2019.03.06
修士課程1年の江﨑文武です。
2017年から1年半、大学院を休学して音楽活動に専念していたのですが、復学しました。
休学前は、音楽活動と並行して、教育系のベンチャー企業で幼児の言語習得を支援するアプリケーションの開発に携わっていました。その関係で、子どもの言語習得過程を様々なアプローチで解明しようと試みた研究や、遊びのデザインやデバイスの開発を通して言語習得を支援しようとした先行研究をレビューし、アプリケーションを改良していきたいと思っていたのですが...!
休学中、音楽業界にどっぷり浸かる生活を送る中で、1つの疑問にぶつかりました。
美術も音楽も、どちらも学校で教わる科目で、「表現」が軸にあるが、ほとんどの人が自分の絵を描いて表現したことがあるのに対し、自分の音楽を作って表現したことがある人はほとんどいない......なぜだろう?
どうしても、音楽表現をすることは障壁が高いと思われがちです。
楽器が弾けないと、音楽表現は出来ないのではないか?まず楽譜が読めないとダメなのではないか?実際、小学校で習ったリコーダーがうまく吹けなくて、幼稚園で習っていたピアノが難しくて、音楽に苦手意識を持った人も少なくないのではないでしょうか。
実は、音楽表現にこれらの技術は必ずしも必要ではありません。プロのミュージシャンには、楽器も弾けなければ楽譜も読めない人がたくさん存在するのです。
だったら、もっと気軽に音に触れて楽しむ仕組みをつくることは出来ないだろうか?
テクノロジーの発達によって、今やいつでもどこでも簡単に音を録音し人に共有出来る仕組みが整っているのですから、幼児や保護者(保育者)が、従来の音楽観に囚われることなくのびのびと音楽表現を行うことは不可能ではないはずです。
以上のことから、昨秋の復学以降、幼児の音楽表現活動を支援するデジタルアプリケーションの開発に向けて準備を進めています。
幼稚園教育要領に領域「表現」が示されたことによって、保育の現場では様々な音楽表現活動が試されています。自分のオリジナル楽器を作る活動や、周囲を取り巻く環境音を自分なりの楽譜(絵画)として保存する活動はその一例ですが、私の研究では「トライ&エラーの容易化」「他者への共有の容易化」といったデジタルの強みを活かし、幼児の主体的な音楽表現、音楽的共同・共創を促したいと考えています。
具体的には、幼児が周囲の「おもしろい」音をタブレット端末で録音し、それらをアプリケーション上で打楽器的に操作・演奏出来るような形に落とし込んであげることで、音の加工 / 他者との共演が可能な状態を作り出そうと考えています。(ヒップホップで用いられているMPCなどのサンプラーは、まさにこの仕組みからなるデバイスですね。)
私は、音楽表現能力の発達には「“音”に気づくこと」「数を試すこと」「人と影響しあうこと」が不可欠だと仮説しています。デジタルアプリケーションを通じたアクティビティはその性質上、これらの要素と最も相性がいいのではないでしょうか。
『幼児の「歌をつくる」活動を支える環境 (長尾 2017)』では、昭和40年代に園児の「つぶやき歌」を採譜し、伴奏をつけてあげることで「歌をつくる活動」へと発展させ、それを他の園児に共有することで、更なる「創作」を促した実践が紹介されています。当時は「音を容易に記録・保存できない」ことが障壁の1つとして掲げられていましたが、今となってはもはやその障壁はありません。
デジタルデバイスに囲まれて幼少期を過ごすことは時に批判されることもありますが、幼少期の音楽体験を大きく変える可能性もあります。ことに学校教育において「技術習得的なもの」だと思われがちな音楽が、「表現活動」として本質的に正しく捉えられるために。その大切な1歩目を担っている保育の現場に、この研究を通して貢献することが出来れば嬉しいです。
【江﨑文武】
2019.02.10
D3の池田です。私の研究テーマは、「大学での正課外活動におけるキャリアレジリエンスの獲得に関する調査」です。
ひらたく言うと、「環境の変化に適応し、ネガティブな仕事状況に対処する個人の能力」であるキャリアレジリエンスを部活やサークルといった、課外活動の中で学生はいかにして身につけているのかといった研究をしています。
