2012.08.21
IT企業を中心に、創造性を意識したオフィス空間が増えてきています。
グーグルのオフィスに見る、創造性を育む職場環境
http://japan.zdnet.com/cio/sp/35020491/
私は福武ホールや駒場アクティブラーニングスタジオなどの学習空間を設計してきましたが、創造的なオフィス空間についても相談されることがあります。最近高等教育では育成すべき高次思考能力のバリエーションとして創造性も取り扱いますので、話をしていて確かに共通点もあるように感じます。
GoogleやMicrosoftの日本オフィスも訪問させていただきましたが、様々な工夫があり、特に記事の写真に出ているような遊び心のあるスペースは学習空間にもとりいれられないかと思っています。感情は学習に大きな影響を与えますので、居場所として安心でき、かつ様々な挑戦を許容することが空間的に表現されていることは大事なことです。
ただし、創造性を育むことを考える場合には、このような「見た目でわかりやすい」ところだけ真似しない方がよいように思います。創造的活動は、Sawyerが指摘しているように集団活動の中で生まれ、かつ、その集団はWengerのいう実践共同体である場合が多いからです。あるトピックについて自発的に形成された研究会的なグループが、会議スペースなどの資源を使えるようになっているかどうか、雑談の中からそのようなグループが構成されるように、たまり場的なスペースをもうけているかも重要なポイントです。
創造的活動が展開される際には、空間だけでなく、組織や文化の問題も大きく関わってきます。企業の中で創造的活動を評価しビジネスにつなぐ仕組みを持っていないと長続きしません。学習環境と同様、空間だけではなく、環境全体としてデザインする視点が必要なように思います。
【山内 祐平】
2012.08.16
みなさま毎日暑い日が続きますが、いかがおすごしでしょうか?
M2の河田承子です。合宿も無事に終わり、8月もあっと言う間に半分が終わってしまいました。近づいてくる秋に焦りを感じる今日この頃です。
さて、今週からは新たに「研究に役立つウェブサイト」シリーズをお送りしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
私は現在「母親が子育てで育児情報をどのように使っているのか」を明らかにする研究を行っています。現在までにたくさんのお母様達にインタビューをする中で、色々なサイトを使って子育てに役立てていることがわかりました。かなり母親目線になってしまいますが、今回はその中から少しご紹介したいと思います。
まず、子育てに関する口コミサイトでとても有名なサイトといえば、「ベネッセウィメンズパーク」【http://women.benesse.ne.jp/】ではないでしょうか。2008年の調査によると、会員数133.8万人、月間総ページビュー数1億2,302万PV、発言数が1日あたり約1.2万人ということからも、多くの母親に利用されていることが分かります。育児をする上で欠かせない、生活圏内の地域情報が得られることが特徴です。その一方、同じ口コミサイトでも子どもの教育に関する情報交換が豊富なサイトが「Inter-edu.」【http://www.inter-edu.com/】です。なんと幼稚園受験〜大学受験まで幅広い情報交換が行われています。このような口コミサイトでは、面と向かって人に聞きづらい質問を投げかけている場合があり、母親にとって大事な場なのだと改めて感じることがありました。
それ以外にもご紹介したいサイトはたくさんあるのですが、中でもお薦めなのが「絵本ナビ」【http://www.ehonnavi.net/】。絵本が全ページ試し読みができるサイトで、働かれていたり、お子さんが小さくて本屋でゆっくり選ぶ時間がない母親にも人気のサイトのようです。
このように、現在インターネットには子育てに関するサイトがたくさんあり、それらを見て行く中で、母親が抱える不安や要望などが分かり、参考になる事があります。
昔は両親や近所の人から教えてもらっていた子育ての情報ですが、核家族化が進み地域コミュニティが減少していく中で、インターネットから得る機会が多くなりました。しかしながら、情報量が多い反面、情報の真偽に関する判断は個人レベルに任されています。情報の活用が上手な母親もいれば苦手な母親もいるでしょう。そういった方達への支援を含めて、いま行っている研究をより良いものとしていけるよう頑張りたいと思います。
M2 河田承子
2012.08.15
先日、合衆国教育省が、オンライン大学の教員養成が急増しており、学位授与数で最大規模の教育大学を抜いたという報告書を出しました。
USA Today: Online education degrees skyrocket
2011年度にもっとも多く教育に関する学位(学士・修士・博士)を出した大学はフェニックス大学で、5,976になっています。フェニックス大はオンライン営利大学の草分けとして世界的に有名です。
