2010.03.20
みなさま、こんにちは。
【ylabと私、この1年】最終回は、
博士課程3年の森玲奈が担当いたします。
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1年があっという間。そんな印象です。
ふりかえるといろいろな事がありました。
初夏には、博士論文の1次審査を受けるという大きな出来事がありました。
ワークショップ実践者の方々へのインタビュー調査・質問紙調査も夏に終え、
いよいよ執筆という段階に。
初めて経験する、産みの苦しみを味わっています。
忙しい時間を割き私に協力してくださった実践者の皆様のためにも、
今までの研究知見をまとめるとともに、
そこから見えてきたことをカタチにできたらと思っています。
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博論の研究以外にも研究、実践ともに精力的に取り組むことのできた1年でした。
まずはUTalk。
福武ホールができて以来、続けてきたUTalkは、前回(3/13)で25回を迎えました。
立ち上げから関わってきたので、ついにここまで来たかと思うと感慨深いです。
さらに、福武ホールのアフィリエイトである企業との共同研究。
昨年度に引き続き、行っています。
株式会社CSKホールディングスとの共同研究では、「CAMPファシリテーター研修」で、受講者の方の学習に関する調査研究を行いました。おかげさまで115名の方にご協力いただき、現在分析を続けています。
株式会社KDDI研究所との共同研究では、創発を促すワークショップのデザインと評価について取り組みました。
昨年度得た手応えをもとに実践し、今年の実践も大変好評でした。
修士1年の時から学生会員として関わってきた NPO法人 Educe Technologiesでは、理事に就任いたしました。以前より続けてきたEduce Cafeの他に、大学生と学びについて考える勉強会FLEDGEをスタートさせるなど、NPOでの活動にもウェイトを割いた1年になりました。
今年はもう一つ、チャレンジを始めた1年でした。
夏から始めたtwitterでは、自分の考えや想いを、1個人として発信するとともに、自分の関心の幅を拡げつつ、<仲間>を見つけ<つながり>を創ることを始めました。
殻に閉じこもりがちな自分の性格を少しでも変えて、新しい学びの種を沢山拾い、
また、自分も沢山の種を大地に蒔けるようにと自らを鼓舞する毎日です。
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山内研究室に入って5年になります。
この春、私はこの研究室を去り、新しい一歩を踏み出すことになりました。
2010年4月から、東京大学大学院情報学環の特任助教を務めます。
今後は情報学環・福武ホールの広報担当としてお仕事をいたします。
勿論、ワークショップや創造的な場のデザインに関する研究も続けますが、
何か新しいことにもチャレンジできるといいなあと思っています。
今までお世話になった皆様に、御礼を申し上げます。
そして、、、
良き先輩・同輩・後輩に恵まれ、楽しく学び多い研究室生活でした。
メンバーの皆様ありがとう。
この研究室でなかったらD3まで続いてなかったことでしょう。
充実した院生生活でした。楽しかったです!!
指導にあたってくださった諸先生方にも勿論御礼を言いたいのですが、
それは博論を出せた時までとっておこうと思います(苦笑)
まだまだ未熟ではありますが、今後ともご支援賜りますよう、
どうぞよろしくお願いいたします。
【森 玲奈】
2010.03.17
最近SNSなどソーシャルメディアの教育利用に関する研究が増えています。インターネットが普及し、オンラインであることが当たり前になった現在、ソーシャルメディアが教育の付加価値をあげる方法として検討されるのは自然な流れでしょう。
ただ、ソーシャルメディアの教育利用についてはここ10年解かれていない2つの難問があります。
1) 閉じたネットワークの場合
教室やメンバーの流動性がない共同体にソーシャルメディアを導入する場合、限られた人数では活性度があがらないという現象が発生します。このケースの場合は現実の人的ネットワークと二重化しているので、一般的に現実の人的ネットワークに介入すれば活性度はあがるのですが、ソーシャルメディアによって教育的価値が向上したというよりも、共同体のマネジメントによってあがった価値がソーシャルメディア上に現れたと考える方が自然ですので、導入の必然性に疑問符がつきます。
2) 開かれたネットワークの場合
Twitterなどの開かれた(誰でも参加できる)ネットワーク上で学習コミュニティを構成する場合、活性度の問題は新規参入者がいる限り表だってでてきません。ただ、この場合、発言してアクティブに活動している人がごく一部に偏るケースがほとんどで、学習という面では学んでいる人とそうでない人の差が極端に出てきます。オープンネットワークでは持てる者はますます富み、持たざる者はいつまでたっても貧しいという格差の問題を抱えるのです。
1) 2)とも、ソーシャルメディアの教育的利用を考える際にははずせない根の深い問題です。今後BEAT(ベネッセ先端教育技術学講座)において、3年間かけて考えていきたいと思います。
