2009.02.23
【私とylab、この一年】第2回は、牧村がお送り致します。
私は修論を提出するまでの2年間、いつ頃何をしていたか、ということを振り返ってみたいと思います。
入学当初から私のキーワードはワークショップ、空間でした。
入学前の3月末に先輩に声をかけていただき、世田谷ものづくり学校で行われていたワークショップのお手伝いをさせていただいたのが、研究にもご協力いただいた同志社女子大学の上田信行先生との出会いでした。机を並べ、ロール状になった模造紙を床に置いてその日の流れを記入したり、ベランダにテーブルを置いて食べ物を用意したり、参加者が着るTシャツを用意したり、といった準備からお手伝いさせていただきました。上田先生は参加者の動きを想定して、入口のしつらえをしたり、ベランダの様子をチェックしたり、音楽をかけたりと会場を忙しく歩き回っていらっしゃいました。それまで自分たちでワークショップをする、という経験も何度かあったものの、初めてベテランの技を体験し、ワークショップという場が上に挙げたような様々な要素で成り立っているのだということを実感しました。
5月になると博報堂こどもごころ製作所の方に声をかけていただき、ワークショップコレクションのお手伝いをすることになりました。6月末の本番に向け、大忙しの日々を過ごしました。ワークショップを行うブースデザインもさせていただき、デザインした場で参加者がどんな風にして過ごしているのかを見ることができる貴重な体験でした。7月末にはワークショップをもう一つ。
夏合宿では、上田先生のゼミとCAMP大川センターを訪問させていただきました。9月の教育工学会では、様々な発表や先生方にいただいたアドバイスから、ベテランの実践家達にとってはワークショップの活動のデザインと空間のデザインは同時に起こっているのではないかということを感じ、そのことに着目したいと思うようになっていました。
10月には「ワークショップ的な」パーティーを、という依頼を受け企画のお手伝い。過去のゼミ資料を振り返ると、自分で場をしつらえて比較をするのではなく、ベテランがデザインしたワークショップを見てみたい、ということを決定したのはこの頃でした。
11月になると、建設中の福武ホール現場見学会があり、ここで何かやってみたい・・・という思いがふつふつと湧き始め、1月のゼミでは実践家の方に福武ホールにいらしていただき、実験を行うという実験計画の元ができました。同時に、企業やNPOで実践をされている方々にお話を伺ったり実践を見せていただきました。
「実践家が捉える場の利用可能性」という言葉をタイトルの中に入れたのは2月でした。ワークショップのデザインをしながら福武ホールの空間を見ていただき、その後インタビューを行うという実験計画を作りつつ、3月にはお二人の実践家の方にご協力いただきプレ実験をさせていただきました。この結果を受け、実際のインタビューでの質問項目を決定していきました。
5月には、博士課程の森さんにご紹介いただいた実践家の方々に実験ご協力のお願いを始め、6月から11月にかけて6回実験を行いました。実験が終わると、実験時に撮影したビデオを見ながら文字起こしをし、そのデータとにらめっこするという日々。プロトコルを分類してみたり、実践家のデザインプロセスを図示してみたりと色々なことを試しました。
9月に教育工学会での発表を終え、実験と並行しながら10月には論文のアウトラインについて考え始めました。10月末には中原先生から80人程の参加者を集めたワークショップを企画する機会いただきました。結局私はこの時期になっても実践に関わることをやめられませんでした。うっかり気持ちが変わってしまわないように、周りの人に「これからは修論以外のことはしない!」宣言をしました。
11月には各章で言いたいことを書き出し、「書けるところから書く!」をモットーに毎日を過ごすことになります。
全ての実験が終わり12月には「誰がやっても同じになるように」手続きを踏んで分析をしつつ、週に一度のペースで山内先生に分析と執筆の進捗報告をし、アドバイスをいただきました。12月中旬になると、往復3時間の通学時間ももったいないと思うようになり、自宅に全ての資料を持ち帰って家にこもりました。まさしく「産みの苦しみ」。それなのに、なんだか楽しい。
年も明け、5日に開かれた毎年恒例のチェック大会でいただいたコメントをもとに修正し、緊張の印刷、製本、無事提出となりました。
こんな風にして私は2年間を過ごし、寄り道をしながらも、本当に色々な方にご協力いただきながら修士論文『ワークショップ実践家が捉える空間の利用可能性に関する研究』ができました。実験計画を立てる段階で断念したこと、実験で聞けなかったこと、文章にする時点でこぼれ落ちてしまったことなど、できなかったこともたくさんありました。でも、まだ誰も知らなかったこと、そして何よりも、私が知りたかったことを明らかにすることは、とても刺激的なプロセスでした。山内研究室は、私にとって最高の「学習環境」でした!
[牧村真帆]