2009.03.30
2008年度も残りわずかになりました。研究室に旅立ちと新しい出会いが交錯する時期です。
修士2年の坂本さんがベネッセコーポレーション、牧村さんがRISA Partners、林さんが、徳島文理大学へ就職されました。2年間の経験をもとに、新しい学びを切り開いていただけることを確信しています。
4月になると、修士1年として、安斎勇樹さん、帯刀菜奈さん、程琳さん、伏木田稚子さん、外国人研究生としてブラジルから来るAdriana Shibataさんが研究室の新しいメンバーに加わります。研究室に新しい風を吹き込んでくれることを期待しています。
2009年度入試に向けた研究室訪問の希望が来はじめました。山内研究室では随時研究室訪問を受け付けています。大学院生と私がお話をうかがいますので、お気軽に contact@ylab.jpまでご連絡ください。
[山内 祐平]
2009.03.26
【私とylab、この一年】第7回は、D2の佐藤が担当いたします。
前回までに研究室の皆さんが、修士2年間の研究の流れや研究における理論と実践の葛藤、研究がある種コミュニティの結晶体であるということ、研究を継続する為にビジョンを模索していく大切さ、自身の野望と研究が成し得る事とのギャップというべきもの等々、鋭意執筆されてましたがどれも共感の連続!でした。
ゼミメンバーとはテーマや対象、研究手法も異なるのですが、研究を進めていく上で感じたり悩んだりすることは同じなんだと改めて気づきました。と同時に苦しい状況・・・博士課程に進んでも、研究を進めていく上では相も変わらず同じような悩みを抱え苦しみながら作業をしております。
ということで、新たな視点を思い付く事もできず、お恥ずかしいのですが、私事を徒然なるままに報告させて下さい。
恐らくこのブログをお読みの皆さんにとっては些細な事かもしれませんが、この1年、私はいくつかの大きなプレッシャーに押し潰されそうな日々を過ごしていました。
まず1つ目が国際会議での発表です。
お手伝いさせて頂いているプロジェクトの方からのお声がけでED-MEDIAという国際会議に挑戦することになりました。幸運にもFullPaperとしてacceptされ、海外で初めての発表を体験することになったのですが、英語のスキル不足に加え海外の学会のお作法も身につけていない私にはまさに清水の舞台から飛び降りる思いでした。
次に研究における支援原理の構築です。
修士論文の時と同様(成長していないのでは?と不安になるほど)、研究として筋の通る支援原理をなかなかまとめることが出来ませんでした。けれども被験者さんのご都合から実験のデッドラインは決まっていました。しかも遅くなればなるほど被験者さんの負担が大きくなってしまうということで、自分の無力さから迷惑をかけてしまう・・・と悶々としたやり切れない日々を過ごしていました。
最後に開発研究の実験です。
今回の実験は、開発したWebアプリケーションを27人の被験者さんに約1ヶ月間使用してもらうというものでした。各自がWebカメラで映した映像を扱っていくシステムで、開発だけでなく運用も、精神的・肉体的にかなりきついものになりました。集合でのインストラクション後、ご自宅で使用してもらうのですが、PCと接続された複合機とWebカメラの相性が悪く、出張メンテナンスや出張録画なども行いました。特に被験者さんたちが人生の一大事とも呼べる大事な時期におり、貴重な時間を費やしてもらうという事がかなりのプレッシャーとなりました。
どれも、大失態を犯して研究を頓挫してしまうのではと不安に苛まれていました。
本来であればプレッシャーを克服する方法をブログでお披露目出来れば皆さんへの知見となったと思うのですが、私の場合、克服したというよりは、周囲にボヤき、騒ぎ立てる中で何とか思い止まり、乗り切ったというものでした。「どうしよう・・・」「困った・・・」「もう駄目かも・・・」と後輩にも、研究室周辺の方々にも、先生にまでも漏らしていました。博士課程の学生としては何とも頼りない話です・・・。
