勉強しようと航海に出たあなたは,すぐに後悔するはめに陥ります。
何しろ「統計」の名の下で括られているものは,同じ数式や根本の考え方で繋がれてはいるけれども,その応用は多種多様であり,しかも方言も多くて,独学するのはとても大変だからです。
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こんな時にはイメージで理解するという方法も悪くはありません。オーム社が満を持して出版したのが,高橋信(2004)『マンガでわかる統計学』でした。過去にもマンガで統計を説明しようとした書はありましたが,この書の凄いところは,それらと作画レベルで一線を画しながら内容は一定水準を保っている点です。作風の好みはあるかも知れませんが,侮れない一冊です。
しかもこの書は,翌年に『マンガでわかる統計学[回帰分析編]』という続編を出し,さらにはその翌年に『マンガでわかる統計学[因子分析編]』がシリーズとして出版されました。マンガとしても3冊には物語のつながりが持たされているという面白味があります。
マンガというメディアは,文章表現とは異なり,登場人物のやりとりを成立させるための工夫が必要となります。そうした工夫の上に「統計」という世界を乗せることで,これまで見えづらかった部分がよく見えるようになっているとも言えます。
もちろんこの書も,統計の一側面でしかありませんし,方言の問題を解決しているわけではありませんが,頭の中のイメージをつくるにはとても有効ですし,それは他の文献を読むときにも助けになります。
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実は統計を学ぶときに困るのは,ここから先です。入門から応用へと進もうとする途中で統計の勉強を下支えする良いテキストが見あたらないのです。いろんな統計の書を探してみても「帯に短したすきに長し」ということが多い。しかも統計を使おうとする分野や研究領域によってさらに選択肢は限られていきます。
広田すみれ(2005)『読む統計学使う統計学』慶應義塾大学出版会は,社会科学分野に的を絞って,手際よく統計学に関する知識を開陳してくれます。しかし手際が良すぎて,置いてかれてしまう人もいるかも知れません。
鳥居泰彦(1994)『はじめての統計学』日本経済新聞社は,定評のある入門書ですし,見た目のシンプルさに反して意外と丁寧だったりもしますが,扱う範囲が入門から少しの部分までで,この先へ進む人には物足りない。
吉田寿夫(1998)『本当にわかりやすいすごく大切なことが書いてあるごく初歩の統計の本』北大路書房は,すごく大事なことが書いてある点で看板に偽りがなく,実際とても丁寧。けれども,文字の多さに圧倒されてしまいがち。この本を信じてついて行く覚悟が持てればいいが,覚悟を持つにはまだ知識が足りない私たちには悩ましい。
これら以外にもまだまだたくさんありますが,とにかく自分に合うものを地道に探していくしかないようです。
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最後に,私たちが初等統計学という授業で使用しているテキストをご紹介。M.K.ジョンソン/R.M.リーバート(原1977/訳1998)『統計の基礎』サイエンス社です。この書は,独学するには訳に癖もあって少々取っつきにくいですが,授業で解説していただきながら勉強すると,いろいろ見えてきて面白いです。
異例の長さとなった今回の「お薦めの一冊」。統計に関する本を探している皆さんは参考にしていただきつつ,やはり統計は誰かから学びながら実際に計算したり作業を通して憶えることが大事なのだなということをお伝えして終わりにしたいと思います。
[林向達]
2007.06.29
水越伸,2005『メディア・ビオトープ』紀伊国屋書店
この本に初めて出会ったのは学部時代で,院試勉強の際にも何回も再読しました。
日本のメディアの「生態系」の問題点やそのあり方について,非常にわかりやすく説明してくれていると思います。
この本の大きな特徴は,メディア表現活動が継続的な活動として展開,発展し,人々に根付いていくための方法を,生き物の世界に向けた人間の働きかけ方の1つである「ビオトープ」に隠喩して表現していくところにあります。その際,難解な専門用語を使用せず,著者が描写したイラストを各所に埋め込むことで,そのイメージをかき立てながら説明していくことも本書の特徴だと思います。
前半では,「日本のメディアの生態系」の問題点として,強大な杉のようなマスメディアの人工林が立ち並び,地方紙やケーブルテレビなどといった小さなメディアが生息しにくくなっている点を挙げています。
