2012.08.04

【山内研との出会い】起・承・転・結


 こんにちは、博士課程2年生の伏木田です。5月からはじまりました【山内研との出会い】シリーズも第10回目。毎晩、オリンピックの試合にくぎ付けになりながら、何を書こうかなと考えていました。
 わたしが山内研を知ったのは、大学4年生の6月だったと思います。きっかけは、尊敬する友人が山内研に在籍されていたこと。大学3年生の終わり頃から、自分がのびのびと学ぶことができる大学院を探していたわたしは、"たまたま"その友人の名前をどこかのHPで見つけ、たどってみたら"たまたま"山内研にたどり着きました。その瞬間、頭の中で光が"ぱんっ"と弾けたように感じたのを覚えています。


■ 起 ■

 少し話はさかのぼりますが、大学に入る前、わたしは音楽療法士になりたいと思っていました。けれども、音楽大学に入る道ではなく、いろいろなことを広く学べる総合大学を選んだときに、その夢はお蔵入りしました。
 趣味として音楽を続ける代わりに、とりこになったのは、「人のこころ」に関わる学問全般でした。幸運なことに、大学1年生から卒業するまでの間、興味のある授業を自由にとることができる環境にいたので、ほんとうにいろいろな学問に触れました。その中で、認知心理学、教育心理学、社会心理学にはじまり、認知行動科学、神経科学、精神保健学にいたるまで、「人のこころ」に関わる学問に魅了され続けました。

■ 承 ■

 人が好きで、人とかかわり続けられる仕事がしたいと思っていたので、心理カウンセラーや臨床心理士という職業に強く惹かれていました。その一方で、専門性を極める前に、どこに行ってもつぶしが効く力を身につけおきたいという気持ちがありました。また、大学に入ってすぐの頃から、「大学院に行くんだ!」となぜか強く思っていたわたしは、大学院で何か新しいことを始めたいと思ったときに、どんな領域でも役に立つ基礎力がどうしてもほしかったのです。  
 そこで、いろいろな先輩に相談をして、大学3年生のときに(認知)心理学の専攻に進みました。そこでは、どうすれば未知の現象を研究によって明らかにできるのかという基礎的な手続きを、過酷な実験演習の中で学ぶことができました。今思えば、そこでの経験が、「研究は楽しい」という気持ちを芽吹かせてくれたように思います。

■ 転 ■

 そして大学3年生の終わり頃、こう思いました。「ここでの研究や勉強はとても楽しい。でも、やっぱり、人とかかわっているという実感を、研究の中で感じたい。誰かの役に立ちたいとい気持ちが形になるところで、研究がしたい」と。
 そこで、もう1度、いろいろな学科・研究科を片っ端から探しはじめました。そして、どこに行けば自分の望みが叶うのか、頭を悩ましているときにみつけたのが、友人の名前と山内研の存在でした。情報学環の教育部にも在籍していましたが、なぜか、山内先生を知らずに過ごしていたわたしにとって、学際情報学府で教育学にかかわれるというのは、ほんとうに衝撃でした。
 そこで何ができるのか、そこでわたしは何ができるのか、不安もたくさんありました。けれども、「入ったところで頑張ればいいじゃない」という母の言葉に、背中を押してもらいました。教育実習と卒業研究で頭がいっぱいの中、自分がそれまでやってきたことと、これからやってみたいことの橋渡しを考えながら、研究計画書を書いたことを覚えています。
 そして、今、山内研での生活は4年目を迎えています。

■ 結 ■

 大きな夢をしっかりと描いて入ったわけではなかったので、入ってからは、戸惑うこととがたくさんありました。自分が向いていないと思うことも、数えきれないほどありました。いつも目の前にあることだけを見つめているので、もう少し先を見越していたら、違う道を歩んでいたかもしれません。それでも今こうして、たくさんの人に助けていただく中で、人と人とがかかわりながら学ぶ環境を研究できていることに、しあわせを感じています。
 大学院での日々も、残りの日数を数えはじめるようになりました。ここを出たら何ができるのか、ここでの経験はどこに還していけるのか、頭を悩ます日々が始まりそうです。


伏木田 稚子

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