これに対してアメリカで最大規模の古典的な教育大学であるアリゾナ州立大学が出した学位数は、2,075であり、フェニックス大の半分弱です。ただし、学士(教育学)はアリゾナ州立大学が979でトップになっており、オンライン大学が修士号以上に照準を合わせていることがわかります。
アメリカと日本の教員養成は社会的背景が異なっており、このデータの読み取りには注意が必要です。
まず、アメリカでは教員と他の職業とのキャリア転換がおきやすいことがあげられます。給与水準が低いため、よりよい待遇を求めて教員をやめて民間企業に転出するケースがある一方で、最近のように不況になると、逆に民間企業から教員になりたいという人材が流入します。また、より高い学位を持つと給与や待遇が向上するようになっているため、修士号や博士号をとった方が有利になっています。連邦政府もより専門性をもった教員を育てるために大学に補助金を出しています。
つまり、オンラインで学位をとることが教職の確保や待遇の改善に直結するため、教員養成に関してはオンライン大学が他の領域よりも有利な位置にあるわけです。
最近は営利大学だけでなく、伝統的教育大学もオンラインコースを設ける例が増えています。また、教育省はオンライン上に教員コミュニティを作るプロジェクト「Connected Educators 」を開始しており、教員の専門性を向上させるためのオンライン学習環境は今後大きな潮流になりそうです。
【山内 祐平】
2012.08.12
山内研との出会いを書き綴る【山内研との出会い】シリーズ、最終回はD3の池尻良平がお送りします!
...と思ったのですが、実はこのテーマ、僕がM1の頃に書いている以下のブログと被っちゃうんですよね(笑)改めて見るとこっぱずかしい内容なのですが良かったら見て下さい。
【山内研と私】歴史教育、3つの違和感、覚悟(池尻)
http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/ylab/2008/07/post_104.html
「じゃあ、これで...」というわけにもいかないので(笑)、今回は山内研と出会った頃にやりたかった3つのことが達成できているかを振り返る特別回にしようと思います。
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(1)「歴史って現代に役立つんだ!」ということを高校生に教えたい
これは山内研だからこそできると思ったことです。実際、当時の山内研のゼミは月1回ペースで発表があったのですが、それに向けて海外の最新の歴史学習の研究を調べたり、そこから自分の追い求める歴史学習のモデルが作ることができて「めっちゃ研究面白い!」と思っていました。それと、学際情報学府は既存の学部ではカバーしていないことを重視する大学院なので自分のやりたいことがのびのびとできるようになったのもとても良かったです。おかげさまで今は歴史を現代に応用させるゲーム教材を2つデザインし、実際に色々な高校生に使ってもらいながら「歴史って役に立つんだ!」と思ってもらう実践を行っています。
(2)山内先生の「技」を習得する
僕が山内先生に初めて会った時は「他の教授とは違う考え方や技を持っている...」という直感がありました。そこで、何が違うのかも含めて山内先生の考え方や技を習得したいという想いもあって山内研に入りました。研究についての考え方はもちろん、学校での振る舞いや教育に携わる色んな人達への話し方、コンサルタントのやり方など本当に多様な技を習得する機会があり、僕自身とても勉強になっています。全然まだまだ習得途中ですが、大学院に入ってから幅広い活動ができるようになったのは山内研に入ったからこそだよなあと思っています。
(3)歴史教育を変える!
最初のゼミ発表のレジュメでこれをでかでかと書いたことで、ポートフォリオを開く度にこの言葉が見えてよく話題にされるのですが(笑)、これは当時も今も大真面目にやりたいと思っていることです。ただ、修士の頃に実践をさせてもらった高校を始め、幾つかの高校で自分の作った歴史の授業を行ってはいるのですが、高校は小中学校や大学と比べて研究や実践の展開をしていくのが大変ということもあって「歴史教育を変える」レベルには達していません。
ただ、先生方が集まる学会や研究会に顔を出して高校の歴史教育の空気感を理解したり、授業だけでない形で高校生をサポートする色々なアプローチを勉強している中で、どうやったら歴史教育が変わりうるのかがうっすら見えてきたのも確かです。高校で研究をしたり、新しい教材を普及させるということはなかなか困難なのですが、今はそれを考えることが楽しかったりします。これも修士の頃に、山内先生が「高校で研究するスタンスは崩さないようにした方が良い」というアドバイスをしてくださって、ずーーーっと取り組み続けたからこそだからだと思います。
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ということで、出会った頃にやりたかったことは現在半分くらいできているでしょうか。ただ、どれも山内研に入らないとできなかったことだろうなぁと思うので、学部の頃に山内研を選んで本当に良かったと思っています。いつまでも初志貫徹の精神で、これからも頑張っていきます!
