2010.04.08
みなさまこんにちは。
【今年の研究計画】シリーズ、今週はM2の帯刀菜奈がお送りします。
■テーマ
歴史的共感の獲得を支援するデジタルストーリーテリング(DST)に関する研究
■日本史学習の現在
中学・高等学校の日本史の授業。
いま、暗記重視の「記憶する歴史」から、生徒が自分から問いかけができる「考える歴史」表現する歴史への転換が必要とされています。
■「なぜ?」が生まれる学習で、歴史を「考える」チカラをつける
考えるとは「(歴史上の出来事や人物の行動は)どうしてそういうことになったのか」を追求する作業を通して行われます。このとき「なぜ?」と疑問を持って考えることを「歴史的共感」といいます。
ただ暗記するのではなく「それで、自分はどう考えるのか」と解釈(評価・判断)考察して、自分なりに歴史を物語ることが求められます。
つまり歴史的共感がアップすると、
歴史を見るための視点が養われるので、
歴史を考える力がつくというわけです。
歴史的共感と、考え・表現する授業の実装は密接な関係にあるのです。
■歴史的共感を獲得するために過去の人物になりきってデジタルストーリーテリングする
そこで提案したいのが・・・
特殊な訓練や技能がなくても、そこに何が描かれているかが一応視覚的にわかる絵画史料を素材として、そこに描かれている人物のストーリーをテリング(物語る)する作品作りをしようという体験的学習プログラムです。
DST 化するために生徒は①テーマ②特徴③興味を軸に主人公を設定します。
主人公の時代背景を調べ、一人称かつ現在時制を用いた
「なりきり」脚本を書き、イメージ画像をデジタル作成します。
「なりきる」ためにはその主人公の服装、身分や生活環境など様々な「なぜ?」「どうなの?」を調べなければなりません。ここに歴史的共感がアップするポイントがあるのです。
■デジタルだからできる「なりきりコメント」のつけあい
ストーリーテリングするならアナログでいいじゃないって?
生徒の作ったものがデジタルの作品であれば、これをweb にup することができます。
作品をもとに、他の役になりきった生徒とロールプレイや意見交換をしたら、単なる調べ学習からもう一歩歴史的共感が高まるの活動になるのではないでしょうか。
自分が調べた主人公になりきって、他の生徒にコメントをつけるには相手に対する「なぜ?」「どうなの?」という視点が必要だからです。
■今後の課題
活動を行った後に、ペーパーテストで合理的理解が出来ているかといった歴史的共感獲得に関する評価を行うことを考えていますが、検討中。
活動内容の具体化と、評価方法、実装計画をあわせて練っていきます。
活動してちょっと幸せ
活動したら栄養になる
そんな
おいしい研究 になるように
がんばります。
【帯刀 菜奈】
2010.04.06
金沢大学ラーニングコモンズが、4月6日にオープンしました。このラーニングコモンズは、既存の図書館を改装し、本をきっかけとした学びを支援することを目指しています。このラーニングコモンズのコンセプトワークやデザインに関して、丸善株式会社と私が代表理事を務めるNPO法人 Educe Technologiesが共同で作業を行いました。金沢大学の山田先生をはじめ、お世話になった図書館の方々にお礼申し上げます。
ここ数年駒場アクティブラーニングスタジオや学環コモンズなど、新しい学習空間に関する研究を行っています。その中で研究的に切り出せる知見は、論文や著書(学びの空間が大学を変える:5月刊行予定)の形で公表していきますが、この種のデザインがともなう実践的研究活動では、研究的に切り出しにくい事例に付随した文脈依存情報がたくさん生み出されます。
今まで、このような情報は活用されず研究室の中に埋もれていました。今回の仕事は、NPO法人のコンサルティングという形で、研究活動の中で生み出された知見を活かして未来の学習環境を作っていく試みのひとつです。
研究活動で生み出される知見を「論文や著書」の形で公表していくことは研究者の当然の仕事ですが、研究の領域によっては、それに加えてワークショップ・カフェ・オープンソースソフトウェア・有料サービス・コンサルティングなど、多様な形に展開することができます。論文や著書を書くことにプラスして大学と社会の間に環流を作っていく、そういう研究者が今後必要になってくるのではないかと考えています。
[山内 祐平]
2010.04.01
みなさま、こんにちは。修士2年の安斎勇樹と申します。
今年度も研究室メンバーが毎週ブログを更新していきますので、どうぞよろしくお願いします。
さて、年度始めということで、【今年の研究計画】と題しまして、
それぞれの学生の研究計画をご紹介していくことにします。
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ちょうど1年前に山内研に入り、こんな研究計画を掲げていましたが、
1年間の文献レビューと実践経験の影響で、つい最近テーマがガラリと変わり、
ようやく自分のやりたいコトにスポッとハマった気がしています。(遅い・・?)
