2007.07.24

【エッセイ】 文献検索の落とし穴

前のエントリで書いたように、最近の文献検索環境は、昔に比べると格段によくなっています。しかし、データベースがあれば目的の文献が探せるかというと、そう簡単ではないようです。上手に文献が探せる人と、そうでない人の差はどこにあるのでしょうか。

● 探す目標がはっきりしているか
うまく探せない最大の要因は、実は「自分が何を探したいのかがよくわかっていない」ことにあります。キーワードひとつだけで情報の海に乗り出すのは無謀です。探したいことを文章にしてみてください。文章にできないとすれば、実は探したいことが自分でもわかっていないということです。探したいことがよくわかっていないと、いつの間にか面白そうなキーワードにひきずられて、目標が変わってしまうということがおきます。

● 書き手の立場にたって想像できるか
情報がうまく探せる人は、「こんな文献や研究がありそうだ」という予想をしながら検索をしています。文献データベースは、つきつめると一つ一つの論文からなりたっています。書き手の立場にたって、「こんな論文は評価されるはずだから、誰か書いているはずだ」と想像し、そこからキーワードを出していきます。キーワードを適当に考えるよりも、はるかにあたります。お試しください。

[山内 祐平]

2007.07.19

【受験生に薦める1冊】「子どもとニューメディア」

リーディングス 日本の教育と社会-⑩ 
子どもとニューメディア(2007)監修広田照幸 編著北田暁大・大多和直樹,日本図書センター

 私たちは、「子どもとメディア」という言葉から、何を想像するでしょうか。子どもたちが生き生きとメディアを活用し学ぶ姿でしょうか。それともメディアの負の側面に晒され翻弄される子どもの姿でしょうか。

 【本の特徴】
本書は、先月刊行されたばかりの論文集です。

 身近なようでいて実は、非常に捉えがたい「子ども」と「メディア」の関係に迫った代表的な論文を21編集めています。
 
編者は冒頭、次のように述べます。

 「子どもとニューメディア」というアジェンダ、「メディアは子どもたちに悪影響を与える」というネガティブな議論と、「新しい情報技術、メディアは輝かしい未来社会を可能にする」といったポジティブな議論というにわかには整合しない二つの言説群が、しかし奇妙なことに無摩擦に混在している。」(北田・大多和 P6より引用)

メディアと子ども(大人もそうであると思いますが)の関係は、メディアが善か悪かという二分法ではとうてい捉えきれるものではありません。非常に複雑かつ流動的、重層的な厄介な問題です。 しばしば語られるこのような二項対立の議論を乗り越えるために、この本では、教育学だけではなく、社会心理学、社会学、メディア研究、歴史研究などの研究領域から、それぞれの視点に基づいて分析された様々な結論を有する論文が集められています。

【本書の構成】
 21本の論文を、全4部に構成しています。

 第1部 メディア環境と子ども
 ニューメディア、その「新しさ」と子どもとメディアの関係を歴史的に探る論文

 第2部 教育の磁場とニューメディア
 教育分野において、ニューメディアがどのように議論されてきたのかを包括的に捉えた論文

 第3部 情報社会の病理?
 情報社会に生きる子ども・若者の「病理」にかんする論文

 第4部 ニューメディアと若者(1)-ケータイとコミュニケーションの変容
 近年、語られる子ども・若者批判に繋がるメディアの議論に対抗する論文

 第5部 ニューメディアと若者(2)-インターネットのコミュニケーション空間
 インターネットにかんする社会科学的研究の中で重要かつ教育に関連するもの論文

 本書は、複合的な研究知見を編み合わせることで、私たちが、子どもとメディアを様々な視点や方法で考える契機を与えてくれます。

また、各部冒頭に大多和直樹先生による解説があり、全体像をつかむことを助けてくれます。

【お勧めの理由】
 受験に当たっては、どのような研究分野で、どのような研究手法で、どのようなデータを元にして論文が書かれているかという「研究内容の広がり」と「研究スタイルの違い」を参考に出来ると思います。ご自身の研究計画と比べてみるのも良いでしょう。また記述試験の参考になるやもしれません。
 