「キャリアが思うようにいかない」だとか「うまくいかないことばかりで仕事が辛い」といった声をよく耳にしますが、人生の岐路とも言える「キャリア選択」や、日々の生活において長い時間を占める「仕事」やにおいて、こうした感情を抱き続けるのは辛いことだと思います。また、昨今は大学から社会へと移行する前に、辛くても前を向き回復する力を獲得することの重要性が指摘されます。
そこで、「環境の変化に適応し、ネガティブな仕事状況に対処する個人の能力」や「キャリア形成を脅かすリスクに直面した時、それに対処してキャリア形成を促す働きをする心理特性(児玉2015)」と定義されるキャリアレジリエンスという概念に注目をしました。
キャリアレジリエンスの具体的な要素については諸説ありますが、例えば児玉(2017)は以下の5つを構成要素としてあげています。
(1)問題対応力:環境の変化に適応できる力や困ったときふさぎ込まないで次の手を考える力
(2)ソーシャルスキル:社交性、他の人と共感的に関わりあう力
(3)新規多様性:新しいことや珍しいことが好きな姿勢、いろいろなことにチャレンジするのを好む
(4)未来志向:自分の将来に希望を持てる
(5)援助志向:思いやりを持って他人に接する
レジリエンスには、遺伝による影響が強いもの(特性)と、獲得しやすいもの(能力)があります(平野2010、2015)。そのため、課外活動を通じて、自分のもともと持った特性に気づいたのか、獲得されたのかと言う部分については議論の余地がありますが、例えば、「想定外の出来事に対処する経験」や「克服するのが難しいと感じていた課題をクリアすることを通じて、学生は先の問題対応力を身につけていることが確認されています(IKEDA et al. 2018)。
博士課程では、先に紹介した研究のほかにも、教員が関わるような課外活動において、教員がどのような支援をすることが学生のキャリアレジリエンスの獲得実感につながるのかに関する検討なども行ってきました。段々と研究が形になってきたので、これらの研究を博士論文にまとめることが今後の課題となるかと思います。少しでも誰かの役に立つ研究をできるよう頑張っていきたいな..と思います。
池田
2018.12.07
はじめまして、D3の田中聡です。
私は「新規事業創出経験を通じた中堅管理職の学習」について研究をしてます。
「○○社、△△サービスを開発」「○○社、△△事業に参入」など、連日のように新規事業の話題が各種メディアで取り上げられ、私たちの日常生活において「新規事業」という言葉を目にしない日はないと言っても過言ではないほど新規事業に対する社会的な関心が高まっています。
また、最近では経営人材を育成するという目的の下、既存事業で活躍していた中堅管理職を新規事業に配置する取り組みが大手企業を中心に広がっています。新規事業が中堅管理職の学習を促す重要な経験であることは人材育成の研究でも実証されており、有用な取り組みと言えるでしょう。しかし、その一方で、異動した中堅管理職が新規事業を通じて何を学んでいるのか、またその学びを促す要因とは何か、といった学習の具体的な内容については十分に学術的知見が蓄積されているわけではありません。
実際、新規事業の現場でも、新規事業を通じた中堅管理職の学習が考慮されているとは言い難く、事業の業績面に偏った人事評価が行われがちです。収益性や成長性の面で不確実性の高い新規事業において業績評価に偏った人事評価をするということは、経営人材の育成という本来の目的に沿わないだけでなく、将来の経営幹部候補である中堅管理職の意欲を減退させ、最悪の場合には社外への流出という問題を引き起こしてしまう可能性を孕んでいます。
このような背景と問題意識から、私は研究を通じて、新規事業を創る過程で大企業の中堅管理職が誰からどのような支援を受けながら、何をどのように学んでいるのか、という学びの全体像を明らかにし、経営人材の育成に資する実践的な知見を創出したいと考えています。
そのために、まず修士課程では、大企業で新規事業部門に所属する中堅管理職15名を対象に、新規事業創出経験を通じて何をどのように学んでいるのかについて定性調査を行いました。その結果、①他責思考の強化、②働く理由の探索、③事業価値の探索、④鳥瞰的視点での現状認識、⑤自責思考の獲得、⑥フォロワーマインドの批判的省察、⑦自己本位思考の批判的省察、⑧リーダーマインドの獲得、⑨他者本位思考の獲得、⑩経営者視点の獲得、という10のフェーズがあることが明らかになりました(ご興味がある方はこちらをご参照ください)
