2012.08.09

【エッセイ】問題の意味を可視化して学習の離脱を防ぐ

8月7日から9日まで、函館で研究室の夏合宿を行いました。
例年夏合宿では、古典とされている教育研究者(デューイ、ピアジェ、ヴィゴツキーなど)をレビューすることが学習の中心なのですが、今年は新しい挑戦として、スタッフが抱えている現在進行形の「課題」に対して、担当した研究者であればどう解決するかを考えるという試みを行いました。

私が出した課題は、「オンライン学習における離脱」です。アメリカで大学中退率の上昇が問題になっているように、対面の学習であっても学習が続かずドロップアウトするということは起きますが、オンライン学習はさらに持続が難しく、Levi,Y(2007) によれば、25%〜40%が離脱するとされています。

この課題に対して、大学院生の伏木田さんと山田さんと私のチームで、担当したパウロ・フレイレとアラン・ケイの考え方から、どういう解決方法があるかを考えました。
議論の中で明らかになってきたのが、フレイレもケイも、「学習における問題の意味」を可視化する学習環境を構成しているということです。
フレイレは識字教育において、貧しい人々が文字を持つことによって世界を変革するための実践を展開しました。その際に、できるだけ身近な単語を文字で表す学習プログラムを構成し、世界との関わりがどう変わるのかを端的にフィードバックし、文字を学ぶ意味を理解してもらっていました。
ケイは、子ども向けのプログラミング環境であるSqueakの開発において、プログラミングによって想像の世界をシミュレーションすることによって、試行錯誤の楽しさから問題を解決してみたいと思わせる環境を構築しました。
問題の種類は違いますが、「これは私にとって解決してみたいと思える問題だ」ということを納得できるような可視化が行われているという点は共通しています。
オンライン学習はともすれば無味乾燥になり、学習の意味を見失いがちです。学習の離脱を防ぐためには、「問題の意味はあなたが考えてください」というスタンスではなく、「あなたにとって解決する価値がある問題なのだ」ということを可視化して納得してもらうことが出発点として重要になりそうです。

もちろんこれは一種の思考実験ですので、今後実践で試してみる必要はあります。ただ、他のチームも面白い知見がたくさん出てきており、こういう古典を現代に適用する読み方も面白いものだと実感しました。

山内 祐平

2012.08.04

【山内研との出会い】起・承・転・結


 こんにちは、博士課程2年生の伏木田です。5月からはじまりました【山内研との出会い】シリーズも第10回目。毎晩、オリンピックの試合にくぎ付けになりながら、何を書こうかなと考えていました。
 わたしが山内研を知ったのは、大学4年生の6月だったと思います。きっかけは、尊敬する友人が山内研に在籍されていたこと。大学3年生の終わり頃から、自分がのびのびと学ぶことができる大学院を探していたわたしは、"たまたま"その友人の名前をどこかのHPで見つけ、たどってみたら"たまたま"山内研にたどり着きました。その瞬間、頭の中で光が"ぱんっ"と弾けたように感じたのを覚えています。


■ 起 ■

 少し話はさかのぼりますが、大学に入る前、わたしは音楽療法士になりたいと思っていました。けれども、音楽大学に入る道ではなく、いろいろなことを広く学べる総合大学を選んだときに、その夢はお蔵入りしました。
 趣味として音楽を続ける代わりに、とりこになったのは、「人のこころ」に関わる学問全般でした。幸運なことに、大学1年生から卒業するまでの間、興味のある授業を自由にとることができる環境にいたので、ほんとうにいろいろな学問に触れました。その中で、認知心理学、教育心理学、社会心理学にはじまり、認知行動科学、神経科学、精神保健学にいたるまで、「人のこころ」に関わる学問に魅了され続けました。

■ 承 ■

 人が好きで、人とかかわり続けられる仕事がしたいと思っていたので、心理カウンセラーや臨床心理士という職業に強く惹かれていました。その一方で、専門性を極める前に、どこに行ってもつぶしが効く力を身につけおきたいという気持ちがありました。また、大学に入ってすぐの頃から、「大学院に行くんだ!」となぜか強く思っていたわたしは、大学院で何か新しいことを始めたいと思ったときに、どんな領域でも役に立つ基礎力がどうしてもほしかったのです。  
 そこで、いろいろな先輩に相談をして、大学3年生のときに(認知)心理学の専攻に進みました。そこでは、どうすれば未知の現象を研究によって明らかにできるのかという基礎的な手続きを、過酷な実験演習の中で学ぶことができました。今思えば、そこでの経験が、「研究は楽しい」という気持ちを芽吹かせてくれたように思います。