 また、各論文がいつ、どのような時代状況を背景に書かれたものか留意し、自分のメディアに対する考えを比べることで、自分の問題関心を浮き彫りにすることもできるかもしれません。本書で取り上げられたメディアが受験生の皆さんにとって、いかなる意味で「ニュー」であるかは様々だと思います。

 編者の一人は北田暁大先生で、掲載されている論文には、吉見俊哉先生、水越伸先生、橋元良明先生と本書には、学際情報学府とゆかりのある先生のものがあります。

 山内研究室を希望される方には、美馬のゆり先生の書かれた「電子ネットワークが広げる子どもの可能性」(第2部7本目)が馴染みやすいでしょうか。(美馬先生は山内祐平先生と共著で、『未来の学びをデザインする-空間・活動・共同体』を書かれています。)

それぞれの先生の論考を読み、参考文献等から勉強されても良いかもしれません。

 各論文の参考文献に加え、巻末に基本文献が紹介されていて情報量も豊富です。濃密な1冊です。

[酒井俊典]

2007.07.16

【エッセイ】 魔法の文献検索

文献を探す魔法のような方法があればと思っている人は多いでしょう。
実際には、多くの研究領域では電子データベースが急速に整備され、私が学生だったころに比べると、はるかに恵まれた環境ができています。私が関係している領域で、役に立つものをいくつか紹介しましょう。

1) 日本語の論文検索
最近書かれた日本語の論文は、国立情報学研究所が提供しているCiNii(さいにー)というデータベースで調べることができます。最近はPDFで本文を提供している学会も増えているので、オンラインだけでもかなりの情報を手に入れることができます。

2) 日本語の書籍検索
同じくNIIが提供しているWebcat Plusを使うという手もあるのですが、意外に使えるのが、Amazonです。キーワードでひっかかった本を買った人が、別のどんな本を買っているかをみると、参考になります。

3) 英語の論文検索
教育関係の英語論文は、ERICを使って探すことができます。その領域の概要を知りたい場合は、絞り込み条件で、ERIC Digestというレビュー論文を指定して読むと、研究動向がよくわかります。

4) 英語の書籍検索
日本語と同じようにAmazonを使うのも有効ですが、こちらは、Google Scholarもおすすめです。左側に研究者の名前がでてきますので、上手に活用してください。

[山内 祐平]

2007.07.14

【受験生に薦める1冊】「デジタル・メディア社会」

水越伸著 岩波書店(2002) 『デジタル・メディア社会』

私はここに来る以前は都市・建築学を専攻しており、受験勉強を始めた時は本当に0からのスタートでした。建築学科にいた頃に周りではやっていた『メディアビオトープ』から入り、その後本書を読みました。

本書は、メディアを情報技術の発達の産物としてではなく、人間や社会と情報技術の複合的な関係の中で捉えていくという視点に立っています。
授業の際に水越先生が、若者文化、ケータイ普及、コミュニケーション普及といった社会調査について、「”ワカル”ことだけでいいのか?と思った」とおっしゃったのが印象的でした。本書は、“ワカル”ことの先にある、人間や社会がいかに未来の情報技術やメディアのあり方をデザインしていくのかという視点で書かれています。

第1章では、メディアと人間の当たり前だとされてきた関係性を打ち破り、異化し、新しく組み替えていくための、メディアをめぐる「遊び」の重要性について述べています。更に、「デジタル・メディア社会における遊びをはらんだメディア空間のイメージ」としてメディアビオトープを紹介しています。
第2章では、第1章で紹介されたメディアビオトープの中に、「あな」や「すきま」という居場所を見つけそこに主体的に棲息する力である「メディアリテラシー」の意味、言説の系譜を明らかにし、それが新たな人間像を提示すると述べています。
第3章では、新しいメディアに媒介されて社会的に立ち上がり、コミュニケーションの回路を切り開いていこうとする新しいメディア表現者たちに焦点をあて、公共的なコミュニケーション活動のあり方について議論を展開しています。
第4章では、市民社会に基盤を持つメディア表現活動のアジアにおける拡がりについて述べています。
第5章では、公共圏を生み出し、新しいメディア論的実践を可能にするために必要な条件として、「表現への欲望」と他者との共同体を形成していくための「シンパシー」の必要性を主張しています。
終章では、日本のメディア社会の動向ついて述べ、メルプロジェクトの活動が紹介されています。