そのような問題を打開しうるモデルとして取り上げられるのが「ビオトープ」です。小さく,身近な場所もまた重要な「生態系」の一部であることをそのままメディアに置き換え,個々の活動の重要性を示します。また,個々の「ビオトープ」は「点」としてその中での生態系を維持するだけではなく,互いにネットワークとしてつながった「面」として地球の表面を覆っていかなければいずれは廃れていくことに触れ,それをそのままメディアに当てはめて説明していきます。
後半からは,この「メディア・ビオトープ」を形作っていくための3つの営みとして,「メディア実践」「メディア・リテラシー」「メディア遊び」の3層構造について説明していきます。「メディア・ビオトープ」を支え,その中の"あな"や"すきま"に棲みついて活動いく中心的な人物を「球根」に例えるなど,最後まで一貫して生態系を比喩とした説明による展開は変わりません。
個人的には,「メディア・ビオトープ」がネットワークでつながっていく様子は,実践共同体のそれに似た側面があるのではないかと思います。読む人それぞれの持つ背景に近いところからメディア論を読み解いていけるのではないでしょうか。
[坂本篤郎]
2007.06.23
松原望[著]2004『社会を読みとく数理トレーニング』東京大学出版会
人間社会のメカニズムは,なかなか複雑で一見してわかるものではありません.そして,社会にはその複雑さを読み解くための情報(思考材料)が氾濫しています.これらの思考材料を読み解くためには,統計的データの分析力や,確率などの計量的な思考方法が有益といえるでしょう.
本書は,計量的思考を習得し意思決定へと総合していく基礎力を養う事を目指した基礎演習の本です.
第1章から第3章は統計の見方と利用のしかた,第4章から第6章は意思決定と確率,第7章から第10章はゲーム理論入門,第11章から第12章は政策と決定のしくみ,第13章から第15章は計量社会科学研究にわかれています.(まえがきより)
研究を進めていく上では,計量的な思考というのはさけては通れないものです.本書は実例を用いて説明されており,数字上の計算例は出てきません.そういった意味で統計にふれたことのない方にも入門書としておすすめしたいと思います.
[寺脇由紀]
2007.06.14
水越伸[編著]2007『コミュナルなケータイ』岩波書店
2004年にMELLプロジェクトの中ではじまったケータイ研究のプロジェクト、MoDeプロジェクト(Mobiling & Designing Project)の成果を、メンバーがまとめた本。「コミュナル」という聞き慣れない言葉は、「共有の・協働による」という意味です。
ケータイはパーソナルなコミュニケーションのメディアであるとされがちです。しかし、そのような極私圏とパブリックな公共圏との間に、市民が自律的に関われるコミュナルな空間(ビオトープ的な空間、という言い方もできるでしょうか)を生み出すことができるメディアとして、ケータイは多くの可能性を秘めています。この本では、ケータイをめぐる歴史社会的研究と批判的メディア実践(ワークショップ)のサイクルの中で行われてきたMoDeプロジェクトの研究の成果・記録を見ることができます。今年3月に出版されたばかりの、メディア論におけるケータイ研究のまさに最前線の本です。
第1章ではケータイをめぐる問題状況とMoDeプロジェクトの視座が示され、第2章ではケータイを異化するワークショップと歴史研究が並びます。続いて第3章、第4章では、今あるケータイを超え、それを編みかえていくさまざまな事例が報告されていきます。各章はどれも刺激的で遊び心にあふれており、全く退屈することがありません。
この本には、フィンランドと日本で行った「ケータイの風景を演じる」ワークショップ、ケータイ・カメラを使った子ども向けの「世にもまれな地図作り」ワークショップ、同じくカメラを使った壮大な連想ゲーム「ケータイ・カンブリアン」ワークショップなど、毎日アタリマエのように使っているケータイを異化し、超え、編みかえることを意図した数多くのワークショップの実践事例が報告されています。その意味で、この本はワークショップの本でもあると言えます。
批判的メディア実践とは何か、ワークショップとはどのようにデザインされるのか、理論と実践のバランスをどうとるかなど、学ぶことのできる点は多いと思います。BEATの「おやこdeサイエンス」や「なりきりEnglish」もケータイを用いたモバイルラーニングのプロジェクトですね。しかし、そもそもケータイとはいったい何なのか。それを鮮やかなやり方で問い直すメディア論的な視座は、教育工学を研究する上でも有用なものだと思います。
[平野智紀]
2007.06.08
ゲシュタルト心理学による"こころ"というデカルト以来のメカニズムへの反論からはじまる本書は,認知科学や生態心理学にあまり馴染みのない読者をも惹き付けるだけの魅力が詰まった1冊だと思います.難解な理論が,驚く程容易な文章(!)で流れるように説明される本書は,アフォーダンスを始めとした生態学的心理学のキーワードへの良い羅針盤となってくれるのではないでしょうか.