3月27日には、そのキックオフになるシンポジウム「学習環境のソーシャルイノベーション:未来を拓く自律的人材の育成」を開催いたします。ぜひご参加ください。
[山内 祐平]
2010.03.14
みなさま,こんにちは。
メンバーがそれぞれの目線で4月からの1年間を振り返るシリーズ【ylabと私、この1年】第7回目は,修士1年の伏木田稚子が担当いたします。
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今わたしは,真っ白なキャンバスに向かうような気持ちで,このブログを書いています。
山内研に入ってから早1年。
振り返ろうとすると,いろいろな想いが押し寄せてきて,頭の中がぐるぐるっと廻ります。
何をどう綴ろう,学んだこと,気づいたことが駆け巡ります。
その合間にある,わたしの中の根っこ,本音の部分をていねいに取り出してここに書こう。
そんな気持ちで,今,感じている限りのことを記し尽くしてみたいと思います。
少し長くなってしまうかもしれませんが・・・。
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この1年,それまで知らなかったこと,知り合わないできた方々に出会う機会が多くありました。
ひとつひとつが小さな喜びでもあり,正直なところ,とてもしんどいことでもありました。
未知なものはこわい,それを自分が受容できるかわからない。
そんな不安が常に付きまとい,浮き沈みの激しい自分に落ち込むこともしばしば。
ある物事に誰かが精通していて,自分は何もできないゼロの状態なのだと認めることは,わたしの前に大きな壁となって立ちはだかりました。
なぜなら,「追いつきたい」「できれば追い越したい」という前向きな気持ちと,「どうしてこんなにできないのだろう」「絶対にできるようになれない」という後ろ向きでうじうじした気持ちとが拮抗し,その間で何も努力ができない自分にうんざりしてしまうからです。
人が乗るビッグウェーブにどぎまぎして,乗り損ねる自分にあたふたする日々。
常に次を見据え,前をしっかりとみて歩み続ける先輩や同期の姿は本当にまぶしかった。
知をinputし,自分の中でじっくりと咀嚼してからoutputする繰り返しを放棄しそうになるわたしにとって,ひたむきに頑張る周囲の人々は,力強くて重みのある憧れでもありました。
嫌なものにふたをしない,できない自分を認める,失敗におびえてあきらめない。
そういうことをただひたすらに学んだ1年は,「つくる」「つたえる」「つみあげる」の3ステップに尽きるような気がします。
●つくること●
修士はひとりでこつこつ研究をするところ。
そう思い込んでいたわたしにとって,グループワークが中心の講義は,たくさんの気づきと戸惑いの嵐でした。
誰がどうリーダーシップをとるのか,何をどうすれば全員の考えを織り交ぜられるのか。
考えること,工夫することは山ほどあります。
取り入れるべき知や,自分の研究に活かせそうな素材も,そこかしこに転がっています。
けれども,講義で何かを得ることではなく,講義を乗り切ることが目的になってしまうと,自分の研究に目を向けることがおろそかになります。
そうかといって,自分の研究にぐーっと意識を集中させ過ぎると,多種多様な知を俯瞰できなくなります。
例えるならば,色とりどりのビーズを前に,ネックレスが作れないと困り果てている状態でした。
どれを糸に通すか,どう色を組み合わせればいいのか,糸の長さはどうしたいのか?
さて,困った,何が何だかわからない!自分は何を作りたかったのだ?
・・・と混乱してしまうのです(笑)
知をinputすること,inputした知を咀嚼すること,それらを他の知と組み合わせること,そして知のつながりをoutputすること。
それは,ビーズをつなげてひとつの作品をつくることと重なります。
隅々まで思いを巡らせ,頭を使っては考えをひねり出す。
それを多角的に見直してはつくり替える。
その連鎖を楽しみながら,ときに大いに苦しみながら過ごせた1年はしあわせだった。
今になってそう思えるようになりました。
●つたえること●
たくさんの方々に支えていただきながら,Beatingというメールマガジンの記事を書くお手伝いをしていました。
科研費を活用されている研究者の方にインタビューに行き,研究の内容や進め方についてお話を伺い,それをまとめる。
その一連の作業は,お話をしてくださる方との対話+わたしの記事を読んでくださる方との交流でもありました。
自分の考えを相手に伝えるとき,どうしても誤解が生じます。
対面であれば,絡まった糸をほぐすようにもう1度伝え直すことも可能ですが,文字だとそうもいきません。
ましてや,わたしではない別の方の言葉を,文字で多数の人々に伝えるというのは,本当に難しいことでした。
話して下さった研究者の熱意が伝わるよう,内容に誤りがないよう,正確かつ的確にまとめて伝えることは,ラブレターを書くときのような緊張と心配りを要するものです。
けれども,BEATingという「公に書く」機会を与えていただいたことで,集中して想いを文字に込める大切さ,相手に想いを伝える楽しさを味わうことができました。
