2012.01.23
みなさまこんにちは。修士1年の山田小百合です。
読書感想文シリーズ、今週は遅ればせながら私が担当いたします!
ところで、「人生を変えるような出会い」というものが、誰しもあると思うのですが、
人生に影響を与えるような、いいなと思う本、みなさんはどこで出会いますか?
本屋さんでたまたま目に入った、人に紹介された、誰かのレビューを読んで気になった...などなど様々あると思います。
今日ご紹介したい本は、「じぶん・この不思議な存在」です。
著者の鷲田清一さんは、昨年の夏まで大阪大学の総長を務め、任期満了に伴い、退任後、現在は大谷大学文学部で教鞭を取られているそうです。2010年の情報学環・学際情報学府10周年記念シンポジウムにも鷲田さんが来場されていました。
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さて、本の紹介の前に「私とこの本との出会い」について少しお話させてください。
私とこの本との出会いは本屋さんでも、誰かの紹介でもなく、高校の現代文の授業で出会いました。現代文の教科書に出てきたこの文章に出会ったのが、高校1年生、当時16歳です。そういう意味でも、この本の内容について少なからず知っている人は多いのではと思います。現代文の授業では一部しか取り上げられないので、本1冊全部読みたいと思った私は、大学入学後にこの本を購入しました。今でも時々読み返す本の1つです。
当時の私は本を読むことが好きではありませんでした。本が好きでないとなると、読書感想文も上手に書けないので、読書感想文なんてもってのほか。初めてこの本の一部が現代文の教科書に出てきた当時の私も、もちろんちんぷんかんぷんで、テストで良い点をとるために授業を受けていました。
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さらに中学時代に遡った話をすると、当時の私は人間関係が全然うまくいきませんでした。人間関係の悩みも多く、学校も休みがちでしたが、同時に、なぜかふと思ったのです。
「この人たちは、生まれた時から『こいつ超うぜー』とかいう感情を持ちあわせていたわけじゃない。例えば小さいころこの人と出会っていたら自然とかかわりあっていただろうなあ。月日が経ち、自分の周りの人や環境から影響を受けて、好き嫌いを自分の中につくっていくのだろうなあ。それは私も同じだ。」
家庭環境や、関わってきた人、触れてきた情報などなど、様々なんだなと思うと、「ヒトがどのようにできあがるのか」ということを考えることは、ものすごく重要なことなんじゃないか、ということを大まじめに考えていたのが中2の山田小百合(9年前か...)でした。このときのことが今の自分に少なからず影響を与えていることは間違いないです。
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こうして高校生になった私は、この本に授業で出会うのですが、ちんぷんかんぷんのまま時は経ち...また人間関係に悩むできごとがありました。
「わたし」はいつも「他の人」と違っていて、違っているせいで、嫌われてしまう。
そのとき、当時生徒会がきっかけでお世話になっていた国語のS先生に相談することにしました。すると「去年お前これ読んだやろうが」と、彼が取り出したのが現代文の教科書であり、その中にある「じぶん・この不思議な存在」のページを開いてみせたのでした。
"どうして、お前が、他人と違うっちゅーことを、咎められるか。それは、アタリマエのことを言うけど、お前が、他人と違うけえや。"
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私たちは「自分」という存在を分かった気になっていますが、それは果たしてそうなのでしょうか。私はこの本を読むときに、不確かで脆い「自分」に出会います。
「自分」を想像するとき、誰しも具体的な自分というイメージを、まずは自分の身体イメージに頼っているはずです。そこでこんな文章がでてきます。
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たとえば、身体をもたない〈わたし〉がありえないことはあまりに明白であるのに、それでは〈わたし〉と身体とはどのような関係にあるのかと問うてみると、じぶんがほとんどなんの確かな答えももっていないことに気付かされる。
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「自分」の身体がどんどん交換されていくことを想像すると、身体は「自分」にとってかけがえのない存在であるはずなのに、身体と「自分」の関係が曖昧になっていくことに気付かされます。
不思議なことに、私たちは日常の中で「自分」という存在を当たり前のように捉えていますが、実際に私たちは直接、自分の顔も、背中も直視することができません。鏡やカメラなどを介してみることはあるかもしれませんが、結局直視はできない。むしろ「他人」のほうが、私の背中や顔を直視でき、「自分」の見えないところをよく見ることができる。
不思議ですよね、自分はいつも隣り合わせのようで、一番「自分」のことを知っているのは自分なのに、とても不思議な存在に見えてきます。
さらに長いのですが、この流れるような文章を切り離すのが惜しく感じるので、一気に一部引用します。
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わたしたちは、目の前にあるものを、それはなにであるかと解釈し、区分けしながら生きている。たとえば現実と非現実、じぶんとじぶんでないもの、生きているものと死んだもの、よいこととわるいこと、おとなと子ども、男性と女性......。こうした区分けのしかたを他のひとたちと共有しているとき、わたしたちはじぶんを「ふつう」(ノーマル、ナチュラル)の人間だと感じる。そして、わたしたちが共有している意味の分割線を混乱させたり、不明にしたり、無視したりする存在に出会ったとき、(中略)彼らを、別の世界に生きているひとというより、わたしたちの同じこの世界にいながら「ふつう」でないひととみなしてしまう。
ではなぜ、わたしたちは意味の境界にこのようにヒステリックに固執するのだろう。それは、わたしたちが「〜である/〜でない」というしかたでしかじぶんを感じ、理解することができないからではないだろうか。そしてそういう意味の分割のなかにうまくじぶんを挿入できないとき、いったいじぶんはだれなのかという、その存在の輪郭が失われてしまうからではないだろうか。つまり、それほどまでに〈わたし〉はもろく、不可解な存在であるからではないだろうか。
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誰かと区別をすると同時に、自分の存在を感じることになる。きっと「自分とはなんぞや」と考えると、自然とそこに「他人」を感じているということに気付かされます。さらに引用を続けます。
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わたしがだれであるかということは、わたしがだれでないかということ、つまりだれをじぶんとは異なるもの(他者)とみなしているかということと、背中あわせになっていることがわかる。ところが、わたしがそれによって他者との差異を確認するその意味の軸線がわたしたちによって共有されているところでは、この軸線がその形成の歴史を忘却して、「自然」的なものとみなされ(ここから「自然」が規範としての意味をもちはじめる)、それを共有しないものは、わたしたちではないもの=「ふつう」でないものとして否認される。「ふつう」ということは世界の解釈の一体系を共有しているということにすぎないにもかかわらず、である。わたしたちがじぶんの存在にかたちをあたえていくこのプロセスは、だから同時に、きわめて政治的なプロセスでもある。それは、つねに解釈の基準を提示し、それを共有できないものは排除し、それをはずれるものには欠陥とか劣性といった否定的なまなざしのもとでみずからを見ることを強いる。