また、複数の調査対象者の語りから、学習プロセスを促進する要因として上司や経営層からの支援の重要性が示唆されました。例えば、④鳥瞰的視点での現状認識を促す要因には、上司からのリフレクションを促す支援が影響していることなどです。しかし、修士課程の研究では、学習プロセスを促進する環境要因について必ずしも十分なデータを得ることができなかったため、博士課程では新規事業創出経験を通じた学習プロセスを促進する環境要因を明らかにすることを目的とした実証的研究を行うことにしました。(博士課程での研究については別のブログでご紹介します)
現在は修士課程の研究と博士課程の研究知見を統合し、博士論文として一枚の大きな絵を描いているところです。まだ解を見出せているわけではなく暗中模索な日々を送っていますが、近い将来、現場で働く多くの方々のお役に立てるような意味のある知見をおかえしできるよう頑張ります!
2018.11.30
D2の平野です。私の研究テーマは、「美術鑑賞における協調学習のデザインに関する研究」になります。現在、対話型鑑賞のファシリテーションにおける情報提供について今年初頭にデータ取得を終えて分析を進めています。9月の教育工学会で研究発表を行い、そこでの意見も踏まえて投稿論文を作成しているところです。今回は、そもそも何のために美術鑑賞をするのか、という点から考えてみたいと思います。
学習指導要領の改訂をきっかけに、アクティブ・ラーニングの一環として美術館や大学・NPOと連携して授業内外で対話型鑑賞を取り入れる学校が増えています。所沢市立三ヶ島中学校では、校長先生のリーダーシップのもと、学校を挙げて「朝読書」ならぬ「朝鑑賞」に取り組まれています(前屋2017)。最近では『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?』(山口2017)などの本も出版され、大人の美術鑑賞も脚光を浴びつつあります。私もビジネスパーソン向け講座を担当させていただいたことがありますし、研究フィールドとして関わらせていただいている京都造形芸術大学アート・コミュニケーション研究センターでも、数多くの企業研修を行われています。
アートは仕事や学習の役に立つのでしょうか。私は、先行研究からも、アートの定義からも、現状NOと答えざるを得ません。
OECD教育研究革新センター(2016)『アートの教育学』では、アート(音楽・美術・演劇・ダンス等)に関する教育実践が汎用的な能力向上に寄与するかどうかを、膨大な研究レビューをもとに検討されています。まず、こうした研究が行われてきたのは、学校教育の中でも周縁的な位置づけにあるアートという領域が、自身の存在意義を主張する際に、アート教育は他教科にも通じる汎用的な能力向上に寄与するのだ(だから必要である)という議論を展開したかったためでしょう。しかし、書籍の結論として述べられているのは、美術鑑賞教育が批判的思考力に転移した等の報告(Housen 2002)が一部あるものの、総体として、アート教育が汎用的な能力向上に結びついたエビデンスは(まだ)存在しない、というものです。
美学事典によると、アート=芸術とは、「予め定まった特定の目的に鎖されることなく,技術的な困難を克服し常に現状を超え出てゆこうとする精神の冒険性に根ざし,美的コミュニケーションを指向する活動」であるといいます(佐々木1995)。つまり、アートの意味とは作品そのものではなくそれを媒介とするコミュニケーションにあり、既存の価値観や枠組みに疑問を呈するものであると言えます。もちろん、「地域アート」(藤田2016)あるいはソーシャリーエンゲージドアートと呼ばれる動向は、地域のにぎわい創出や関係人口増加にアートが寄与することを示しており、北川フラム氏を総合ディレクターとする大地の芸術祭や瀬戸内国際芸術祭は、その成功例として国際的にも認知度の高いプロジェクトとなっています。しかし、アートはそもそも何かの役に立つためにあるものでしょうか?
