2018.11.22

【私の研究テーマ】「ナラティブ・物語」産出への足場かけ

今週のブログを担当させて頂きます、D5の佐藤朝美です。

博論では、「ナラティブ・物語」産出への足場かけを研究テーマとしています。やまだ(2006)は「ナラティブ・物語」を「経験を有機的に組織したり、意味づける行為」、 編集し、構成し、秩序づけ、意味づけすることにより成立すると説明しています。「ナラティブ」は物語とも訳されていますが、幼児の研究では特に自伝的想起を指す場合もあれば、一般的な物語を指すこともあります。自伝的想起の主語が自分であることに対し、「物語」は登場人物が主語となり、第三者的に描写を語っていく必要があります。

発達的に見ると、「自分語り」より、「登場人物を主語とした語り」の方が少しハードルが高いのですが、空想・イマジネーションの入ることにより、楽しさが増すからかもしれません。幼児期には、絵本の続きを話したり、絵を描きなから物語を語り始める姿が多く見られます。

そして、想像的な世界を作り出す楽しさに加え、文章を産出する点に着目すると、自分の頭の中で描いた世界を言葉にしていく活動は、発達的にとても重要な活動であることが分かります。私の博論のテーマは、幼児を対象にこの物語産出部分をどのように足場かけできるか、物語を表現する媒体や聞き手の親も含め学習環境デザインの原則を明らかにすることです。

ヴィゴツキーは、言語の発達を「外言」や「内言」という用語で説明しています。
乳児期には、思ったこと、感じたこと等を誰となく外に向かって独り言のように発話する(外言)の段階があります。それらが、自分の頭の中で考えられるようになり(内言)、言葉が私達の思考の道具になっていくというのです。

さらにヴィゴツキーは、「内言」の構造について触れています。「内言」は、話し言葉とは別の構造の上に構築された、速記録的なもので、非文法的、電報の文体にも似た言葉だと述べています。子どもが「書く作業」に困難さを感じるのは、最大限に圧縮された「内言」を最大限に展開されたことば「書き言葉」に翻訳するという課題があるからだと説明しています。

その状態を物語産出に照らした場合、頭の中に浮かんでくる物語も、モヤッとして、構造化されていない状態と言えます。決して理路整然と文章が浮かんでいるのではありません。それらの表象を聞き手に理解してもらえるように紡ぎ出すという課題があります。そして、聞き手の役割も重要で、子どもの頭の中に描いている物語を(間主観的に)想像・共有しながら、語り手が本当に語りたい内容を適切に述べられる言葉かけをすることが求められます。

さらに、頭の中に豊かな物語世界を広げられるよう足場かけすることも重要な点と考えます。絵本の絵や自分で描写した絵から、子どもは刺激され、語りが生まれます。この点にデジタルメディアの特性を適用することで、大きな可能性が生まれると考えます。博論では、開発研究を実践し、物語行為を足場かけする学習環境デザインを検討し、そんなこんなで、現在いよいよ最終章をまとめる段階に入っています。

博論執筆は完了しないままですが、未だ「物語・ナラティブ」に魅せられ、現在進行形で研究を続けてます。そして・・・対象やアプローチは異なるものの、「物語・ナラティブ研究」に魅せられた研究者にもまた魅せられることが分かりました。語りを引き出し、形にしていくこと、モヤモヤしたものを1つの物語として作り上げること、他者がやるのも自分がやるのも楽しく達成感を感じる活動です。今後もこの研究テーマを大切にしていきたいと思います。

ヴィゴツキー(柴田義松訳)(2001)『新訳版 思考と言語』新読書社
ヴィゴツキー(土井捷三, 神谷栄司訳)(2003)『「発達の最近接領域」の理論』三学出版
やまだ ようこ (2006)『人生を記録すること・物語ること』システム/制御/情報 50(1), pp.33-37

■過去の研究計画
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2015年研究計画
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佐藤朝美

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