わたしはだれかという問いは、わたしはだれを〈非−わたし〉として差異化(=差別)することによってわたしでありえているのか、という問いと一体をなしている。わたしもあなたも同じ「人間」であるという言いかたは、〈わたし〉が一定の差別(逆差別も含めて)のうえにはじめてなりたつ存在にすぎないことをかえって覆い隠してしまうおそれがある。
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そしてその区別は、集団の中でさらに形成されてゆきます。
この文章こそ、教科書の中にでてきていた文章でした。ここで高校時代の私に戻ります。
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"「自分」というものは、こうして様々な線引きの中で創り上げられている。人間という不思議な存在の脆さ、弱さを知っているだけでも、お前はもう少し生きやすくならんか。"
中学くらいからふわふわと考えていることが、そして今の現状が、こんなにシンプルに表現されているなんて!なんだか特別なことを誰よりも先に知れたような気がして、とても嬉しくなったのです。
そして、そんな自分と真剣に向き合ってくれたS先生の優しさに対して、とてもありがたいと思ったと同時に、放課後のもう下校時間をすぎた職員室で、大泣きをしたのが、当時の私です。(笑)
そしてこの日を境に、私は本を読むようになりました。ちなみにその先生とは学部の時の教育実習で数年ぶりに再会し、お酒を飲みながら語りました。
人もそうだし、本もそうだし、出会いというものは、とても不思議な出来事ですね。
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そして、この本を読むと、思い出すことがもう1つあります。
昨年、FLEDGEのディレクターを務めていた時、「箱男ワークショップ」を実施したグループがいました。安部公房の小説「箱男」のように、ダンボールを被って街を歩き、そのとき感じたことを文章にして披露するというもの。何人もの人が本郷三丁目界隈をダンボールを纏い街を歩き、おみせに入ったり、うろうろしている姿は滑稽なものでした。当時Twitterでも「箱かぶった人がいっぱいいる」というようなツイートが目立ち、写メを撮られ、写メもツイートされていたくらいです。
そのワークショップの振り返りの日、参加者の感想の中で「最初は箱を被って歩くことで人の目も気になるし緊張するのだけど、そのうち箱をかぶっていることが気にならなくなる」といった感想があったような記憶があります。
箱をかぶったままコンビニで買い物をするのは目立つし恥ずかしいはず。しかしその状態が自然と「自分」に取り込まれていく。
「自分」は一体、どこへ行ってしまうのでしょうか。
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研究活動は、色々な人、サンプルから、共通することを見つけ、とりあげ、構造化したりパターンを見出したりします。これはすごく大切なことで、社会的に意義のあることだと思います。だから私は研究活動をしています。
同時に私たちは「違う存在」であることを、忘れてはいけないなと感じさせてくれます。一人ひとりを見るということについて考えさせられるのです。
就職活動でも「自己分析」なんて言いますが、自分の中に問い続けたところで「自分」というものはわからない。私たちは「他人」を経由して「自分」を認識する。そして「他人」と比較しても、ある側面の自分は認識できますが、結局それはある種一部であり、「自分」というものを結論づけることができない、とても不確かで脆い存在なのだなと気付かされるのです。
何かに困ったとき、悩んだ時、この本を読んで「自分」というものの輪郭を曖昧にさせてゆく。この瞬間がなんだか気持ちよかったりするのです。
そして、自分という不思議な存在についてわからなくなる。
「私」は、一体、何者なのでしょうか。
【山田小百合】
2012.01.16
みなさま、こんにちは。
今週は、修士1年の末 橘花が担当をさせていただきます。
前回の呉さんの教養の高さが伺える記事の更新後に私が書くのはなんだか恐縮ですが、
早速ご紹介していきたいと思います。
私が紹介するのは、『森は海の恋人』です。
筆者の畠山重篤さんは、宮城県気仙沼市唐桑で牡蠣養殖業を営む傍ら、豊かな海を取り戻すために、平成元年より漁民による広葉樹の植林活動「森は海の恋人」運動を続けています。
この運動は、気仙沼市在住の歌人、熊谷龍子の句
「森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの愛紡ぎゆく」
より名付けられた「森は海の恋人」というキャッチフレーズと共に全国にその運動の輪が広がり、漁民による森づくり、森と川と海を一体としてとらえる環境認識、子供たちへの環境教育のシンボル的な運動として位置づけられています。
本書では、畠山さんの目から見た気仙沼市唐桑の漁民文化が描かれており、その中で海と森の密接な関係について言及されています。
海水と河川水の交わる汽水域での生物生産にとって重要な養分は、上流の森の腐葉土を通過した河川水、地下水が運んでくることに漁民たちが気づきました。気仙沼湾に注ぐ大川の上流域の岩手県室根村(現一関市室根町)の室根山に地元の人々の理解のもと、広葉樹の森を作り始めたのでした。これが運動の発端でした。
こういった取り組みの中にある背景として、本書では、ふるさとを想う気持ちや、漁民として海と森の中に生きる伝統や文化を表現しています。本書には短いストーリーがいくつも並んでいます。それは筆者の少年時代の体験であったり、漁民としての生活の知恵であったり、共に生きる魚や鳥などの生き物の話であったりします。
このように伝統や文化を書き残していくことは、地域の歴史にとって、また地域の活性化などにも通じる非常に価値のあることなのではないかと思います。
今日の技術の発展は目覚ましいものであり、数十年で生活様式も漁業のスタイルも大きく変わりました。しかし、こうして気仙沼の歴史が畠山さんの手によって描かれていくことで、昔ながらの知恵をつなぎ残していくことは、地域民にとっての文化やアイデンティティになるのかもしれません。
気仙沼での漁業といった地域に根付いた伝統や歴史、昔ながらの知恵、これらは歴史の教科書には載っていません。授業ではなかなか学ぶことができないものです。
しかし私は、それらを継承していくことに意義があると信じています。私は現在、オーラル・ヒストリーに関する研究を行っておりますが、実際に社会学などでも、従来の政治を中心とした「いわゆる歴史」だけではなく、マイノリティや女性、大衆、地域といったこれまで歴史として目を向けられなかった人々の声を聞き取りそれを残していく「オーラル・ヒストリー」が広がっています。オーラル・ヒストリーは、インタビューを通した口述記録を歴史に残していくものですが、本書のようなエッセイのようなものや日記なども重要な資料と言えます。
さて、『森は海の恋人』の物語の舞台は、気仙沼地方。
先の東日本大震災で津波被害を受けた場所です。私も先日、現地の様子の調査に同行したのですが、誰もいない何もない、全てが跡形もなくなっている光景は、なんとも言いがたいものでした。
全てが哀しみに覆われた中、漁業にも当然のごとく影響が及びました。
例えば、牡蠣養殖場はほとんどが流されてしまいました。津波で生き残った種牡蠣はせいぜい数%で、収穫安定までに最低3年はかかるそうです。牡蠣産業は壊滅的な危機状況を迎えたのでした。
そこでいち早く復興支援に名乗り出たのがフランスでした。
ご存知フランス料理にもよく牡蠣が出てくるように、牡蠣はフランスの国民的な料理の一つです。それだけではなく、フランスが気仙沼を応援するには深い理由があったのです。
本書にもあるように、約 50 年前、フランスのブルターニュ地方の牡蠣が病気による壊滅的被害に遭った際に、宮城県産の種牡蠣がフランスに渡り、ブルターニュのみならずフランスの牡蠣業界を救ったという背景があります。現在フランスで作られているほとんどが、宮城県産の牡蠣と同じ種類なのだとか。またそれ以来今日に至るまでブルターニュと宮城県の友好的な関係が続いているそうです。
今回のフランスの活動も「日本へのお返し」とうたって支援活動が行われています。歴史は、人や地域、国を巻き込んで連鎖していきます。みなさんの住む街や地域にも、そこに根ざした独自の伝統や文化そして歴史は静かに眠っているのではないでしょうか。是非一度向き合ってみてください。