私は、学習という視点から「役に立つ」を超えた美術鑑賞の意味を問うていきたいと思います。芸術の定義からも、アートは仕事や学習といった特定の目的のために存在するものではありません(cf: インフォーマル学習)。アートがそれをみる鑑賞者やコミュニティに対してリフレクションを迫ることもあり、それはしばしば痛みを伴うものでもあります(cf: 変容学習)。美術鑑賞を通じてまだ世の中にないアイデアが生まれることもあるでしょう(cf: 知識構築)。
「アートは役に立つ」という語り方自体が、「役に立つアートがよい」、という前提に基づいており、そうでないアートを排除する考え方に囚われていると言えるかもしれません。
2018.11.22
今週のブログを担当させて頂きます、D5の佐藤朝美です。
博論では、「ナラティブ・物語」産出への足場かけを研究テーマとしています。やまだ(2006)は「ナラティブ・物語」を「経験を有機的に組織したり、意味づける行為」、 編集し、構成し、秩序づけ、意味づけすることにより成立すると説明しています。「ナラティブ」は物語とも訳されていますが、幼児の研究では特に自伝的想起を指す場合もあれば、一般的な物語を指すこともあります。自伝的想起の主語が自分であることに対し、「物語」は登場人物が主語となり、第三者的に描写を語っていく必要があります。
発達的に見ると、「自分語り」より、「登場人物を主語とした語り」の方が少しハードルが高いのですが、空想・イマジネーションの入ることにより、楽しさが増すからかもしれません。幼児期には、絵本の続きを話したり、絵を描きなから物語を語り始める姿が多く見られます。
そして、想像的な世界を作り出す楽しさに加え、文章を産出する点に着目すると、自分の頭の中で描いた世界を言葉にしていく活動は、発達的にとても重要な活動であることが分かります。私の博論のテーマは、幼児を対象にこの物語産出部分をどのように足場かけできるか、物語を表現する媒体や聞き手の親も含め学習環境デザインの原則を明らかにすることです。
ヴィゴツキーは、言語の発達を「外言」や「内言」という用語で説明しています。
乳児期には、思ったこと、感じたこと等を誰となく外に向かって独り言のように発話する(外言)の段階があります。それらが、自分の頭の中で考えられるようになり(内言)、言葉が私達の思考の道具になっていくというのです。
さらにヴィゴツキーは、「内言」の構造について触れています。「内言」は、話し言葉とは別の構造の上に構築された、速記録的なもので、非文法的、電報の文体にも似た言葉だと述べています。子どもが「書く作業」に困難さを感じるのは、最大限に圧縮された「内言」を最大限に展開されたことば「書き言葉」に翻訳するという課題があるからだと説明しています。
その状態を物語産出に照らした場合、頭の中に浮かんでくる物語も、モヤッとして、構造化されていない状態と言えます。決して理路整然と文章が浮かんでいるのではありません。それらの表象を聞き手に理解してもらえるように紡ぎ出すという課題があります。そして、聞き手の役割も重要で、子どもの頭の中に描いている物語を(間主観的に)想像・共有しながら、語り手が本当に語りたい内容を適切に述べられる言葉かけをすることが求められます。
さらに、頭の中に豊かな物語世界を広げられるよう足場かけすることも重要な点と考えます。絵本の絵や自分で描写した絵から、子どもは刺激され、語りが生まれます。この点にデジタルメディアの特性を適用することで、大きな可能性が生まれると考えます。博論では、開発研究を実践し、物語行為を足場かけする学習環境デザインを検討し、そんなこんなで、現在いよいよ最終章をまとめる段階に入っています。
博論執筆は完了しないままですが、未だ「物語・ナラティブ」に魅せられ、現在進行形で研究を続けてます。そして・・・対象やアプローチは異なるものの、「物語・ナラティブ研究」に魅せられた研究者にもまた魅せられることが分かりました。語りを引き出し、形にしていくこと、モヤモヤしたものを1つの物語として作り上げること、他者がやるのも自分がやるのも楽しく達成感を感じる活動です。今後もこの研究テーマを大切にしていきたいと思います。
ヴィゴツキー(柴田義松訳)(2001)『新訳版 思考と言語』新読書社