本書や『メディアビオトープ』の中にはたくさんの図が載っています。それが理解の助けになるのはもちろんなのですが、私はそれを見ながら自分の考えをまとめるためにたくさん図を描きました。これまで自分がやってきたこと、今関心があること、これから研究したいと思っていることなど、図にして考えました。その時に驚いたことは、本書の中に描かれている図式の中の言葉を変えるだけで、これまで専門にしてきた都市や建築という分野の中で考えてきたことが、とてもすんなりと当てはまったということです。

おそらく、山内研を受験される方の中には色々なバックグラウンドの方がいらっしゃると思います。でも、ここには、様々なバックグラウンドの人に対してたくさんのタッチポイントがあるような気がします。本を読む時に自分の専門分野、自分の関心に引きつけて考えると色々な発見があると思います。とにかく自分に引きつけて読む、書く、話すことが、受験の時の私の作戦でした。

[牧村真帆]

2007.07.09

【エッセイ】 人をうならせる研究計画書

仕事柄、多くの研究計画書を読む機会があります。
人生をかけているもの、お金を取りにいくもの、目的はさまざまですが、人をうならせるような研究計画書と出会うことはなかなかありません。事情や思いはわかるのですが、そこから先が問題なのです。

研究計画書は一種の企画書ですので、「おもしろい!」と思わせることと、「できるかも.」と納得させるというふたつの条件を満たす必要があります。

「おもしろい!」と思わせる研究計画書

・先行研究が丁寧にレビューしてあること
・先行研究の問題点を端的に指摘できていること
・問題を解決するための「新しい」アイデアが述べられていること
・「新しい」アイデアに応用可能性や広がりがあること

「できるかも.」と納得させる研究計画書

・研究の方法が詳しく書かれていること
・スケジュールがきちんと立てられていること
・予算の範囲内でできる計画になっていること
・申請者の能力でできる計画になっていること

こうやって並べてみると当たり前のことばかりのようですが、全部そろっている計画書はなかなかないのです。
一番多い失敗例が、「思いつき型」です。「新しい」と主張しているアイデアがすでに実現されていたり、インパクトに欠けているという場合です。「ちょっとこんなこと考えてみました」という感じで、研究計画書が薄っぺらに見えます。
次に多いのが、「誇大妄想型」です。研究の課題が大きすぎ、一生かかってもできないだろうという設定をしているので、実現可能性がありません。(例:教育システムを根本的に変えるなど)この場合、できたらすごいことはわかりますが、できると思えないので評価が低くなります。

この二つは対照的な例に見えますが、「先行研究のレビューが足りない」という点は共通しています。地道に先行研究をレビューして、それを乗り越えようとすれば、思いつきではない重みがでますし、研究の課題も分節化できるはずです。

[山内 祐平]

2007.07.05

【受験生に薦める1冊】「よくわかる心理統計」

山田剛史・村井潤一郎(2004)『よくわかる心理統計』ミネルヴァ書房

今回の「受験生に薦める一冊」は統計の勉強をするのに役立つ書を紹介しようと考えました。ところが,統計を勉強し始めて気づくことは,「これ一冊でOKというテキストがない」ということだったのです。

というわけで,お薦めする本は一冊ではなく,複数の本となるのですが,代表選手として『よくわかる心理統計』をタイトルとして掲げました。この本の筆者の方々自身が「どうも適当な教科書がない」という思いから執筆し始めたテキストであることと,文系人間に対して丁寧に解説を重ねている点で助けになることが多い書だからです。

ただ残念ながらこの書を持ってしても,万事OKというわけにはいかないのです。いや,根気強く付き合えば,この書はかなり役立ちます。それは確かです。けれども,「心理統計」と銘打たれていることからもわかるように,この書も統計の一側面を照らしているに過ぎないのです。

