2011.10.11
10月5日に、21世紀型スキルを育てるためのICT活用に関する記者発表を行いました。
東大、MS、レノボが「21世紀型スキル」育成を目指した教育の実証研究
21世紀型スキルは、今後の社会を生きていく子どもたちが必要な能力群として定義されていますが、以下のような内容が含まれています。
(1) 批判的思考力
(2) 問題解決能力
(3) コミュニケーション能力
(4) コラボレーション能力
(5) 自律的に学習する力
(6) ICT(情報通信技術)を確実に扱うことのできる能力・スキル
(7) グローバルな認識と社会市民としての意識
(8) 金融・経済に対する教養
(9) 数学、科学、工学、言語や芸術といった分野への理解を深めること
(10) 創造性
このような高次な思考力/応用力への傾斜は、高等教育におけるアクティブラーニングでも同様に見られる現象です。学力テストのPISAも同じ思想から設計されています。
欧米を中心にこのような考え方が強くなってきた背景には、情報化・国際化による労働市場の変容があります。「今年小学校に入学する子どもたちの65%が現在存在しない職業につく」という予測もあります。こういう状況では、医者や弁護士などの「固い専門職」をのぞいて、職業と学業の体系的な接続が難しくなります。そのため、転移可能性が高いコアスキルとして、思考力や応用力が重視されるようになっているのです。
参考記事:What's Your Major? Working Toward the Uninvented Job
【山内 祐平】
2011.10.08
皆様、こんにちは。修士課程2年の土居由布子です。
肌寒くなり、本郷キャンパス中からおなじみの銀杏の香り(←ちょっと苦手ですが)が漂うようになって秋を感じられます
昨日から冬学期のゼミが始まりました!M0(春に山内研究室に入ることが決まった未来の後輩達)の歓迎式も例年通り開かれました。
本当に時間が過ぎるのを早く感じる今日この頃です。
さて、山内研に所属する大学院生が普段どのような生活を過ごしているのか、
その日常に迫る【山内研メンバーの1日】が今回のブログのシリーズ、第三回目なんですが、
私の日常をキーワードにすると「出会い溢れる日々 」 が一番しっくりくるかと思います。
私の1日の過ごし方を簡単にいうと、
往復の電車で研究関連の本や論文などを読む時間、約2時間。
研究室に来る時間はいつもバラバラ(早い時は朝9時、遅いときは夕方3時)ですが平均お昼ごろでしょう。
毎日ではないですが、お昼休みまたは5時以降には本郷の御殿下ジムのフィットネスクラスを受けに行っています。(ヨガ、エアロビクス、ヒップホップ、シェイプボクシング等!)
山内研はコアタイムのような制度がなく、研究室に毎日来る人もいれば、あまり見かけないメンバーもいます。
私は土日も含め、ほぼ毎日研究室に来ていて、1日3〜6時間くらい研究室で過ごしています。
最近は友達とランチやディナーを食べに行くことも多く、お気に入りのお店を増やすことが最近の楽しみです。
友達との語らいを通して自己の振り返りや今後どうしていくべきかを整理することが多いですね。本当に多くの素敵な方々に支えられていて幸せ者だと思います。
さて、タイトルに示したように私の日常は出会いが多いなぁと思うのですが、その原因は2つ。
Facebookを駆使して自身が住むつくばのコミュニティ、そして都内のコミュニティをこの1年半でどんどん広げていきました。
もう一つは国際的な異業種交流会を月1で主催していることです。毎回500人規模の人々が集まります。
研究においても自身が所属する研究室だけではなく、青山学院、NHKの方々とワークショップを実践したり、研究の相談をさせて頂いたりしています。
これもご縁で、TAとしてアルバイトしていた授業の中で特別講演をされた先生が青山学院で映像関係のラボをやっていて、呼んで頂いたのがきっかけです。
私はとにもかくにも自分で企画して実践することが大好きな人間で頭の中には次の企画のことが常にあります。
半年後には社会人になるわけですが、自身の仕事以外に、交流会やSNSを越えてワークショップや、展示会など色々な企画にこれからも挑戦していきたいと思っております。
その前にあと3か月で修論を書き上げなくてはいけないので、ここに書いた私の日常はひとまず置いといて、修論と本格的に向き合っていこうと思います。
調査では一般の方々にインタビューをしていくのですが、このフットワークとエネルギーを活かして、多くのことを見出して行ければと思います。
[土居 由布子]
2011.09.30
皆様、こんにちは。修士課程2年の柴田アドリアーナです。
季節もすっかり、秋に移り変わりましたね。私の一番好きな季節です!