視覚とは網膜への画像の投影であるという古典的理論には,網膜という感覚器官への「点刺激」を「推論機構」によって処理する過程が必要であるという前提がありました.ここに現実の世界との不整合性を見抜いたギブソンは,視覚の理論を拡張していきます.点と線から面へと,面からレイアウト,動きへ,そして動きから包囲光へといたる理論拡張が,ひとつの流れとして描かれるさまは本書の醍醐味でもあります.この結果,ギブソンは視覚は網膜を必ずしも必要としないという,とてもラジカルな理論へとたどりつくのです.
情報は,光の中にある.それまでの情報処理モデルを前提とした(つまり頭の中に情報があるとした)知覚理論とは異なる,ひとを包囲する光の中にこそ情報があるという知覚理論,生態学的認識論の誕生でした.
そのような情報は,"動物との関係として定義される環境の性質"としてのアフォーダンスも提供します.難しく,誤解される傾向があるアフォーダンスも,本書の流れの中でとらえれば,環境が動物に提供する"価値"として,"動物にとっての環境の性質"として明瞭に浮かび上がってくるでしょう.
さらに,アフォーダンスを知覚するための身体を考えれば,それまでの身体の動きを細かく分割して制御しているという運動制御モデルは相容れないものであることが主張されます.そこでギブソンは,協応構造や視覚による運動制御,知覚と行為のカップリングとしての"共鳴・同調モデル"といった新しい理論を打ち立てていくのです.
著者であり,日本の生態学的心理学,アフォーダンスの第一人者でもある佐々木先生の筆による格好の入門書でもある本書は,しかしながら,
・知覚にとって"環境"がどのようなものであるのか
・知覚が獲得する"不変項"がどのようなものであるのか
・そして知覚のために身体はどのような"システム"であるのか
を深く考えさせ,同じく佐々木先生の著書である「アフォーダンスの構想」やギブソンによる「生態学的視覚論」といった,より高度な内容を知りたくさせる,そんな良書でもあると思います.