今回の深い哀しみも語り継がれていくのであろうし、語り継いでいくべきだと思います。歴史が積み重なっていき、それを教訓として活かすことはとても大切なことです。
震災地の復興を願っています。
2012.01.05
明けましておめでとうございます。
修士1年の呉重恩です。
日頃の読書の感想文‐-今週はわたしを担当させていただきます。
最近、日頃に研究分野に関わる本を読んでいませんので、少し脱線したものを書きます。
読後感というのはかなり主観性の強いものです。読み手は自分自身の性格や価値観に合っているようなところに深く共感するからです。恐ろしいのは、多くの人はつい調子に乗ってその共感点を何倍も何倍も拡大して、自分の性格をシェピングしていくことです。もし共感が出来たところは、世の中の道徳基準や社会倫理によって「良い」ならば、それはいくら影響を受けても人格が良い方向性へ形付けられていくのでしょう。しかしそうではなければ、「毒害」される可能性もあります。
それはわたし自身の場合を振り返ってみればよく分かったことです。
中学生の頃、約2年間の間にずっとダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』に関する評論文を書いていました。直感でエミリー・ブロンテの『嵐が丘』に類似した作品だったと思い、やはりイギリス北部の湿度の高い憂鬱な雰囲気がかなり気に入ったから、つい同じタイプの本を読んでしまいます。そしてこのようなややゴシック風の哀愁が丁度自分の性格の暗い一面――ヒステリーに合致したので、共感を思いました。さらにその共感を実際生活の中で倍に拡大し、少女の哀愁をアピールしようと思って、わざと夜中の大雨の中で傘を差さずに散歩するような気持ち悪い行動をしました。
高校生の頃、戦争史にはまって、『三国志』『東周列国伝』『戦国策』『五代十国演義』ばかり読んでいて、何も「良い」点を吸収せず、自分の性格に潜んだ反抗性の言い訳になれそうな内容ばかりに共感しました。開国者は農民であれば絶対滅国の結末に決まっているという結論を勝手につけて、所詮農民の乱は一時的に政府を倒して政権を奪ったとしても愚かで乱暴な統治しかできないから農民階層の政治運動を徹底的に否定した感想文を書きました。そして同文でMao(do not ask me who he is!!)を同じく愚かな農民と定義したから、学校側に「思想不端正」の理由で入党申請を拒否されました。(このことは絶対後悔しません。「もし海外に出たことのある人であれば事情が変わる」と揺れたことがありますが、結局ポル・ポトみたいなフランスから帰国した優秀な留学生でも、赤色クメールのような暴行を犯したわけですから、とりあえず当時の結論を堅持します。もちろん、農民自体を愚かなものと定義したいわけではないです――自分の先祖の中にも必ず農民がいますから、忤逆の罪は被りたくないです。あくまでも政権の正当性と妥当性に関わる論述です。)
大学生の頃、格好を付けるため、プルーストの『失われた時を求めて』全巻をあきらめたい気持ちを抑えしつつ読み終わりました。結局「無意識流派」の基本手法など何も捉えられず、文中のフランス上流社会の贅沢なライフスタイルと作家の神経質ばかりに注目していました。無論また共感ができたからです。そして、プルーストを読んでいる1年間の生活費はものすごく莫大だったから両親に怒られました。
この時期読むのが多いのはオスカー・ワイルドの作品です。今回は彼の『ドリアン・グレイの肖像』の読後感を書くことにします。
本書はの粗筋:
[画家のバジルのモデルになったドリアン・グレイは大変な美青年である。ドリアンは、警句家ヘンリー卿のさまざまな逆説的見識に共鳴しながら、悪徳を重ねる。ある天才女優と恋に落ちるが、彼女が本当の恋を知ったがゆえに舞台で恋する女を演じられなくなったため、ドリアンは彼女に興味を持てなくなる。そのことを本人に直言してしまうと、彼女は自殺らしき死に至る。
ドリアンは自分の美の衰えを恐れる。ところが、彼は老けずに美しいままである。そのかわり、彼が年齢や悪徳を重ねると、バジルの描いたドリアンの肖像画が、その分だけ醜くなっていく。]
以上、wikipediaから直接コピーしてきたものです。
主要人物は画家のバジルと美少年のドリアンとヘンリー卿三人です。感想文を書くといえば、この三人と三人の間の関係性を読み解くのは必然的になります。
本書に関する学術論文と軽い風のエッセイがいっぱいありますが、ほぼフロイトの心的装置理論におけるエス、自我、超自我をそれぞれ三人の人物と対照しながらその関係性を解明しているものが多いです。
とてもそのような読み方には合流できません。『ドリアン・グレイの肖像』の出版は、心的装置理論より約30年先のことですから、まず時点的には適格ではないです。そしてフロイト理論で解析した結果はワイルド自身がこの作品に対する解釈と矛盾しているのです。現代の心理学理論を使って作者の本意と作品の寓意を読み解くのはある意味的に筋が通っていて格好良いかもしれませんが、よっぽと厳密な論証ができなければ牽強付会の恐れがありますので、作者本人の解釈を尊重した上に作品を作者の実生活に還元させることを忘れないほうがいいと思います。
どんな読み解き方でも、本書がオスカー・ワイルド本人を描写する自伝みたいなものだ、という観点は変わりません。こうすると、この本の感想は、ワイルドその人に対する理解と切り替えればいいと思います。
一言でワイルドがどんな人だかといいますと、同時代の者がいない人です。
彼が生きたのはヴイクトリア時代です。当然人間は入力された様々なメッセージや情報はその時代までのものに限っているのでしょう。しかしワイルドが表出しいてすべては、生きていた社会から入力されたものによって出力すべきだったものを超過しているものだと理解していいです。ワイルドの服装から、言動、審美、価値観までのすべてを見ればまるで未来から来た人間のようです。そのようなワイルドは、むしろ未来人がタイムマシンに乗って過去のヴイクトリア時代に飛び入った人間で、何事においても人より一歩早く理解し、全ての現象を鋭い目で素早く洞察できるわけです。そして未来の事象を当時の人々に分かってもらう渇望をヴイクトリア時代に一発的に投げ出してしまったのです。このようなワイルドは、当時の社会において、派手な人間や変人だと見られ、心を知ってくれる者のいない孤独な人間でした。もちろん、死後はかなりの支持者やファンが出たそうです。だいたい「派手+変人+孤独=天才」という式がその人が死んだ途端に自動的に効用されるみたいで、ワイルドも例外になりませんでした。
ワイルド自身の解釈だと、バジルは真実のワイルドで、ヘンリー卿は世間の人達の目の中のワイルドで、ドリアンはワイルドがなりなくてなれなかった理想中の自身だそうです。
確かにこの作品はオスカー・ワイルドの人格と彼が抱えていた夢、価値観を表出しただけではなく、彼の心に隠された部分までもプロットの発展によって段々と目の前に展開され、そして彼の実生活に織り込みながらその美しい且つ滑稽な一生はモンタージュの形で映されていました。
このモンタージュの続きのなかで、以下の幾つかの断片を拾い、それを手がかりとして『ドリアングレイの肖像』ないしオスカー・ワイルドその人の中味を読み解きます。
[ナルシシズム][芸術のための芸術][パラドックス][自傷行為][悲劇]
*ドリアン・グレイー
ドリアングレイはまるでギリシア神話の中の美少年のナルキッソスのように、自分の美貌に惚れました。そして、彼はその美貌と青春が続けるため、すべての罪と不合理なことを画像に負担させ、所謂美を求めるために自分の霊魂と良心を捨てたことです。このようなエピソードは当時において斬新な文学手法ではなく、ゲーテの『ファウスト』に「霊魂を悪魔に売る」ような話が既に出ました。面白いことはゲーテの戯曲を含めたこの類のストーリーがみな悲劇でした。当時フランスでボードレールらが提唱したピュアな芸術、芸術のための芸術という思潮に合流し、美のためなら社会倫理に逆らうことをしてもいい、美のためなら恋人を失ってもいい、美のためなら生活ないし命を捨ててもいい、という極端な形象――ドリアン・グレイをワイルドが作り出しました。しかし、芸術が生活から来るよりも生活が芸術から来る、という「芸術最高」の唯美主義テーゼは今のような個性化の時代においてもハッピーエンドになりにくいのに、況して工業革命の背景で功利主義を唱えていたビクトリア時代ならさらに悲劇から逃げられないでしょう。ドリアンは美を続ける願いが叶えたのですが、結局バジルの説教と世間の倫理から完全に解放されられず、美の宮殿に飛び向かおう、飛び向かおうと思いながら、自分が犯した罪があまりにも重くて翼を広げられなくなった結果、美の宮殿に行けず現実社会にも戻れなくなりました。このような行く場所もない、変格した自身に救えなさを感じていたゆえ、自ら命を絶つことにしました。