ヴィゴツキー(土井捷三, 神谷栄司訳)(2003)『「発達の最近接領域」の理論』三学出版
やまだ ようこ (2006)『人生を記録すること・物語ること』システム/制御/情報 50(1), pp.33-37
■過去の研究計画
・2017年研究計画
・2016年研究計画
・2015年研究計画
(2008年研究計画)
【佐藤朝美】
2018.11.05
こんにちは!本実践真っ最中の修士2年、花嶋陽です。
自分の研究テーマは、「文字式の数量表現ができない子をどのようにできるようにするか」です。
文字式の数量表現というのは例えば下記のようなものです。
① ある数nの3倍より5小さい数はいくつか?(誤答率:22.6%)
② 赤色のテープの長さは 2b cmで、青色のテープは赤色のテープ より 3 cm長い。青色のテープの長さは何cmか?(誤答率:28.9%)
実際に、今年の6月に中学3年生350名程に行なった文字式のつまづき調査テストでは、2~3割程度が上記のような基礎的な文字式による数量表現問題ができないことが明らかになりました。(上の誤答率はその時のもの)
実際にどのような間違いが多いかというと、例えば①では、答えを3n-5としなければならないところを、-2nや2nとしてしまっていたり、②では2b+3としなければならないところを5bや5などとしてしまうものが、誤答のうち3~5割ほどになっています。また、そもそも無答の比率も高くなっています。
ここからわかるのは、「文字式を『一つの数』と見ることができない(計算の式としてしか見れない)」ということです。
つまり、「答えに+が残っていると計算の途中だと思う」や「『いくつか?』と数を聞かれた時に、文字式を答えられない」などといったことは、このことを要因としています。
これは、先行研究の中でも本質的な要因として指摘されており、”Process-Product dilemma”や”Process-Object duality”と呼ばれていて、
数学的概念には、手続き的な見方と、対象物としての見方の二面性があり、その両方を柔軟に切り替えてみれるようになる事が重要と言われています。
この対象物としての見方が、文字式でいうと、「一つの数」としてみるという事で、本研究ではこれを達成する支援をすることによって、文字式の数量表現をできるようにしようと考えています。
その「手続き的な見方と、対象物としての見方の二面性があり、その両方を柔軟に切り替えてみれるようになる」に至る発達段階を示したのが、D.Tallのプロセプト理論で、彼は、手続き的な見方から、異なる手続きの同値性を認識する事で、対象物としての見方を獲得し、両者を柔軟に切り替えて見える事ができるようになる事を述べています。
今回は、このプロセプト理論に依拠し、その発達段階に応じた支援をゲームに埋め込んでいます。
ゲームの具体的な内容は、以下のリンクから確認して頂ければと思います。
https://drive.google.com/file/d/1qh-eh_LcJTa8sbfaq8KKjuAVq9e8DJYD/view?usp=sharing
ゲームは以下のリンクからダウンロードできるので、みていただけたら幸いです。(iosのみ対応です)
https://testflight.apple.com/join/RokdrwM0
現在、本研究の実践にご協力いただける先生を探しています!もし、ご興味がありましたら、yohanashima@gmail.comまでご連絡頂ければと思います!
【修士2年 花嶋陽】
2018.10.26
博士課程2年の杉山昂平です.これまで「興味を深める趣味縁生態系の解明」というタイトルのもと,どんな人間関係が趣味が面白くするのか?ということを研究しています.修士過程ではアマチュアオーケストラ団員の方々にインタビューし,楽団という「つよいつながり」の影響を分析してきました(→こちらで論文が読めます).そして現在は,SNSを活用するアマチュア写真家の方々にインタビューしながら,「ゆるやかなつながり」がいかに写真活動を面白くしているのかを分析しています.まだ詳細はご報告できませんが,そろそろ分析結果をまとめていきたいと思っています.
