2012.09.04
8月26日の深夜にTBSの文化系トークラジオ Life に参加させていただきました。
パーソナリティの鈴木謙介さんをはじめ、出演者やスタッフのみなさまに暖かく迎えていただき、朝まで楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
深夜ラジオに慣れておらず、言いたいことが十分伝わったかどうか不安もありますので、番組をきっかけに考えたことをまとめておきたいと思います。
この日は「"楽しくやろう"というけれど...」というテーマでした。仕事や勉強などで「楽しもうよ」といわれることが増えたけど、楽しめない人はどうしたらよいのか、また、楽しむことを強制するのはどうなのか、といった設定だったと思います。
このテーマを考える際には、「楽しむ」という日本語が多義的であることに注意が必要です。辞書には (1) 充実感を持って心が高揚している状態 (2) 物質的に恵まれて楽である状態が記載されています。例えばやりがいを感じる仕事に集中している状況は前者であり、気の置けない仲間と飲んでいる状況は後者だと思われます。
番組中でも紹介しましたが、(1)の「楽しさ」については、M.チクセントミハイが研究しています。
フロー体験入門―楽しみと創造の心理学
チクセントミハイはスポーツや仕事などで、時間を忘れるほど集中して楽しんでいる状況を「フロー体験」と名付け、その条件を探りました。その結果、内発的に動機付けられている状況(お金などの報酬ではなくその活動自体に魅力を感じている)で、自分が持っているスキルと課題の制約がつりあっているときにフロー状態が起きることを明らかにしています。このような状態をHardFun(苦しいけれど楽しいーくるたのしい)と呼ぶこともあります。
このように、仕事や勉強に自分なりの楽しさを見つけ、その結果パフォーマンスがあがることに対しては番組中でも大きな異論はなかったように思います。またゲーミフィケーションのような手法は、課題を明確化し、スキルとつりあわせるためには有効でしょう。
問題になるのは、(2)の楽しさを報酬とし、外発的動機付けとして利用しようとする場合です。例えば、企業が仕事を押し付けようとしている場合に、飲み会などで共同体意識を醸成し「みんなのためだから」という理由でつらい仕事を楽しめといわれるといった話がでました。楽しさを悪用することに問題があることは明らかですが、私自身はもう少し根が深い問題なのではないかと考えています。仕事を押し付けようという「悪意」が明らかであればまだ抵抗しやすいのですが、もとが「善意」なので事態が複雑になっているのではないかと思うのです。
番組中で佐藤淑子さんの「日本の子どもと自尊心―自己主張をどう育むか (中公新書)」を紹介しましたが、この本の中には、アメリカ人の達成動機と親和動機が負の相関関係にあるのに対し、日本人は正の相関を持つという研究が紹介されています。つまり、日本人は人間関係に配慮し「先生やお母さんのため」に勉強する傾向があるということです。仕事についても同様に「みんなのために仕事をする」ことが「仕事そのものの達成」より優先してしまうことがおきがちです。
他者のために役に立ちたいという欲求は自然なものであり、そのこと自体に問題があるわけではありません。「あの人のようになりたい、だからあの人のために何かしたい」というロールモデルからの動機は、外発的動機付けと内発的動機付けを橋渡しする役割を果たしています。しかし、それが文化的規範となり、欲していない人に対して抑圧的に機能しているとしたら問題です。
ただ、この規範がもともと善意に発していることを知っているからこそ、多くの人はそれを裏切ったら文化的コードを守らなかった罰として「いじめ」にあうかもしれないことを恐れているのではないでしょうか。だから本当は(2)の意味でも楽しくないのに無理につきあっているのではないでしょうか。
さて、もう一つの問題は、本当は楽しみたいと思っているのに楽しめないという問題です。自分で楽しいことを見つけて変わっていける人たちをまぶしく眺め、でも自分はそうはなれないと悩んでいる人もいるのではないかと思います。
この問題に対しては、前述の佐藤さんの本にもとりあげられている日本人のセルフエスティーム(自尊心)の低さが関係していると考えています。国際比較調査によって、日本人は欧米や中国・韓国に比べ、自分を肯定し有能であると考える子どもが少ないことが明らかになっています。ただし、潜在意識レベルの自尊心を測定すると高い人もいることから、小学生の間に「謙遜の美徳」が内面化した結果、楽しむことを自ら抑圧するようになっている可能性があります。
これらの問題に対してどのような処方箋がありうるのかについては、番組で十分にお話しすることができませんでした。ここでは以下の5点をあげておきたいと思います。
1)「楽しもう」と言わない
「楽しもう」という人に悪気はないのかもしれませんが、押し付けられていると感じた瞬間楽しめなくなる人もいます。「楽しむ」かどうかはその人の自由であり、操作できることではありません。結果として楽しんでもらえるよう努力するのはよいと思いますが、楽しんだかどうかはその人の言葉や表情から判断する方がお互いに幸せになれると思います。
2)多様性を認める組織文化
何を楽しいと感じるのかは人によって差があります。自分なりの楽しさを見つけることを許容することを組織文化の基本にすると構成員の居心地がよくなります。構成員が自発的に楽しいと感じていることを伸ばせるよう管理職が配慮すると組織が活性化します。
3)内気な人を大事にする
楽しむことは義務ではありません。また、楽しいことを表現しなければならないという決まり事もありません。内気な人は往々にして楽しんでいないように見えますが、その繊細な心の動きによって大きな仕事をなしとげることもあります。反応がないように見えたとしても、「のりがわるい」と責めることはやめましょう。
4)成長マインドセット
楽しめない人の中には「自分は変われない」と思いこんでいる場合もあります。C.デュエックという研究者はこのような考え方を固定マインドセットと名付けましたが、今は楽しめなくてもいつか楽しめるように「自分は変われる」(成長マインドセット)と考えるようにすると何かきっかけが見えてくるかもしれません。
5)楽しさに対する批判的思考
楽しさは感情を表す言葉であるため、論理的に考えることはしばしば嫌われます。(楽しいんだからいいじゃないか!)しかし、どう楽しむか、その楽しみ方でよいのかについて深く考えることは、より多くの人と楽しみを共有するために役に立ちます。
チクセントミハイはフロー状況にあることと、その活動が社会的に妥当であることは必ずしも一致しないと述べています。人は残虐な行為に楽しさを覚える場合もあります。その時は楽しくてもあとで一生を台無しにすることもあるでしょう。一歩引いて自分の楽しさを見つめる視点も大事だと思います。
【山内 祐平】