そんな中で、時にはアイデアのヒントをもらったり、親身に愚痴を聞いてもらったり、実験開始時のインストラクションの準備を手伝ってもらったり、励ましてもらったり、混乱を整理してもらったり、データを一緒に見てもらったり、山内先生の辛抱強いご指導をはじめ、数えればキリが無いほど周囲の方に支えてもらいました。
これからも研究を続けていく上で、恐らく新たな挑戦が続いていく事になると思います。
と同時にプレッシャーもさらに大きくなっていくかもしれません。
克服は出来ずともこれらのプレッシャーと共存していく覚悟で頑張っていこうと思います。
周囲の方々には大変申し訳ないのですが、これからもどうぞよろしくお願いします。
[佐藤 朝美]
2009.03.24
先日、川口市メディアセブンで開催されたトークセッション「ワークショップのつくり方、広め方 ワークショップって何だろう?」で司会をしました。
http://www.cdc.jp/2009/02/post-43.php
このセッションで面白かったのは、青山学院大の苅宿さんと東京芸大の桂さんの話です。苅宿さんはワークショップデザイナー育成プログラムを展開していますが、桂さんは、その志を評価しながらも、他の道もありうるのではないかと提案します。話を聞く限りでは現代版の「講」とでもいえるものであり、コミュニティとビジネスモデルが統合された新しい形態を考えているようです。
ふたりのアプローチの違いは、ワークショップを学びの場としてとらえるか、創造の場としてとらえるかというルートメタファーの差から来ていると思います。ワークショップにおいて学びと創造はコインの裏表のような関係ですが、この二つのキーワードをつなぐ言語体系は貧弱で、対話を成立させるのは大変であることを実感しました。これは様々な背景や文化を内包しているワークショップの本質的な困難なのでしょう。
この困難を乗り越える近道はないと思いますが、対話や活動を共有する場を地道に続けていくことがその第一歩であることは間違いないでしょう。
[山内 祐平]
2009.03.21
みなさまこんにちは。
【私とylab、この一年】第6回は、M1の岡本がお届けいたします。
早いもので、私が東京大学大学院、学際情報学府、そして山内研究室(ylab)にやって来てからもう1年が経とうとしています。
その中には、限られた字数では表せないほどのできごとがあるのですが、今回は私がylabに来て気づいたことのいくつかを書かせていただきます。
個人的な体験にもとづく個人的な感想ですが、大学院や研究室生活に(これから)関わりのある皆さまにとって、何らかの参考になれば幸いです。
●研究って何?
私はylabにやって来て数ヵ月の時、完全に行き詰まりました。
私の研究テーマは「大学研究室が成果をあげる要因の分析」で、私は院試の時からこのテーマをしようと思っていました。
そんな想いがあったからこそ、大学院で思いっきり研究に取り組めば、研究室をうまく運営するための完璧な知見が得られるに違いないと思いこんでいました。
また、「おもしろければ良い」「社会にインパクトを与えることが大事」というマインドの方たちと、学部時代に好き勝手なことをしてきた経験も、私の考え方に大きな影響を与えていたようです。
だから、実際に修士の学生ができることの"小ささ"に、一度私はガッカリしてしまったのです。
その時には、「先行研究をもとにあなたの研究の新規性を説明して。」「あなたが言っていることの一部しか修士ではできない。」と言われるたびに、「そんなちっちゃな、つまらないことをするために大学院に来たんじゃない。」とふてくされていたように思います。
でも私が幸運だったのは、そういう思いを話せる人、受け止めて「でも、こういう意味があると思うよ。」と意見してくれる人が周りにいたことです。
今は、「日々考え、手を動かし続けることを積み重ねることでしか、何も達成できない」と思います。
また悩むことはあると思うのですが、自分にとって研究が何なのか、いったん腑に落ちました。
●長く続けるために
上に書いたことともつながりますが、「やりたいことを長く続けるためにはどうしたら良いのか。」という視点が身についたことも、この1年の成果でした。
学際情報学府での大学院生活は、想像以上の忙しさです。
授業のグループワーク、発表準備、ゼミ発表の準備、研究室の行事運営......。