■ 転 ■

 そして大学3年生の終わり頃、こう思いました。「ここでの研究や勉強はとても楽しい。でも、やっぱり、人とかかわっているという実感を、研究の中で感じたい。誰かの役に立ちたいとい気持ちが形になるところで、研究がしたい」と。
 そこで、もう1度、いろいろな学科・研究科を片っ端から探しはじめました。そして、どこに行けば自分の望みが叶うのか、頭を悩ましているときにみつけたのが、友人の名前と山内研の存在でした。情報学環の教育部にも在籍していましたが、なぜか、山内先生を知らずに過ごしていたわたしにとって、学際情報学府で教育学にかかわれるというのは、ほんとうに衝撃でした。
 そこで何ができるのか、そこでわたしは何ができるのか、不安もたくさんありました。けれども、「入ったところで頑張ればいいじゃない」という母の言葉に、背中を押してもらいました。教育実習と卒業研究で頭がいっぱいの中、自分がそれまでやってきたことと、これからやってみたいことの橋渡しを考えながら、研究計画書を書いたことを覚えています。
 そして、今、山内研での生活は4年目を迎えています。

■ 結 ■

 大きな夢をしっかりと描いて入ったわけではなかったので、入ってからは、戸惑うこととがたくさんありました。自分が向いていないと思うことも、数えきれないほどありました。いつも目の前にあることだけを見つめているので、もう少し先を見越していたら、違う道を歩んでいたかもしれません。それでも今こうして、たくさんの人に助けていただく中で、人と人とがかかわりながら学ぶ環境を研究できていることに、しあわせを感じています。
 大学院での日々も、残りの日数を数えはじめるようになりました。ここを出たら何ができるのか、ここでの経験はどこに還していけるのか、頭を悩ます日々が始まりそうです。


伏木田 稚子

2012.07.27

【山内研との出会い】足らなかった単位に感謝

博士課程2年の安斎です。山内研究室に進学して早いもので、気づけばもう4年目です。僕が山内研究室の存在を知ったのは、大学3年生の時のことでした。

僕は学部時代、東京大学の工学部の精密機械系の学科に所属しており、インダストリアルデザインやプログラミングなどを学んでいました。しかし、所属する学部の専攻内容よりも、教育や学習に関心が移ってきており、会社を立ち上げて教育系ウェブサービスを運営していたり、中学生向けの連続ワークショップなどの実践活動に積極的に取り組んでいました。

おかげで、それはもう絶望的に単位が足らなかったんですよね(笑)にもかかわらず、通常の大学の授業というのは普通「1授業あたり2単位」が割り当てられていますが、工学部の授業はなぜか「1授業あたり1.5単位」で、しかもたいていの授業に筆記試験があるため対策が結構大変なのです。そんなお尻に火がついた状況で目をつけたのが、「他学部聴講」という他学部の授業を履修できるシステムです。少しでも自分の関心に近い授業はないかと他学部のシラバスから探していたところ、たまたま目に留まったのが山内先生が教育学部で開講している『学習環境のデザイン』という授業でした。なんとなく面白そうなタイトルだし、試験もないし、2単位ゲットだ!と思ってとりあえず履修登録をしてみることにしました。

授業内容自体は「デジタル教材」に焦点を当てたもので、そこまで自分の興味対象ではなかったのですが、第1回目の授業で山内先生が「学習環境デザインとは、人が自発的に学び、賢くなる仕組みを作ることです。」というようなことを仰っていて、その一言に自分の潜在的な関心を射抜かれた想いがし、直観的に「ここの研究室で研究が出来たら面白いことが出来るかも」と感じました。また、授業の内容も、山内先生はほとんど講義を行わず、学生による調査・発表・議論で構成される参加型の授業スタイルで、想像を超えた歯ごたえのある内容で、授業設計としても興味深く感じた記憶があります。その後は先生の書籍を読み、研究室を訪問し、情報を集めて受験をし...今に至ります。

正直に言うと、学部生の頃の自分は、教育や学習の分野において研究者の力をそこまで信じておらず、学会にこもって論文を書いているだけでは世の中を変えられるはずがないと思っていました。けれども、学際情報学府に入って山内先生をはじめ、魅力的な研究者に沢山出会い、学問を軸足に起きながらももう片足で実践活動を展開しながら社会にインパクトを生み出すようなスタイルに可能性を感じ、研究と実践を続けています。

とはいえ、この先のキャリアがどうなっていくかはわかりません。あの時単位がもし足りていたら、今の自分はなかったかと思うと、キャリアは偶然と直観の積み重ねによってつくられていることを強く実感します。もしかすると10年後、何かの拍子で研究者じゃなくなっているかも...。などと、色々な未来を妄想しながらも、自分の「いまの直観」を信じて、引き続き楽しく進んでいきたいと思います。

安斎勇樹

2012.07.22

【山内研との出会い】教育に役立つものを

みなさん、こんにちは。M1の吉川遼です。
5月から続いてきました【山内研との出会い】も9回目となりました。
前回までのエントリから、同じ山内研でも様々な出会い、想いがあるんだな、と皆さんが山内研を志望された背景の多様性を感じております。