山内研究室も今週、中原研究室との合同夏合宿を行い、冬学期のゼミもそろそろ始まります!
では、山内研に所属する大学院生が普段どのような生活を過ごしているのか、その日常に迫る【山内研メンバーの1日】をお送りいたします。
第2回目は「 学びと紅葉 」 と題しました!
私の一日の過ごし方を簡単にまとめるとこんな感じな3コマ漫画になるかな:
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① ツイッターやニュースサイトを読みながら情報アップデートします。
② カフェや図書館で作業(本や論文を読む)
③ 教材開発の作業
この3つの繰り返して日常生活を過ごしています。
*ちなみに、③では一番好きな作業時間は深夜です
③は研究で開発しているデジタル教材のことです。今の段階は教材のコンテンツをまとめながら画像を作っています。そのためには最近、児童向けの語学教材や他にヴィジュアル参考になれる本をいくつか見ながら作業しています:
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その他に、作業を進むためにいつも持っている物は:
デジタルカメラ、スケッチブック&ペン、そして...マックブック&ペンタブレットです。
「デジタルカメラ」
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出かける時、必ず持って行くものはデジタルカメラです。
写真は趣味だけではなく、研究の一つのツールにもなってきました。
それは、開発しているデジタル教材の素材にもなるかもしれないからです。
近所を歩きながら日本とブラジルの文化の違いを感じる瞬間、要素などを記録することができます。近所や近くにある公園、大学の周りにはいつも面白い発見があります。
*皆さんもカメラを持って、新鮮な目で物をみたり感じたりしてみませんか?
「スケッチブック&ペン」
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すべてはメモやスケッチから始まります...
高橋さんとの研究相談でメモした物を振り替えてから、新しいアイディアを紙に書き出します。
「マックブック&ペンタブレット」
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私も 「Macユーザー」の一人です。そして、アドビユーザーです!
今回のデジタル教材は「フラッシュ」で作っていますが、「フォトショップ」や「イラストレーター」も日常的によく使っています。
これで、私の一日の紹介を終わらせていただきます。
教材を出来上って、修士論文を書く季節が迫ってきます。
これからも、いい成果を出せるように研究にしっかりと取り組んでいきたいです。
[柴田アドリアーナ]
2011.09.24
みなさま、こんにちは。修士課程2年の菊池裕史です。
長い長い夏もようやく終わり、過ごしやすい季節になりましたね。山内研ブログも気分一新ということで、今週から新しいシリーズに入ります。今週からは、山内研に所属する大学院生が普段どのような生活を過ごしているのか、その日常に迫る【山内研メンバーの1日】をお送りいたします。
第1回目は「僕と林檎と研究と」と題しまして、菊池のApple製品と共に過ごす1日をお伝えいたします。
Apple大好き山内研!