どれも真剣に取り組めば面白いし、自分にとって有意義なものなので、ついつい目の前のことを必死でやり遂げ、それが終わればまた別のことに必死で取り組んで...という、言わば「短距離走の繰り返し」を重ねていたのが、この1年の前半でした。
ちょうど夏の終わりに、私は息切れしてしまいました。
やりたいことを長く続けるためには、そういう取り組み方をしなければいけません。
具体的には、自分にとって、そして他の人にとって何が大事なのか、何が面白いのかを、きちんと知ること。
自分だけがむしゃらにがんばるのではなく、人と協力しながらつくりあげること。
そして先輩は、同じ学年の人は、何をどういう風に進めているのかを知ること。
これらに関する気づきも、この1年の収穫だと思います。
私の悩みに一緒に付き合ってくださったみなさま、ありがとうございました。
もうすぐ後輩が研究室にやってきます。
自分自身が残りの修士生活で、どんな風に変わっていけるのか、そして新しいメンバーで何が生まれるのかが楽しみです。
[岡本 絵莉]
2009.03.12
【私とylab、この一年】第5回はM1大城がお送りいたします。
私とylab、この一年、振り返る間もなくあっという間に過ぎてしまった気がします。
しかし、「あっという間に過ぎてしまった」で済ませてはいけません。
私の研究テーマの一部でもあるノートテイキングの先行研究によれば、
ノートを取ることには2つの効果があるのですが、
ノートを取る時に得られる効果(encoding:符号化)と、
とったノートを後から見直す時に得られる効果(reviewing:復習)のうち、
後者の方がより重要であると言われています。
"ノート"と"毎日の生活"を仮に置き換えるとすると、
「あっという間に過ぎてしまった」ように感じる1年間だったということは、
おそらくこの1年の間に、私にとって人生のencodingは
今までにないくらい、たくさん行われたのだろうと思います。
ということで、その盛りだくさんな出来事一つ一つではありませんが、
盛りだくさんな出来事の度に刺激を受け、少しずつ変わりつつある
自分の姿勢についてreviewしてみたいと思います。
突然ですが、私は「ポジティブな人間」を自称しています。
とりあえず何事でも前向きに捉えるわけですから、
その姿勢が悪い方向に作用することは、ほぼないだろうと思います。
しかし、時に無理やりポジティブであろうとすることは、
目をそらしてはいけない現実から目を背けたり、
本当は真剣に向き合わなければならないものを先延ばしにしたりすることにもなります。
これを仮に「エセポジティブ」と呼ぶことにします。
自分は、大学院生になって山内研に入るまでは、
上記の「エセポジティブ」に気づかずに、
全ての場合において「ポジティブ」を名乗っていた気がします。
そしてそれで何とか、なんとなく今まで来れてしまい、
それが良くもあり、悪くもあった気がします。
どうして今までそれでやって来れてしまったのか?
一言で言うと、たまたま、私がラッキーだったからと思います。これはこれで幸せなことです。
しかし、それに甘えて、自分の人生に対して大したreviewをしてこなかったのだと思います。
テストで「これはどっちだろう?」と迷いながら書いた答えが
たまたま合っていて、結果としては総得点が良かった時に、
「やったー!」と満足してしまって、答えを見直さないまま次に進んでしまう子どものように。
そしてこのことを初めて自覚する、というよりも痛感することができたのは、
この1年だったように思います。
これは別に、「この1年がとてつもなく辛くてたまらなかった!」
ということでは全くありません。
むしろその逆で、学際情報学府の授業も、研究室のゼミも、
その他関わらせていただけるお仕事も、どれもやりがいを感じるものばかりでした。
しばしば力不足を感じる時もありましたが、
その時はかえって、やる気を奮い起されました。
(正直に申し上げると、一度だけ
「もうだめだ!!情けなさすぎるけど、もう無理!」
と挫折しかけたことがあります。自分のキャパシティを過信して、
自己管理に失敗すると精神的なダメージが大きいなぁと痛感した秋でした。
あんなことには2度となるまい!)
