2010.03.06

【ylabと私、この1年】 幸せのしずく、恵まれの奥細道

みなさま、こんにちは。
メンバーがそれぞれの目線で4月からの1年間を振り返るシリーズ【ylabと私、この1年】第6回目は、修士1年の程琳が担当します。

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河津桜がもう咲き始めているこの時期です。
振り返ってみれば、一年に続くまた一年が始まるということは、本当に時間が速いもので、矢の如しです。

もうあの頃と言いたくなるぐらいですが、はじめて山内研に来たとき、まだ福武ホールではなく、春日門の近くにある静かな箇所、暫定アネックスでした。ちょうど授業が終わったようで、先生一人に対し、話に緊張しか覚えられない私は、いきなり研究室に笑い声あふれた会話をしながら入ってきた五六人の学生の姿をした人たちに当惑しました。まるでタイムマシーンに乗ってしまった錯覚で、ここ部活のところか研究室なのか一瞬分からなくなったのです。でも、気が引き戻ってきたら、みんなは先生がいらっしゃるからといって、恐縮したり、話題を変えたりしようもなかったその雰囲気に違和感というより、妙な調和感のほうがよいのかと思われました。

ということで、私が山内研に素敵だと魅力を感じた最初のきっかけは、立派な福武ホールではなく、東大の赤門の中にある知識の天国という名でもなく、まさに先輩たちの笑い声でした。あんなに恵まれている、楽しんでいる、幸せな笑い方、私もしたいなと思ったからにほかなりませんでした。

といっても、あれはもう二年ほど前のことでした。恒例の8月に行われる入試よりも半年前から、私は研究生として山内研に入学したのです。正式な院生になれるかどうかも分からず、入学式などももちろんなかったちょっとさびしげな入学でしたが、それを嘆くどころではないのでした。というのは、いざ入ってきたら、いきなり授業も日本語コースも、イントロダクションからいろんななじみのないことがバーと始まり、充実な毎日が続き、新生活をすごすだけで精一杯だったからです。

入学式がなかったといったのですが、ちょっと式のように思われる行事があったのです。
それは、毎年3月の上旬ごろ定例で行われるALTメンバーでの春合宿でした。参加者は学際情報学府の文人コースの山内研と中原研の二つの研究室の人と、BEATセミナーの助教さんが中心となっています。入学直前のウォーミングアップと励ましという意味もあり、卵のM0がこれからの院生生活の全体像が捕まえるようにいろいろと工夫されている豪華な知恵の宴というしかなかったのです。一泊二日間の計画ですが、卒業見込みの先輩の論文を後輩がペアの形で担当し、替わりに発表するのは素敵な組み合わせでした。それから、これからの人のためにそれまでをどう過ごしてきたかを語ってくれるスペシャルセッションも設けられました。飲み会のときも、みんな研究や研究生活の話を気軽に交じり合い、ぎっちりと価値の高すぎる経験で、入学生への最大のプレゼントと思われました。

そのあと、授業も聞きながら、受験準備を始めつつありました。無事に入試に合格し、また半年したら、ようやく桜の花が再開する時期に、私も正式な山内研の一員として入りなおしました。

先端を走る学際情報学府は常に改善と改革を挑み続けるためか、入学したとたん、一週間の集中講義の特論が待っていました。その前に、もう一回の春合宿があったおかげで、それほどいきなりとも思わなかったのですが、(笑)みんな改めて気を取り直したのだと思いました。
さあ、始まるぞと、目覚めたよと、思っても、まだまだ刺激いっぱい来ます。
興味を持って取った新しい授業はむろん、研究生のときにちんぷんかんぷんで取った授業を再履修しても、先生は新たな価値を見つけよと言わんばかりに、まったく異なる課題を取りあげ、つまり、すべて斬新な体験でした。
唯一変わっていないことがあると言えば、グループ作業のパターンですね。分担できるから一人でやるより簡単じゃないかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、決してそんなことはありません。調和の取れたグループ発表ができるように、調整するのに倍以上の苦労をしないといけません。
つきに一回程度の研究発表はもちろん抜けられないし、気がついたら、四月に新学期が始まったが、まもなく五月が迫ってまいり、あっという間に六月の末となり、七月になると、研究に授業、発表にレポート、打ち合わせにミーティング、期末の上、さらに夏合宿の準備で手がいっそう回らなくなります・・・

私、何をやればいいでしょう。何をやってひとつ終わってしまうのでしょう。何をやれば自分が見えてくるのでしょうか。ついつい、鈍感な私でも、もう破綻しそうになりました。

このとき、ちょうど引越しで、荷物を片付けたら、一年ほど前の春合宿のときでのスペシャルセッションの資料が出てきました。そこに先輩たちの経験談が書かれており、その中で何度も強調されているのは「自分の時間をつくる」という言葉でした。

いろいろやっているように自分に見せかけつつも、まったく達成感が来ないのは、正しく私は自分の時間、自分の日々を見失ってしまったのではないかと思われました。

「貴有恒」という毛沢東の座右銘を借りて、少しでも自分のバランスを取り戻してくるようにがんばろうと決めました。
睡眠時間は相変わらず少ないが、もうみんな同じです。苦労するときは、途方にくれるときは、お互いに聞き、互いに協力し、励ましあうのでした。
苦闘とは、自分と孤立したからに他ならなく、自分を見失うのは、きっとほかの仲間から支えられているのを忘れてしまうのだと入学して半年後、やっと気がつきました。

おかげで、後期のほうは、忙しさはいっそう増していくにしても、途方にくれた感じはほとんどなかったでした。チームのみんなで一緒にがんばっているからです。

ところが、このとき、授業は少し余裕ができるようになって来ましたが、自分の研究のほうが足取り重くなり、しばしば何が分からないかさえ分からなくなってくるように思われています。
研究はあくまで自分の責任だからと思って、私は悩めば悩むほど問う口が重くなる嫌いがありますが、夜の研究室で、一人二人になるとき、「食事に行きませんか」と仲間が誘ってくれます、そして、出かけたら、「研究はどう進んでいますか」とやさしく聞いてくれます。それから、みんなそれぞれの研究で私のテーマに近いものが出るたびに、資料を共有してくれます。。。
どれだけ恵まれているのかと私はありがたい気持ちでいつも胸いっぱいです。

今は就職活動で、研究室には足を運ばなくなっていますが、自分がこの輪から外れている感じは全然ないです。メール、電話、つぶやきでみんな常につながっているのです。

戦っているのは自分ひとりではないのだとなんと感謝すべきことでしょう。

四月に入ったら、もう修士課程の二年目に入り、そして低学年の後輩もどんどんはいり、この山内研の輪がいっそう拡大されます。私も、人に先輩と呼ばれる責任が重く、自分の姿を一層しっかりしないといけないと自分に告げています。
人生はみな自分の選んだ奥の細道を進むと思いますが、仲間といれば、さびしいことはなく、自分を失うこともないのだと思います。
研究、就職、それから、人生、私は直面すべき関がまだまだ終わりませんが、この輪にいるからこそ、頑張りさえ諦めなければ、どれも乗り越えていくと思います。


[程 琳]

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