ちなみに山内研で触れる統計は「心理統計」であることも多いので,そういう意味でこの書をぜひ読んでおきたいものです。

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いろんな論文に触れるようになると,統計の手法を使った研究に出くわします。文章で論じらる事柄は読んで理解できても,統計の数値を表やグラフで示された部分を見て歯がゆく思ったこと,皆さんにも経験があるのではないでしょうか。自分にはわからないけれど,統計的手法を使った高度な研究なのだなと,変に崇めたりした頃もありました。

しかし,どうも納得できない。統計というのはそんなに凄いものなのか?募る疑問を解決するには,自分で統計という言語を理解するしかありません。そうやって統計を勉強しようと航海に出たあなたは,すぐに後悔するはめに陥ります。

何しろ「統計」の名の下で括られているものは,同じ数式や根本の考え方で繋がれてはいるけれども,その応用は多種多様であり,しかも方言も多くて,独学するのはとても大変だからです。

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こんな時にはイメージで理解するという方法も悪くはありません。オーム社が満を持して出版したのが,高橋信(2004)『マンガでわかる統計学』でした。過去にもマンガで統計を説明しようとした書はありましたが,この書の凄いところは,それらと作画レベルで一線を画しながら内容は一定水準を保っている点です。作風の好みはあるかも知れませんが,侮れない一冊です。

しかもこの書は,翌年に『マンガでわかる統計学[回帰分析編]』という続編を出し,さらにはその翌年に『マンガでわかる統計学[因子分析編]』がシリーズとして出版されました。マンガとしても3冊には物語のつながりが持たされているという面白味があります。

マンガというメディアは,文章表現とは異なり,登場人物のやりとりを成立させるための工夫が必要となります。そうした工夫の上に「統計」という世界を乗せることで,これまで見えづらかった部分がよく見えるようになっているとも言えます。

もちろんこの書も,統計の一側面でしかありませんし,方言の問題を解決しているわけではありませんが,頭の中のイメージをつくるにはとても有効ですし,それは他の文献を読むときにも助けになります。

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実は統計を学ぶときに困るのは,ここから先です。入門から応用へと進もうとする途中で統計の勉強を下支えする良いテキストが見あたらないのです。いろんな統計の書を探してみても「帯に短したすきに長し」ということが多い。しかも統計を使おうとする分野や研究領域によってさらに選択肢は限られていきます。

広田すみれ(2005)『読む統計学使う統計学』慶應義塾大学出版会は,社会科学分野に的を絞って,手際よく統計学に関する知識を開陳してくれます。しかし手際が良すぎて,置いてかれてしまう人もいるかも知れません。

鳥居泰彦(1994)『はじめての統計学』日本経済新聞社は,定評のある入門書ですし,見た目のシンプルさに反して意外と丁寧だったりもしますが,扱う範囲が入門から少しの部分までで,この先へ進む人には物足りない。

吉田寿夫(1998)『本当にわかりやすいすごく大切なことが書いてあるごく初歩の統計の本』北大路書房は,すごく大事なことが書いてある点で看板に偽りがなく,実際とても丁寧。けれども,文字の多さに圧倒されてしまいがち。この本を信じてついて行く覚悟が持てればいいが,覚悟を持つにはまだ知識が足りない私たちには悩ましい。

これら以外にもまだまだたくさんありますが,とにかく自分に合うものを地道に探していくしかないようです。

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最後に,私たちが初等統計学という授業で使用しているテキストをご紹介。M.K.ジョンソン/R.M.リーバート(原1977/訳1998)『統計の基礎』サイエンス社です。この書は,独学するには訳に癖もあって少々取っつきにくいですが,授業で解説していただきながら勉強すると,いろいろ見えてきて面白いです。

異例の長さとなった今回の「お薦めの一冊」。統計に関する本を探している皆さんは参考にしていただきつつ,やはり統計は誰かから学びながら実際に計算したり作業を通して憶えることが大事なのだなということをお伝えして終わりにしたいと思います。

[林向達]

