2009.03.12
【私とylab、この一年】第5回はM1大城がお送りいたします。
私とylab、この一年、振り返る間もなくあっという間に過ぎてしまった気がします。
しかし、「あっという間に過ぎてしまった」で済ませてはいけません。
私の研究テーマの一部でもあるノートテイキングの先行研究によれば、
ノートを取ることには2つの効果があるのですが、
ノートを取る時に得られる効果(encoding:符号化)と、
とったノートを後から見直す時に得られる効果(reviewing:復習)のうち、
後者の方がより重要であると言われています。
"ノート"と"毎日の生活"を仮に置き換えるとすると、
「あっという間に過ぎてしまった」ように感じる1年間だったということは、
おそらくこの1年の間に、私にとって人生のencodingは
今までにないくらい、たくさん行われたのだろうと思います。
ということで、その盛りだくさんな出来事一つ一つではありませんが、
盛りだくさんな出来事の度に刺激を受け、少しずつ変わりつつある
自分の姿勢についてreviewしてみたいと思います。
突然ですが、私は「ポジティブな人間」を自称しています。
とりあえず何事でも前向きに捉えるわけですから、
その姿勢が悪い方向に作用することは、ほぼないだろうと思います。
しかし、時に無理やりポジティブであろうとすることは、
目をそらしてはいけない現実から目を背けたり、
本当は真剣に向き合わなければならないものを先延ばしにしたりすることにもなります。
これを仮に「エセポジティブ」と呼ぶことにします。
自分は、大学院生になって山内研に入るまでは、
上記の「エセポジティブ」に気づかずに、
全ての場合において「ポジティブ」を名乗っていた気がします。
そしてそれで何とか、なんとなく今まで来れてしまい、
それが良くもあり、悪くもあった気がします。
どうして今までそれでやって来れてしまったのか?
一言で言うと、たまたま、私がラッキーだったからと思います。これはこれで幸せなことです。
しかし、それに甘えて、自分の人生に対して大したreviewをしてこなかったのだと思います。
テストで「これはどっちだろう?」と迷いながら書いた答えが
たまたま合っていて、結果としては総得点が良かった時に、
「やったー!」と満足してしまって、答えを見直さないまま次に進んでしまう子どものように。
そしてこのことを初めて自覚する、というよりも痛感することができたのは、
この1年だったように思います。
これは別に、「この1年がとてつもなく辛くてたまらなかった!」
ということでは全くありません。
むしろその逆で、学際情報学府の授業も、研究室のゼミも、
その他関わらせていただけるお仕事も、どれもやりがいを感じるものばかりでした。
しばしば力不足を感じる時もありましたが、
その時はかえって、やる気を奮い起されました。
(正直に申し上げると、一度だけ
「もうだめだ!!情けなさすぎるけど、もう無理!」
と挫折しかけたことがあります。自分のキャパシティを過信して、
自己管理に失敗すると精神的なダメージが大きいなぁと痛感した秋でした。
あんなことには2度となるまい!)
閑話休題。
そうやって、この1年、授業、ゼミ、お仕事、合宿、あるいは飲み会などで、
研究室の方や研究室と関わりのあるいろんな先輩方、先生方とお話させていただく中で
痛感したのは、自分の持っている「ビジョンの無さ」でした。
ここでまた突然ですが、私は人の話を聴くのが大好きです。
けれど、自分で話をしようとすると、とたんに詰まってしまうことがあります。
特に、研究でも、将来の夢でも、何か自分のことをしゃべろうとすると、
何も言えなくなってしまうことが多々あります。
なぜだろう?これについて今一度考えてみると、
人の話を聴いて面白い!と思うのは、
その人に一貫したこだわりが感じられるときなのだと思います。
研究でも仕事でもプライベートでも、その人なりに、
ある1点に向かって、一貫したポリシーが感じられる時なのだと思います。
なぜ1点に向かって、一貫したポリシーを持っていられるのか?
きっと、それはその人が常に自分の来た道をreviewし、それを元にして、
次の一手、さらにはその先を見通せるビジョンを作り上げているからだと思います。
そして研究でも仕事でもプライベートでも、
ビジョンを作り上げている人には、覚悟が感じられます。
自分で「覚悟」という言葉をわざわざ使わなくても、
自然とにじみ出て、魅力的に感じられるのだと思います。
それに対して自分はどうか?
自分は何故話をするのが苦手なんだろう?というのは今までにも考えたことがあるのですが、
それは自分に教養や知識が不足しているからだろうと思っていました。
実際、それももちろん大きいとは今でも思っているのですが、
もしかしたらそれだけではないのかもしれない、とも思います。
そう、一言で言えば、私は生きるうえでのビジョンを持っていない、
持とうとしていないから、話ができないのだと思います。
今までの私の進んできた道を「良かった!ラッキーだった!」、
これからの私の進む道を「なんとかなる!きっと!」
と済ませてしまっていたのがまずかったのだと思います。
それはreviewではなく、ただのエセポジティブです。
私は常にまっすぐ生きることを心がけているつもりですが、
どこに向かってまっすぐ生きるかを決めていなかったため、
気がつくと、いつも迷子になってしまっていたのです。
私の軸がまっすぐなのは確かだと思います。
でも、それは考えてみれば誰でも至極当たり前のことです。
「軸」というのは、そもそもまっすぐなものなのだから。
問題は、その軸をどこに向けているか、なのです。
方向の定まらない軸は、いくらまっすぐでもぶれるしかないのです。
そう、私は人として軸がぶれていたのです。O槻Kヂさんの歌を他人事にはできません。
ということで、私はこれからもポジティブでありたいと思っていますが、
ビジョンのないエセポジティブは、もうやめようと思います。
ポジティブな言葉を口にしているだけでは、それは単なる美辞麗句で、
それを実現できる方向性とパワーの両方がないといけないのです。
じゃあ私のビジョンは何か?
というと今すぐに作り上げることはできませんが、
これからは人の話を聴いて面白いと思うだけではなくて、
自分も話ができるように、常に今日を振り返って、
それを下手でもどんどん明日は言葉にしてreviewしていきたいと思います。
そんなわけで、私の今年度最後の記事は、
ポジティブな以下の抱負で締めくくりたいと思います。
エセポジティブ脱却!
来年度の私は、ぶれぶれのスカラーではなく、しゃきっとしたベクトルになる予定です。
乞うご期待!
[大城 明緒]