閑話休題。
そうやって、この1年、授業、ゼミ、お仕事、合宿、あるいは飲み会などで、
研究室の方や研究室と関わりのあるいろんな先輩方、先生方とお話させていただく中で
痛感したのは、自分の持っている「ビジョンの無さ」でした。
ここでまた突然ですが、私は人の話を聴くのが大好きです。
けれど、自分で話をしようとすると、とたんに詰まってしまうことがあります。
特に、研究でも、将来の夢でも、何か自分のことをしゃべろうとすると、
何も言えなくなってしまうことが多々あります。
なぜだろう?これについて今一度考えてみると、
人の話を聴いて面白い!と思うのは、
その人に一貫したこだわりが感じられるときなのだと思います。
研究でも仕事でもプライベートでも、その人なりに、
ある1点に向かって、一貫したポリシーが感じられる時なのだと思います。
なぜ1点に向かって、一貫したポリシーを持っていられるのか?
きっと、それはその人が常に自分の来た道をreviewし、それを元にして、
次の一手、さらにはその先を見通せるビジョンを作り上げているからだと思います。
そして研究でも仕事でもプライベートでも、
ビジョンを作り上げている人には、覚悟が感じられます。
自分で「覚悟」という言葉をわざわざ使わなくても、
自然とにじみ出て、魅力的に感じられるのだと思います。
それに対して自分はどうか?
自分は何故話をするのが苦手なんだろう?というのは今までにも考えたことがあるのですが、
それは自分に教養や知識が不足しているからだろうと思っていました。
実際、それももちろん大きいとは今でも思っているのですが、
もしかしたらそれだけではないのかもしれない、とも思います。
そう、一言で言えば、私は生きるうえでのビジョンを持っていない、
持とうとしていないから、話ができないのだと思います。
今までの私の進んできた道を「良かった!ラッキーだった!」、
これからの私の進む道を「なんとかなる!きっと!」
と済ませてしまっていたのがまずかったのだと思います。
それはreviewではなく、ただのエセポジティブです。
私は常にまっすぐ生きることを心がけているつもりですが、
どこに向かってまっすぐ生きるかを決めていなかったため、
気がつくと、いつも迷子になってしまっていたのです。
私の軸がまっすぐなのは確かだと思います。
でも、それは考えてみれば誰でも至極当たり前のことです。
「軸」というのは、そもそもまっすぐなものなのだから。
問題は、その軸をどこに向けているか、なのです。
方向の定まらない軸は、いくらまっすぐでもぶれるしかないのです。
そう、私は人として軸がぶれていたのです。O槻Kヂさんの歌を他人事にはできません。
ということで、私はこれからもポジティブでありたいと思っていますが、
ビジョンのないエセポジティブは、もうやめようと思います。
ポジティブな言葉を口にしているだけでは、それは単なる美辞麗句で、
それを実現できる方向性とパワーの両方がないといけないのです。
じゃあ私のビジョンは何か?
というと今すぐに作り上げることはできませんが、
これからは人の話を聴いて面白いと思うだけではなくて、
自分も話ができるように、常に今日を振り返って、
それを下手でもどんどん明日は言葉にしてreviewしていきたいと思います。
そんなわけで、私の今年度最後の記事は、
ポジティブな以下の抱負で締めくくりたいと思います。
エセポジティブ脱却!
来年度の私は、ぶれぶれのスカラーではなく、しゃきっとしたベクトルになる予定です。
乞うご期待!