[池尻 良平]
2012.08.09
8月7日から9日まで、函館で研究室の夏合宿を行いました。
例年夏合宿では、古典とされている教育研究者(デューイ、ピアジェ、ヴィゴツキーなど)をレビューすることが学習の中心なのですが、今年は新しい挑戦として、スタッフが抱えている現在進行形の「課題」に対して、担当した研究者であればどう解決するかを考えるという試みを行いました。
私が出した課題は、「オンライン学習における離脱」です。アメリカで大学中退率の上昇が問題になっているように、対面の学習であっても学習が続かずドロップアウトするということは起きますが、オンライン学習はさらに持続が難しく、Levi,Y(2007) によれば、25%〜40%が離脱するとされています。
この課題に対して、大学院生の伏木田さんと山田さんと私のチームで、担当したパウロ・フレイレとアラン・ケイの考え方から、どういう解決方法があるかを考えました。
議論の中で明らかになってきたのが、フレイレもケイも、「学習における問題の意味」を可視化する学習環境を構成しているということです。
フレイレは識字教育において、貧しい人々が文字を持つことによって世界を変革するための実践を展開しました。その際に、できるだけ身近な単語を文字で表す学習プログラムを構成し、世界との関わりがどう変わるのかを端的にフィードバックし、文字を学ぶ意味を理解してもらっていました。
ケイは、子ども向けのプログラミング環境であるSqueakの開発において、プログラミングによって想像の世界をシミュレーションすることによって、試行錯誤の楽しさから問題を解決してみたいと思わせる環境を構築しました。
問題の種類は違いますが、「これは私にとって解決してみたいと思える問題だ」ということを納得できるような可視化が行われているという点は共通しています。
オンライン学習はともすれば無味乾燥になり、学習の意味を見失いがちです。学習の離脱を防ぐためには、「問題の意味はあなたが考えてください」というスタンスではなく、「あなたにとって解決する価値がある問題なのだ」ということを可視化して納得してもらうことが出発点として重要になりそうです。
もちろんこれは一種の思考実験ですので、今後実践で試してみる必要はあります。ただ、他のチームも面白い知見がたくさん出てきており、こういう古典を現代に適用する読み方も面白いものだと実感しました。
【山内 祐平】
2012.08.04
こんにちは、博士課程2年生の伏木田です。5月からはじまりました【山内研との出会い】シリーズも第10回目。毎晩、オリンピックの試合にくぎ付けになりながら、何を書こうかなと考えていました。
わたしが山内研を知ったのは、大学4年生の6月だったと思います。きっかけは、尊敬する友人が山内研に在籍されていたこと。大学3年生の終わり頃から、自分がのびのびと学ぶことができる大学院を探していたわたしは、"たまたま"その友人の名前をどこかのHPで見つけ、たどってみたら"たまたま"山内研にたどり着きました。その瞬間、頭の中で光が"ぱんっ"と弾けたように感じたのを覚えています。
■ 起 ■
少し話はさかのぼりますが、大学に入る前、わたしは音楽療法士になりたいと思っていました。けれども、音楽大学に入る道ではなく、いろいろなことを広く学べる総合大学を選んだときに、その夢はお蔵入りしました。
趣味として音楽を続ける代わりに、とりこになったのは、「人のこころ」に関わる学問全般でした。幸運なことに、大学1年生から卒業するまでの間、興味のある授業を自由にとることができる環境にいたので、ほんとうにいろいろな学問に触れました。その中で、認知心理学、教育心理学、社会心理学にはじまり、認知行動科学、神経科学、精神保健学にいたるまで、「人のこころ」に関わる学問に魅了され続けました。
■ 承 ■
人が好きで、人とかかわり続けられる仕事がしたいと思っていたので、心理カウンセラーや臨床心理士という職業に強く惹かれていました。その一方で、専門性を極める前に、どこに行ってもつぶしが効く力を身につけおきたいという気持ちがありました。また、大学に入ってすぐの頃から、「大学院に行くんだ!」となぜか強く思っていたわたしは、大学院で何か新しいことを始めたいと思ったときに、どんな領域でも役に立つ基礎力がどうしてもほしかったのです。