この場をお借りして,研究への愛を存分の語ってくださった研究者のみなさま,わたしの書いた文章を読んで下さった読者のみなさま,外に出て学ぶ機会を与えてくださった山内先生,取材のノウハウを1から教えてくださった御園さん,構成をチェックしてくださった北村さんに感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
●つみあげる●
研究室の先輩,同期,講義で知り合った他の研究室の同期。
大学内で一緒に学んだ人はもちろん,学会やシンポジウム,中原先生主催のイベントや,同期に誘われてのワークショップなど,大学外でも未知な事柄に触れる機会の多い1年でした。
もともと,あまり多くのことを一度に取り入れるとお腹を壊してしまうわたしにとって,消化不良に終わった出来事もいくつかありました。
そして,これから時間をかけてもう1度自分のものにしていきたい事柄もたくさんあります。
振り返り始めたら,1時間もたたないうちにこんなにいろいろな想いがあふれ,まとまらなくなってしまうほど,驚きと喜びと辛さに満ち満ちていました。
そして,人の目を気にする余り,力を注ぎ切れなかった悔いも山積みです。
来年こそは,周りの流れに沿いつつも,自分らしい風を吹かすことができるよう,知や人とのつながりをこつこつと積み上げていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
[伏木田稚子]
2010.03.09
ベネッセコーポレーションが、親子で話し合って使い方を決められるケータイの販売を開始したそうです。
Benesse Mobile FREO
http://www.benesse.co.jp/freo/index.html
携帯電話のアクセス制限は子ども向けの端末を中心に実装されていますが、多くはインターネットへのアクセスを全面的に禁止するというものです。このような制限はトラブルを抑止する効果はありますが、同時に親子が情報機器の利用のメリットやデメリットについて話しあう機会を持たなくなる危険性があります。
FREOの特徴は、使える曜日や時間帯、フィルタリングのレベル(6段階)を親子で話し合ってきめ細かく決めることができる点にあります。子どもの発達にあわせて、制限を現実的に解除していくことが可能になります。
現在成長過程にある子どもは、大人になってインターネットを使わないという選択肢がない世代です。彼らには情報とのつきあい方を大人と話し合いながら学ぶ機会を用意することが必要です。子どもにとって最も身近な大人である親にこのような選択肢ができたことは素晴らしいことだと思います。
[山内 祐平]
2010.03.06
みなさま、こんにちは。
メンバーがそれぞれの目線で4月からの1年間を振り返るシリーズ【ylabと私、この1年】第6回目は、修士1年の程琳が担当します。
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河津桜がもう咲き始めているこの時期です。
振り返ってみれば、一年に続くまた一年が始まるということは、本当に時間が速いもので、矢の如しです。
もうあの頃と言いたくなるぐらいですが、はじめて山内研に来たとき、まだ福武ホールではなく、春日門の近くにある静かな箇所、暫定アネックスでした。ちょうど授業が終わったようで、先生一人に対し、話に緊張しか覚えられない私は、いきなり研究室に笑い声あふれた会話をしながら入ってきた五六人の学生の姿をした人たちに当惑しました。まるでタイムマシーンに乗ってしまった錯覚で、ここ部活のところか研究室なのか一瞬分からなくなったのです。でも、気が引き戻ってきたら、みんなは先生がいらっしゃるからといって、恐縮したり、話題を変えたりしようもなかったその雰囲気に違和感というより、妙な調和感のほうがよいのかと思われました。
ということで、私が山内研に素敵だと魅力を感じた最初のきっかけは、立派な福武ホールではなく、東大の赤門の中にある知識の天国という名でもなく、まさに先輩たちの笑い声でした。あんなに恵まれている、楽しんでいる、幸せな笑い方、私もしたいなと思ったからにほかなりませんでした。
といっても、あれはもう二年ほど前のことでした。恒例の8月に行われる入試よりも半年前から、私は研究生として山内研に入学したのです。正式な院生になれるかどうかも分からず、入学式などももちろんなかったちょっとさびしげな入学でしたが、それを嘆くどころではないのでした。というのは、いざ入ってきたら、いきなり授業も日本語コースも、イントロダクションからいろんななじみのないことがバーと始まり、充実な毎日が続き、新生活をすごすだけで精一杯だったからです。
入学式がなかったといったのですが、ちょっと式のように思われる行事があったのです。
それは、毎年3月の上旬ごろ定例で行われるALTメンバーでの春合宿でした。参加者は学際情報学府の文人コースの山内研と中原研の二つの研究室の人と、BEATセミナーの助教さんが中心となっています。入学直前のウォーミングアップと励ましという意味もあり、卵のM0がこれからの院生生活の全体像が捕まえるようにいろいろと工夫されている豪華な知恵の宴というしかなかったのです。一泊二日間の計画ですが、卒業見込みの先輩の論文を後輩がペアの形で担当し、替わりに発表するのは素敵な組み合わせでした。それから、これからの人のためにそれまでをどう過ごしてきたかを語ってくれるスペシャルセッションも設けられました。飲み会のときも、みんな研究や研究生活の話を気軽に交じり合い、ぎっちりと価値の高すぎる経験で、入学生への最大のプレゼントと思われました。