2007.06.29

【受験生に薦める1冊】「メディア・ビオトープ」

水越伸,2005『メディア・ビオトープ』紀伊国屋書店

この本に初めて出会ったのは学部時代で,院試勉強の際にも何回も再読しました。
日本のメディアの「生態系」の問題点やそのあり方について,非常にわかりやすく説明してくれていると思います。

この本の大きな特徴は,メディア表現活動が継続的な活動として展開,発展し,人々に根付いていくための方法を,生き物の世界に向けた人間の働きかけ方の1つである「ビオトープ」に隠喩して表現していくところにあります。その際,難解な専門用語を使用せず,著者が描写したイラストを各所に埋め込むことで,そのイメージをかき立てながら説明していくことも本書の特徴だと思います。

前半では,「日本のメディアの生態系」の問題点として,強大な杉のようなマスメディアの人工林が立ち並び,地方紙やケーブルテレビなどといった小さなメディアが生息しにくくなっている点を挙げています。
そのような問題を打開しうるモデルとして取り上げられるのが「ビオトープ」です。小さく,身近な場所もまた重要な「生態系」の一部であることをそのままメディアに置き換え,個々の活動の重要性を示します。また,個々の「ビオトープ」は「点」としてその中での生態系を維持するだけではなく,互いにネットワークとしてつながった「面」として地球の表面を覆っていかなければいずれは廃れていくことに触れ,それをそのままメディアに当てはめて説明していきます。

後半からは,この「メディア・ビオトープ」を形作っていくための3つの営みとして,「メディア実践」「メディア・リテラシー」「メディア遊び」の3層構造について説明していきます。「メディア・ビオトープ」を支え,その中の"あな"や"すきま"に棲みついて活動いく中心的な人物を「球根」に例えるなど,最後まで一貫して生態系を比喩とした説明による展開は変わりません。

個人的には,「メディア・ビオトープ」がネットワークでつながっていく様子は,実践共同体のそれに似た側面があるのではないかと思います。読む人それぞれの持つ背景に近いところからメディア論を読み解いていけるのではないでしょうか。
[坂本篤郎]

2007.06.23

【受験生に薦める1冊】「社会を読みとく数理トレーニング」

松原望[著]2004『社会を読みとく数理トレーニング』東京大学出版会

人間社会のメカニズムは,なかなか複雑で一見してわかるものではありません.そして,社会にはその複雑さを読み解くための情報(思考材料)が氾濫しています.これらの思考材料を読み解くためには,統計的データの分析力や,確率などの計量的な思考方法が有益といえるでしょう.

本書は,計量的思考を習得し意思決定へと総合していく基礎力を養う事を目指した基礎演習の本です.
第1章から第3章は統計の見方と利用のしかた,第4章から第6章は意思決定と確率,第7章から第10章はゲーム理論入門,第11章から第12章は政策と決定のしくみ,第13章から第15章は計量社会科学研究にわかれています.(まえがきより)

研究を進めていく上では,計量的な思考というのはさけては通れないものです.本書は実例を用いて説明されており,数字上の計算例は出てきません.そういった意味で統計にふれたことのない方にも入門書としておすすめしたいと思います.

[寺脇由紀]

2007.06.14

【受験生に薦める1冊】「コミュナルなケータイ」

水越伸[編著]2007『コミュナルなケータイ』岩波書店

2004年にMELLプロジェクトの中ではじまったケータイ研究のプロジェクト、MoDeプロジェクト(Mobiling & Designing Project)の成果を、メンバーがまとめた本。「コミュナル」という聞き慣れない言葉は、「共有の・協働による」という意味です。

ケータイはパーソナルなコミュニケーションのメディアであるとされがちです。しかし、そのような極私圏とパブリックな公共圏との間に、市民が自律的に関われるコミュナルな空間(ビオトープ的な空間、という言い方もできるでしょうか)を生み出すことができるメディアとして、ケータイは多くの可能性を秘めています。この本では、ケータイをめぐる歴史社会的研究と批判的メディア実践(ワークショップ)のサイクルの中で行われてきたMoDeプロジェクトの研究の成果・記録を見ることができます。今年3月に出版されたばかりの、メディア論におけるケータイ研究のまさに最前線の本です。