そこで、いろいろな先輩に相談をして、大学3年生のときに(認知)心理学の専攻に進みました。そこでは、どうすれば未知の現象を研究によって明らかにできるのかという基礎的な手続きを、過酷な実験演習の中で学ぶことができました。今思えば、そこでの経験が、「研究は楽しい」という気持ちを芽吹かせてくれたように思います。
■ 転 ■
そして大学3年生の終わり頃、こう思いました。「ここでの研究や勉強はとても楽しい。でも、やっぱり、人とかかわっているという実感を、研究の中で感じたい。誰かの役に立ちたいとい気持ちが形になるところで、研究がしたい」と。
そこで、もう1度、いろいろな学科・研究科を片っ端から探しはじめました。そして、どこに行けば自分の望みが叶うのか、頭を悩ましているときにみつけたのが、友人の名前と山内研の存在でした。情報学環の教育部にも在籍していましたが、なぜか、山内先生を知らずに過ごしていたわたしにとって、学際情報学府で教育学にかかわれるというのは、ほんとうに衝撃でした。
そこで何ができるのか、そこでわたしは何ができるのか、不安もたくさんありました。けれども、「入ったところで頑張ればいいじゃない」という母の言葉に、背中を押してもらいました。教育実習と卒業研究で頭がいっぱいの中、自分がそれまでやってきたことと、これからやってみたいことの橋渡しを考えながら、研究計画書を書いたことを覚えています。
そして、今、山内研での生活は4年目を迎えています。
■ 結 ■
大きな夢をしっかりと描いて入ったわけではなかったので、入ってからは、戸惑うこととがたくさんありました。自分が向いていないと思うことも、数えきれないほどありました。いつも目の前にあることだけを見つめているので、もう少し先を見越していたら、違う道を歩んでいたかもしれません。それでも今こうして、たくさんの人に助けていただく中で、人と人とがかかわりながら学ぶ環境を研究できていることに、しあわせを感じています。
大学院での日々も、残りの日数を数えはじめるようになりました。ここを出たら何ができるのか、ここでの経験はどこに還していけるのか、頭を悩ます日々が始まりそうです。
【伏木田 稚子】
2012.07.27
博士課程2年の安斎です。山内研究室に進学して早いもので、気づけばもう4年目です。僕が山内研究室の存在を知ったのは、大学3年生の時のことでした。
僕は学部時代、東京大学の工学部の精密機械系の学科に所属しており、インダストリアルデザインやプログラミングなどを学んでいました。しかし、所属する学部の専攻内容よりも、教育や学習に関心が移ってきており、会社を立ち上げて教育系ウェブサービスを運営していたり、中学生向けの連続ワークショップなどの実践活動に積極的に取り組んでいました。
おかげで、それはもう絶望的に単位が足らなかったんですよね(笑)にもかかわらず、通常の大学の授業というのは普通「1授業あたり2単位」が割り当てられていますが、工学部の授業はなぜか「1授業あたり1.5単位」で、しかもたいていの授業に筆記試験があるため対策が結構大変なのです。そんなお尻に火がついた状況で目をつけたのが、「他学部聴講」という他学部の授業を履修できるシステムです。少しでも自分の関心に近い授業はないかと他学部のシラバスから探していたところ、たまたま目に留まったのが山内先生が教育学部で開講している『学習環境のデザイン』という授業でした。なんとなく面白そうなタイトルだし、試験もないし、2単位ゲットだ!と思ってとりあえず履修登録をしてみることにしました。
授業内容自体は「デジタル教材」に焦点を当てたもので、そこまで自分の興味対象ではなかったのですが、第1回目の授業で山内先生が「学習環境デザインとは、人が自発的に学び、賢くなる仕組みを作ることです。」というようなことを仰っていて、その一言に自分の潜在的な関心を射抜かれた想いがし、直観的に「ここの研究室で研究が出来たら面白いことが出来るかも」と感じました。また、授業の内容も、山内先生はほとんど講義を行わず、学生による調査・発表・議論で構成される参加型の授業スタイルで、想像を超えた歯ごたえのある内容で、授業設計としても興味深く感じた記憶があります。その後は先生の書籍を読み、研究室を訪問し、情報を集めて受験をし...今に至ります。
正直に言うと、学部生の頃の自分は、教育や学習の分野において研究者の力をそこまで信じておらず、学会にこもって論文を書いているだけでは世の中を変えられるはずがないと思っていました。けれども、学際情報学府に入って山内先生をはじめ、魅力的な研究者に沢山出会い、学問を軸足に起きながらももう片足で実践活動を展開しながら社会にインパクトを生み出すようなスタイルに可能性を感じ、研究と実践を続けています。