[大城 明緒]
2009.03.06
【私とylab、この一年】第4回は、M1の池尻良平がお送りします。今回はこの一年で痛感した「参加」のパワーについて書きたいと思います。
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大学院生になって僕が最初に読んだ本は、山内研の本棚にあった『状況に埋め込まれた学習 正統的周辺参加』(ジーン・レイブ、エティエンヌ・ウェンガー著)でした。この内容をびっくりするほど要約すると、学習というのはある共同体に参加することによって起こるものであるというものです。もう少し詳しく話すと、共同体の中心にいる人から与えられた正統的な仕事を重要度の低いもの(周辺)からこなしていく過程でこそ学習が発生し、それを重ねていくうちに、最終的には共同体の中心に行くようになるというものです。
僕はこの本を読んだとき、最初は正直あまりピンと来ませんでした。それは、僕が今まで詰め込み教育を受けてきたからかもしれません。当時は「学習」というと、やっぱり本を読み、考え、最終的にはテストによって評価されるべきものだと思っていました。また、文学部ではこれといった特別な教育をされなかったため、研究というのは一人で本と向き合ってするものだという意識を強く持っていました。
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山内先生は、あまり「これを読みなさい」とか「この研究はダメだ」ということを言われない方なので、山内研に来てからも研究は一人でやっていくものだという意識が根強く残っていました。ところが文学部の頃と違い、山内研では「仕事」を任されることが多いなあと最初は思っていました。
例えば、僕はこの一年でBeatingというベネッセのメールマガジンの執筆や、駒場にあるKALSという視聴覚機材が充実した教室のTAをやったり、マイクロソフトと共同で研究されている教材のお手伝いをしたり、UTalkというカフェ形式の対話のお手伝いをしたり、ワークショップのイベントをお手伝いする機会がありました。
こういう活動自体は歴史教育を研究している僕にはほとんど関係がないことなのですが、そこで出会った人たちから学んでいることが多いなあと今になって気づきます。例えば、僕はてんで機械音痴なのですが、ICT教材に触れる仕事や、ビデオを回す仕事に携わることで、システムはどう動くのかや機械の扱い方を知ることができました。今では自分の研究を実行する上で、システムの導入もある程度考えられるようになったほどです。
また、メールマガジンの取材に行った現場の先生には今でもお世話になっていますし、ワークショップ関連のイベントに出ているうちに、テスト評価とはまた別の学習の形があることも知れました。
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繰り返しになりますが、山内先生は自由に研究をさせてくれる先生なのですが、不思議と文学部の頃のように一人ぼっちで研究をしているという感覚にはなりませんでした。それは週1回のゼミもそうですが、上で書いたような仕事に参加する過程で出会えた色々な人のおかげだと思います。実際この1年で、システムに詳しい人、現場の先生、歴史学の先生、その他自分の専門とは違う色々な人と話し合える環境が自然と出来上がり、その中で自分一人では思いつかない見方や、研究のヒントを見つけることもできました。
参加する過程で学ぶことに加えて、参加することで知り合えた人から学ぶこと。冬辺りからはその二つを特に実感できるようになりました。
こういった環境の中で研究をしているせいか、今の僕の研究は色々な人の血が入っているように思います。それは山内研の周りだけでも例えば、ゼミで読んだ「批判的思考力」、「反省的実践家」、坂本さんの「存在しないものを見る目」、牧村さんの「熟達家の発想方法」、佐藤さんの「システムを使う必然性」、りんさんの「現場に溶け込む教材のあり方」、森さんの「現場の人とつながりを持つことによって出る研究の深み」など、自分の研究に示唆を与えてくれたものがたくさんあります。
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この学習の例は、正確には正統的周辺参加ではないかもしれません。そもそも、分野毎に排他的で、知の継承に加えて新しい知見を生み出さないといけない「研究」において、正統的周辺参加の中心自体ないのかもしれませんが、それでも僕はこの一年、山内研究室に参加することでしか得られないと確信できる学習が確かにありました。
山内先生を始め、色々と仕事を任せていただいた方々、その中で知り合い相談に乗っていただいた方々、ゼミの中で研究のヒントを背中越しに見せてくれた先輩方に感謝したくてもしきれない一年になりました。
M2の方々が来年度からいなくなってしまって寂しい反面、教わったことを無駄にしないよう、自分の研究に日々邁進したいと思います。それと同時に高校や歴史教育の学会など、新しいコミュニティにもどんどん参加して、もっと学習していかねば!と思っています。
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入学当初は歴史の因果関係をコンセプトマップで教えるという研究だったものが、はてさてこの一年でどう変化したのか?その内容については次回に続くということで終わりにしたいと思います。それではみなさま、来年度もよろしくお願いします。
[池尻 良平]
2009.03.03
ちょっと前に、建築の際で鼎談をする野田さんの演劇「パイパー」を見てきました。
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野田秀樹が、時空を超えた壮大なスケールと、スリリングな展開で魅了する新たなる
人類の叙事詩「パイパー」
赤土と氷河、天空には地球が...。
1000年後の火星で、何が起きていたのか?