佐々木正人 (1994) 「アフォーダンス ー新しい認知の理論」岩波書店
2007.06.01
『基礎情報学』 西垣 通 著 NTT出版 ,2004
この本は学環の先生である西垣教授が書いた本です。先生が行う学環の授業の中でも、この本は教科書として使われています。
本の内容をすぐに紹介してもいいのですが、最初に、西垣先生が授業中に話していたエピソードをひとつ紹介します。そのエピソードを要約すると以下のようになります。
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いままで「学際」と名のつく様々なイベントにでた。そこには、文系理系問わずに様々な人が集まっていた。しかし、それらはお祭りとして集まっているだけで、まったく話が噛み合ない。そこで私は、共通の土台となる情報学の基礎。すなわち「基礎情報学」というものを作ろうと考えたのである。
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元々の話から多少私の解釈が入っているかもしれません。
ただ、この話は授業の最初の方にしたのですが、いまでも頭の中に残っている言葉です。
この本の内容をシンプルにいえば、「情報」という様々な分野で語られた概念を、生命情報,社会情報,機械情報に分類し、情報の意味、伝播ということについて論じていくものです。様々な概念が出てきますが、あれだけ複雑な概念をすっきり語る事ができるのは、西垣先生ならではと思います。
「学環」という組織は、まさに「学際的」であり「情報」を取り扱った組織です。受験にあたって、学環に所属する先生の著書を読むのはひとつの方法ですが、それだけではなく、学環での生活を豊かにする意味でも読んでおきたい一冊だと思います。
[舘野泰一]
2007.05.24
『複雑さを生きる』 安富歩 著 紀伊國屋書店,2006
相変わらず、複雑系「ブーム」は続いているようだ。
この流れは、教育研究の世界においても見られる。昨年の全米教育学会(AERA)においても「複雑系」のセッションが設けられ、「複雑系をどのように教えるか」、また「複雑系」というものをどのように教育研究に活かすか、という2点が熱心に議論されていたという。
私自身、ワークショップの研究をしているが、実践の中で起こっていることはまさに複雑であり、完全な予測のもとに学習プログラムをデザインすることは不可能であることを痛感させられる。しかしながら、何の予測も立てないのでは、これまた、実践は崩壊する。教育における理論と実践について考えていく上で、今後「複雑系科学」は一つの拠り所となるかもしれないと思う。
もちろん、「複雑系科学」は学問であり、単なる事象の“複雑さ”を指すものではない。今回取り上げた『複雑さを生きる』は、この点がきっちりとふまえられており、巷に出回るブーム本とは異なり、非常に濃い内容である。
著者である安富歩氏は、東京大学東洋文化研究所の教員。学際情報学府にて、現在授業も持っている。「ハラスメント」という概念から社会・経済・歴史・思想などを再構成するという「冒険」を行っている、と自ら述べる。東大での講義では、「その冒険の実況中継を行う」とし、用意したカリキュラムをシラバスに掲げながらも、「但し、『事前に計画を決めて、その通りに実践する、という思想がそもそも間違っている』ことを明らかにするのがこの授業の主張点なので、ここに掲げたテーマが実際に話されるとは限らない」と、チャーミングな記述をしている。
数理的手法にも明るい安富氏は、複雑系科学の知見を応用し、秩序の無根拠に対して、それをシステムの問題と捉えた上で、実践的に対処する態度と技法を探求しようとしている。困難な数式による目くらましもなく、複雑系初学者には最適の一冊だろう。文章も明解であり、非常に読みやすい。
ベイトソン、M・ポラニー、ルーマンといった、この分野の基礎文献に加え、リデル=ハートや孫子といった意外なテクストや、野球や鍼治療など卑近な実例もあり、言及範囲は学際的である。これら、一見収束しないかのように見える議論も、全体の構成としてみると、人文社会科学に対する複雑系科学の導入から始まって徐々に人間および社会のシステムへの応用の手続きへと広がっており、その主張には一貫性が感じられる。
黄土高原における実践活動など、多方面で活動する安富氏における現時点での問題意識が表出された一書。著者の今後の展開にも注目していきたい。
2007.05.17
『インターネットの子どもたち 』 三宅 なほみ (著) 岩波書店 (1997/07)
インターネットやコンピュータの普及により、子どもたちの学習や遊びやコミュニケーションがどのように変化していくのか、この研究室を志望される方の中にはそのような興味をお持ちになる方もいらっしゃるかと思います。
この書は、当時のインターネット最前線にいる子どもたちの諸活動を紹介するとともに、「自己表現のための創造的メディアとしてのコンピュータの可能性」について取り上げています。この書で書かれた「インターネットの関わり中で子どもがどのように学ぶか」についての問いは、10年経った今でも変わりません。大変読みやすく、入門書としてお薦めします。