さて今週、学際情報学府の出願締切を迎えましたね。出願までに山内研にも多くの入学希望者がお越しになり、僕も色々とお話をさせて頂きました。毎週研究生室に来られる皆さんそれぞれが教育に関する鋭い問題意識やそれを解決するための優れた「ツール」を既に持っておられ、とても興味深くお話させて頂きました。

そんな皆さんに1年前の自分を(勝手ながら)重ねつつ、お話しさせて頂いた約2ヶ月のうちに、僕もどうやって山内研と出会ったのか、なぜここを志望したのか、少し整理しておりました。
ということで、第9回目の今回は吉川遼が担当させていただきます。


■学部時代と問題意識の芽生え

学部時代の話に戻るのですが、僕は名古屋大学情報文化学部で4年間を過ごしておりました。この情報文化学部というところは、簡単に言ってしまえば学際情報学府と同じ文理融合を掲げている学部で、従来の細分化された学問を横断的に繋ぐことで学際的に社会の諸問題を解決できる人材の育成を目的としている学部です。僕はこの学部で政治学、経済学、地理学、社会学、心理学、情報工学、論理学、哲学、美学、デザイン、など様々な分野を4年間で学びました。文系・理系問わず幅広く学ぶ、という点では前々回の梶浦さんの学部時代と似ているかもしれません。

もともと僕はインタフェースのデザインやアプリケーションの開発に興味があり、卒業研究も何か開発したいなあ、という想いは前々から持っていました。そこで3年次には社会における情報技術の活用について研究している研究室に配属され、そこで研究を進めることになりました。

研究室では、博物館や地域といったフィールドを持って研究する人も多く、僕も前々から興味があった科学館で運良く研究をさせてもらえることとなり、博物館での情報技術の活用について研究を進めていたのですが、その際に博物館での学習補助に関する先行研究をレビューしているうちに、
「これって本当に教育に役に立っているって言えるんだろうか?」
「対象の人たちに技術を押しつけて満足してしまっていないだろうか?」
という疑問を抱きました。
事実、対象としている人が本当に必要としているのか疑問に思えるような研究も多くありました。

そうこうしているうちに「こういった開発研究をするのであれば、しっかり教育的指標を用いて開発・評価を行って、本当に学習に役立つと自信を持って言えるようなものを開発したい」と思うようになりました。

もともと学部時代から「学部4年間で大学終わるなんてもったいないし、自分の今後にとっても意味がない」と思っていました。というのも学部が「広く浅く」学ぶカリキュラムであったため、自分の専門性が身に付きづらく、そのため何を学んだのかよく分からないまま就活して、なんとなく卒論を書いて、なんとなく卒業して4年間を終えてしまう、という大学生活に陥りやすく、すごくもったいないな、と感じていたからです。

しかし自分の興味あることを何でも学べる情報文化学部に入学して、とてもよかったとは思っていますし、今でも学部のことは大好きですが、だからこそトコロテンのようにスポンと大学から社会にそのまま出るのではなく、学部での研究を大学院で発展させ、より専門性を磨いていきたいと当時は思っていました。


■6月 学際情報学府との出会い

そこで大学院を探していたところ、所属していたもう一つのゼミの教授から「学部の先輩で東大の学際情報学府に行った細谷という人がいるから一度話してみるといい」と伺いました。細谷さん(現在池内研所属)は高3の頃から知ってはいました(学部パンフレットに学生起業家として載っていた)が、話したことはなく、「なんだかすごい人なんだろうなあ」という印象しか持っていませんでした。しかし、実際にお話ししてみて細谷さんから「学府はとても刺激的で周囲の環境もとてもよい」と教わり、やはりここで研究したいという気持ちが芽生え始めました。

時期も時期だったので、学部の友人の坂野君(現在水越研M1)と一緒に名古屋から学際情報学府の入試説明会に参加し、色んな研究室のブースを見て回り、院生の方にも話を伺いました。
しかしながら、参加されたことのある人ならご存じだと思いますが、例年入試説明会はとても混雑し、地下2階のラーニングスタジオは入学希望者の熱気が充満します。
なので一番気になっていた山内研究室であまり話をすることができず、先生とも少しお話できた程度で、後悔しつつもその日は名古屋に戻りました。


■7月 山内研との出会い

後日、それでももっと研究について話がしたい、と思い山内先生にメールし、お会いする時間を設けて頂きました。またその後研究生室で池尻さんや菊池さん、末さん、呉さんなど院生の方とお話させていただき、その言葉の端々から「ここの人達はなんて熱意があって、まっすぐに研究活動をされているんだろう」と圧倒されたのを覚えています。

「ここで研究したい」という思いを胸に名古屋に戻ったはいいものの、既に7月を迎え出願まで既に3週間を切っていました。
今まで書いたことのない研究計画書をあーでもないこーでもないともがきながら出願締切ギリギリまで粘って仕上げる日々がその日から続くのでした。