火星は人類の憧れであり、希望の星だった。
その初の火星移住者たちのあふれんばかりの夢が、どのように変貌を遂げていくのか。
そして、人々と共に火星に移住した「パイパー」なる生物?機械?
人間?もまた、人類の夢と共に変貌を遂げる。
そして1000年後の火星。
その世界を懸命に生きている姉妹たち。
その妹ダイモスに松たか子、姉フォボスに宮沢りえ、その父親ワタナベを橋爪功が演じる。
遠い未来の遠い火星が、2009年の身近な地球の劇場に出現する。
とんでもないことが起きそうな最新作「パイパー」に乞うご期待!
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それほど広くないであろうシアターコクーンの舞台を二段構成にし、回想シーンでの素早い舞台変更やダイナミックな人の動き、意表をつく言葉遊びの連続で、すばらしい非日常的な世界を構成していました。演劇系の人がワークショップと親和性が高いのは「ことば・からだ・ひろがり」のコントロールができるところから来るのかもしれません。鼎談が楽しみです。
[山内 祐平]
2009.02.26
私たちとylabの一年を振り返る【私とylab,この一年】第3回は,林向達がナントPodcastでお届けします。ははは。(音量に気をつけてお聞きください)
(mp3 file(リンク切れ); 5min40sec)
大変お世話になりました。またいつかどこかで!
[林 向達]
2009.02.25
2月21日(土)に日本語教育学会主催のワークショップ型研修「未来の日本語学習環境を考える」で講師を担当しました。(お世話になった望月さん、佐藤さん、池田先生、島田さんをはじめ、日本語教育学会のみなさま、ありがとうございました。)
ワークショップのよいところをとりいれるため、構成をシンプルにし、体験・ディスカッション・ポスターセッションを中心にプログラムを組みました。
参加者の方と懇親会で話していたら、今日はいつもの研修より時間の流れ方がリッチだったという感想をいただきました。ありがたいことです。
参加者の様子を見ながらぎりぎりまで待つファシリテーションが功を奏したようです。このあたりの見極めは、共同研究させていただいているCAMPのファシリテーションに学ぶところが大きかったように思います。研究と実践が交差する瞬間はなかなか楽しいものです。
[山内 祐平]
2009.02.23
【私とylab、この一年】第2回は、牧村がお送り致します。
私は修論を提出するまでの2年間、いつ頃何をしていたか、ということを振り返ってみたいと思います。
入学当初から私のキーワードはワークショップ、空間でした。
入学前の3月末に先輩に声をかけていただき、世田谷ものづくり学校で行われていたワークショップのお手伝いをさせていただいたのが、研究にもご協力いただいた同志社女子大学の上田信行先生との出会いでした。机を並べ、ロール状になった模造紙を床に置いてその日の流れを記入したり、ベランダにテーブルを置いて食べ物を用意したり、参加者が着るTシャツを用意したり、といった準備からお手伝いさせていただきました。上田先生は参加者の動きを想定して、入口のしつらえをしたり、ベランダの様子をチェックしたり、音楽をかけたりと会場を忙しく歩き回っていらっしゃいました。それまで自分たちでワークショップをする、という経験も何度かあったものの、初めてベテランの技を体験し、ワークショップという場が上に挙げたような様々な要素で成り立っているのだということを実感しました。