さて、早速ご紹介します。
○研究テーマ
『学習を目的としたワークショップにおける創発的コラボレーションに関する研究』
○ワークショップへの注目~コラボレーションによる学びと創造~
現代では、複数の人々が協同して付加価値を生み出す「コラボレーション」が様々な領域で求められています。
コラボレーションの効用として、個人では思いつかない知恵がグループで新たに「創発」することや、そうした創発的なコラボレーションが個々のメンバーに良い学びをもたらす点が挙げられます。
近年、こうしたコラボレーションによる新しい学びと創造のスタイルとして、「ワークショップ」が注目されてきています。
○これまでのワークショップ研究
ワークショップ研究の歴史は浅く、そもそもあまり先行研究がありません。
例えば、山内研出身の森玲奈さんの研究では、ワークショップ実践家のベテランと初心者を比較し、ベテランがワークショップをデザインする際のデザインへの取り組み方の特徴を明らかにしています。
他にも、例えばリフレクションを支援するワークショップデザインに関する研究や、アーティストによる幼稚園でのワークショップにおける作品の制作過程を分析した研究などなど、いくつかの研究があります。
○創発的コラボレーションのカギは「1人の時間」!?
一方・・、これはワークショップの研究ではないのですが、チクセントミハイ&ソーヤー(1995)の研究によると、複数の人々のコラボレーションにおいて創造的な洞察やブレイクスルーを生み出すためには、「1人で活動する時間」を確保し、それを触媒として利用することが重要であることが明らかになっています。
つまり、ただひたすらコラボレーションをさせるだけでなく、「他者とインタラクションを持たない個人の時間」を持たせることが、創発的なコラボレーションにつながる、ということなのです。
しかしながら、これまでのワークショップ研究では、コラボレーションにおける「個人の活動」の重要性に注目したものはありません。
○研究の目的
そこで、本研究では、「個人の活動」に着目しながら、創発的なコラボレーションを促すワークショップのデザイン原則を仮説として提案し、それを検証することを目的とします。
つまり、
「個人の活動」に着目して、こういう風にワークショップをデザインすれば、グループディスカッションがより創発的になる!
ということを結論として言いたいのです。
○研究の方法
研究の方法としては、LEGOを用いた創作活動を課題としたワークショップを、大学生を対象に実践する予定です。
その際に、同じテーマで
(A)仮説に基づいて「個人の活動」を触媒にしたワークショップデザイン
(B)「個人の活動」を用意しない通常のワークショップデザイン
の2通りのデザインでそれぞれ実践を行い、グループディスカッションの創発プロセスや、出来上がったアウトプットの創発性を比較・評価します。
○今後の課題
今後の課題としては...
(1)仮説の精緻化:個人の時間どのタイミングで入れ、どんな活動をさせればよいか
創発を生み出すデザイン原則の仮説を提案出来なければ始まりませんので、
この仮説を今後じっくり練り上げていきたいと思っています。
既にいくつか仮案はありますが、実践して色々と試しながら精緻化させていく予定です。
(2)"創発"をどのように評価するか
これが一番の課題になるかもしれません。
創発的コラボレーションを評価するにはどうしたらよいか?
発話データからプロセスを分析をして、話題の展開やアイデアの連鎖を分析するのか?
出来上がったアウトプットの作品としての創造性・創発性を評価するのか?
...これもいくつか仮案や参考に出来そうなモデルはあるのですが、
これから慎重に検討していかなければいけないポイントです。
以上の2つが、大きな課題ですが、急なテーマ転換のため、小さな課題は他にも山積みです。
これから気合いを入れて、詰めていきたいと思います!!