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そんなこんなで僕もいつの間にかこうして院生として、めまぐるしい日々を何とか生きながらえつつ、充実した日々を送っています。

今年学府を受験される方は、もう出願も終えて、これから一次試験に向けて勉強を進める頃かと思います。
みなさんの健闘を祈ります。

次回はD2の安斎さんです。お楽しみに。

吉川遼

2012.07.15

【山内研との出会い】偶然の積み重ね

こんにちは。M1の吉川久美子です。
5月からはじまりました「山内研との出会い」シリーズ。
第7回目を担当させていただきます。


もう今年も7月の半ばとなり、昨年の入試のことを思い出します。
私が受験を決めたのは、6月でした。
学部時代に仮面浪人を経験していた私にとっては、
遅いスタートではないかと当時はとても不安でした。


既に大学院の修士課程を修了していたのですが、
ずっと「やり残した感」があり、研究に対して未練がありました。
そんな折、ある方々から、山内先生が代表をされているNPO法人Educe Technologies
を教えていただきました。


そこで初めて先生にお会いしました。
そしてその場を通じ、先生、山内研の先輩方ともお話しているうちに
「この研究室でもう一度研究をしたい」という思いを抱くようになりました。


とはいえ、東京大学です。
「私には無謀すぎる」と思い、一度はあきらめました。
しかし、研究したいという思いはあきらめることができず、
いろいろな大学院を探しましたが、やはり「山内研で研究してみたい」という思いは消えることがありませんでした。

「消えないのなら、やるだけやってみよう」


そう決意したのが6月でした。
そこからは多くの方にご助言いただきながら、ひたすら受験対策に取り組み、
アツい夏を乗り越えることができました。


思い返すと、山内先生とお会いできたのも、受験しようと決意できたのも、
そしてそれを乗り越えることができたのも、さまざまな方々との偶然の出会いの積み重なりからだと思っています。
そもそもNPO法人をご紹介していただいていなければ、今の自分はなかったと思います。今はとても不思議なご縁を感じています。


2年前、研究に未練を感じていた自分が予想もしていなかったところに、
今の私はいます。
みなさまに助けていただいてばかりの自分ではありますが、
修士課程の2年間、悔いの残らないように過ごしていければと思っています。


【吉川久美子】

2012.07.06

【山内研との出会い】運命の巡り合わせ

こんにちは。M1の梶浦美咲です。
M2の先輩方の山内研との出会いシリーズが終わり、第6回目以降3回分はM1が担当いたします。M2の先輩方のこのシリーズの記事を読んでいて、本当みなさん多様な出会い方をしているんだな、と改めて思いました。

私もその点で言えば少し特殊な出会い方をしているのかもしれません。私の山内研との出会い、それはもう「運命」のようなものでした(言い過ぎかもしれませんが(笑))。

***

私は学部時代、筑波大学情報学群知識情報・図書館学類というところで「図書館情報学」というマイナーな学問を学んでいました。「図書館情報学」と銘打っていても、そこは「図書館情報学」のみならず、「文学」「哲学」「経済学」「法学」「社会学」等文系の学問、「数学」「情報学(プログラミングも)」「統計学」等の理系の学問も幅広く学ぶところでした。その点でいえば教養学的なものをただひたすら学んできた、といえます(ちなみに「教育学」は学んでいませんでした)。

そこでふと疑問に思いました。
「私、大学で何を学んできたんだろう」
...当時大学三年生だった私は自分に専門性が無いことを痛感し、もっと大学で学んで「大学でこれを学んだんだ!」と断言できるような自分の専門性が欲しい、と思うようになりました。そこから大学院進学について漠然と考え始めました。

そこで、私の学部の先輩であり、かつサークルの先輩でもあり、今年修了された元山内研の土居由布子さんに、まずは進路相談に行きました。相談に乗って頂いたのですが、結局ただ大学院進学を決めたものの、進学先までは決まりませんでした。ただ相談の中で、土居さんに「教育部研究生制度」という他大生も入学できる教育機関があることを紹介してもらいました。その教育機関に興味を持った私は、「丁度他大学の学生も入学できる、しかも東大!」ということで(笑)、興味本位でしたが、その「教育部研究生制度」を冬に受験しようと決心しました。

そして大学3年生の後半、私はゼミに配属され、卒業研究が始まりました。研究対象を、その当時(2010年)の流行と自分の興味から「電子書籍」にしようと決めていたので、まずはその研究の端緒を探ろうと、至る所で開催されていた電子書籍に関するシンポジウムにいくつか足を運んでみました(ちなみにこの当時、土居さんからの勧めで、一応大学の就活セミナーに参加しつつ企業の面接も何度か受けたりと就活も行っていました)。