冒頭から私事で恐縮ですが、つい先日、首都大学東京で行われた日本教育工学会の全国大会に参加してまいりました。発表者の皆様の研究内容はもちろんのことですが、僕には他に気になることが1点ありました。会場内で、やたらとMacユーザーが目につくことです。口頭発表のセッションに参加をしていたときも、シンポジウムに参加をしていたときも、周りを見るとMacを使っている人が多いなあと感じることが多々ありました。教育工学関係者にMacを使う方が多いのか、それともMacユーザーの方がMacを机に出すことが多いのか。僕にはわかりませんが、なんとなく、後者が正解なのではないかと考えております。いずれにしても、「Macユーザー多いなあ」と感じたことを記憶しております。
さて山内研ですが、教育工学の研究室だからかどうかはわかりませんが、Macユーザーが大多数を占めております。山内先生を始め、助教の先生、先輩、同級生、後輩と、Apple製品を使うことが一種の文化になっているような状況です。かくいう僕もApple製品に囲まれながら日々を過ごしておりますが、では一体、どのようにApple製品を利用しながら山内研メンバーは日々を過ごしているのかということを、僕の例ではありますが、今回のエントリーでお話したいと思います。
Apple製品と僕
まず、僕が所有しているApple製品群ですが、下の写真にあるとおりです。
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中には古いものも混じっておりますが、15インチのMacBook Pro、13インチのMacBook Pro、11インチのMacBook Air、iPad、iPod touch、iPhoneを所有しています。特にAppleのファンというわけではないのですが、気がついたときには身の回りをAppleの製品に囲まれておりました。Apple恐るべし!トータルエクスペリエンス恐るべし!です。
Apple製品と過ごす1日
では、ここから僕の具体的な1日を追ってみます。僕の1日はメールのチェックから始まります。家では下の写真のように、MacBook Proを大型のモニタに接続して利用しています。
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理想的には、「午前中の早いうちから大学に行って研究を始めたいな」と思っているのですが、満員電車のことを考えますと、なかなか足が動きません。ですので、通勤ラッシュが終わる頃までは家で研究を進めることが多いです。そして、家を出ることができる時間になりますと、次に活躍するのがiPhoneです。
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僕が住んでいる東京の西側から大学までは、片道で約1時間程度の通学時間がかかります。この1時間はとても重要です。具体的に何をするかと言いますと、iPhoneを利用してRSSリーダーにたまった記事と、TwitterやGoogle+、Facebookに流れている情報を一気に処理します。ここで見つかった情報に、その日の思考を支配されることも多々あります。
大学で活躍するのはMacBook Airです。僕は重い荷物をもって移動することがあまり(かなり)好きではないので、MacBook Airはとても重宝しています。修士1年のときには、「どうせ電車の中ではiPhoneしか使わないのだから」と、手ぶら通学をしていた時期もあるほどです。軽いというのは、それだけで価値がありますね!
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お昼が過ぎ、夕方にもなってきますと、集中力がだんだんと落ちてきます。そんなときにはMacBook Airと本だけをもち、図書館や大学の近くにあるカフェへと移動します。僕の研究はPC1台があれば進められることもよくありますので、あっちへフラフラ、こっちへフラフラと移動を繰り返しながら、日々研究を進めております。
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「移動する」ということで思い出したのですが、最近1つだけ小さな楽しみが増えました。修士論文の謝辞の最後に、「○○にて 菊池裕史」と書くときの、この○○をどこにするかということです。研究室なのか、家なのか、はたまたどこかのカフェなのか。まさか、iPhoneを使って電車の中で!ということはさすがに無いと思いますが、「どこで修士論文を書き上げるのだろう。研究室がカッコいい気がするけど、もしかして...。」などと、そんなことを想像することが最近の楽しみになっています。
修士論文提出まで、残すところあと3ヶ月少しとなりました。期日が近づくに連れ、焦りや苛立ちを感じることもありますが、いつも近くで僕を支えてくれているiPhoneやMacBook Airは、僕の心強い味方になってくれています。これからやってくるであろう冬の山場も、Macたちと一緒に乗り越えていきたいと思います。(Apple恐るべし!!)