とはいえ、この先のキャリアがどうなっていくかはわかりません。あの時単位がもし足りていたら、今の自分はなかったかと思うと、キャリアは偶然と直観の積み重ねによってつくられていることを強く実感します。もしかすると10年後、何かの拍子で研究者じゃなくなっているかも...。などと、色々な未来を妄想しながらも、自分の「いまの直観」を信じて、引き続き楽しく進んでいきたいと思います。
【安斎勇樹】
2012.07.22
みなさん、こんにちは。M1の吉川遼です。
5月から続いてきました【山内研との出会い】も9回目となりました。
前回までのエントリから、同じ山内研でも様々な出会い、想いがあるんだな、と皆さんが山内研を志望された背景の多様性を感じております。
さて今週、学際情報学府の出願締切を迎えましたね。出願までに山内研にも多くの入学希望者がお越しになり、僕も色々とお話をさせて頂きました。毎週研究生室に来られる皆さんそれぞれが教育に関する鋭い問題意識やそれを解決するための優れた「ツール」を既に持っておられ、とても興味深くお話させて頂きました。
そんな皆さんに1年前の自分を(勝手ながら)重ねつつ、お話しさせて頂いた約2ヶ月のうちに、僕もどうやって山内研と出会ったのか、なぜここを志望したのか、少し整理しておりました。
ということで、第9回目の今回は吉川遼が担当させていただきます。
■学部時代と問題意識の芽生え
学部時代の話に戻るのですが、僕は名古屋大学情報文化学部で4年間を過ごしておりました。この情報文化学部というところは、簡単に言ってしまえば学際情報学府と同じ文理融合を掲げている学部で、従来の細分化された学問を横断的に繋ぐことで学際的に社会の諸問題を解決できる人材の育成を目的としている学部です。僕はこの学部で政治学、経済学、地理学、社会学、心理学、情報工学、論理学、哲学、美学、デザイン、など様々な分野を4年間で学びました。文系・理系問わず幅広く学ぶ、という点では前々回の梶浦さんの学部時代と似ているかもしれません。
もともと僕はインタフェースのデザインやアプリケーションの開発に興味があり、卒業研究も何か開発したいなあ、という想いは前々から持っていました。そこで3年次には社会における情報技術の活用について研究している研究室に配属され、そこで研究を進めることになりました。
研究室では、博物館や地域といったフィールドを持って研究する人も多く、僕も前々から興味があった科学館で運良く研究をさせてもらえることとなり、博物館での情報技術の活用について研究を進めていたのですが、その際に博物館での学習補助に関する先行研究をレビューしているうちに、
「これって本当に教育に役に立っているって言えるんだろうか?」
「対象の人たちに技術を押しつけて満足してしまっていないだろうか?」
という疑問を抱きました。
事実、対象としている人が本当に必要としているのか疑問に思えるような研究も多くありました。
そうこうしているうちに「こういった開発研究をするのであれば、しっかり教育的指標を用いて開発・評価を行って、本当に学習に役立つと自信を持って言えるようなものを開発したい」と思うようになりました。
もともと学部時代から「学部4年間で大学終わるなんてもったいないし、自分の今後にとっても意味がない」と思っていました。というのも学部が「広く浅く」学ぶカリキュラムであったため、自分の専門性が身に付きづらく、そのため何を学んだのかよく分からないまま就活して、なんとなく卒論を書いて、なんとなく卒業して4年間を終えてしまう、という大学生活に陥りやすく、すごくもったいないな、と感じていたからです。
しかし自分の興味あることを何でも学べる情報文化学部に入学して、とてもよかったとは思っていますし、今でも学部のことは大好きですが、だからこそトコロテンのようにスポンと大学から社会にそのまま出るのではなく、学部での研究を大学院で発展させ、より専門性を磨いていきたいと当時は思っていました。
■6月 学際情報学府との出会い
そこで大学院を探していたところ、所属していたもう一つのゼミの教授から「学部の先輩で東大の学際情報学府に行った細谷という人がいるから一度話してみるといい」と伺いました。細谷さん(現在池内研所属)は高3の頃から知ってはいました(学部パンフレットに学生起業家として載っていた)が、話したことはなく、「なんだかすごい人なんだろうなあ」という印象しか持っていませんでした。しかし、実際にお話ししてみて細谷さんから「学府はとても刺激的で周囲の環境もとてもよい」と教わり、やはりここで研究したいという気持ちが芽生え始めました。