数々の講演を聴いて印象に残ったこと、それは
「書籍を電子化する上で、特に恩恵を受けることができるのはデジタル教材、教科書の分野だ!」
ということでした。

そこで、とりあえずデジタル教材について調べようと、まずは大学図書館のOPACで「デジタル教材」と検索をかけてみました。すると一番トップに表示されたのが山内先生の「デジタル教材の教育学」でした。早速それを借りて読んだのですが、それが自分にとって目から鱗、とても面白かったのです。
「こんな学問があったのか!私これを学びたい!これを研究したい!」
...と、どんどんデジタル教材に興味が移っていきました(笑)。

...しかしその時点ではまだ山内先生の研究室を受ける、という発想にまで至っていませんでした。ただ、「山内祐平」先生は先輩である土居さんの研究室の指導教官だということは知っていたので、「偶然!」とは思っていました。

また、卒業研究と並行して、その当時、筑波大学図書館内で協同学習施設であるラーニングコモンズの学生スタッフをしていました。そこで、あるときラーニングコモンズの先輩に誘われラーニングコモンズの勉強会に参加することになりました。
そして勉強会当日びっくり、なんとあの山内先生がいらっしゃるではないですか!(笑)運命を感じ、まずは先生にお話を伺ってみることにしました。その話の中で、「いつでも研究室を訪問しに来て下さい」と先生がおっしゃって下さったのがきっかけで、山内研を受けてみても良いのではないか、と考え始めました。

その数日後、教育部研究生制度の入試があり、会場に足を運べばこれまた山内先生が試験監督でした。やはりこれは運命なんだと、教育部の入試を受けながら、同時に山内研への進学を決心しました(笑)。

そこから研究計画について考え始めるのでした。

***

以上、他の先輩方は、安斎さん経由で山内先生の存在を知ったケースが多いようでしたが、私は直接山内先生を知ったのでした。
「先輩の土居さん」「デジタル教材」「ラーニングコモンズの勉強会」「教育部の試験監督」...
様々なところで山内先生が関わっていたために運命を感じてここを受験した、というのがまとめです。なかなか珍しいケースだと思います。

前回まではM2がこのシリーズを担当していましたが、次回からは他のM1や博士課程の方々が担当します。その方々がどのように山内研と出会ったのか、私自身も気になっています。次回以降もどうぞお楽しみにしていてください。以上長文・拙文で失礼いたしました。


梶浦美咲

2012.06.28

【山内研との出会い】「就職活動をやめました」

みなさまこんにちは。M2の山田小百合です。「山内研との出会い」シリーズ5回目を担当させていただきます。

今月頭に大学院の入試説明会も行われ、毎週木曜日には受験希望者が研究室に来ているのを見ながら、私の入試決断のときを思い出していました。「就職活動をやめました」というタイトルの通り、私は就職するつもりでいた人なので、大学院という選択肢をなぜ選んだのかを踏まえながらいろいろと振り返ってみようと思います。

高校時代の話になるのですが、教育の影響と社会の営みに興味があった当時の私は、大学時代は教育社会学を学んで、教育に関わるマスコミ業に就きたいと漠然と思っていました。教育の現場をたくさん見て回って、世界中の良い実践・現場をより多くの人に伝えられる人になりたいと考えていたからです。それもあって、高校卒業と同時に、教育・福祉・その他自分の関心のある新聞・雑誌記事をスクラップして集めていました。(今はネットがあるのでやめましたが、これは大学2年の終わりごろまでやっていました。)
結局教育社会学を学べる大学に行けなかったのですが、社会科学全般を学べるところに入学しました。

大学2年次、とあるマスコミサークルで活動していた際に、自分が思い描いているところに到達するまで遠回りをする気がしてならなくて、逆にマスコミという選択肢に疑問を持ち始めてしまいました。その時期くらいから「社会起業家」という言葉を聞くようになり、これを機に「マスコミじゃなくて、こうやって社会的に価値のある現場を自ら生み出す・現場を支えるような活動をしたほうがよっぽど良いのでは」というような考え方に変わっていきました。このあたりからもともとアプローチしたかった「特別支援教育・インクルーシブ教育」に今後どうアプローチするかを考えていました。

そこで大学3年からは教育系の団体に足を突っ込んでは、まさに実践的な活動をしていました。それぞれの「現場」で気づいたことは多々ありました。しかし同時に「実践だけでは次のステップに行けないのでは」と薄々感じていました。
(ちなみに特別支援教育の現場には大学4年間足を突っ込まないと決めていました。18歳まで必然的にそういう環境で過ごしていたのであえて離れてみたかった。)

大学院という選択肢に最初に大きな影響を与えたのが「すずかんゼミ」でした。元文科副大臣の鈴木寛先生が行なっているインカレゼミです。大学3年前期、現場に足を突っ込むと同時に、月曜の5限に東大の駒場に毎週通う生活をしていました。ここは実践とは逆の場所で、まさに「次のステップに行くために鍛えられた場所」で、自分の苦手なことが何かを痛感させられるばかりでした。レジュメの作り方、自分の伝えたいことをどう伝えるか、言葉を選んで議論すること...たくさん内省しては学ばせていただいた環境でした。すずかんゼミの最後の日、すずかん先生とお話をしていくうちに、「大学院」という進路の選択はどうかという話になり、大学院進学を決めていた友人もいたことがきっかけで、大学院、一番良い選択かもしれない、と感じていました。