趣味は「興味に駆動された学習」
そもそもなぜ山内研で趣味を研究するのでしょうか.教育工学や学習環境デザインという分野に,一見すると「趣味」は関係がなさそうに思えるもしれません.ところが最近の教育・学習の分野では,趣味を対象にする研究者が私に限らず増えてきているのです.なぜでしょうか.キーワードは「興味に駆動された学習」です.
趣味は「シリアスレジャー」と呼ばれることもあるように,真剣かつ大変専門的な知識・スキルを活用した遊びです.例えばアマチュア写真家の方々は,一眼レフカメラやレンズに関する技術的知識をもち,実際に美しい写真を撮影するスキルを持ち合わせています.たとえプロではないとしても,写真を趣味にしていない人からすれば大変高度なものです.いきなり「5年写真をやっているアマチュア写真家の人と同じレベルの写真を撮れ」と言われても,たぶん無理でしょう.どんな被写体に目をつけて,構図に気を配って撮影するのか.撮影したあと,Photoshopなどを使いどのように色味を調整するのか.とてもじゃないですが,「誰にでもできる」とは言えません(→Instagramのハッシュタグ #reco_ig に投稿された写真を見てみてください).そこには専門性があるのです.
そして,趣味人が専門的な知識・スキルを持っているということは,彼らはどこかでそれを「学習」したはずです.おそらく趣味をやりながら.医者や弁護士になる場合は,まず大学で勉強し資格を取ってから,実際の医療活動や弁護活動を始めます.趣味ではその必要はありません.やりたくなったら,まず活動すれば良いのです.そして,やりながら学ぶ.アマチュア写真家の方々も,趣味として写真を撮りながら自主的にカメラの操作方法を本で勉強したり,これまでの写真の歴史を調べたりしています.
重要なのは,「趣味人はいやいや学んでいるわけではない」ということです.むしろ,好きなこと,面白いことに導かれて自主的に学んでいる.このことを「興味に駆動された学習」と言います.学習者が「面白いから自分でどんどん学んでいく」という姿は,学校の先生からすれば見たくてたまらない光景でしょう.それが趣味では自然と起こっているのです.
どうしたら自主的に学んでいくような「面白さ」は実現できるのだろう?どうやったら「興味」はサポートできるのだろう?こうした疑問が「趣味」をモデルにすることで解決できるかもしれません.だからこそ,趣味は教育・学習の研究者にとって興味深い対象なのです(→科学教育の分野でアマチュア科学者を研究されている木村優里さんの研究もぜひご覧ください.日本科学教育学会2018年度奨励賞を受賞された論文です).
私が研究で「趣味縁」に着目しているのは,まさに趣味を通した人間関係こそが,趣味を面白くする重要なファクターだと仮説しているからです.昔から「同好の士」という言葉があるように,趣味を同じくする人々はサークルをつくったり,SNS上でフォローしたり,様々なつながりをつくってきました(→『美と礼節の絆』という本には,俳諧などを事例に江戸時代までの日本の趣味縁の歴史が豊かに描かれています).お互いの作品を見せ合ったり,新しい情報を交換したり,趣味縁を通して趣味が面白くなっていくことはかなりありそうです.では,どんなときに,どんな風にして趣味縁は機能するのか?これが「興味を深める趣味縁生態系の解明」というタイトルで,私が研究していることです.
最近は学部生に授業させてもらう機会も増えましたが,「自分にとって面白いものに打ち込んでいる時こそ人間の知性は最も発揮される」とよく話しています.趣味はそんな存在じゃないでしょうか.