そのあと、授業も聞きながら、受験準備を始めつつありました。無事に入試に合格し、また半年したら、ようやく桜の花が再開する時期に、私も正式な山内研の一員として入りなおしました。
先端を走る学際情報学府は常に改善と改革を挑み続けるためか、入学したとたん、一週間の集中講義の特論が待っていました。その前に、もう一回の春合宿があったおかげで、それほどいきなりとも思わなかったのですが、(笑)みんな改めて気を取り直したのだと思いました。
さあ、始まるぞと、目覚めたよと、思っても、まだまだ刺激いっぱい来ます。
興味を持って取った新しい授業はむろん、研究生のときにちんぷんかんぷんで取った授業を再履修しても、先生は新たな価値を見つけよと言わんばかりに、まったく異なる課題を取りあげ、つまり、すべて斬新な体験でした。
唯一変わっていないことがあると言えば、グループ作業のパターンですね。分担できるから一人でやるより簡単じゃないかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、決してそんなことはありません。調和の取れたグループ発表ができるように、調整するのに倍以上の苦労をしないといけません。
つきに一回程度の研究発表はもちろん抜けられないし、気がついたら、四月に新学期が始まったが、まもなく五月が迫ってまいり、あっという間に六月の末となり、七月になると、研究に授業、発表にレポート、打ち合わせにミーティング、期末の上、さらに夏合宿の準備で手がいっそう回らなくなります・・・
私、何をやればいいでしょう。何をやってひとつ終わってしまうのでしょう。何をやれば自分が見えてくるのでしょうか。ついつい、鈍感な私でも、もう破綻しそうになりました。
このとき、ちょうど引越しで、荷物を片付けたら、一年ほど前の春合宿のときでのスペシャルセッションの資料が出てきました。そこに先輩たちの経験談が書かれており、その中で何度も強調されているのは「自分の時間をつくる」という言葉でした。
いろいろやっているように自分に見せかけつつも、まったく達成感が来ないのは、正しく私は自分の時間、自分の日々を見失ってしまったのではないかと思われました。
「貴有恒」という毛沢東の座右銘を借りて、少しでも自分のバランスを取り戻してくるようにがんばろうと決めました。
睡眠時間は相変わらず少ないが、もうみんな同じです。苦労するときは、途方にくれるときは、お互いに聞き、互いに協力し、励ましあうのでした。
苦闘とは、自分と孤立したからに他ならなく、自分を見失うのは、きっとほかの仲間から支えられているのを忘れてしまうのだと入学して半年後、やっと気がつきました。
おかげで、後期のほうは、忙しさはいっそう増していくにしても、途方にくれた感じはほとんどなかったでした。チームのみんなで一緒にがんばっているからです。
ところが、このとき、授業は少し余裕ができるようになって来ましたが、自分の研究のほうが足取り重くなり、しばしば何が分からないかさえ分からなくなってくるように思われています。
研究はあくまで自分の責任だからと思って、私は悩めば悩むほど問う口が重くなる嫌いがありますが、夜の研究室で、一人二人になるとき、「食事に行きませんか」と仲間が誘ってくれます、そして、出かけたら、「研究はどう進んでいますか」とやさしく聞いてくれます。それから、みんなそれぞれの研究で私のテーマに近いものが出るたびに、資料を共有してくれます。。。
どれだけ恵まれているのかと私はありがたい気持ちでいつも胸いっぱいです。
今は就職活動で、研究室には足を運ばなくなっていますが、自分がこの輪から外れている感じは全然ないです。メール、電話、つぶやきでみんな常につながっているのです。
戦っているのは自分ひとりではないのだとなんと感謝すべきことでしょう。
四月に入ったら、もう修士課程の二年目に入り、そして低学年の後輩もどんどんはいり、この山内研の輪がいっそう拡大されます。私も、人に先輩と呼ばれる責任が重く、自分の姿を一層しっかりしないといけないと自分に告げています。
人生はみな自分の選んだ奥の細道を進むと思いますが、仲間といれば、さびしいことはなく、自分を失うこともないのだと思います。
研究、就職、それから、人生、私は直面すべき関がまだまだ終わりませんが、この輪にいるからこそ、頑張りさえ諦めなければ、どれも乗り越えていくと思います。
[程 琳]
2010.03.02
2月9日のエントリー「どうして日本人は質問しなくなるのか」に対して、はてなブックマークやTwitterで多くの反響をいただきました。ありがとうございます。
その中で「理由はわかったがどうしたら解決できるのか」というご質問をいただきましたので、考えてみたいと思います。
前回、大学の大人数講義で質問がないということを問題として設定していましたので、これを3つの場合に分けて検討します。
a) 対面形式でなくても、学習者がわからなかった点を共有できればよい場合