非常にざっくりとした説明になりましたが、以上になります。
1年後に「面白い」修士論文を提出できるよう、頑張って研究を進めていきます!!
[安斎 勇樹]
2010.03.28
3月27日(土曜日)に2009年度第4回BEAT Seminar「学習環境のソーシャルイノベーション:未来を拓く自律的人材の育成」が開催されました。満席の会場とTwitterが連動して大変盛り上がった会になりました。
まず、併任准教授の山田さん、特任助教の御園さん、北村さんから、2年間かけておこなった研究 Conomi+の成果報告がありました。Conomi+は自分が好きな英文ニュースを読む中で英語のリーディングが自然にできるようになることを意図した推薦システムで、2年目の研究では、自分が好きなものだけではなく、好みと連続しながら意外性のある推薦をすることによって、学ぶ単語の幅が広がることが実証的に確認されました。
次に、私から、2010年度から3年間「学習環境のソーシャルイノベーション」をテーマにすることと、その具体的なモデルとして高校生ー大学生ー起業家をつなぐ学習ネットワークの構築について説明しました。
その後、慶應義塾大学SFC研究所上席所員の松村太郎さんから、「ソーシャルメディアの発展と社会の変化」というタイトルでお話しをいただきました。エピソード満載のわかりやすいプレゼンで、iPhoneとTwitterによる「iT革命」が"Mobile Social"な社会変革をもたらしつつある現状について報告していただきました。
株式会社RCF 代表取締役社長の藤沢 烈さんからは、「自律的人材像と今後求められる教育」と題して、変わりつつある雇用状況の中で、企業ではなく個人として自律できる人材が重要になっていること、その条件として、社会性(自分以外の存在への意識)、リアルタイム性(所属、実績ではなく今何ができるか)、オープン性(発信しなければ存在していないのと同じ)が必要であることが語られました。
(松村さんと藤沢さんの講演は、Ustreamの録画でご覧になれます。)
休憩をはさんで、BEAT Seminar恒例の参加者によるグループディスカッションが行われ、4人ぐらいのグループで、この後のパネルディスカッションにつながる質問や意見をまとめてもらいました。
最後のパネルディスカッションでは、松村・藤沢・山内各パネラーに対して、今後学習環境のソーシャルイノベーションに必要な本質的な事柄について質疑応答とディスカッションが行われました。同時にTwitterでも議論が進んでいますので、詳しい内容は、Togetterによるまとめをご覧ください。
様々な議論が行われましたが、私が最も気になったのは、ソーシャルメディアを使う人が限られていて、それによる格差が生まれるのではないかという指摘です。これは全くそのとおりで、ソーシャルメディアを使って自分の学びのネットワークを作り上げ、新しい可能性を切り開いていく人と、そうでない人の格差は、今後ますます広がっていくと思います。逆にいえば、だからこそ、できるだけ多くの人を巻き込めるリアル/ソーシャルメディア連携型の学習環境を研究する価値があると思います。
セミナー終了後は、UTCafeで懇親会が開かれました。懇親会に来られていた多くの方が、Twitterでこのイベントを知って来られており、いつもにもまして多様な人たちの集まりになりました。
セミナーも一種の学びの場ですので、セミナーとTwitterの連動が進んでいる現状そのものが、学習環境のソーシャルイノベーションのさきがけと考えることができます。そういう意味でもわくわくしたイベントになりました。
ゲストとして来ていただいた松村さん、藤沢さん、会場やTwitterでディスカッションに参加していただいたみなさんに厚く御礼申し上げます。
[山内 祐平]
2010.03.20
みなさま、こんにちは。
【ylabと私、この1年】最終回は、
博士課程3年の森玲奈が担当いたします。
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1年があっという間。そんな印象です。
ふりかえるといろいろな事がありました。
初夏には、博士論文の1次審査を受けるという大きな出来事がありました。