*オスカー・ワイルド
妙なことは、オスカー・ワイルドもドリアン・グレイと全く同じ道を歩いてきました。ワイルドはアメリカに渡航したとき、税関で申告物があるかと聞かれたとき、「申告しなかればならないのか?じゃ俺が天才っていうことを記録しとけ」と答えたから、無論ナルシシズムの一面があるでしょう。しかし彼が優秀者ばかりが集まったオクスフォード大学においても最も輝かしい一人だったから、その魅力の大きさは恐らく今の私達が想像できないと思います。
ワイルドはとてもお洒落で優雅な人で、服装や装飾にかなりのこだわりと独創性を持ち、優雅な見た目と誰も匹敵できない弁舌が揃っているため、典型的なダンデイズムの代表者だと考えられます。今ならダンディと言えば、社会を懐疑したり軽蔑したりする一方であまり世間の苦しさやつらさを知らない甘い人を指すイメージですので、マイナスな色が濃いようです。しかし、デンディには決して誰でもなれるわけじゃないですし、虚栄心ばかりの優雅だって優雅ですから、個人的には気に入っています。大体昔のダンディは見た目がお洒落だけでなく、人に尊敬されるべき才能を持っている例が多いです。「人は芸術品であるか、または芸術品を身につけるかのどちらかであるべきだ」‐-オスカ ー・ワイルドは正に生まれ付きの芸術品でもありますし、眩しい芸術品をいっぱい身につける人でもあります。
このような「芸術品をいっぱい被っている芸術品」である彼にとっては、唯美主義が唯一の行方になるのはもはやおかしくなくなるかもしれません。美をそれほど大事にするのは、その時代において見方になれる人がほとんどいなかったが、それにしてもワイルドは相変わらずお洒落な格好と弁舌で彼と全く違った価値観や審美観を持った人々を魅了できたのです。言葉の遊戯で自分の「信仰」を売るのは、天才のワイルドにとっては何も難しくないようです。彼がパラドックス作りが得意で、一見矛盾した言葉ですが、実際その滑稽さの中に多大な真理が隠れています。ワイルドの同時代の人はそれを分からなくて、ただの笑い言葉として聞き流したかもしれませんが、ワイルド死後の長い1世紀のうち、彼のパラドックス警句によって刺激された人が数えられないほどいます。
しかし、パラドックスに夢中だったワイルドは、いつの間にか生活と人生全体も1つの大きなパラドックスになってしまい、気付いたときはすでに出口のないジレンマに囚われたわけです。「私達はみな溝の中にいるが、それにしても星を見上げる人がいる」‐-星を見上げるときは心が柔らかくてなってとても幸せだった錯覚が出たのでしょうが、現実を忘れた結果溝の中にますます沈んでしまうことはまたワイルドを不幸にさせたと思いました。そしてその不幸はむしろ最初から決まっているのじゃないでしょうか。人を不幸にさせるのは、判断の間違いや他人の迫害よりもその人自身の性格に根付いたものだと考えています。
私はワイルドを、星を見上げろ、とヴイクトリア時代の人々を呼びかけて、みんなを美の世界までに連れていていくような偉い人としてとても思えない。そのような文学・芸術界の巨人みたいなキャラクターより、むしろただの「自分の夢に執着する人」といえばいいでしょう。ワイルドは、ドリアンになりたいという夢と現実との矛盾を知りながらも強引にその二者を調和させようと努力し続けました。ダグラス卿との愛(同性愛)を守るため、卑猥行為で投獄され、さらに破産、母親との死別、妻・息子との絶縁、など惨めなことが次々と起こりました。もともとこのような結果は避けられるはずだったのですが、幼少時代から「一回英帝国の女王の裁判廷に立って告訴を受けたい」みたいな、信じられないほど非常理的な夢を持っていたから、訴えられたときつい自傷したくなって敗訴可能性の一番大きい道を選んだのです。今考えれば、人間というのは、自分を傷付けたり虐待したりすることから言葉で伝えられない快感を得られるもんですね。ワイルドも自分に不利な判決を出されたときに、密かに微笑んだじゃないか、と思いました。
すべてを失った彼は縁を続けてくれた妻・子どもとダグラス卿のうち、迷わずダグラス卿を選び、フランスなどで転々としたのです。そして服役終了後から死ぬまでの間に、かつてオクスフォードの首席だった彼、優雅でプライド高い彼はすでに世間に完全に捨てられました―――世間の理解無能に対して何も恨みを感じていなかったが、認めなくても実際に同世代の人が一人もいなかった孤独な人生を過ごしました。悲劇でした。
しかし、いまなら、彼のお墓に、色様々な唇の印が残っています――それは後人が捧げた愛と理解です―――たとえどんなに孤独な人間だって、いつか、たとえこの世にいなくなっても、必ずいつか誰か分かってくれる人、誰か心を知ってくれる人がいます。それは歴史の車輪が私達にくれたギフトです。
6年ぶりの再読ですが、6年前にワイルドの頭の良さに感服したばかりでした。いまは同性愛以外のものに対して共感が驚くほど大きかったのです。しかし、そのような共感を実生活の中で何一つも行動に移せようと思いません。ワイルドのような人になるのは、生まれつきの素質が必要です。そのような素質を何一つも備えていない自分に対して、むしろほっとした安心を感じています。
2012.01.03
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
2012年の年頭記事を読んでいる中で、Wired誌に面白い記事を見つけました。その中から気になった部分を引用します。
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2012年は、既存の何かが大きく変わり、
未知の何かが新しく始まる、
そんな1年であるような予感がしています。
2011年の秋に『WIRED』US版の編集長クリス・アンダーソンに
インタヴューした際の言葉が強く印象に残っています。
彼は、iPad向けのデジタルマガジンのつくりかたについて、
「何が正しいやり方なのか、何ひとつわからない」と語っていました。
「5年後にアプリってものがあるかどうかすら定かではないし」とも。
「それじゃ困るでしょう」と問い返すと、
彼は肩を竦めて、嬉しそうにこう答えたのでした。
「Welcome to the Future. 未来へようこそ」
「未来」には、あらかじめ決定された地図はありません。
仮説を立て、試行錯誤を繰り返しながら
手探りで進んでいくしか、
その地図を手にする方法はありません。
だからこそ『WIRED』は、失敗を恐れることなく
率先して試行錯誤を繰り返していくことが使命だ、と、
クリス・アンダーソンは言います。
最新テクノロジーを切り口に、世の中のあらゆる事象を
リポートしていく『WIRED』の役割は、
つまり、臆することなく社会の斥候の役割を
務めるところにある、ということなのでしょう。
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海図のない未来に向けて、失敗を恐れず、率先して試行錯誤を繰り返していくという営みは、今後メディアだけでなく、大学の使命にもなってくるように思います。
情報化社会が進展すればするほど、社会の複雑さは増大し、予想しないことが起きやすくなります。逆に言えば、試行錯誤によってイノベーションが生まれやすくなっているともいえます。変化が特別なことではなく、常態になること。これこそが現在起こりつつある情報革命の本質なのかもしれません。
変化に適応することを学習と定義すれば、これは、学習が常態になることも意味しています。そのような時代にふさわしい学習環境について、今年も微力ながら研究を進めていきたいと考えています。
【山内 祐平】
2011.12.29
皆様お久しぶりです!