2018.10.07
こんにちは。かなりご無沙汰してしまいました。。
M1の松尾です。早いもので、山内研に入ってから約半年が経とうとしています。
私の研究テーマは「メタ認知を活かした学習支援」です。メタ認知とは「認知を認知すること」であり、例えば初対面の人と話すときに緊張のあまり早口になってしまう人が「緊張している」と感じるのは認知ですが、「今、緊張によりいつもより早口で喋っているな」と感じるのはメタ認知です。このメタ認知が上手に働くようになると、客観的に物事を捉えられるようになり、特に学習では「分かること・分からないこと」が分かるようになるので、メタ認知能力が高い子どもは学習成績も良いとされています。ですが、学習の中でメタ認知を働かせることはなかなか難しいため、メタ認知研究の中では学習活動を「計画」・「遂行」・「修正」の3段階に分け、それらの中でメタ認知をモニタリングし、上手にコントロールするための支援が様々にされています。
日本では、数学や理科など問題解決型の教科教育の中でのメタ認知研究が多いですが、私は教科学習のようなフォーマルな学習よりもインフォーマルな学びでのメタ認知に興味があるため、今後はProgram Based Learning(PBL)などでのメタ認知の育成に着目し、そのためのプログラム開発を行っていけたらと思っています。
メタ認知は非常に汎用性のある、人間にとって大事な認知ですが、そもそも非常に曖昧な概念であり、その育成や測定方法などは確立していません。実は私は、昨年度まで別の大学院にて教育心理学の分野内でメタ認知研究をしており、今回は2度目の修士課程となります。メタ認知のような発展途上なテーマについて実践的に研究していくには、学際的な分野が適しているのではないかと思い今に至ります。秋も深まり、そろそろResearch Question(RQ)を立てる時期も迫りつつあるので、今後も頑張っていきたいと思います。
【松尾奈奈】
2018.07.15
こんにちは。今年4月に入学した社会人学生、M1の谷口恵子です。出版社でビジネス書や語学書の編集をしながら、英語学習コーチとして社会人向けに英語学習のサポートもしております。
私が山内先生の研究室で学習環境デザインについて学びたいと思ったきっかけは、主に2つあります。一つが、自分自身の社会人経験や、英語学習コーチとしての経験から生まれた「なぜ学びに対して消極的な人と積極的な人がいるのだろう?」「なぜ自分で学べる人と、人から教えられないと学べない人がいるのだろう?」という疑問です。社会に出てみるとわかりますが、学校教育が終わった後こそ、自ら学び続ける力が必要です。そして、何を学ぶのかを考えて選ぶ力も必要です。しかし、その力を持っている人と、そうでない人がいます。そして大人になってからその力を新たに身に付けることは、不可能ではありませんが、とても大変です。こうした学びに対する態度や能力形成の端緒はどこにあるのだろうか、それを教育によって向上させるにはどうしたらいいのだろうか。そんな疑問が出発点の一つでした。
そしてもう一つが、どんどん変化のスピードが増していくこの時代を生きる子どもの将来を考えたときに、自分の頭で考えて、自分の好きなことを見つけて、楽しく生きていく力を身に付けて欲しいと思ったことです。それはもちろん我が子だけでなく、これからを生きていくすべての子どもたちにそうあって欲しいと思っています。そのために必要な教育というのは、生徒が受け身になってしまいがちな一斉教育ではなく、自律的な学習の力を伸ばせる「自分で考えて選び進める形の学習」なのではないのだろうか、というところから、Personalized Learning という学習形態に注目し始めました。
Personalized Learning はアカデミックというよりも実践現場、特にアメリカを中心にここ数年バズワードのようになっている言葉です。定義も使っている団体によって様々ですが、たとえばUNESCOのIBE(International Bereau of Education:国際教育局)という機関が出している "Personalized Learning" というペーパーによると、以下のような定義になっています。
"Personalized learning is teaching and learning that is focused on the background, needs, potential and perception of the learner. It is learner-centred education."