時期も時期だったので、学部の友人の坂野君(現在水越研M1)と一緒に名古屋から学際情報学府の入試説明会に参加し、色んな研究室のブースを見て回り、院生の方にも話を伺いました。
しかしながら、参加されたことのある人ならご存じだと思いますが、例年入試説明会はとても混雑し、地下2階のラーニングスタジオは入学希望者の熱気が充満します。
なので一番気になっていた山内研究室であまり話をすることができず、先生とも少しお話できた程度で、後悔しつつもその日は名古屋に戻りました。
■7月 山内研との出会い
後日、それでももっと研究について話がしたい、と思い山内先生にメールし、お会いする時間を設けて頂きました。またその後研究生室で池尻さんや菊池さん、末さん、呉さんなど院生の方とお話させていただき、その言葉の端々から「ここの人達はなんて熱意があって、まっすぐに研究活動をされているんだろう」と圧倒されたのを覚えています。
「ここで研究したい」という思いを胸に名古屋に戻ったはいいものの、既に7月を迎え出願まで既に3週間を切っていました。
今まで書いたことのない研究計画書をあーでもないこーでもないともがきながら出願締切ギリギリまで粘って仕上げる日々がその日から続くのでした。
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そんなこんなで僕もいつの間にかこうして院生として、めまぐるしい日々を何とか生きながらえつつ、充実した日々を送っています。
今年学府を受験される方は、もう出願も終えて、これから一次試験に向けて勉強を進める頃かと思います。
みなさんの健闘を祈ります。
次回はD2の安斎さんです。お楽しみに。
【吉川遼】
2012.07.15
こんにちは。M1の吉川久美子です。
5月からはじまりました「山内研との出会い」シリーズ。
第7回目を担当させていただきます。
もう今年も7月の半ばとなり、昨年の入試のことを思い出します。
私が受験を決めたのは、6月でした。
学部時代に仮面浪人を経験していた私にとっては、
遅いスタートではないかと当時はとても不安でした。
既に大学院の修士課程を修了していたのですが、
ずっと「やり残した感」があり、研究に対して未練がありました。
そんな折、ある方々から、山内先生が代表をされているNPO法人Educe Technologies
を教えていただきました。
そこで初めて先生にお会いしました。
そしてその場を通じ、先生、山内研の先輩方ともお話しているうちに
「この研究室でもう一度研究をしたい」という思いを抱くようになりました。
とはいえ、東京大学です。
「私には無謀すぎる」と思い、一度はあきらめました。
しかし、研究したいという思いはあきらめることができず、
いろいろな大学院を探しましたが、やはり「山内研で研究してみたい」という思いは消えることがありませんでした。
「消えないのなら、やるだけやってみよう」
そう決意したのが6月でした。
そこからは多くの方にご助言いただきながら、ひたすら受験対策に取り組み、
アツい夏を乗り越えることができました。
思い返すと、山内先生とお会いできたのも、受験しようと決意できたのも、
そしてそれを乗り越えることができたのも、さまざまな方々との偶然の出会いの積み重なりからだと思っています。
そもそもNPO法人をご紹介していただいていなければ、今の自分はなかったと思います。今はとても不思議なご縁を感じています。
2年前、研究に未練を感じていた自分が予想もしていなかったところに、
今の私はいます。
みなさまに助けていただいてばかりの自分ではありますが、
修士課程の2年間、悔いの残らないように過ごしていければと思っています。
2012.07.06
こんにちは。M1の梶浦美咲です。
M2の先輩方の山内研との出会いシリーズが終わり、第6回目以降3回分はM1が担当いたします。M2の先輩方のこのシリーズの記事を読んでいて、本当みなさん多様な出会い方をしているんだな、と改めて思いました。
私もその点で言えば少し特殊な出会い方をしているのかもしれません。私の山内研との出会い、それはもう「運命」のようなものでした(言い過ぎかもしれませんが(笑))。