修士1年の河田承子です。
クリスマスも終わり、街中はすっかりお正月気分に変わってしまいましたね。今年も残すところわずかとなり、1年はあっという間だなと感じている今日この頃です。
今回、私が選んだ一冊は、小西行郎の「早期教育と脳」です。この本を知ったのは、研究室の先輩から頂いた事がきっかけでした。タイトルからして私の興味をそそるものだったのですが、読み始めると共感するところが多く、時間がたつのを忘れてしまいました。
著者で小児科医の小西行郎は、長年様々な親子を見てきた中で、子どもの発達を「脳」のみで捉える最近の早期教育に疑問を呈しています。
少子化と言われているにも関わらず、0歳〜未就園児の「乳幼児教育市場」が1500億にのぼり、英才・能力開発教室や英会話教材が1位と2位を独占している実態から、子どもの「脳」に対する親の期待や関心の高さが伺えます。
このような現状に対して、まず著者が指摘していることが「臨界期」という考え方です。本来、生物にとっての「臨界期」とは、「生物が環境に適応するために脳が柔らかい状態で生まれ、それぞれの環境に合わせて生きていけるように脳の機能を柔軟に作り替え、それを定着させることのできる時期」を意味します。この「環境を合わせて生きていける」のが重要で、算数や英語といった知能を教科することのみに与えられた能力ではありません。ところが、現在の早期教育の風潮では、人間の発達の一つの側面であるに過ぎない「臨界期」を、「教育的効果の高い時期」といった範囲で捉えていると述べています。本来の意味とは異なり、「この時期を逃したら手遅れ」という「臨界期」のイメージが、親が早期教育に走る原因になっているのでしょう。
更に、著者が第2章で挙げていたものが、「乳幼児と英語教育」です。経済のグローバル化に伴い、小さい頃から英語を学ばせようという動きが高まってきています。書店では幼児向け英語雑誌が売られ、子どもが喜びそうな音やリズムを中心としたビデオ教材や知育玩具、キッズ英会話教室などが流行しており、親はそういった様々な情報を集めています。私は学部時代に、幼児向けの英語スクールで働いていたのですが、そこでは生後6ヶ月位のお子さんが通っていました。まだハイハイもおぼつかない子どもが、その時期から英語を始めることにびっくりしたのですが、そういった時代の流れがあったのだな、とその頃を振り返りながら感じました。
このような現状に対して、著者は英語教育は第一言語を習得した後で始めるべきであり、早期教育をするのであれば、親にも根気と覚悟が必要だ、と説いています。早期教育をすると、子どもの効果を求めてしまいがちですが、あまり効果を求めるのではなく、英語を通して親子の関係を深めることが大切ではないか、と提言されています。
意外なことに、今のところ早期教育において信頼できる科学的データが報告されていません。さらに、どういう刺激を、どの程度、どの年齢に与えれば効果的かる安心できるものなのか、ということも分かっていないそうです。早期教育にはまだまだ解明されていないことがあります。勿論、効果を求めたい気持ちはあるとは思いますが、親が刺激を与え続けるのではなく、子どもの自発的な発達を見守りながら、彼らの世界を広げていければ望ましいなと、この本を読んで思いました。
私は現在、修士研究で「親と育児情報」をテーマに、親が子育ての中で育児情報をどのように活用しているのかを研究しています。本書で示されていたような言語能力や早期教育についての情報が、子育でどのように活用されているのか、これから詳しく見ていきたいです。
<参考文献>
小西行郎(2004) 早期教育と脳
2011.12.23
皆様こんにちは。
修士2年の土居由布子です。
いよいよ2012年まで10日を切りました!
明後日はクリスマスですが,今日からの三連休を皆様満喫されているでしょうか?
さて,第3回【読書感想文】として私が選んだ1冊は,私の進路に大きな影響を与えた、
菅谷明子「未来をつくる図書館ーニューヨークからの報告ー」です。
実は7年も前に読んだ本です。山内研究室の本棚には図書館に関する本がたくさんあり,その中にこの本もありました。この本を読むまでは図書館には全く興味もなかった私ですが,これを読んで大学の専攻を「図書館情報専門学群」に決めました。それほど衝撃的な1冊だったんです。
この本ではニューヨーク公共図書館のあらゆるサービスやその仕組みについて書かれています。図書館といえば「本を貸してくれる場所」と認識される方がほとんどだと思います。でも本書で報告されているニューヨーク公共図書館では,企業や芸術の支援,医療情報などが充実しているんだそうです。そしてニューヨーク公共図書館を利用する多くの人が「図書館がなかったら今の自分はなかった」と感じているそうです。地域密着の運営,独自のイベントやITを活用した情報提供はどのようにして可能なのか。個人の力を伸ばし,コミュニティを活性化させる活動とその意義が報告されています。図書館が揃える資料の数,図書館運営の為の資金の集め方,サービスのあり方,司書に求められること,そこで生まれるストーリー,何もかもが新鮮でした。
この本を読むまでは私も「図書館は本を貸してくれる場所」であってそれ以外のサービス等考えたこともありませんでした。ところがニューヨーク公共図書館でのサービスを通して様々なビジネス,文化,芸術が数多く巣立っていて,ゼロックスのコピー機やポラロイドカメラもその一つだというのです。
ニューヨーク公共図書館の一つで,多くの起業家を支援してきた「シブル」と呼ばれる「科学産業ビジネス図書館」について紹介されています。メキシコから無一文同然で移民してきた男性は,データベース,インターネット,レファレンスの助けを借りて情報収集し,更にこの図書館で開かれる無料セミナーでビジネスを学び,ネットワークを作り,情報交換して企業準備を進めてきたそうです。
この図書館の更なる魅力として紹介されている「NPOなど外部組織との提携サービス」の事例として,リタイアした元経営者らが無料でビジネスのカウンセリングに応じるNPOの「SCORE」とシブルが提携し,その出張所を館内に設け,あらゆる問題の解決をサポートしていることが紹介されていました。
このように様々なサービスが提供されていること自体驚きでしたし,そんな図書館なら是非行ってみたいと思った私でしたが,更に驚いたのは本著でシブルの図書館部長が優れた図書館サービスの必須条件として「豊かなコレクションに加えて,ユーザーとコレクションを結びつける優秀な司書の存在だ」と言い切っており,「司書は幅広い知識と専門性を持ち,情報収集や電子メディアが得意なだけではダメで,『企画能力』にも長け,『コミュニケーション能力』と『ネットワーク能力』を持ち合わせていること」だと言っていることでした。更にシブルの司書の条件として「ビジネスとは何かを理解し,実際に自分もビジネスをやってみたいと思うようなチャレンジ精神とリスクを恐れない前向きの人であればなお良い」とも語られたそうです。
それまで私は司書に企画能力やネットワーク能力などそれほど必要だと思ったことはありませんでした。「まじめさ」や「緻密さ」等,そういったことばかり想像していた私にとっては本当に意外な条件でした。ちなみに,アメリカで司書というのは「大学院で図書館学を学び修士号を収めた人」を指すそうです。その基準の高さにも驚きました。