例えば「第五章インターネットで英語を学べるか」では、インターネットによる英語教育の支援を考えるために、英語教育の「真実性」問うことから始めています。学校教育現場で行われている英語教育が、最終的に受験等の試験で評価される場合、教える知識や技能はその目標を満たすものになってしまいます。つまり、将来実際に英語を使う場面で必要とされる知識や技能とは異なります。そこで、真実性を持たせるためにインターネットの役割が期待されます。インターネット上では、世界の専門家たちとのつながりが持てるわけで、自分が「知りたいこと・知らせたいこと」のコミュニケーションに英語を使うことができるわけです。
さらに、この書が大変面白いのは、各々で学んだ経験の結果を比較しているところです。両者の差は、単純に点数の上下というものではありませんでした。影響が出たのはむしろ穴埋め問題や他人が書いた手紙を読みやすく直す問題でした。ものすごくテスト的な問題にみえますが、実はこれが実際のコミュニケーション能力を反映するそうです。日常的な会話でも聞き取れない言葉を自分で生めることが出来れば会話が成立しますし、それは相当の言語使用力があることを意味するそうです。その他の結果も興味深いものでしたが、ここでは、両者を比較する際の評価の難しさについても言及していました。
人工物を用いて「学び」を支援するためには、本来の「学び」の真実性を問い、新たな「学び」を提案することになるのだと思います。そして、提案した「学び」が引き起こす変化がいかなるものであるのか、さらに問い続ける姿勢が大切なわけです。この書で書かれた一連の流れは、対象者や支援形態も全く異なる私の修士における開発研究にも重なることが多々ありました。
これからの子どもが必要なものとして、未知を創造する力について次のように言及しています。「ものを知っていること」から「どこに行ったらどのようなことを知ることができるかを知ってること」について、また、「問題を解けること」より「問題を解けるためにはそもそも何をしたらよさそうかを知っていること」、「何が問題かを見つけ出すこと」、さらに「問題そのものを作り出すこと」が必要なわけです。そのためには一人で学ぶことには限界がある。新たな学びの可能性をインターネットを通じた協調活動へ託してます。本書は、平易な文章で書かれ大変読みやすいのですが、とーっても奥深いです。
[佐藤朝美]
2007.05.10
この本は、教育・教育工学の専門書では、ありません。
教育とは一見、関連性のないように見える対談集です。
また、一方で、私たちの生活と密接に関係している事柄を扱っています。
教育や学習の視点からではなく、社会やテクノロジーに関して語られている
ものです。
教育とテクノロジーは、現在、どのような歴史的、社会的文脈、政治的文脈、
経済的文脈に位置づけられているのか。
教育はどこから来て、どこへ行こうとしているのか。
それを必ずしも教育に一見、親和性のないように見える、他の領域の知見と
照らし合わせたり、比較して、眺めてみせることが出来るのが、
学際情報学府で学習や教育を研究する「醍醐味」のひとつだと言えます。
あえて異なる分野の視点から教育を冷静に見つめ、自分なりの世界観を思い描くことは、
学際情報学府において教育や学習を語る上で、また、実践やシステムを開発して
いく上で、実は非常に大切な営みなのではないか、と個人的には、思っています。
非常に難しいことですが。
また、これらの対談の論者の学問的背景と、例えば山内研究室で読まれる、
社会文化歴史的アプローチの心理学研究などのルーツと思いがけないところで
接点を感じられるという意味でも少しお得です。
様々な分野の知見は、色んな所でひっそり繋がっているのです。
「受験生にお勧めの一冊」という実用的な意味では、以下の3点を意識しました。
情報学環からは西垣通先生や水越伸先生がゲストとして参加されています。
1)対談集ですので、人文社会的なフレーバーのする本に馴染みのない方に
とっては、「入門書を手に取る前の」良い切っ掛けとなるのではないでしょうか。
例えば、ここから西垣通先生の『こころの情報学』や水越伸先生の『メディア
・ビオトープ』、『コミュナルなケータイ』などを読む。
更に、教育・学習ではない、情報学環の先生方の本を読んでみる。
※情報学環の先生方のパンフレットを携えていると良いかも知れません。
2)学際情報学府では、入学後に色んな領域の、様々なバックグラウンドを持つ
方々と出会います。その際に教育・学習に閉じずにディスカッションできるための
レッスンの一つ。
3)自分の研究(教育)と社会、また他領域との距離をはかるための、
複数の補助線うちの一つ。
学際といっても色んなアプローチがありますので、他にも色んな領域の視点が
あるはずです。
さて、あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのですか?
あなたの研究はどんな未来に繋がっているのですか?