ワークショップ実践者の方々へのインタビュー調査・質問紙調査も夏に終え、
いよいよ執筆という段階に。
初めて経験する、産みの苦しみを味わっています。
忙しい時間を割き私に協力してくださった実践者の皆様のためにも、
今までの研究知見をまとめるとともに、
そこから見えてきたことをカタチにできたらと思っています。
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博論の研究以外にも研究、実践ともに精力的に取り組むことのできた1年でした。
まずはUTalk。
福武ホールができて以来、続けてきたUTalkは、前回(3/13)で25回を迎えました。
立ち上げから関わってきたので、ついにここまで来たかと思うと感慨深いです。
さらに、福武ホールのアフィリエイトである企業との共同研究。
昨年度に引き続き、行っています。
株式会社CSKホールディングスとの共同研究では、「CAMPファシリテーター研修」で、受講者の方の学習に関する調査研究を行いました。おかげさまで115名の方にご協力いただき、現在分析を続けています。
株式会社KDDI研究所との共同研究では、創発を促すワークショップのデザインと評価について取り組みました。
昨年度得た手応えをもとに実践し、今年の実践も大変好評でした。
修士1年の時から学生会員として関わってきた NPO法人 Educe Technologiesでは、理事に就任いたしました。以前より続けてきたEduce Cafeの他に、大学生と学びについて考える勉強会FLEDGEをスタートさせるなど、NPOでの活動にもウェイトを割いた1年になりました。
今年はもう一つ、チャレンジを始めた1年でした。
夏から始めたtwitterでは、自分の考えや想いを、1個人として発信するとともに、自分の関心の幅を拡げつつ、<仲間>を見つけ<つながり>を創ることを始めました。
殻に閉じこもりがちな自分の性格を少しでも変えて、新しい学びの種を沢山拾い、
また、自分も沢山の種を大地に蒔けるようにと自らを鼓舞する毎日です。
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山内研究室に入って5年になります。
この春、私はこの研究室を去り、新しい一歩を踏み出すことになりました。
2010年4月から、東京大学大学院情報学環の特任助教を務めます。
今後は情報学環・福武ホールの広報担当としてお仕事をいたします。
勿論、ワークショップや創造的な場のデザインに関する研究も続けますが、
何か新しいことにもチャレンジできるといいなあと思っています。
今までお世話になった皆様に、御礼を申し上げます。
そして、、、
良き先輩・同輩・後輩に恵まれ、楽しく学び多い研究室生活でした。
メンバーの皆様ありがとう。
この研究室でなかったらD3まで続いてなかったことでしょう。
充実した院生生活でした。楽しかったです!!
指導にあたってくださった諸先生方にも勿論御礼を言いたいのですが、
それは博論を出せた時までとっておこうと思います(苦笑)
まだまだ未熟ではありますが、今後ともご支援賜りますよう、
どうぞよろしくお願いいたします。
【森 玲奈】
2010.03.17
最近SNSなどソーシャルメディアの教育利用に関する研究が増えています。インターネットが普及し、オンラインであることが当たり前になった現在、ソーシャルメディアが教育の付加価値をあげる方法として検討されるのは自然な流れでしょう。
ただ、ソーシャルメディアの教育利用についてはここ10年解かれていない2つの難問があります。
1) 閉じたネットワークの場合
教室やメンバーの流動性がない共同体にソーシャルメディアを導入する場合、限られた人数では活性度があがらないという現象が発生します。このケースの場合は現実の人的ネットワークと二重化しているので、一般的に現実の人的ネットワークに介入すれば活性度はあがるのですが、ソーシャルメディアによって教育的価値が向上したというよりも、共同体のマネジメントによってあがった価値がソーシャルメディア上に現れたと考える方が自然ですので、導入の必然性に疑問符がつきます。
2) 開かれたネットワークの場合