***
私は学部時代、筑波大学情報学群知識情報・図書館学類というところで「図書館情報学」というマイナーな学問を学んでいました。「図書館情報学」と銘打っていても、そこは「図書館情報学」のみならず、「文学」「哲学」「経済学」「法学」「社会学」等文系の学問、「数学」「情報学(プログラミングも)」「統計学」等の理系の学問も幅広く学ぶところでした。その点でいえば教養学的なものをただひたすら学んできた、といえます(ちなみに「教育学」は学んでいませんでした)。
そこでふと疑問に思いました。
「私、大学で何を学んできたんだろう」
...当時大学三年生だった私は自分に専門性が無いことを痛感し、もっと大学で学んで「大学でこれを学んだんだ!」と断言できるような自分の専門性が欲しい、と思うようになりました。そこから大学院進学について漠然と考え始めました。
そこで、私の学部の先輩であり、かつサークルの先輩でもあり、今年修了された元山内研の土居由布子さんに、まずは進路相談に行きました。相談に乗って頂いたのですが、結局ただ大学院進学を決めたものの、進学先までは決まりませんでした。ただ相談の中で、土居さんに「教育部研究生制度」という他大生も入学できる教育機関があることを紹介してもらいました。その教育機関に興味を持った私は、「丁度他大学の学生も入学できる、しかも東大!」ということで(笑)、興味本位でしたが、その「教育部研究生制度」を冬に受験しようと決心しました。
そして大学3年生の後半、私はゼミに配属され、卒業研究が始まりました。研究対象を、その当時(2010年)の流行と自分の興味から「電子書籍」にしようと決めていたので、まずはその研究の端緒を探ろうと、至る所で開催されていた電子書籍に関するシンポジウムにいくつか足を運んでみました(ちなみにこの当時、土居さんからの勧めで、一応大学の就活セミナーに参加しつつ企業の面接も何度か受けたりと就活も行っていました)。
数々の講演を聴いて印象に残ったこと、それは
「書籍を電子化する上で、特に恩恵を受けることができるのはデジタル教材、教科書の分野だ!」
ということでした。
そこで、とりあえずデジタル教材について調べようと、まずは大学図書館のOPACで「デジタル教材」と検索をかけてみました。すると一番トップに表示されたのが山内先生の「デジタル教材の教育学」でした。早速それを借りて読んだのですが、それが自分にとって目から鱗、とても面白かったのです。
「こんな学問があったのか!私これを学びたい!これを研究したい!」
...と、どんどんデジタル教材に興味が移っていきました(笑)。
...しかしその時点ではまだ山内先生の研究室を受ける、という発想にまで至っていませんでした。ただ、「山内祐平」先生は先輩である土居さんの研究室の指導教官だということは知っていたので、「偶然!」とは思っていました。
また、卒業研究と並行して、その当時、筑波大学図書館内で協同学習施設であるラーニングコモンズの学生スタッフをしていました。そこで、あるときラーニングコモンズの先輩に誘われラーニングコモンズの勉強会に参加することになりました。
そして勉強会当日びっくり、なんとあの山内先生がいらっしゃるではないですか!(笑)運命を感じ、まずは先生にお話を伺ってみることにしました。その話の中で、「いつでも研究室を訪問しに来て下さい」と先生がおっしゃって下さったのがきっかけで、山内研を受けてみても良いのではないか、と考え始めました。
その数日後、教育部研究生制度の入試があり、会場に足を運べばこれまた山内先生が試験監督でした。やはりこれは運命なんだと、教育部の入試を受けながら、同時に山内研への進学を決心しました(笑)。
そこから研究計画について考え始めるのでした。
***
以上、他の先輩方は、安斎さん経由で山内先生の存在を知ったケースが多いようでしたが、私は直接山内先生を知ったのでした。
「先輩の土居さん」「デジタル教材」「ラーニングコモンズの勉強会」「教育部の試験監督」...
様々なところで山内先生が関わっていたために運命を感じてここを受験した、というのがまとめです。なかなか珍しいケースだと思います。
前回まではM2がこのシリーズを担当していましたが、次回からは他のM1や博士課程の方々が担当します。その方々がどのように山内研と出会ったのか、私自身も気になっています。次回以降もどうぞお楽しみにしていてください。以上長文・拙文で失礼いたしました。
【梶浦美咲】