つまり、個々の学習者のさまざまな違いや個性に応じた、学習者中心の学び方が Personalized Learning です。近年ではICTの進歩により、効果的にPersonalized Learning が進められるようになってきたのでは、ということで、特にアメリカのIT企業や、Philanthropists、教育関係者の注目を集めているのです。
私自身の興味関心に戻ると、ICTを使いこなす力も、生きていく力として非常に重要で役立つという実感があることと、ICTを活用することで効率的に学習が進められたりデータの管理がしやすくなったりするという利便性も活かしたいと考えているため、研究テーマは、ICTを活用した Personalized Learning に設定しています。ただ同時に、英語学習コーチとして人の学習のサポートをしてきた経験からは、ICTだけでは実現できない学習サポートの役割も指導者には求められると思っており、学習内容を教えること以外の指導者の役割にも注目しています。
入学して早くも4ヶ月目、ゼミでの研究発表も3回させていただきましたが、興味関心がまだ収束していないどころか、先行研究のレビューを進めるほどに興味関心がむしろ拡散していくような気すらしています。社会人で育児中でもあるため、目まぐるしい日々を送っていますが、それでも、先行研究のレビューや興味関心のある分野について調べることは本当に面白くて、なんとか時間をやりくりして、もっと研究に時間を使いたいと思っているところです。次回のブログでは、こんなふうに時間を活用できるようになりました、というご報告ができるようにがんばります!
【谷口恵子】
2018.06.26
ご無沙汰しております。2年目のM1・宮川です。
昨年の秋から半年間の休学を経て、4月より研究室に復帰いたしました。
研究テーマは昨年度に引き続き「自己調整学習」です。
自己調整学習とは、アメリカの教育心理学者Barry Zimmermanにより提唱された理論の枠組みで、「予見段階」「遂行段階」「自己内省段階」という3要素のループによって表される図が有名です。いわゆる「PDCAサイクル」といったものに近い構造になっています。
Zimmerman (1986, 1989) において自己調整学習は〔学習者がメタ認知・動機づけ・行動において自身の学習過程に能動的に関与していること〕 と定義されています。特に「メタ認知」はその中でも主要な関心事であり、自分自身の置かれた状況を一歩外側から俯瞰するといった意味合いがあります。
自己調整の対象である学習過程とは「目に見えないもの」であり、そもそも捉えることが非常に困難です。そこで、たとえば学習目標の明文化であったり、学習日誌の作成であったりといった「プロセスの可視化」が基本的な支援として考えられる方法です。
そうした自己調整学習の支援研究はアメリカを中心として盛んに行われ、理論的・実践的な知見が多く獲得されてきていますが、日本においては特に実践研究に関する蓄積はまだ多くないという状況にあるようです。
しかし、平成32年度から順次実施される日本の学習指導要領において「主体的・対話的で深い学び」が目標として設定されていることからも、自らの学習のプロセスへの積極的な関与を促す自己調整学習という分野は、今後その役割を大きく広げていくことが期待されています。
さて、冒頭で述べましたZimmermanによる定義からも推察されるように、自己調整学習とはそれ自体が独立した研究分野であるというよりは、「学習プロセスへの主体的な関与」を軸に再構築された理論の体系である、と言えます。
そのため介入のアプローチ方法も様々ですが、私は持続的で人的コストの少ない支援方法として期待のできるICT(情報通信技術)を使用した実践に着目したいと考えています。また、介入の切り口として、「Co-regulation (共調整)」「Sense of agency (自己主体感)」「Perfectionism (完全主義)」といった、従来の介入研究においてあまり重視されてこなかった要素についても検討できないかと模索しつつ、先行研究のレビューを進めています。
私は休学中、テレビ番組の「構成」を考えるという仕事をしていました。番組における「エピソードトークの流れ」「企画の狙い」といった構成原理は、視聴者からすれば目に見えないものですが、メタな階層から番組を支える要素であると言えます。メタ認知的な頭の働かせ方というのは、勉強に限らず様々な場面で必要とされているはずです。
半年間の社会経験の中で私自身これまでとは異なる文脈を獲得し、また山内研にも多様なバックグラウンドを持つ新たなメンバーが加わりました。そうした学習環境の変化のなか、自らの研究・あるいは自分自身を再度見つめ直し、学際的な視野を保ちながら前進していければと思っています。
【宮川 輝】