Twitterなどの開かれた(誰でも参加できる)ネットワーク上で学習コミュニティを構成する場合、活性度の問題は新規参入者がいる限り表だってでてきません。ただ、この場合、発言してアクティブに活動している人がごく一部に偏るケースがほとんどで、学習という面では学んでいる人とそうでない人の差が極端に出てきます。オープンネットワークでは持てる者はますます富み、持たざる者はいつまでたっても貧しいという格差の問題を抱えるのです。
1) 2)とも、ソーシャルメディアの教育的利用を考える際にははずせない根の深い問題です。今後BEAT(ベネッセ先端教育技術学講座)において、3年間かけて考えていきたいと思います。
3月27日には、そのキックオフになるシンポジウム「学習環境のソーシャルイノベーション:未来を拓く自律的人材の育成」を開催いたします。ぜひご参加ください。
[山内 祐平]
2010.03.14
みなさま,こんにちは。
メンバーがそれぞれの目線で4月からの1年間を振り返るシリーズ【ylabと私、この1年】第7回目は,修士1年の伏木田稚子が担当いたします。
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今わたしは,真っ白なキャンバスに向かうような気持ちで,このブログを書いています。
山内研に入ってから早1年。
振り返ろうとすると,いろいろな想いが押し寄せてきて,頭の中がぐるぐるっと廻ります。
何をどう綴ろう,学んだこと,気づいたことが駆け巡ります。
その合間にある,わたしの中の根っこ,本音の部分をていねいに取り出してここに書こう。
そんな気持ちで,今,感じている限りのことを記し尽くしてみたいと思います。
少し長くなってしまうかもしれませんが・・・。
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この1年,それまで知らなかったこと,知り合わないできた方々に出会う機会が多くありました。
ひとつひとつが小さな喜びでもあり,正直なところ,とてもしんどいことでもありました。
未知なものはこわい,それを自分が受容できるかわからない。
そんな不安が常に付きまとい,浮き沈みの激しい自分に落ち込むこともしばしば。
ある物事に誰かが精通していて,自分は何もできないゼロの状態なのだと認めることは,わたしの前に大きな壁となって立ちはだかりました。
なぜなら,「追いつきたい」「できれば追い越したい」という前向きな気持ちと,「どうしてこんなにできないのだろう」「絶対にできるようになれない」という後ろ向きでうじうじした気持ちとが拮抗し,その間で何も努力ができない自分にうんざりしてしまうからです。
人が乗るビッグウェーブにどぎまぎして,乗り損ねる自分にあたふたする日々。
常に次を見据え,前をしっかりとみて歩み続ける先輩や同期の姿は本当にまぶしかった。
知をinputし,自分の中でじっくりと咀嚼してからoutputする繰り返しを放棄しそうになるわたしにとって,ひたむきに頑張る周囲の人々は,力強くて重みのある憧れでもありました。
嫌なものにふたをしない,できない自分を認める,失敗におびえてあきらめない。
そういうことをただひたすらに学んだ1年は,「つくる」「つたえる」「つみあげる」の3ステップに尽きるような気がします。
●つくること●
修士はひとりでこつこつ研究をするところ。
そう思い込んでいたわたしにとって,グループワークが中心の講義は,たくさんの気づきと戸惑いの嵐でした。
誰がどうリーダーシップをとるのか,何をどうすれば全員の考えを織り交ぜられるのか。
考えること,工夫することは山ほどあります。
取り入れるべき知や,自分の研究に活かせそうな素材も,そこかしこに転がっています。
けれども,講義で何かを得ることではなく,講義を乗り切ることが目的になってしまうと,自分の研究に目を向けることがおろそかになります。
そうかといって,自分の研究にぐーっと意識を集中させ過ぎると,多種多様な知を俯瞰できなくなります。
例えるならば,色とりどりのビーズを前に,ネックレスが作れないと困り果てている状態でした。
どれを糸に通すか,どう色を組み合わせればいいのか,糸の長さはどうしたいのか?
さて,困った,何が何だかわからない!自分は何を作りたかったのだ?