この本を読んだのは高校三年生の夏で,ちょうど短期のオーストラリア留学が決まっていました。この本に影響されて,留学先のオーストラリア(ブルーマウンテンズ市)の図書館を訪ね,司書にインタビューをしました。同じように地元の図書館のサービスと司書の方の話を聞いて比較レポートを書きました。そして,これを機に当時志していた海外大学から筑波大学の「図書館情報専門学」に進路を変更したわけです。卒業後に1年間シアトルに留学した際も,シアトルの公共図書館を訪ね,サービスやシステム,建物や空間のデザイン,様々なイベント企画,レファレンスの対応の良さに驚かされました。元々図書館嫌いな私が「かっこいい」と思ってしまったほどです。図書館としての資料の豊富さも圧倒されましたが,図書館なのに,ミュージシャン達の無料コンサートが聞けることにびっくりしました。外観も内装もそこで開かれている活動も全部クリエイティブでした。私が声をかけずとも司書の方から私に近づいてきて一緒に必要な情報を捜してくれたことには感動しました。当時は院試にむけて,自身の研究計画をたてるために必死でしたから本当に助かりました。願書提出2か月前に思い立った状況だったので,不安だったのですが,それがやる気へと変わった出来事でした。本に書かれていたことは,ニューヨーク公共図書館に限らずで,本当に魅力的だと実感しました。卒業して研究者という立場を離れても,世界中の図書館を訪ね歩こうと思っています。
この本に出会ってなければ,「図書館」に興味を持って海外の図書館を訪れることも,「図書館」を専攻することもなかったと思います。映像制作ワークショップに興味を持つようになったのもその専攻の中で巡り会ったことです。そして今,インターネット上で映像を編集して作品を制作される人々の学びについての論文を書いておりますが,こないだのゼミの文献でも「図書館」がテーマになり,不思議な気持ちになりました。勝手な妄想ですが,就職後,何かの巡り会わせで図書館作りに関われるのではないかとかそんな気分にもなりました。
本は私たちの知恵や考え方,視野を広げると言われていますが,皆さんはどのような本に出会い,進路や人生観にどのような影響を受けられたでしょうか。
本が苦手な方もたくさんいると思います。私も得意ではありませんが,そんな私に素敵な本と出会わせてくれた母に感謝しております。「これからの情報化社会は図書館が基盤になる」といって母が紹介してくれた本がこの本です。
余談ですが,妹には「これからは都市計画が面白い」「地域活性化の鍵だ」といってそれらの本を読ませて,妹は現在都市計画を専攻し,建築関連を学んでおります。どこまで冗談なのか分かりませんが,私と妹で,いつか理想的な図書館をつくれとよく言います。とりあえず実家にある本(段ボール100箱分以上)を電子化して欲しいとか,そのデータベースを作って欲しいと言われます。笑
母がくれた1冊の本が,私の人生をどう誘うのか,これからが楽しみです。
それでは皆さん良いお年を!
Merry X'smas!!
[土居 由布子]
--参考--
*菅谷明子. (2003). 未来をつくる図書館--ニューヨークからの報告--
*Seattle Public Library, http://www.spl.org/
2011.12.20
12月17日(土)に、BEAT Seminar 「デジタル読解力を育てる情報教育」 を開催しました。当日の様子については、IT Proの記事になっていますので、ご参照ください。
今こそ必要な「デジタル読解力」、求められるのは「批判的読解」 東京大学大学院情報学環 ベネッセ先端教育技術学講座(BEAT)セミナー
セミナーの中で聴衆のみなさまからいただいた疑問について、時間的に十分議論できなかったものがいくつかありますが、そのうちの一つが、「なぜ日本は学校のデジタル環境の整備や授業での利用が遅れているのに、4位なのか」という問題です。
前提として確認しておいた方がよいのは、このデジタル読解力調査が19カ国・地域を対象にして行われており、紙ベースのPISA読解力調査の65カ国・地域よりも少ないことです。紙ベースでは日本より上位にいるフィンランドやカナダが参加していませんので、参加国が変われば順位は変わる可能性があります。
ただし、参加国の変動を差し引いたとしても、日本の得点はOECD平均よりかなり高く、上位グループにいることは間違いありません。この点について説明可能な要因としては以下の2点があげられます。
1)紙ベースの読解力との高い相関
デジタル読解力は、ウェブ上にあるテキストを批判的に読み解く能力を測定しています。この能力の中には、ナビゲーションや情報ソースの批判的検討など、情報リテラシー、メディアリテラシー的な能力も含まれますが、核になるテキストの解釈は紙ベースの読解力と共通しています。そのため、紙ベースの読解力の成績の高い(65カ国中8位)日本は、デジタル読解力でもよい成績をとる可能性が高くなります。
2)自宅でのインターネット利用
OECDの分析によって、調査に参加した17 カ国及びパートナーの全てで、自宅でのコンピュータ利用はデジタル読解力の成績と関係しているが、学校でのコンピュータ利用は必ずしも関係していないことが明らかになっています。つまり、今回の結果は学校教育でのデジタル機器を利用した指導の成功を意味していません。日本の順位が高い理由のもう一つとして日本のインターネットインフラが世界的に見るとトップクラスにあり、子どもたちが自宅でケータイやPCなどにアクセスしていることが寄与している可能性があります。
また、順位が4位だとしても内実を見ると手放しで喜べる状況にはありません。デジタル読解力の習熟度レベルは5段階ではかられていますが、上位グループでレベル5以上の生徒の割合を見ると韓国(19%)、ニュージーランド(19%)、オーストラリア(17%)に対して日本は6%しかありません。これは、標準レベルのデジタル読解力がある生徒は多いが、高度で批判的なデジタル読解ができる層が極端に薄いことを意味しています。
今後、日本の学校において、デジタル読解力を育成するポイントは、ウェブにあるテキストを「字面として」理解するだけではなく、その背景にある意味を考え、自分なりの意見や考えを持つことにありそうです。
*デジタル読解力の定義や問題例、結果については、文部科学省「OECD生徒の学習到達度調査(PISA2009)デジタル読解力調査の結果」についてにまとめられています。
【山内 祐平】
2011.12.16
みなさま、こんにちは。
修士2年の柴田アドリアーナです。
山内研メンバーが日頃どのような本を読み、どのようなことを考えているのかについて紹介するシリーズ【読書感想文】の第2回をお送りいたします。
今回紹介したい本はかなり前に読んだ、ノーマン( Donald A. Norman )の『The Design of Everyday Things』です。(*オリジナルタイトル: The Psychology of Everyday Things)
ノーマンはアメリカの認知科学者で、人間中心設計のアプローチを提示し、ヒューマン・インターフェイスやユーザビリティに多大な貢献を果たした方です。
"I push doors that are meant to be pulled, pull doors that should be pushed, and walk into doors that should be slid."