こうして就職活動の時期に突入するのですが、大学3年(正確には大学4年4月の半ばまで)大学院という決断ができないまま、実は就職活動に取り組んでいました。迷いが強すぎる故に、どちらも中途半端になっていることに気づきました。これはどちらかに決断せにゃならんなと思って、「就職活動を辞める」ことにしました。就活から逃げてると言われたこともありますが、両親は応援してくれていましたし、他にも背中を押してくださる方が多々いたので、決断をすることができました。そして大学院進学準備のために「就職活動をやめました」と周りに宣言して自分にハッパかけていました。笑
ただ、大学院という場所がどんなところで、どんな人がいるのか、全然わかっていなかったので、4月に入って1週間のうち3人の大学院生と会うという目標を立て、いろんな大学院生にお会いし、お話をきかせて頂きました。特別支援教育らしい研究を、「特別支援教育専攻でない研究室で」というこだわりだけは持って探していましたが、気づけば1ヶ月経つにもかかわらず、手応えがないまま不安ばかりが募っていきました。

悩んでいたそんなとき、本当に偶然、「学環とかいいんじゃない?」と、とある方に言われ、(当時「がっかんって何?」と思っていたくらい学際情報学府のことは知らなかった)たまたま現在は研究室の先輩となる安斎さんを紹介してもらった、というのが私の山内研との出会いです。初めて会った安斎さんとお話してて「探してたところはここなんじゃ?」とやっと前向きな気持ちになりました。その数日後、早速山内先生とお会いさせていただくことにもなりました。先生がNPO法人の代表でもあるので、そういう観点からも学べる、すごく贅沢な環境ではないか、と思いました。お話させてもらった際に、「まさに探してたのはここじゃないか!」と確信を得たことは今でも忘れられないですね。
(NPO法人 Educe Technologies http://www.educetech.org/

それからは必死な数ヶ月を過ごしました。研究の「け」の字もわからないなりに、研究計画書を考え、入試の勉強をして、初めて出会う言葉をひたすら身体に覚えさせたような記憶があります。それでも現在は、着々と研究が進み、わからないこともわかるようになってくるのだから、人間ってやればできるのだなぁ、なんて思っています。そしてやっぱりまだまだできないことだらけだなぁと痛感させてくれる贅沢な環境でもあります。

そもそも東大なんて絶対無理だと思って考えてもいなかったので、あの日の一言がなかったら、安斎さんと会わなかったら、私はずっと山内研の存在を知らなかったと思います。でも行きたい研究室に出会えたのは、あきらめずに「どんなことがしたいのか、この研究にどんな意義があるのか」考えては人に相談して、をただひたすら繰り返したからかなぁ、と感じています。

他大学のみなさん、特に、教育・学習について専門でない方でも、挑戦する価値はありますよ。入学が決まった方は来年度の研究室春合宿でお会いできると思うので、今から誰とお会いできるのか、とても楽しみです。


山田小百合

2012.06.27

【中間報告】21世紀型スキルを育てる授業

6月20日に、豊島区教育委員会・東京大学・マイクロソフト・レノボの共同研究として、豊島区立千川中学校で行われている21世紀型スキルを育てるためのICTを利用した授業について、中間成果報告が行われました。とりあげていただいた記事をご紹介します。

PC Online
東大、MS、レノボなどが「21世紀型スキル」を育む授業を公開

CNET Japan
現小学生の65%は今存在していない職に就く--マイクロソフトが教育事業に取り組む理由

マイナビニュース
タブレットPCで授業はどう変わる? - 東大、MS、レノボが実証研究の中間結果を公開

RBB TODAY
千川中学校の「21世紀型スキル育成」公開授業...日本MSらが実証研究

山内 祐平

2012.06.25

【山内研との出会い】山内先生との出会い

みなさま、ごきげんよう。修士2年の早川克美です。
研究室メンバーそれぞれの【山内研との出会い】を語る今回のシリーズ、バックナンバーも個性豊かで興味深いですね。今までメンバー間ではなんとなく雑談の中で語られてはいたものの、テキストでまとめられると「出会いの背景」が構造化されて見え、興味深いものがあります。個人的には1年越しに実現したいblogテーマだったので(大げさ?でも本当に)これから先の後輩、先輩方の記事が楽しみでなりません。

...いささか前文にて、勝手にハードルを高くしてしまったきらいがありますが(笑)、私、早川の【山内研との出会い】を心して書かせていただきます。

これまでのblogでもお話ししてきましたが、私は20年以上デザイナーとして働き、経験を重ね、40歳をとうに過ぎて東京大学大学院学際情報学府→山内先生の門を叩いた者です。山内研、そして山内先生に辿りつくまでには、20年を語る必要がありますが、そんなことをしていたら長編連載になってしまうため、出会いに至るまでのプロセスを5つにわけてお話したいと思います。