・・・と混乱してしまうのです(笑)
知をinputすること,inputした知を咀嚼すること,それらを他の知と組み合わせること,そして知のつながりをoutputすること。
それは,ビーズをつなげてひとつの作品をつくることと重なります。
隅々まで思いを巡らせ,頭を使っては考えをひねり出す。
それを多角的に見直してはつくり替える。
その連鎖を楽しみながら,ときに大いに苦しみながら過ごせた1年はしあわせだった。
今になってそう思えるようになりました。
●つたえること●
たくさんの方々に支えていただきながら,Beatingというメールマガジンの記事を書くお手伝いをしていました。
科研費を活用されている研究者の方にインタビューに行き,研究の内容や進め方についてお話を伺い,それをまとめる。
その一連の作業は,お話をしてくださる方との対話+わたしの記事を読んでくださる方との交流でもありました。
自分の考えを相手に伝えるとき,どうしても誤解が生じます。
対面であれば,絡まった糸をほぐすようにもう1度伝え直すことも可能ですが,文字だとそうもいきません。
ましてや,わたしではない別の方の言葉を,文字で多数の人々に伝えるというのは,本当に難しいことでした。
話して下さった研究者の熱意が伝わるよう,内容に誤りがないよう,正確かつ的確にまとめて伝えることは,ラブレターを書くときのような緊張と心配りを要するものです。
けれども,BEATingという「公に書く」機会を与えていただいたことで,集中して想いを文字に込める大切さ,相手に想いを伝える楽しさを味わうことができました。
この場をお借りして,研究への愛を存分の語ってくださった研究者のみなさま,わたしの書いた文章を読んで下さった読者のみなさま,外に出て学ぶ機会を与えてくださった山内先生,取材のノウハウを1から教えてくださった御園さん,構成をチェックしてくださった北村さんに感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
●つみあげる●
研究室の先輩,同期,講義で知り合った他の研究室の同期。
大学内で一緒に学んだ人はもちろん,学会やシンポジウム,中原先生主催のイベントや,同期に誘われてのワークショップなど,大学外でも未知な事柄に触れる機会の多い1年でした。
もともと,あまり多くのことを一度に取り入れるとお腹を壊してしまうわたしにとって,消化不良に終わった出来事もいくつかありました。
そして,これから時間をかけてもう1度自分のものにしていきたい事柄もたくさんあります。
振り返り始めたら,1時間もたたないうちにこんなにいろいろな想いがあふれ,まとまらなくなってしまうほど,驚きと喜びと辛さに満ち満ちていました。
そして,人の目を気にする余り,力を注ぎ切れなかった悔いも山積みです。
来年こそは,周りの流れに沿いつつも,自分らしい風を吹かすことができるよう,知や人とのつながりをこつこつと積み上げていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
[伏木田稚子]
2010.03.09
ベネッセコーポレーションが、親子で話し合って使い方を決められるケータイの販売を開始したそうです。
Benesse Mobile FREO
http://www.benesse.co.jp/freo/index.html
携帯電話のアクセス制限は子ども向けの端末を中心に実装されていますが、多くはインターネットへのアクセスを全面的に禁止するというものです。このような制限はトラブルを抑止する効果はありますが、同時に親子が情報機器の利用のメリットやデメリットについて話しあう機会を持たなくなる危険性があります。
FREOの特徴は、使える曜日や時間帯、フィルタリングのレベル(6段階)を親子で話し合ってきめ細かく決めることができる点にあります。子どもの発達にあわせて、制限を現実的に解除していくことが可能になります。
現在成長過程にある子どもは、大人になってインターネットを使わないという選択肢がない世代です。彼らには情報とのつきあい方を大人と話し合いながら学ぶ機会を用意することが必要です。子どもにとって最も身近な大人である親にこのような選択肢ができたことは素晴らしいことだと思います。
[山内 祐平]
2010.03.06
みなさま、こんにちは。
メンバーがそれぞれの目線で4月からの1年間を振り返るシリーズ【ylabと私、この1年】第6回目は、修士1年の程琳が担当します。
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河津桜がもう咲き始めているこの時期です。
振り返ってみれば、一年に続くまた一年が始まるということは、本当に時間が速いもので、矢の如しです。