第1章ではケータイをめぐる問題状況とMoDeプロジェクトの視座が示され、第2章ではケータイを異化するワークショップと歴史研究が並びます。続いて第3章、第4章では、今あるケータイを超え、それを編みかえていくさまざまな事例が報告されていきます。各章はどれも刺激的で遊び心にあふれており、全く退屈することがありません。

この本には、フィンランドと日本で行った「ケータイの風景を演じる」ワークショップ、ケータイ・カメラを使った子ども向けの「世にもまれな地図作り」ワークショップ、同じくカメラを使った壮大な連想ゲーム「ケータイ・カンブリアン」ワークショップなど、毎日アタリマエのように使っているケータイを異化し、超え、編みかえることを意図した数多くのワークショップの実践事例が報告されています。その意味で、この本はワークショップの本でもあると言えます。

批判的メディア実践とは何か、ワークショップとはどのようにデザインされるのか、理論と実践のバランスをどうとるかなど、学ぶことのできる点は多いと思います。BEATの「おやこdeサイエンス」や「なりきりEnglish」もケータイを用いたモバイルラーニングのプロジェクトですね。しかし、そもそもケータイとはいったい何なのか。それを鮮やかなやり方で問い直すメディア論的な視座は、教育工学を研究する上でも有用なものだと思います。

[平野智紀]

2007.06.08

【受験生に薦める1冊】「アフォーダンス - 新しい認知の理論」

ゲシュタルト心理学による"こころ"というデカルト以来のメカニズムへの反論からはじまる本書は,認知科学や生態心理学にあまり馴染みのない読者をも惹き付けるだけの魅力が詰まった1冊だと思います.難解な理論が,驚く程容易な文章(!)で流れるように説明される本書は,アフォーダンスを始めとした生態学的心理学のキーワードへの良い羅針盤となってくれるのではないでしょうか.

視覚とは網膜への画像の投影であるという古典的理論には,網膜という感覚器官への「点刺激」を「推論機構」によって処理する過程が必要であるという前提がありました.ここに現実の世界との不整合性を見抜いたギブソンは,視覚の理論を拡張していきます.点と線から面へと,面からレイアウト,動きへ,そして動きから包囲光へといたる理論拡張が,ひとつの流れとして描かれるさまは本書の醍醐味でもあります.この結果,ギブソンは視覚は網膜を必ずしも必要としないという,とてもラジカルな理論へとたどりつくのです.

情報は,光の中にある.それまでの情報処理モデルを前提とした(つまり頭の中に情報があるとした)知覚理論とは異なる,ひとを包囲する光の中にこそ情報があるという知覚理論,生態学的認識論の誕生でした.

そのような情報は,"動物との関係として定義される環境の性質"としてのアフォーダンスも提供します.難しく,誤解される傾向があるアフォーダンスも,本書の流れの中でとらえれば,環境が動物に提供する"価値"として,"動物にとっての環境の性質"として明瞭に浮かび上がってくるでしょう.

さらに,アフォーダンスを知覚するための身体を考えれば,それまでの身体の動きを細かく分割して制御しているという運動制御モデルは相容れないものであることが主張されます.そこでギブソンは,協応構造や視覚による運動制御,知覚と行為のカップリングとしての"共鳴・同調モデル"といった新しい理論を打ち立てていくのです.

著者であり,日本の生態学的心理学,アフォーダンスの第一人者でもある佐々木先生の筆による格好の入門書でもある本書は,しかしながら,
・知覚にとって"環境"がどのようなものであるのか
・知覚が獲得する"不変項"がどのようなものであるのか
・そして知覚のために身体はどのような"システム"であるのか
を深く考えさせ,同じく佐々木先生の著書である「アフォーダンスの構想」やギブソンによる「生態学的視覚論」といった,より高度な内容を知りたくさせる,そんな良書でもあると思います.

佐々木正人 (1994) 「アフォーダンス ー新しい認知の理論」岩波書店

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