この場合、紙を配り学習者に質問を書いてもらうと、多くの質問がでます。それをグルーピングして教師が答えるシンプルな方法でも、授業の満足度があがります。
最近は、テクノロジーを利用するケースも出てきています。Twitterのような同期型のメディアで質問を受け付ける方法は「バックチャネル」と呼ばれ、海外を中心に大学の授業で利用するケースも増えてきています。
ただし、バックチャネルは授業を聞くことと並行して質問を処理しますので、認知的負荷があがります。導入の際には参加者の状況を慎重に判断する必要があります。
b) クラスの規模を小さくしてもよいので、対面で質問を出して欲しい場合
4人程度のグループを作り、グループで質問を出してくださいという指示を出すと、活発な議論が行われます。クラスの規模が40人程度であれば、グループワークの結果「話してもいい雰囲気」が醸成されるので、その後グループごとに発表してもらってから全体にふると、ほとんどの場合自然に質問がでます。このやり方のバリエーションとして、大講義室で5,6名のグループディスカッションをして質問を紙に書いてもらい、まとめながら質問に答えるa)とb)を統合した案もうまくいきます。
c) どんな状況でもものおじせずに質問できるようにしたい場合
これが一番難しい設定です。中学生から高校生にかけて「人前で目立つ行為は恥ずかしい」という文化的コードが内面化されるという仮説を立てましたが、この仮説にしたがうと、中学・高校において質問することに対して肯定的な文化コードを持つ必要があります。具体的には、中学校に b) のような活動を取り入れて、質問する文化を小学校から自然に引き継いでいく方法が考えられます。また、海外の学校に留学したり、交換プログラムを活用することによって文化コードを相対化するというやり方もあるでしょう。
個人的には、全ての日本人がものおじせずに質問できる状態にならなくても、1,2割そういった人びとが現れれば大学や社会の雰囲気は大きく変わると考えています。
もともと、100年前の日本人は必要ない会話をしていませんでした。現代社会の急激な変化にともなって、これでも日本人は質問するようになってきているのです。グローバル化する社会において、海外の人たちとコミュニケーションするために、パワフルな人びとが一定数いた方が有益であると思いますが、文化変容には数十年かかることを前提にした上で、質問しない人も質問する人も受け入れられる寛容な社会になって欲しいと思います。
[山内 祐平]
2010.02.26
みなさま、こんにちは。
メンバーがそれぞれの目線で4月からの1年間を振り返るシリーズ【ylabと私、この1年】第5回目は、修士1年の帯刀菜奈が担当します。
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2009年4月、武道館での入学式を迎えてから季節が一周しようとしています。
思い起こせば、聖心女子大学に通っていた私が山内研に出会った最初のきっかけは、情報学環の入試説明会でした。
学年横断講義を受けている時にお知らせがあったので、ふらっと参加したのです。
まだ進路も考えていない、学部2年生の春でした。
参加者名簿に記入する時、女子大所属、しかも2年生なんてほかに見当たりません。
場違いなところに来てしまったなぁ、ちょっと参加したら早く帰ろう...と思っていました。
そんな私が工学部の地下会場で目にした情報学環のコース別研究の、なんて個性的でバラバラなこと。
なのに、どの研究も根底に流れているものはなにかつながっていて、太くて深い。
ギラリと光る刃物の先端みたいにゾクゾクさせてくれる。
休憩時間は、パンフレットをめくって...そして見つけたのが山内先生ページでした。
教育工学?学習環境デザインってなんだろう?
ふつふつ湧き上がる「おもしろそう」を抑えられなくて、帰りの電車でも、ずーっと眺めていました。
休日を使っての説明会、すぐに帰ろうと思っていたのに。
3年たった今、念願かなって今年の4月から通いだした山内研での毎日は、めまぐるしく、想像をはるかに超えた忙しさでした。
月を単位に見てみると
ゼミでの研究進捗発表、英語文献輪読。
プロジェクトベースの授業。
U-talkスタッフと、BEATのメールマガジン&セミナーレポート執筆のお仕事を通した山内研コミュニティーへの参加。
学部4年生から在籍する、情報学環教育部の実践的授業の数々。
そして学外では、習い始めて16年目のタップダンス。
実家から通う私は、毎月一度これらのやることが重なると、荷物が多くてカー付きキャリーケースで登校します。
「海外旅行?」って聞かれるけれど、まぁそんな感じ。
何をするにも要領のいいほうではない私にとって、こんなに宿題を抱えて出来るのだろうか...という不安と、
未知の領域へ挑戦してきっと好きなことが見つかるという期待は、
旅に通じるものがあるから。
さて、そんな私がちょこっとだけこの一年、山内研で変わりつつあることがあります。
いままで会話の中で曖昧な返しが多かったのですが、
山内研の研究モードの時に、そうはいかなくなったのです。
簡単にいえば「すごーい」「かわいい」って言って言葉を切るのだけれど
それってなにがすごいの?
どこがかわいいの?