2011.09.20
9月17日〜19日の3日間にわたって、日本教育工学会第27回全国大会が首都大学東京で開催されました。1,000人を超える参加者が集まり、教育実践の改善について議論が交わされました。今年は新しく学会に来られた方も多く、質疑応答も活発に行われていたのが印象的でした。学会が教育改革を志向する人々のオープンマーケットに変化してきたように感じます。
初等中等・高等教育/ワークショップなど多くの実践について、改善の工夫や実態調査などについて報告されました。ほとんどのセッションで有益な情報共有が行われていたのですが、残念ながら発表者と聴衆の間で齟齬があったケースもあったようです。
私が見た限りでは、実践の様子を時系列に報告するものにその傾向が強かったように思いました。面白い実践も多いだけにもったいないので、学会で報告する際により建設的なやりとりができるためのフォーマットを考えてみました。
実践の社会的背景
その教育実践がなぜ今重要なのか、社会的背景や教育的意義を述べる。
(「研究の背景」に相当)
先行実践と報告の視点
今まで行われてきた類似の実践や自分の過去の実践の中で発見した問題について述べ、解決するための視点について明らかにする。
(「研究の問題と目的」に相当)
実践の概要と明らかになったこと
実践の概要と明らかになったことを、報告の視点に基づいてまとめる。
(「研究の方法と結果」に相当)
今後の課題
実践をすることで見えてきた新たな課題についてまとめる。
(「研究の考察と課題」に相当)
このフォーマットを意識していただければ、論文にするときに問題/目的/方法/結果という研究のスキームに移行するのも楽になると思います。
【山内 祐平】
2011.09.17
みなさまこんにちは。
自分の研究に影響を与えている研究者を紹介する【気になる研究者】シリーズ、最終回は博士課程2年 池尻良平が "デューク・リチャード・D" をご紹介したいと思います。
私が修士の頃、歴史を用いて未来の社会に対する選択肢を広げ、シミュレーションを行うという主旨の教材開発を行っていたのですが、そのための学習形式として最も適しているものが何かつかめず、苦しんでいた時期がありました。
そんな時、彼の研究に出会い、まさしくゲーミングシミュレーションというコミュニケーション手法こそが今の歴史学習に適していると思い、今のゲーミング教材を作り始めましたという経緯があります。今回は私の研究に影響を与えてくれたデュークという研究者を紹介したいと思います。
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デュークは1964年、ミシガン大学より博士号を取得し、1998年に定年退職するまでミシガン大学建築・都市計画学部教授を務めた方です(現在、ミシガン大学名誉教授)。ポリシーゲーミングの領域において、100以上のゲームを政府・民間企業向けに研究開発したり、約40か国に対してポリシーゲームの研究活動を指導したりしています。また、国際シミュレーション&ゲーミング学会を創立し、会長も務めた方です。
彼は、新しい知識が次々と生まれて地球規模の問題が複雑化している今、全体認識を伝える必要性が高まっているという問題意識のもと、伝統的なコミュニケーションではなく、未来を語る言語(Future's Language)を用いたコミュニケーションが必要だと主張してきました。
そして、ゲーミングシミュレーションこそがその未来を語る言語だとし、従来の伝統的なコミュニケーション形式と対比させながら、ゲーミングシミュレーションを用いたコミュニケーション形式についてまとめた方です。
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今回はその4段階のコミュニケーションモデルを簡単に紹介します。
●モデルⅠ:原始モードの一方向のコミュニケーション
身振りや手振り、叫び声を使った一方向のコミュニケーションです。例えば、手を使ったジェスチャーなどが該当します。
●モデルⅡ:発展的モードの対話
口語を使って電話などで対話を行うコミュニケーションです。送り手と受けては1対1 です。例えば、電話での会話などが該当します。
●モデルⅢ:統合的モードの多者間対話