1.【デザイナーとしての領域】
私の仕事は「環境デザイン」という、まだ歴史は30年程度と浅く、定義も曖昧な領域です。領域、と言っていいのか?という疑問すらあります。したがって、以下は私の捉えている環境デザインについてです。
都市計画・土木・建築・インテリア・プロダクト・グラフィック...と私たちの生活環境は実に様々な職能領域による見えない境界で分けられ、思考され、計画されています。もちろん、日常生活でこの境界を意識することはほぼないことなのですが、この職能境界によって、私たちの暮らしや生活には、あたりまえになって感じなくなっている不都合が多々存在しています。人のふるまいや生活を起点として生活環境を見つめ直し、再構築することで、不都合は徐々に取りのぞかれ、生活環境の豊かさを実現できるのではないか。つまり、「人」を中心に、職能領域を横断的に捉え、つながり・関係性を意識して環境を思考する行為を「環境デザイン」であると考えています。

2.【環境デザインの社会的認知の壁】
近年、「人間中心デザイン」という言葉が良い意味で(と思っています)流行していますが、「環境デザイン」はずっとその考え方で行われてきたのです。ただ、「環境デザイン」は先にお話したように、社会においてその定義を広く曖昧にしてきたために、明確な言葉を持たずにきてしまいました。依然として、重要性の認知が低い状況にあると感じています。実際に、社会における様々なプロジェクトの中で、「環境デザイン」に関連する仕事は、土木や建築という確固とした専門性の中の一部門、「下請け」の扱いを免れてはいません。例えば建築においては多くの場合、計画の最後の演出・化粧のように扱われています。
私はこのことを重く受け止めてきました。「人」を中心にすえて考えるはずが、その「人」の核心に触れきれずに表層を飾ることを「環境デザイン」であるかのように扱っている残念な事例を目にするたびに、『なんとか変えたい』『どうしたらいいのか』を悩み続けました。まずは自分の仕事で。小さくても一つ一つの仕事を通して、自分の考えを社会に伝えていきたいと挑戦してきました。しかし、私のような者が行うことなど、たかが知れています。そこでデザイン団体に入り、運動としても表明していけないか?とも模索しました。しかし、長い歴史に支えられてきた職能を壊すことは当然のように容易ではありません。大小の挫折を味わいながら、「自分には何が足りないのか?」を考えるようになっていきました。

3.【仮説と検証】
仕事としてデザインを考える時、課題を抽出し、目的を設定し、その実現のための「仮説」を立て、計画し、具体化していきます。仕事は多くの場合、計画が完成すると完了します。そこで立てた「仮説」が想定通りだったのか?何が効いていたのか?何が足りなかったのか?等の「検証」を行うということがなかなかできないまま、次の仕事に移るわけです。いわば「仮説」を消費しているだけの状況。これでは、いくら重要性を説いたところで、社会に還元できるわけがありません。自分に足りないことは「仮説と検証」に取り組んでいないことなのだと、情けないほど時間をかけて気づいたのでした。

「学問」として捉える必要があるのではないか?
「研究」という取り組みが必要なのではないか?

もう遅いのではないか?今さらアカデミックに挑戦して何になるんだ!いや、違う。
これだけ時間がかかったからこそ、そこに進む意味を十分に感じているのでしょう?...
大学院に進もう、やっとこの思いに至ったわけです。

4.【東京大学大学院学際情報学府への興味】
環境デザインで進学候補を調べていくと、既成の学問領域の中で扱われている実態を知ることとなります。違和感をおぼえ、あきらめかけた時、そうだ!最高学府(誤用ですが。笑)を調べてみよう!と、バカ丸出しで、東京大学のwebに...。
大学院学際情報学府 を見ると、「...領域横断的な文理融合による新しい情報学の創造...」吸い込まれるような思いがしました。何日かおきにそのページを訪れては、スタンス(という表現は適切ではないと思いますが)に共感し、でも自分には無茶な話だとため息をつく日々。

5.【仕事仲間からの一冊の本】
時を同じくして、1年ほどもやもやしていたある日。仕事で大変刺激をいただいていた大先輩ともいえる方から「あなた、この本きっと面白いと思うよ」と一冊の本を手渡されたのです。
『「未来の学び」をデザインする 空間・活動・共同体美馬のゆり・山内祐平 著。
この本では「デザイン」を「目的、対象、要因、そこへ至るまでのプロセスなどを意識した活動」として、学習環境を構築するときの中心になる概念として使われていました。「つくって、語って、振り返る」ことの実践。...あぁ、これだ。腑に落ちる思いで巻末の作者プロフィールを見ると、作者のお一人である山内先生は学際情報学府の先生でいらっしゃいました。とにかくお会いしたい。お話を伺ってみたい。
そう思って、本をいただいた方に山内先生へのご紹介をお願いしたのでした。
真剣に悩み考え動いていると良いことって本当に訪れるものなんですね。(笑)