って具体的に伝えることでイメージが共有できるということ。
当たり前のようですが、これがなかなか難しい。
研究発表で先輩方から
「それってたとえばどういうこと?」
誰に何をどう支援したいのか。何回も何回も問われました。
イメージの共有は、たくさんの「突っ込み」に展開し、気付かない視点を教えていただけるのです。おいしいでしょ。
―脱・曖昧―
これが一年の目標にもなり、来年度も引き続き課題となりそうです。
歌にあるけれど「言葉にできない」は、こと研究においては、ナシなのではないでしょうか。
春休みをあければ、いよいよ修士2年生になります。
ガスっと旗を立てて腰を落ち着け課題に向き合う姿勢と
説明会で感じたあのワクワク感を胸に、努力を続けてまいります。
[帯刀 菜奈]
2010.02.18
みなさま、こんにちは。
メンバーがそれぞれの目線で4月からの1年間を振り返るシリーズ【ylabと私、この1年】第4回目は、修士1年の安斎勇樹が担当します。
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大学院に進学してから約1年が経ちました。この1年間は、一言で言えば「最高の学習環境で、様々なことにトライした1年」でしょうか。
学部時代からはガラリと生活が変わり、授業、研究、実践など、様々な「新しいコト」が始まりました。
それぞれ、簡単に振り返ってみたいと思います。
■授業
大学院に入ってまず衝撃を受けたのが、「授業のハードさ」と「面白さ」です。
授業のコマ数自体はたいしたことがないのですが、大半の授業がグループワーク中心の実践的な授業のため、授業時間外でかなりの時間ミーティング時間を確保しなければなりません。
例えば、前期に履修した「研究法Ⅲ(山内先生・水越先生)」では、多様な研究室のメンバーとグループを作り、ワークショップを実際にデザインし、広報し、参加者を集め、実際に2回実践→評価する、という授業です。価値観の違うメンバーと協働でWSをデザインするのは初めてで、なかなかHard-funだった記憶があります。※その際に実践したワークショップはこちら
後期の「基礎Ⅲ(同じく山内先生・水越先生)」では、ある大きなテーマに関してグループで「大づかみに調査し、まとめる」という授業です。今年のテーマはサイバーパンク、視聴覚教育、構造主義、東京大学新聞研究所、の4テーマで、それぞれの班が何十冊と書籍や論文をレビューし、まとめました。非常に苦しい過酷な授業でしたが笑、これまた多様な領域のメンバーと協働でレビューをする中で、学問によるパースペクティブの違いや、歴史をおさえる重要性を実感し、自分の「血肉」となった授業でした。
他にも、学習環境デザインに関する理論を元に学びが起こるミュージアムを企画してコンペ形式で発表する「学習環境デザイン論(山内先生)」や、様々な職種の人にインタビューをして熟達化プロセスを理論化する「組織学習システム論(中原先生)」などなど・・・
毎日何かしらのミーティングが入り、とにかくひたすら「忙しい」のですが、実践的で、面白く、深い学びが得られる授業ばかりで驚きました。学部時代はあまり授業に出ていなかったので、こんなに授業に真剣に取り組んだのは初めてかもしれません(笑)
■研究
M1の間は授業だけでも大変なのですが、あくまでメインは「修士研究」ですので、研究もしっかり進めなくてはいけません。特に山内研究室は1ヶ月弱に1回ペース(本当にあっという間!)で研究発表が回ってくるため、気が抜けませんでした(笑)
M1の前半は研究計画も何も無い段階なので、とにかく沢山関心領域をレビューして、「テーマ探し・問題探し」の日々が続きました。ワークショップに関する先行研究はほとんどありませんので、関連しそうな「メタ認知」「リフレクション」「フロー理論」「素朴理論」「変容的学習理論」「自尊感情」「ジグソーメソッド」など、関連文献を沢山読んで、先行研究をレビューしていきました。僕は工学部出身で基礎知識が全く無く、しかもInputよりも実践重視で生きてきたので笑、レビューはなかなか苦労しました。
山内研の特徴は、この段階のレビューを「じっくり」やらせてもらえる点だと思います。もちろん研究は全体のロジックが重要なのですが、M1の前半はロジックを立てるよりも、本当に自分がやりたい研究をするためにたっぷりと文献レビューに時間を使うのです。一見遠回りで気持ちが焦ることもあるのですが、ひとつひとつ丁寧にレビューしたことが徐々に繋がっていき、関心が明確になり、見えている世界が広がっていく感覚でした。
M1の後半は、レビューの量も減り、いよいよ研究計画を立てる段階になります。この時に大事なのは、先行研究から知識を獲得する作業ではなく、先行研究に「書かれていない問題」を引っ張り出してくることです。僕の場合はワークショップの実践経験があるので、過去の実践経験を思い出したり、実践を観察する中で問題や仮説を見つけることをやりました。これがとても難しいのですが、問題や仮説が見えてくると同時に「実践の見え方」も変わり、実践観察が楽しくなっていきます。いま現在は、テーマがほぼ決まったので、これまでのレビューや実践を振り返りながら研究計画や仮説をより精緻化させている段階です。
■実践活動
授業に研究・・で、本当はこれだけでお腹が"破裂寸前"なほど満腹なのですが、欲張りな僕は実践活動も数多くこなしてきました。
学部時代から継続している連続ワークショップ実践「MindsetSchool」も月に1回ペースで実践をしてきましたし、今年は森さんの「EduceCafe」や中原先生の「Learning bar」などにも積極的にスタッフとして関わってきました。