マルチメディア(プロジェクターなど)やスライドを使って複合現実(複雑性、相互作用性、ダイナミックス性のいずれか、あるいは、すべてを備えたシステム)についての発表や議論を行い、多者間の逐次的な対話を行うコミュニケーションです。送り手と受け手は1対複数です。例えば、討論会などがこれに該当します。
●モデルⅣ:多重同時対話
基本的にはモデルⅢと同じなのですが、コミュニケーションを促進するために用いられる仕組みがまったく別物だと説明されています。そして、これこそがゲーミングシミュレーションによるコミュニケーションに該当します。図で表すとこちらのようなものです。(デューク 2001の図をもとに作成)
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モデルⅢでは、複合現実のモデル(例えば、環境保護について議論するために自然環境をモデル化するなど)は構造化された文書や口頭発表を通じて参加者に伝えられ、これに対して参加者は、早い者順か、ランダムに指名されることで発言を行い、全体の議論が進行されていきます。司会者は議論の混乱を避けるために、私語を慎むように注意したり、主催者側が意図しない意見を抑えたりする必要があるため、参加者同士のコミュニケーションは行われません。結果、個々の人間は全く同一の現実について言及しているにもかかわらず、異なる枠組みでその認識を構造化するようになります。
一方で、モデルⅣのゲーミングシミュレーションでは、複合現実のモデルは事前にゲーム構造(地球を救うゲームなど)として参加者に伝えられています。さらに参加者はある特定の観点をもった役割(農家やビジネスマン)になりきるのが望ましく、その設定のなかで特定の論理的な制約に準拠して行動することが要請されます。このように、環境保護などの全体システムにかかわる議論は、ダイナミックな関係を意識させる状況が導入されることで促進されているのです。
皆さんもゲーム形式のコミュニケーションを取っている時、色々な会話が同時に飛び交っているにも関わらず、散発的にならない経験をしたことはないでしょうか?それは噛み合ない議論とは違っているはずです。これはパルス(プレーヤー同士のメッセージ交換を誘発する目的で、ゲーム中にプレーヤーに提示される課題、論点、代替案、情報)によって、話す内容のベクトルがデザインされているからです。ただし、このようにゲーミングシミュレーションを用いたコミュニケーションを促すためには、ゲームのデザインが必須になってきます。このノウハウについては、参考文献をご参照いただければと思います。
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近年、より複雑で予測が困難な世界に対応できるような能力が必要になり、同時にそれを育成する教育が求められるようになってきています。今後、ゲーミングシミュレーションというコミュ二ケーション方法はどんどん必要になると思います。
私も未来を語るための歴史学習の開発に向けて、一役買えればと思っています。
*参考文献
デューク, R. D. 著, 中村美枝子, 市川新訳(2001)ゲーミングシミュレーション未来との対話. 凸版印刷. 東京.
[池尻 良平]
2011.09.08
みなさま、こんにちは。博士1年の伏木田稚子です。
自分の研究に影響を与えている・もしくは今後学びたいと考えている研究者を紹介する【気になる研究者】シリーズ、第10回目はクルト・レヴィン(Kurt Lewin)についてお送りいたします。
■□社会心理学の父、レヴィンの生涯■□
レヴィンは1890年ドイツのモギルノ(現在はポーランド領)に生まれ、1909年~1914年までベルリン大学にて学んだ後、1916年に学位が授与されました。1927年~1933年まで同大学で教授職に従事しましたが、ユダヤ系心理学者であったレヴィンはナチスの台頭に伴い、1933年にアメリカに亡命しています。その後、1936年よりアイオワ大学で特に児童心理学を担当し、1945年にマサチュセッツ工科大学(MIT)に招かれてグループダイナミックス研究センターを主宰しました。
生活空間に代表される場の理論の考案や、リーダーシップも含めた集団力学(グループダイナミクス)の発展、社会問題の実践的解決を目指したアクション・リサーチの提案など、その研究業績は多岐にわたります。
主な著書には、『パーソナリティの力説学』、『トポロジー心理学の原理』、『心理学的力の概念的表現と測定』などがあり、『社会的葛藤の解決』が出版される前年、1947年にマサチューセッツ州で亡くなりました。