『The Design of Everyday Things』はこのドアの例をはじめとして、家具や生活環境のデザインをアフォーダンス知覚の点から論じて、"Perceived Affordance" の概念を紹介しています。
"Affordances specify the range of possible activities, but affordances are of little use if they are not visible to the users. Hence, the art of the designer is to ensure that the desired, relevant actions are readily perceivable."
ノーマンがこの本を著したのは1988年であり、書かれている内容の多くは家具やプロダクトデザインに関連されているが、現在使われているタブレットやスマートフォンにデザインするときの基本原理にも応用できると思えます。
人間が物の使い方を間違えたり,使い方をすぐに忘れたりするとき、自分を責めることが多いと思います。しかし、著者によるとその態度は間違いであり、原因は人間の記憶ではなく、その物のデザインにあると論じています。つまり、 使い方の学習に問題を生じたら、デザイナーはその人に合わせてデザインをしなければならないと述べています。彼はこのことを「ユザー中心のデザイン」と呼んでいます。
"Everyday activities are conceptually simple. We should be able to do most things without having to think about what we're doing. The simplicity lies in the nature of the structure of the tasks."
今回、修士研究で開発した教材を実際にブラジル人学校でユーザーテストを実地しました。ユーザーテストを振り返るとこの本のことを思い出し、今回のブログに書くことにしました。
子供たちが実際に教材を使っている要素を観察すると、毎回新しい発見があります。その観察から、教材の使い方や周りからの影響などについて考慮でき、これからの教材の改善に導くと思いますので楽しみです。
参考
・Norman, D. A. (1990). The Design of Everyday Things. New York: Doubleday. (Originally published under the title The Psychology of Everyday Things)
→日本語版: 誰のためのデザイン? - 認知科学者のデザイン原論
・Affordance, Conventions and Design
[柴田アドリアーナ]
2011.12.09
みなさま、こんにちは。修士2年の菊池裕史です。2011年も残すところ1ヶ月弱となりましたね。僕たちM2は、来たる年明けの修士論文提出に向けて、日々アクセル全開で過ごしています。
さて、今日からblogのテーマが【読書感想文】に変わります。「なぜこの時期に読書感想文?」「もう読書の秋は終わったじゃないか。」といった声が聞こえてきそうですが、僕たち大学院生に季節は関係ありません!ということで、この読書の冬に、山内研メンバーが日頃どのような本を読み、どのようなことを考えているのかということを紹介する新しいシリーズをお送りいたします。
菊池が担当する第1回は、イヴァン・イリッチ(訳:東洋・小澤周三)の『脱学校化の社会』を紹介します。イリッチは1926年にウィーンで生まれ、ニューヨークでカトリックの助任司祭、プエルトリコのカトリック大学の副学長をした後に、メキシコのクエルナバーカに国際文化資料センターを設立した方です。
イリッチは『脱学校化の社会』の中で、学校教育で行われている教育方法を「幻想」として批判し、学校教育に対するオルタナティブを提案します。学校教育にある「幻想」とは、「学習のほとんどが教えられたことの結果である」という幻想であり、実際には人は学校の外で知識の大部分を身につけるのである、ということをイリッチは主張します。具体例としては、外国語を上手に習得するひとは、学校教育からではなく、外国にいる祖父母の家で生活をしたり、海外旅行をするといったことによって学習しているという例が挙げられています。
では、学校の外でどのように学習をするのかというと、たとえば「技能」に関しては、反復的な練習がその方法として示されています。なぜなら、「技能」は定義可能であり、かつ予測可能な行動を習得することを意味しているからです。具体的な教授方法としては、その技能が使われている環境のシミュレーションに頼ることが挙げられています。
また、イリッチは、「学校に依存しないということは、人々に学習をさせる新しい考案物をつくることではない」と主張します。彼の言葉で言えば、学校に依存しないということは、人間と環境の間に新しい様式の教育的関係を作り出すことであり、この様式を育てるためには、成長に対する態度、学習に有効な道具、および日常生活の質と構造が同時に変革されなければなりません。
僕がこの本を読んで最初に感じたことは、「あれ、この主張どこかで見たな...。」という既視感でした。それは、以前にこのblogでも紹介した、シーモア・パパートの『マインドストーム』の中で見られる主張だったのですが、パパートは『マインドストーム』の中で、「知識構造は教師から教わるものではなく、学習者によって建設されるものだ」という主張をしています。パパートが『マインドストーム』の中で、学校教育について直接言及することはありませんが、イリッチが主張した、人間と環境との間に新しい様式の教育的関係を作り出すことの重要性にはおそらく同意をしており、その関係を構築する道具として、コンピューターの可能性を追求したのではないかと捉えることができます。
イリッチが『脱学校化の社会(Deschooling Society)』を著したのは1973年であり、もちろん、家庭に今のようなコンピューターがあるような時代ではありませんでした。パパートが『マインドストーム』を書いた1980年でさえ、「コンピューターが家庭に1台あるような学習環境は実際的には実現不可能である」という記述が、パパート自身によって行われています。しかし、パパートの時代では、イリッチが行うことができなかったであろう、具体的な未来の学習環境への仮定・想像が十分に行われています。哲学者が未来の社会を予測し、計算機科学者が実現可能なレベルに具体化するという、異なる分野の二人の接続の在り方に、僕は必然性と美しさを感じました。
では、パパートが実現不可能だと言っていた学習環境が当たり前のものとなった今、未来の学習環境はどのようなものに変化していくのでしょうか。そのような楽しい未来を想像しながら、今度は自分が哲学者となって空想にふけっていくことも、冬の読書の楽しみかなと思います。
2011.12.03
山内研の大学院生の日々の暮らしを紹介する【山内研メンバーの一日】シリーズ、最終回は博士課程2年目の池尻良平がお送りします。
時間が大量にある院生にとって、日々の研究のライフスタイルを確立することはとても大事なことです。先にざっくり話してしまうと、僕は大学院に入ってからこのスタイル確立を3つ試してみました。1つ目は「突貫工事スタイル」、2つ目は「研究日確保スタイル」で、どちらも失敗したスタイルです。ただこの失敗自体は良い経験で、試行錯誤の結果4年目にしてようやく最適な「博士課程専用ライフスタイル」が見つかりました。
ちょっと長いので、時間のない人は(3)博士課程専用ライフスタイル だけ読んでもらえればと思うのですが、院生の人には失敗例もぜひ読んでほしいなと思います。
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(1)修士課程の頃の失敗:突貫工事スタイル
僕の所属する東京大学大学院学際情報学府は、それはそれはハードな授業が多いところで、例えば僕はM1の頃に週8コマ取ったのですが、発表に向けた文献調査やグループでのミーティング、プロジェクトの準備や実施などが重なってパンクしそうになりました。しかもそれとは別に、自分の研究を進めないといけません。そこでかろうじて編み出したスタイルが「突貫工事スタイル」でした。