森さんの紹介で、中西紹一さんの広告デザインワークショップや、上田先生と宮田先生の中京大学での3日間のワークショップなどにも関わらせて頂きました。エキスパートの実践にスタッフとして参加出来たのは非常に貴重な経験になりました。
更に、ワークショップ部としても、HappyHour、15の夜ワークショップ、Learning bar-X(インプロWS)、サードプレイスコレクション2010など・・あれもこれもとワークショップに留まらない場作りにトライしてきました。
・・・と、振り返ってみると「俺、よく生き延びたなぁ」と思うほど色んなことを経験し、学んだ1年間でした。
そうした「学習活動」は、福武ホールにある研究室や学環コモンズなどの「空間」や、山内研・中原研・助教の方々で構成される「コミュニティ」に大いに支えられているからこそ成り立っています。
振り返ってみて、改めて学習環境の重要性を確認し、恵まれた環境を手に入れたのだなぁと実感しています。
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さて、もうM1も終わろうとしています。M2になったら、あれもこれも・・はもう終わり。少しでも良い修士研究をするために、研究に力を注ぎます。せっかくの素晴らしい学習環境をフル活用して、良い研究が出来るように頑張りたいと思います。
[安斎 勇樹]
2010.02.15
先週、ハンヤン大学のSungho Kwon教授をお迎えして、韓国のDigital TextBookプロジェクトについてお話をうかがいました。クォン先生は韓国教育工学会の元会長でDigital TextBook(以下DT)の学術面でのリーダーでもいらっしゃいます。
Digital TextBookプロジェクトの概要については、英語版Wikipediaにも掲載されていますが、簡単にまとめると以下のようものです。
・2007年開始。2010年現在112校が参加。
・韓国政府および教育省が主導(全額国庫負担)。
・選ばれた教室に一人一台タブレットPCを配置する。
・DTには、教科書、学習資料、ノート、質問、辞書、その他の活動をサポートする機能が内蔵されている。
・学習を個別化し、教師がサポートを行う。
・教科別に企業が受注。
・教員にはマニュアルを配布。研修は無し。優秀校にはアメリカ視察の特典。
・学校のみでの利用。自宅には持って帰れない。
このような利用形態は一般的に"One to One Computing(生徒1人1台のコンピュータ環境)"と呼ばれ、韓国だけでなく、様々な国で実験的に施行されています。
韓国はその中でもプロジェクトを最も大規模に展開している事例ですが、背景に特殊な事情があります。ご存じの方も多いと思いますが、韓国は受験のハードルが非常に高い国で、よい大学に行くために親が塾などに多額の出費をしており、それが払える親とそうでない親の格差が社会的な問題になっています。このプロジェクトは公教育の水準を上げ、地域格差を埋めるための方法として行われているのです。
クォン教授は、この実証実験の学習効果も確認しています。中位から下位の学習者については、DTを使うことによって学習効果が上がることが確認されました。ただ、紙の教科書との比較実験については有意差は出なかったそうです。メディアの変化による直接的な学習効果は限定されており、教員がそれを最大限に活用した授業を行った場合は差が出ますが、サンプルの数が大きくなればその効果もなくなるためであると推測しています。
韓国では今後、タブレットPCからLinuxベースの電子書籍端末に変更した上で、e-bookという名前に変更してプロジェクトを継続するそうです。これに関しては10日前にリリースが出たばかりで、まだ決まっていないことが多いとのことでした。
この韓国の事例は、日本における電子教科書の導入について考える際の貴重な参考資料になります。2009年12月に原口総務大臣は原口ビジョンの中で、2015年に全ての小中学校の児童・生徒に電子教科書を配布するという項目を発表しています。
個人的見解ですが、韓国での実証実験の経過を見る限り、2015年に全ての小中学校の児童・生徒に配布するというスケジュールは拙速であると思います。電子教科書はまだ世界各国で試行段階にあり、その教育的意義も十分明らかになっていません。そのような状況で多額の税金を投入することになれば、社会全体から反発を受け、かえって導入が疎外されることになりかねません。
長期的には、電子書籍の端末は低価格化し、社会で広く使われるようになるでしょう。端末価格が10,000円を切れば、コンテンツ代を足しても義務教育国庫負担金の教科書にかけている費用より安くなる可能性もあります。(ただし、数百万台の巨大システムの構築・メンテナンス費用を念頭においておく必要があります。)
無償で提供し、故障にも交換機が用意できる体制になってはじめて、学校だけではなく、自宅に持って帰って学習するという選択ができます。自宅に持って帰って学習できることになれば、学習時間の延びや、学校教育と自宅学習を連動させることによる質向上が見込めるので、導入によって教育的成果が期待できます。
現在行うべきことは、韓国のように10校から100校程度の実証実験を積み重ね、将来に備えることだと考えます。その意味で、クォン教授がやられた学術的な調査は先駆的かつ極めて重要な意味を持つものです。
[山内 祐平]
2010.02.12
みなさま、こんにちは。