■□生活空間と場の理論■□
レヴィンは、人と環境とが相互関連しているひとつの場の構造を「生活空間」と定義しました。それは、ある一定時の人の行動を規定する条件の総体を指しており、個体的条件と環境条件の両方を含んでいます。具体的には、個体的条件とは、個人の性格や能力、経験値のことであり、環境条件には物理的・心理的環境や組織の風土などが該当します。
つまり、パーソナリティー(P)とエンバイロメント(E)の両方によって人の行動(B)は大きく影響を受け、ある人が主観的に経験するところの心理的環境の全体が「生活空間」であるとレヴィンは表現しました。人の行動は、人と環境との関数関係として提示しうるものであり、その関数関係を明らかにしたものが心理学的法則であると考えられています。
■□の理論と学習■□
レヴィンは、学習と呼ばれるものの中で、少なくとも以下に示す類型の変化を区別する重要性を示しています。
(1) 認知構造の変化としての学習:知識
(2) 動機づけの変化としての学習:好嫌の学習
(3) 集団所属性の変化またはイデオロギーの変化としての学習:文化内で成長してゆく重要な側面
(4) 身体の筋肉を有意的に統御する意味の学習:言語や自己統御といった熟練を獲得するひとつの重要な側面
"以前よりは、よりよくできるようになること"という広い意味においてとらえられる学習の過程を、心理学者は心理学的な本質によって分類し、取り扱うべきであると述べられています。
■□力学的全体としての集団■□
集団を定義する際、レヴィンは集団成員の力学的相互依存を重視すべきであると強調しています。それまで集団は、成員間の態度の類似性にもとづいて定義されることが多かったのに対して、非常に高度の統一をもち体制化された全体が、きわめて少ない類似性を包含することは例外ではないとレヴィンは指摘しました。その上で、目標や感情、経済的依存、愛、居住領域など、成員の相互依存にもとづく集団は、従来の類似性・非類似性によって説明される集団とは異なるものであると述べています。
後世にも大きな影響を与え続けているレヴィンの理論は、ここでは紹介しきれないほど多岐にわたります。その中でも、人の行動は他の人や周囲の環境との相互作用によって影響を受けながら変化していくものであり、その相互作用こそが集団を形成しているという大きなものの見方に、わたしは強い魅力を感じています。
レヴィンの残した研究業績をこれからも地道に追いながら、人と人とがゼミナールというひとつの集団の中で学ぶ過程を研究し続けたいと思っています。
---参考文献---
Lewin, K., & Cartwright, D.(eds.) (1951) Field Theory in Socail Science. Nueva York, EUA : Harper & Brothers.
(猪股佐登(訳)(1956) クルト・レヴィン 社会科学における場の理論.東京:誠信書房)
2011.09.01
もう9回目を迎える【気になる研究者】シリーズですが、博士1年の安斎からはアメリカの心理学者、ミハイ・チクセントミハイを紹介したいと思います。研究室メンバーからは「どうせキース・ソーヤーでしょ」と思われていたようなので、変化球を...笑
チクセントミハイの研究の軸は2つあるといえます。1つは、「楽しさ」です。いわゆるフロー理論ですね。フローに関してはこれまでも散々紹介してきたので、こちらをご参照下さい。
https://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/ylab/2010/08/post-250.html
そして今回取り上げたいもう1つの軸は、「創造性」です。フロー理論が心理学的なアプローチだったのに対して、チクセントミハイはもう少し大きなケタで創造性について研究をしています。
創造性研究において「創造性とは何か?」というのは一つの主要な問いであり、その定義に関しては様々な議論があります。従来の古典的な考え方としては、創造性を"個人の中に備わっている性格特性"として捉え、知能テストのような方法でそれを評価する立場があります。(代表的なのは、ギルフォードやトーランスなど)