もうあの頃と言いたくなるぐらいですが、はじめて山内研に来たとき、まだ福武ホールではなく、春日門の近くにある静かな箇所、暫定アネックスでした。ちょうど授業が終わったようで、先生一人に対し、話に緊張しか覚えられない私は、いきなり研究室に笑い声あふれた会話をしながら入ってきた五六人の学生の姿をした人たちに当惑しました。まるでタイムマシーンに乗ってしまった錯覚で、ここ部活のところか研究室なのか一瞬分からなくなったのです。でも、気が引き戻ってきたら、みんなは先生がいらっしゃるからといって、恐縮したり、話題を変えたりしようもなかったその雰囲気に違和感というより、妙な調和感のほうがよいのかと思われました。
ということで、私が山内研に素敵だと魅力を感じた最初のきっかけは、立派な福武ホールではなく、東大の赤門の中にある知識の天国という名でもなく、まさに先輩たちの笑い声でした。あんなに恵まれている、楽しんでいる、幸せな笑い方、私もしたいなと思ったからにほかなりませんでした。
といっても、あれはもう二年ほど前のことでした。恒例の8月に行われる入試よりも半年前から、私は研究生として山内研に入学したのです。正式な院生になれるかどうかも分からず、入学式などももちろんなかったちょっとさびしげな入学でしたが、それを嘆くどころではないのでした。というのは、いざ入ってきたら、いきなり授業も日本語コースも、イントロダクションからいろんななじみのないことがバーと始まり、充実な毎日が続き、新生活をすごすだけで精一杯だったからです。
入学式がなかったといったのですが、ちょっと式のように思われる行事があったのです。
それは、毎年3月の上旬ごろ定例で行われるALTメンバーでの春合宿でした。参加者は学際情報学府の文人コースの山内研と中原研の二つの研究室の人と、BEATセミナーの助教さんが中心となっています。入学直前のウォーミングアップと励ましという意味もあり、卵のM0がこれからの院生生活の全体像が捕まえるようにいろいろと工夫されている豪華な知恵の宴というしかなかったのです。一泊二日間の計画ですが、卒業見込みの先輩の論文を後輩がペアの形で担当し、替わりに発表するのは素敵な組み合わせでした。それから、これからの人のためにそれまでをどう過ごしてきたかを語ってくれるスペシャルセッションも設けられました。飲み会のときも、みんな研究や研究生活の話を気軽に交じり合い、ぎっちりと価値の高すぎる経験で、入学生への最大のプレゼントと思われました。
そのあと、授業も聞きながら、受験準備を始めつつありました。無事に入試に合格し、また半年したら、ようやく桜の花が再開する時期に、私も正式な山内研の一員として入りなおしました。
先端を走る学際情報学府は常に改善と改革を挑み続けるためか、入学したとたん、一週間の集中講義の特論が待っていました。その前に、もう一回の春合宿があったおかげで、それほどいきなりとも思わなかったのですが、(笑)みんな改めて気を取り直したのだと思いました。
さあ、始まるぞと、目覚めたよと、思っても、まだまだ刺激いっぱい来ます。
興味を持って取った新しい授業はむろん、研究生のときにちんぷんかんぷんで取った授業を再履修しても、先生は新たな価値を見つけよと言わんばかりに、まったく異なる課題を取りあげ、つまり、すべて斬新な体験でした。
唯一変わっていないことがあると言えば、グループ作業のパターンですね。分担できるから一人でやるより簡単じゃないかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、決してそんなことはありません。調和の取れたグループ発表ができるように、調整するのに倍以上の苦労をしないといけません。
つきに一回程度の研究発表はもちろん抜けられないし、気がついたら、四月に新学期が始まったが、まもなく五月が迫ってまいり、あっという間に六月の末となり、七月になると、研究に授業、発表にレポート、打ち合わせにミーティング、期末の上、さらに夏合宿の準備で手がいっそう回らなくなります・・・
私、何をやればいいでしょう。何をやってひとつ終わってしまうのでしょう。何をやれば自分が見えてくるのでしょうか。ついつい、鈍感な私でも、もう破綻しそうになりました。
このとき、ちょうど引越しで、荷物を片付けたら、一年ほど前の春合宿のときでのスペシャルセッションの資料が出てきました。そこに先輩たちの経験談が書かれており、その中で何度も強調されているのは「自分の時間をつくる」という言葉でした。
いろいろやっているように自分に見せかけつつも、まったく達成感が来ないのは、正しく私は自分の時間、自分の日々を見失ってしまったのではないかと思われました。
「貴有恒」という毛沢東の座右銘を借りて、少しでも自分のバランスを取り戻してくるようにがんばろうと決めました。
睡眠時間は相変わらず少ないが、もうみんな同じです。苦労するときは、途方にくれるときは、お互いに聞き、互いに協力し、励ましあうのでした。
