2011.08.25

【気になる研究者】レフ・セミョノヴィチ・ヴィゴツキー

みなさま、こんにちは。修士1年の山田小百合です。
【気になる研究者】自分の研究に影響を与えている・もしくは今後学びたいと考えている研究者を紹介する本シリーズ、第8回目をお送りいたします。


今回はレフ・セミョノヴィチ・ヴィゴツキーについてご紹介させていただきます。

ヴィゴツキーについて
ヴィゴツキー(Lev Semenovich Vygotsky)は1896年生まれのロシア(旧ソビエト連邦)の心理学者です。結核により37歳という若さで亡くなってしまうのですが、「心理学者」と一括りにできないほどに、その短い生涯の中で、多くの研究を行い、優れた著作を多数残しました。研究者としてのキャリアは10年ほどですが、「心理学のモーツァルト」と呼ばれるほどに、現代にも大きな影響を与えています。
ヴィゴツキーは、当時の主観的心理学や行動主義に含まれる二元論などを批判的に検討し、発達と教育の関係について新しい理論化を行いました。その有名な発達理論に「最近接発達領域」というものがあります。

最近接発達領域と子どもの発達
例えば数学の問題を例としてあげてみましょう。多くは数学の問題のみ書かれており、それを独力で解くことが多いです。しかしわからない問題を目にした ときに「誰かに横でサポートしてもらえると解けた!」という経験はありませんか?最近接発達領域とは、つまり、<子どもが一人で成し遂げられること(現在の発達水準)>と、<大人の援助や助言、自分より能力のある仲間の協力や協同(共同)で成し遂げられること(潜在的発達水準)>との間の隔たりのことを言います。

この概念より、子どもの発達はまさに他者との対話やコミュニケーション、関わりが欠かせない、ということが言えるのではないかと思います。では、私自身が取り組んでいる研究とどのように関係するのでしょうか。障害児をとりまく学習環境と関連して考えていくことにしました。

「障害」という概念
話が変わりますが、近年「障害」を社会学的にとらえる「障害学(Disability Studies)」という学問が注目されてきています。「障害」は、これまで「医療モデル」視点で見られていた傾向にありましたが、障害学では社会現象として「障害」を捉え、障害を社会的に生成・構築する―つまり「社会が『障害』を生み出す」という視点で語られています。

話を戻すと、ヴィゴツキーは障害児教育に関心をもった研究者でもありました。彼は「障害」という概念を、身体のある部位の異常や損傷といった、生物学的な「一時的症状(障害)」と、それによって社会的なやりとりに困難が生じ、そこで培われるはずの機能が育たないという「二次的症状(障害)」という2つにわけて考えました。彼は特に「二次的症状(障害)」を重視しており、二次的症状への働きかけが有効とも指摘しています。

機能的な障害は存在しますが、社会的に障害が構成されているという構図が、まさにヴィゴツキーの研究と、現代で言われる障害学と、通じるものがあるのではと思います。

ヴィゴツキーの研究から実践現場へ
私自身、障害のある子どもたち(主に自閉症・知的障害)の社会的な機会を増やし、障害のある子どもたちが他者とどのように関わり、学んでいくのか、ということに関心があります。まさにヴィゴツキーのいう「二次的症状へのアプローチ」に近いのではないでしょうか。では、その二次的な障害に至らないためのアプローチとは何なのでしょうか。そして、そこに私自身がどのように貢献できるのでしょうか。

過去の話ですが、約1年半前、全ての就職活動を中断し、大学院試験を決意したとき、多くの人に相談させていただきました。その際「障害があると思っていて接していても、逆に、障害ということを忘れてしまうくらい、そういう子たちといるから学ぶことってあると思うんです!」と、経験的な主張に過ぎませんが、言いつづけていたことが思い出されます。そして、まさにそのような視点で、最近では「インクルーシブデザインワークショップ」などが行われる機会が増えました。視覚障害者の方を巻き込むワークショップなどが有名です。しかし自閉症や知的障害児をとりまく実践となると、さらに事例数が減少します。この現状を見る限り、実践の難しい領域なのだと感じています。その数少ない部分へのアプローチをすることで、少しばかり貢献できるのでは、と考えています。

「ために」から「ともに」へ
インクルーシブデザインワークショップを実践されている京都大学総合博物館の塩瀬隆之准教授の実践に、今月上旬見学・参加させてもらいました。そこで出てきた「『ために』から『ともに』へ」という言葉が、これからの特別支援教育の一つの方向性なのではと感じました。

実際に誰しも困難なことがあり、苦手なことがあるのは当然です。「困ったときはお互い様」という言葉がそれを表しているのではないでしょうか。
障害児の「ために」同じ場所で学ぶという視点から、私たちが「ともに」社会に生き、学び続けるための仕掛けを、私は追求していきたいと考えています。

<参考文献>
ヴィゴツキー,L.S,柴田義松・宮坂琇子訳(2006)障害児発達・教育論集.新読書社
ヴィゴツキー,L.S,柴田義松訳(2006)新訳版 思考と言語.新読書社
星加良司(2007)障害とは何か―ディスアビリティの社会理論に向けて.生活書院

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