ところがチクセントミハイは、創造性を理解する為には、心理的な側面だけでなく、文化的・社会的側面も含めて考えなければならないと主張をしました。創造性は作り手と受け手の間の相互作用によってつくられる現象であり、何が創造的であるかということは、社会や文化によってしか判断できないと考えたのです。例えば、「音楽」における創造性について考えてみても、過去の作品や流行・作曲に関する理論・市場への流通・作品を聴く大衆など、文化や社会と作曲行為は切り離せない関係にあることがわかるはずです。
そこで、提案されたのが、以下の「創造性のシステムモデル」です。
画像(リンク切れ)
創造性のシステムモデルでは、個人(individual)、領域(domain)、場(field)がかかわり合い、交差するところにおいてのみ、創造のプロセスが観察できると考えます。領域とは文化であり、音楽でいえば作曲の理論を指します。場とは社会であり、音楽でいえば音楽業界を指します。
作曲をする個人は、領域にアクセスして理論を学び、場にアクセスして市場の好みを学びます。そして領域と場から得た情報に、個人的背景を反映させながら創作を行い、オリジナルの曲をつくり出します。そして場における音楽の専門家たちの評価や判断によって、その曲は領域に新たに加わり、領域自体に変化が起こります。...このように、創造性を静的なものと考えずに、個人・領域・場の相互作用の中で、社会的に構築されるものとして捉えるのが、チクセントミハイの創造性のシステムモデルの考え方なのです。やや広いケタのモデルですが、創造性を捉える枠組みとして、有用な視点を与えてくれます。
安斎の研究対象であるワークショップや創造性教育においても、社会や文化と関わり合うものとして創造性を捉えることは重要だと考えています。今後、現場で起きているプロセスを精緻な視点で丁寧に追いかけながらも、こうした大きな視点も忘れずに持ちながら研究を続けていきたいと思います。
[安斎 勇樹]
2011.08.30
高校生と大学生・社会人をソーシャルメディアでつないで進路を考えるSoclaプロジェクト2011が無事終了しました。
このプロジェクトは昨年はTwitterを、今年はFacebookを利用したのですが、サービスの違いによって興味深い差がありました。
ソーシャルメディアを利用した学習では、雑談を通じて紐帯が維持され、その中に学習を生起させる語りが埋め込まれる形になるのですが、雑談と学習的対話の比率が異なっていたのです。
昨年Twitterを利用した際は、「帰宅なう」などリアルタイム性の強い雑談が5割、学習内容が5割ぐらいだったのですが、今年のFacebookでは最初ほとんど雑談がなく、学習内容に関する発言ばかりでした。参加者から「雑談スレッド」が欲しいという希望がでてわざわざ作ったぐらいです。最終的には雑談ももりあがりましたが、それでも学習内容に関する発話が7割以上をしめていました。
参加者の特性や活動の変化を差し引いても、クローズドな会議室が作れるFacebookは、テーマとしている話題に集中しやすいという特徴がありそうです。このこと自体はポジティブにとらえられますが、つながりを維持するための潤滑油的な会話を上手に入れていかないと、アクセスが減る危険性があります。
また、公開質問など不特定多数からのフィードバックが必要な場合には、圧倒的にTwitterが強いです。日本は諸外国に比べてTwitterユーザーの割合が高いこともありますが、もともと公式RTなどで不特定多数に情報がつたわりやすい構造になっていることも要因ではないかと考えています。
TwitterとFacebookはソーシャルメディアとひとくくりにされがちですが、コミュニケーションのディテールはかなり違うサービスです。学習利用の際には、それぞれの特徴を生かした使い方を考えていく必要がありそうです。
【山内 祐平】
2011.08.25
みなさま、こんにちは。修士1年の山田小百合です。
【気になる研究者】自分の研究に影響を与えている・もしくは今後学びたいと考えている研究者を紹介する本シリーズ、第8回目をお送りいたします。
今回はレフ・セミョノヴィチ・ヴィゴツキーについてご紹介させていただきます。
ヴィゴツキーについて
ヴィゴツキー(Lev Semenovich Vygotsky)は1896年生まれのロシア(旧ソビエト連邦)の心理学者です。結核により37歳という若さで亡くなってしまうのですが、「心理学者」と一括りにできないほどに、その短い生涯の中で、多くの研究を行い、優れた著作を多数残しました。研究者としてのキャリアは10年ほどですが、「心理学のモーツァルト」と呼ばれるほどに、現代にも大きな影響を与えています。