メンバーがそれぞれの目線で4月からの1年間を振り返るシリーズ【ylabと私、この1年】第3回目は、修士2年の岡本絵莉が担当します。
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修士課程後半の1年間はあっという間でした。
いろいろな出来事をちゃんと振り返るために、今研究室にあるポートフォーリオを見返しながらブログを書いています。
(山内研究室では、ゼミや研究相談の資料を保存・整理する"ポートフォーリオ"が個人ごとにあります。)
まず私は4月の時点で、リサーチ・クエスチョン、そして工学系研究室の対象に質問紙調査をすることは決まっていました。
それを発表した4月のオフライン発表会(学際情報学府の公式行事で、その年度に卒業予定の学生が互いの研究発表してコメントします。)で、多くのコメントをいただけました。
この時、先生方&他の学生の方からのクリティカルな質問はもちろん、「こういうのってどうなん?」「結果に興味あるわー」という感想・コメントも、自分でも意外なくらい嬉しかったのを覚えています。
当然自分が興味あるから研究するのですが、やっぱり他の人にも興味を持っていただけると嬉しい。
自分の研究を知らない人にもちゃんと伝えられるようにしよう、そして、他の人の研究も傾聴できるようになろうと決めました。
5月、6月は辛かったです。
調査対象の研究室のスケジュールを考慮し、7月に調査をしたいと決めていたのですが、肝心の質問紙づくりが進まない...。
この時は、研究室という調査対象と、理論的な枠組みをかみ合わせられず、具体的な調査項目をどう作れば良いのかが分かりませんでした。
研究室で考えていて分からなくなり、もやもやを整理できないまま研究相談に臨んでしまったり、帰ろうとしているところを「2分だけ」と引きとめて結局数時間相談に乗っていただいたり、思い出せば申し訳ないことだらけですが、特にこの時期研究の面倒を見てくださった助教の北村智さんに本当にお世話になりました。
あとは、研究室の皆様には(いつものことですが)ゼミで丁寧なコメントをいただき、京都大学や山形大学の工学系の先生・学生の皆様にも質問紙の一字一句をチェックしていただきました。
こうしたことがあって、この時期は、「私は理論的なこともよく知らないし、研究手法についても素人だし、いろんな人に迷惑をかけてばっかりだなあ...」と気持ちが停滞気味でした。
たぶんいろいろな方にこうしたことを話していたと思うのですが、おかげで、結局「自分ができることをがんばるしかない」と思えるようになりました。
また、この時期があったおかげで、「もし自分が誰かに何かを"教える"という関係になった時には、こんな風にふるまいたい」というあり方をたくさん知ることできました。
7月はいよいよ調査を開始!
私の調査は研究室単位では対象は約200ですが、個人単位では約3000の規模になりました。
大量の紙や封筒を運び、印刷し、仕分け、ホッチキスどめして、宛名印刷して、封筒につめ、発送するという一連の流れをやってみて、データを取るってこんなに大変なことなんだと実感しました。
それと同時に、同級生や後輩に発送作業を手伝ってもらったり、手続きで事務の方々にお世話になったり、いろいろな方の協力の上に研究は成り立っていることが理解できました。
今後機会があれば、他の人の研究にもいろんな形で協力しようということを決めた時期でした。
8月、9月はデータ入力&分析準備一色でした。
ほぼ毎日のように貴重なデータの入った封筒が返送されてきて、そのたびに「バンザイ!ありがとうございます!」の気持ちでした。
それと並行して、約800人の回答結果の入力作業を行いつつ、調査研究することの意味をかみしめました。
データ入力終了を報告した時の、北村さん含めスタッフの方々の「おつかれさま!」が忘れられません。
10月に入ると、データの整理や分析方針の決定も固まり、本格的な分析に入りました。
この12月に最後の分析を終えるまでずっとですが、統計に苦手意識があり2回の挫折経験がある私が、統計的な手法でデータを分析することを面白いと思うことができました。
また、仮説を検証するというより探索的な調査研究であったため、落としどころが自分でもイメージできず苦しい時も、調査に協力してくださった&結果を報告したい工学系研究室の皆様のおかげでがんばることができました。
11月以降は執筆も本格的に始まりました。
研究室内外の皆様に励ましていただき、心も体も健康に修士論文を書くことができました。
研究室の忘年会(手巻き寿司パーティ)での、後輩の「先輩がお腹痛くなったらダメなので」というもろもろの配慮に感動しました。
直接のお返しができない感謝(と恐縮)がもりだくさんの1年でした。
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修士論文を無事提出し、先日口述審査も終了しました。
ものとしての修士論文に書けたことの100倍くらい、多くのことを経験し、学ぶことができました。
その中で、このブログでは書ききれないいろいろな方にお世話になりました。
特に、日々の研究でお忙しい中調査に協力してくださった全国の研究室の皆様には心より感謝申し上げます。
そして上に書いたこと全部と書ききれないことを含むすてきな学習環境を与えてくださった山内先生、ありがとうございました。
修士課程卒業後も、研究という形ではありませんが、大好きな大学と研究者の近くでがんばっていきたいと思います。
皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。