苦闘とは、自分と孤立したからに他ならなく、自分を見失うのは、きっとほかの仲間から支えられているのを忘れてしまうのだと入学して半年後、やっと気がつきました。
おかげで、後期のほうは、忙しさはいっそう増していくにしても、途方にくれた感じはほとんどなかったでした。チームのみんなで一緒にがんばっているからです。
ところが、このとき、授業は少し余裕ができるようになって来ましたが、自分の研究のほうが足取り重くなり、しばしば何が分からないかさえ分からなくなってくるように思われています。
研究はあくまで自分の責任だからと思って、私は悩めば悩むほど問う口が重くなる嫌いがありますが、夜の研究室で、一人二人になるとき、「食事に行きませんか」と仲間が誘ってくれます、そして、出かけたら、「研究はどう進んでいますか」とやさしく聞いてくれます。それから、みんなそれぞれの研究で私のテーマに近いものが出るたびに、資料を共有してくれます。。。
どれだけ恵まれているのかと私はありがたい気持ちでいつも胸いっぱいです。
今は就職活動で、研究室には足を運ばなくなっていますが、自分がこの輪から外れている感じは全然ないです。メール、電話、つぶやきでみんな常につながっているのです。
戦っているのは自分ひとりではないのだとなんと感謝すべきことでしょう。
四月に入ったら、もう修士課程の二年目に入り、そして低学年の後輩もどんどんはいり、この山内研の輪がいっそう拡大されます。私も、人に先輩と呼ばれる責任が重く、自分の姿を一層しっかりしないといけないと自分に告げています。
人生はみな自分の選んだ奥の細道を進むと思いますが、仲間といれば、さびしいことはなく、自分を失うこともないのだと思います。
研究、就職、それから、人生、私は直面すべき関がまだまだ終わりませんが、この輪にいるからこそ、頑張りさえ諦めなければ、どれも乗り越えていくと思います。
[程 琳]
2010.03.02
2月9日のエントリー「どうして日本人は質問しなくなるのか」に対して、はてなブックマークやTwitterで多くの反響をいただきました。ありがとうございます。
その中で「理由はわかったがどうしたら解決できるのか」というご質問をいただきましたので、考えてみたいと思います。
前回、大学の大人数講義で質問がないということを問題として設定していましたので、これを3つの場合に分けて検討します。
a) 対面形式でなくても、学習者がわからなかった点を共有できればよい場合
この場合、紙を配り学習者に質問を書いてもらうと、多くの質問がでます。それをグルーピングして教師が答えるシンプルな方法でも、授業の満足度があがります。
最近は、テクノロジーを利用するケースも出てきています。Twitterのような同期型のメディアで質問を受け付ける方法は「バックチャネル」と呼ばれ、海外を中心に大学の授業で利用するケースも増えてきています。
ただし、バックチャネルは授業を聞くことと並行して質問を処理しますので、認知的負荷があがります。導入の際には参加者の状況を慎重に判断する必要があります。
b) クラスの規模を小さくしてもよいので、対面で質問を出して欲しい場合
4人程度のグループを作り、グループで質問を出してくださいという指示を出すと、活発な議論が行われます。クラスの規模が40人程度であれば、グループワークの結果「話してもいい雰囲気」が醸成されるので、その後グループごとに発表してもらってから全体にふると、ほとんどの場合自然に質問がでます。このやり方のバリエーションとして、大講義室で5,6名のグループディスカッションをして質問を紙に書いてもらい、まとめながら質問に答えるa)とb)を統合した案もうまくいきます。
c) どんな状況でもものおじせずに質問できるようにしたい場合
これが一番難しい設定です。中学生から高校生にかけて「人前で目立つ行為は恥ずかしい」という文化的コードが内面化されるという仮説を立てましたが、この仮説にしたがうと、中学・高校において質問することに対して肯定的な文化コードを持つ必要があります。具体的には、中学校に b) のような活動を取り入れて、質問する文化を小学校から自然に引き継いでいく方法が考えられます。また、海外の学校に留学したり、交換プログラムを活用することによって文化コードを相対化するというやり方もあるでしょう。
個人的には、全ての日本人がものおじせずに質問できる状態にならなくても、1,2割そういった人びとが現れれば大学や社会の雰囲気は大きく変わると考えています。
もともと、100年前の日本人は必要ない会話をしていませんでした。現代社会の急激な変化にともなって、これでも日本人は質問するようになってきているのです。グローバル化する社会において、海外の人たちとコミュニケーションするために、パワフルな人びとが一定数いた方が有益であると思いますが、文化変容には数十年かかることを前提にした上で、質問しない人も質問する人も受け入れられる寛容な社会になって欲しいと思います。
[山内 祐平]