ヴィゴツキーは、当時の主観的心理学や行動主義に含まれる二元論などを批判的に検討し、発達と教育の関係について新しい理論化を行いました。その有名な発達理論に「最近接発達領域」というものがあります。
最近接発達領域と子どもの発達
例えば数学の問題を例としてあげてみましょう。多くは数学の問題のみ書かれており、それを独力で解くことが多いです。しかしわからない問題を目にした ときに「誰かに横でサポートしてもらえると解けた!」という経験はありませんか?最近接発達領域とは、つまり、<子どもが一人で成し遂げられること(現在の発達水準)>と、<大人の援助や助言、自分より能力のある仲間の協力や協同(共同)で成し遂げられること(潜在的発達水準)>との間の隔たりのことを言います。
この概念より、子どもの発達はまさに他者との対話やコミュニケーション、関わりが欠かせない、ということが言えるのではないかと思います。では、私自身が取り組んでいる研究とどのように関係するのでしょうか。障害児をとりまく学習環境と関連して考えていくことにしました。
「障害」という概念
話が変わりますが、近年「障害」を社会学的にとらえる「障害学(Disability Studies)」という学問が注目されてきています。「障害」は、これまで「医療モデル」視点で見られていた傾向にありましたが、障害学では社会現象として「障害」を捉え、障害を社会的に生成・構築する―つまり「社会が『障害』を生み出す」という視点で語られています。
話を戻すと、ヴィゴツキーは障害児教育に関心をもった研究者でもありました。彼は「障害」という概念を、身体のある部位の異常や損傷といった、生物学的な「一時的症状(障害)」と、それによって社会的なやりとりに困難が生じ、そこで培われるはずの機能が育たないという「二次的症状(障害)」という2つにわけて考えました。彼は特に「二次的症状(障害)」を重視しており、二次的症状への働きかけが有効とも指摘しています。
機能的な障害は存在しますが、社会的に障害が構成されているという構図が、まさにヴィゴツキーの研究と、現代で言われる障害学と、通じるものがあるのではと思います。
ヴィゴツキーの研究から実践現場へ
私自身、障害のある子どもたち(主に自閉症・知的障害)の社会的な機会を増やし、障害のある子どもたちが他者とどのように関わり、学んでいくのか、ということに関心があります。まさにヴィゴツキーのいう「二次的症状へのアプローチ」に近いのではないでしょうか。では、その二次的な障害に至らないためのアプローチとは何なのでしょうか。そして、そこに私自身がどのように貢献できるのでしょうか。
過去の話ですが、約1年半前、全ての就職活動を中断し、大学院試験を決意したとき、多くの人に相談させていただきました。その際「障害があると思っていて接していても、逆に、障害ということを忘れてしまうくらい、そういう子たちといるから学ぶことってあると思うんです!」と、経験的な主張に過ぎませんが、言いつづけていたことが思い出されます。そして、まさにそのような視点で、最近では「インクルーシブデザインワークショップ」などが行われる機会が増えました。視覚障害者の方を巻き込むワークショップなどが有名です。しかし自閉症や知的障害児をとりまく実践となると、さらに事例数が減少します。この現状を見る限り、実践の難しい領域なのだと感じています。その数少ない部分へのアプローチをすることで、少しばかり貢献できるのでは、と考えています。
「ために」から「ともに」へ
インクルーシブデザインワークショップを実践されている京都大学総合博物館の塩瀬隆之准教授の実践に、今月上旬見学・参加させてもらいました。そこで出てきた「『ために』から『ともに』へ」という言葉が、これからの特別支援教育の一つの方向性なのではと感じました。
実際に誰しも困難なことがあり、苦手なことがあるのは当然です。「困ったときはお互い様」という言葉がそれを表しているのではないでしょうか。
障害児の「ために」同じ場所で学ぶという視点から、私たちが「ともに」社会に生き、学び続けるための仕掛けを、私は追求していきたいと考えています。
<参考文献>
ヴィゴツキー,L.S,柴田義松・宮坂琇子訳(2006)障害児発達・教育論集.新読書社
ヴィゴツキー,L.S,柴田義松訳(2006)新訳版 思考と言語.新読書社
星加良司(2007)障害とは何か―ディスアビリティの社会理論に向けて.生活書院