5月になると博報堂こどもごころ製作所の方に声をかけていただき、ワークショップコレクションのお手伝いをすることになりました。6月末の本番に向け、大忙しの日々を過ごしました。ワークショップを行うブースデザインもさせていただき、デザインした場で参加者がどんな風にして過ごしているのかを見ることができる貴重な体験でした。7月末にはワークショップをもう一つ。
夏合宿では、上田先生のゼミとCAMP大川センターを訪問させていただきました。9月の教育工学会では、様々な発表や先生方にいただいたアドバイスから、ベテランの実践家達にとってはワークショップの活動のデザインと空間のデザインは同時に起こっているのではないかということを感じ、そのことに着目したいと思うようになっていました。
10月には「ワークショップ的な」パーティーを、という依頼を受け企画のお手伝い。過去のゼミ資料を振り返ると、自分で場をしつらえて比較をするのではなく、ベテランがデザインしたワークショップを見てみたい、ということを決定したのはこの頃でした。
11月になると、建設中の福武ホール現場見学会があり、ここで何かやってみたい・・・という思いがふつふつと湧き始め、1月のゼミでは実践家の方に福武ホールにいらしていただき、実験を行うという実験計画の元ができました。同時に、企業やNPOで実践をされている方々にお話を伺ったり実践を見せていただきました。
「実践家が捉える場の利用可能性」という言葉をタイトルの中に入れたのは2月でした。ワークショップのデザインをしながら福武ホールの空間を見ていただき、その後インタビューを行うという実験計画を作りつつ、3月にはお二人の実践家の方にご協力いただきプレ実験をさせていただきました。この結果を受け、実際のインタビューでの質問項目を決定していきました。
5月には、博士課程の森さんにご紹介いただいた実践家の方々に実験ご協力のお願いを始め、6月から11月にかけて6回実験を行いました。実験が終わると、実験時に撮影したビデオを見ながら文字起こしをし、そのデータとにらめっこするという日々。プロトコルを分類してみたり、実践家のデザインプロセスを図示してみたりと色々なことを試しました。
9月に教育工学会での発表を終え、実験と並行しながら10月には論文のアウトラインについて考え始めました。10月末には中原先生から80人程の参加者を集めたワークショップを企画する機会いただきました。結局私はこの時期になっても実践に関わることをやめられませんでした。うっかり気持ちが変わってしまわないように、周りの人に「これからは修論以外のことはしない!」宣言をしました。
11月には各章で言いたいことを書き出し、「書けるところから書く!」をモットーに毎日を過ごすことになります。
全ての実験が終わり12月には「誰がやっても同じになるように」手続きを踏んで分析をしつつ、週に一度のペースで山内先生に分析と執筆の進捗報告をし、アドバイスをいただきました。12月中旬になると、往復3時間の通学時間ももったいないと思うようになり、自宅に全ての資料を持ち帰って家にこもりました。まさしく「産みの苦しみ」。それなのに、なんだか楽しい。
年も明け、5日に開かれた毎年恒例のチェック大会でいただいたコメントをもとに修正し、緊張の印刷、製本、無事提出となりました。
こんな風にして私は2年間を過ごし、寄り道をしながらも、本当に色々な方にご協力いただきながら修士論文『ワークショップ実践家が捉える空間の利用可能性に関する研究』ができました。実験計画を立てる段階で断念したこと、実験で聞けなかったこと、文章にする時点でこぼれ落ちてしまったことなど、できなかったこともたくさんありました。でも、まだ誰も知らなかったこと、そして何よりも、私が知りたかったことを明らかにすることは、とても刺激的なプロセスでした。山内研究室は、私にとって最高の「学習環境」でした!
[牧村真帆]