このスタイルはどういうものかというと、山内研では大体1.5ヶ月に1回ゼミでの発表があるのですが、最初の1ヶ月間は授業やプロジェクトの対応をしつつ文献や論文をひたすら収集し、ゼミの2週間前になったら睡眠時間を削ってでも一気に読みまくるというやり方です。元々高校でもこういうスタイルで勉強していたので特に体を壊すこともなく、まあ研究もそれなりに進捗していたので、このモデルを2年間続けていました。
では、なぜこのスタイルを失敗と判断したのか。それは修論を書き上げた時のことです。僕の代にはとても優秀な同期が2人いて、2人とも尋常じゃないくらいのコツコツタイプだったんです。で、細かく話すと長くなるので結論だけ書くと、同期は修論の最後の「課題と展望」の厚み・深みがすごかった。僕の場合、背景や先行研究のレビューはそこそこ厚かったものの、最後に出した知見をメタな領域に組み込んで考察する「課題と展望」で使える文献が不足気味でした。一応修論自体は優秀賞をもらえたのですが、最後の「課題と展望」で弾切れしたのが悔しくて、何で2人はあんなに底力を持っていたんだろうと考えていました。
それでわかった原因がライフスタイルの違いでした。限られた時間で一気に読む突貫工事スタイルの場合、時間に余裕がないことが多々あるのでそれに連動して読む文献も関連性の高い文献に偏ってしまい、読んだ文献に「余裕」がなくなってしまうことが多々ありました。一方同期の2人はコツコツ読んでいたので、読んでいる文献にも余裕が生まれたのではないかと考えました。
この仮説が正しいかどうかはさておき、ちょうど博士課程に上がることが決まった時だったので、このままじゃ近視的でダメな研究者になると思い、突貫工事スタイルを捨てることにしました。
(2)博士課程1年目の頃の失敗:研究日確保スタイル
博士課程に上がると授業も週1コマになり、ほとんどの時間が自由に使えるようになった一方、自分でライフスタイルを確立しないと本当にグチャグチャになるなとも思っていました。そこで取ったスタイルが「研究日確保スタイル」です。
よく先輩や先生から「論文を読んだり自分の研究について考える時はまとまった時間が必要だよ。だから、週に2、3日は研究日を作った方が良い」ということを聞いていたので、特定の曜日を3つ選んでその日は一切用事を入れずに研究に充てるというスタイルを試してみました。
ところが最初の頃はうまく機能していたものの、半年も経つとこのスタイルも失敗だなと判断するようになりました。その理由は簡単で、研究日なんて作れないからです。
僕の場合、研究の裾野を広げるために勉強会を複数抱えたり、プロジェクトに参加したり、先生方と面会をすることが多かったのですが、大体自分が考えている研究日とバッティングするんです。で、相手が自分より目上の人だったり、多忙でその日しか予定が空いていない人だったりした場合、断れないじゃないですか。その結果、研究日は細かい予定で分断されていき、その合間の時間もメールのやり取りでさらに分断されていくという現象が増えてきて、徐々にまとまった研究時間を確保できなくなりました。
一応、博士課程1年目の間はこのスタイルを続けてみたのですが、冬頃にはほとんどこのスタイルが機能しなくなり突貫工事スタイルに戻りつつあったので、この研究日確保スタイルも捨てることになりました。
(3)博士課程専用ライフスタイル
ここまで失敗して気付いたのが、博士課程は普通のライフスタイルじゃダメだということでした。ちょっとここで、院生ならでの問題点と研究を進めるのに必要なことをまとめてみます。
院生ならではの問題点
・予定が変動的に入ってくる
・その結果、特定の曜日を休みにできない
・週末にイベントがあることが多く、疲れを取れる日が減る
研究を進めるのに必要なこと
・コツコツ研究できる日を作る
・まとまった時間を確保する
・疲れた時に休めるようにする
こんな感じでしょうか。ところが、ちょっと考えてみてほしいのですが、上の問題点を克服しつつ、下の必要なことを達成するのは以外と難しい。そこで自分なりに色々と考えてみた結果、博士課程専用のライフスタイルを作るには「一日の単位を変える」ということと「平日と週末の概念を捨てる」ことが必要だなと感じ、「午前中は研究する日」、「午後は変動的な予定に対応する日」にし、「1週間のうち午前と午後それぞれの好きな2回を週末にできる」というルールを作ってみました。つまり、1週間を倍の日数に見立てて、いつでも週末にできるというスタイルです。
わかりにくいかもしれませんが、例えばこんな感じの1週間になります。
(日)午前中:平日 午後:週末
(月)午前中:平日 午後:平日
(火)午前中:週末 午後:平日
(水)午前中:平日 午後:平日
(木)午前中:平日 午後:平日
(金)午前中:週末 午後:週末
(土)午前中:平日 午後:平日
このうち「平日」になっている午前中はほぼ固定で研究をして、午後はほぼ固定で変動的な予定に対応するというスタイルです。
博士課程2年目になってからこのスタイルを試してみたのですが、今のところ特に問題も起こらず、毎日研究も進捗し、体調も壊さないとかなりうまく機能しています。ということでようやくですが、僕の最近の1日を紹介したいと思います。
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7時〜9時
起床。この時点でしんどいなと思ったら、その日は週末扱いにして午前中はたっぷり寝ます。それ以外の時は朝ご飯を食べてからメールをチェックし、今日読む文献を持って8時半頃に家を出ます。
9時〜12時
大学近くのカフェに行ってコーヒーを注文し、大体英語論文3本か本を読みます。研究の時期によっては、教材のデザインやデータ分析をすることもあります。
写真だとMacを置いていますがこれは記録用で、この時間はアンプラグドにしてTwitterもFacebookも極力見ないように心がけています。この時間は好きなBGMを聞きながら進められるし誰にも干渉されないので、一日で一番好きな時間だったりします。
12時〜19時
お昼ご飯を食べたら研究室へ。ミーティングなどはほぼ午後に集中させているので、13時から19時まではミーティングをしたり、自分の研究とは直接関係がないけど読まないといけない資料に目を通したり、発表資料を作成したり、メール対応をしたりします。大体土曜日はシンポジウムやイベントに参加しています。
特に用事がない時はメール対応だけして図書館に行って研究を進めたり、気分が乗らない時は週末扱いにしてフラッと買い物に行ったりします。
19時〜
夜は基本的に自由時間にし、ストレスを発散させるのに充てています。大体誰かと飲んでいる気がしますが、面白い本と出会えた時は夜にまたカフェに行ったりもします。
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これで週の研究時間が午前だけで最低15時間、午後の分と合わせると合計25〜30時間くらい確保できて、それとは別に研究会や発表の準備、ゼミ文献を読んだりもできるようになりました。それに加えて、何曜日でも予定を受け入れられるし、研究の邪魔をせずに他のタスク処理も一括して行えるし、土曜日が毎週潰れてもちゃんと休むことができます。
後、これが大事なんですが、このスタイルはどんな予定が入ってきても柔軟に対応できるし、自分の体調に合わせることもできるので、「しわ寄せ」が減ってストレスがほとんど溜まらなくなりました。おかげで研究する時はいつもポジティブな感情で臨めるので毎朝カフェに行くのも楽しみになり、9ヶ月間このスタイルをほぼ維持して走り続けられています。修論の時の悔しさを繰り返さないよう、良い博論が書けるまでこの調子で走り続けたいなと思っています。
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ということで長くなりましたが、大学院のライフスタイルが安定しない人やなかなか研究時間を作れない人にとって、ちょっとでも参考になれば幸いです。
おしまい。
[池尻 良平]