こうして私は山内先生と出会い、直接お話しする幸運に恵まれました。
最初に先生とお話しした率直な感想は「ひゃーなんて頭のいい人なんだ!」。
選ばれる言葉に何一つ無駄な要素がなく、的確で、私の言葉足らずの行間までお見通しのように、すぱっと鮮やかに回答くださいました。これはすごい方を発見してしまった!と自分の引きの良さに感激したほどです。
(この思いは、先生の意外なお茶目ぶりを発見する感動(笑)と共に、山内研に入ってからもますます強く確信されていくこととなります)

受験勉強、試験、合格...と無事に入学し、研究室に入ると、そこにはまた感動の先輩と同期の仲間達がいました。歳は若くても私にとっては先達です。こんな仲間に出会えたことも、一生の宝物だと思っています。

これまでの研究生blogからもおわかりのように、山内研メンバーのそれぞれの山内研との出会いは実に多様です。その多様な面々を柔軟に受け止め、厳しく、そして大きな優しさで選択肢や道を示してくださるのが山内先生です。

回り道(とも思っていないのですが)したからこそ、こうした出会いに恵まれたのだと、今までのすべてに感謝しています。

この連載、まだまだつづきます。次回以降もどうぞお楽しみに。

短くまとめるつもりがどうにも長くなってしました。
生きてきた時間が長い分、どうかご容赦くださいませ。
長文&拙文におつきあいいただきありがとうございました。

早川 克美

2012.06.17

【山内研との出会い】社会学と教育の重なり

皆様こんにちは。
【山内研との出会い】シリーズ、今回はM2の末が担当させていただきます。

なぜ今、私が山内研究室で修士研究をしているのか...
少しさかのぼってお話ししようと思います。

【国際関係学から始まった大学生活】
私は昔から歴史が好きだったのですが、特に近現代の日本と他国との関係性に興味を持ち、学部では国際関係学を専攻していました。国際関係学という学問はもともと、冷戦のさなかアメリカがソ連に対抗するために確立した学問であり、法学、経済学、社会学、歴史学など様々な領域が混じった学際的な学問で、4年間幅広く学ぶことができました。

入学当時は、国際政治や国際法などに興味があったのですが、授業を受けるうちに、例えば戦後和解などの問題は、政治や経済といった国同士のマクロの視点だけではなく、社会や文化に目を向け、人々の声に耳をかけるといった社会学やミクロの視点も重要であるということに気づかされました。またその中で、マイノリティや大衆の文化や生活の実態、政治の決定過程など、歴史として「残りえない歴史」を様々な立場の人へインタビューし、文字史料としてアーカイブしていく「オーラル・ヒストリー」という概念を知りました。

【アーカイブと教育の接点】
私は専攻を変えずに大学院に進学するつもりでいたのですが、次第にもやもやしたものが生まれていきました。それは、私自身が授業や卒論を通して様々なことを学ぶだけではなく、何か貢献をしたいということです。近現代史への興味は、いつしかオーラル・ヒストリーへの興味と代わり、その果てにはオーラル・ヒストリーを自らが研究するのではなく、たくさんの子どもたちがそういった活動に行ってほしい、そして私はその支援をしたいのだと考え、教育に興味を持つようになりました。

それはもともと、私自身が幼い頃に祖父母から聞いていた、戦争体験の話や若い頃の思い出話が心に残っていたからだと思います。これらの思い出話は、自分自身が生きる現代とは、暮らし方や考え方の異なる世界であり、同じ日本であってもこんなにも違うのかと幼いながら驚きました。また、当時の様子を想像し、教科書で学んだ歴史と結びつけて考えることは個人的にもとても面白く、歴史の理解が深まり、私自身の歴史好きが形成されたのではないかと感じました。

【先輩との出会い】
そんなことを考えていた時に出会ったのが、研究室の先輩である@YukiAnzai こと安斎さんでした。当時M1だった安斎さんは、大学生向けにワークショップを開催していました。そこで初めてワークショップというものに触れ、教育工学というアプローチがあることを知り、この領域でならば自分の興味に従って研究ができるのではないかと考えました。また、学際情報学府は、メディア、社会学、歴史学など、私が学んできたことを活かしながら、研究できるのではないかと考え、受験を決めました。

実際に入学してみて、学際的という意味で横に広がる学びと、研究室で一つの研究を深めるという意味で縦に深めていくことができる場所であると感じています。教育に関して幅広いテーマを受け入れてくださる研究室であり、実践的な活動を行いながら研究を行うのでとても有意義な研究生活を送っています。

現在も、実際に高校でオーラル・ヒストリーを用いた授業をさせていただいており、夢が叶って嬉しいです。この実践活動をしっかりと研究に落とし込み、修士論文を書き上げたいです。

末 橘花

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