2012.04.18

【エッセイ】ハイテクとしての鉛筆とノート

デジタル教材に関する授業や講演の際によく見せる、教室におけるテクノロジーの進化をまとめたウェブページがあります。

The Evolution of Classroom Technology
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教室で使われてきた様々な技術が、17世紀に登場した教科書の原型であるホーンブックから、2010年のiPadまで歴史順に並べられています。眺めているだけでも面白いので、ぜひご覧になってみてください。

このページを見ると、現在まで続く大きな変化が19世紀末から20世紀初めにかけて起こっていることがわかります。それは、黒板と鉛筆の登場です。
黒板が学校に普及したのは1890年代でした。鉛筆は1900年代に世界中で使われるようになっていきます。特に鉛筆はノートとともに学習に必要な技術として今でも不可欠なものになっていますが、当時は最先端の技術でした。

どれぐらい最先端だったかは、鉛筆とノートの前に使われていたものを見るとわかります。

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これは石板です。蠟石を使った石筆で黒板のように書いては消していました。書き方や計算の練習に使われていたようです。

想像してみて下さい。石筆と石板を使っていたあなたが、鉛筆とノートを手に入れたらどう感じるでしょうか。ノートが続く限り、記憶を書き留めることができます。鉛筆と消しゴムを使えば、石板ではとても表現できないような精密な図も描けます。形態は似ていますが、もはや次元の違うハイテクノロジーだといってよいでしょう。

実際、鉛筆には当時の最先端技術が集約されていました。ペトロスキーの「鉛筆と人間」には、細い炭素軸を木に埋め込んで折れないようにするために、当時の技術が総動員されたことが記されています。

鉛筆の普及から100年たち、学校には皮肉なことに石板に似た形のタブレットデバイスが導入されようとしています。この技術が、当時と同じように画期的なハイテクノロジーとして受け入れられるかは、ネットワークの強さを学習に結びつけられるかにかかっていると思います。
スタンドアロンの記憶装置として考えれば、いまだに紙と鉛筆は強力な道具です。安い上に電気がなくても動き、決して壊れません。保存性も優れています。
デジタル機器のみが持つネットワークの強さを活かすことができれば、タブレットは教室に開いた窓として、学校の外の人たちを学習に巻き込む強力な道具になるでしょう。鉛筆とノートが石板にはない利用形態を生み出したように、タブレットが新しい学習の文化を担えるかどうかは、今後10年程度で見えてくるのではないかと考えています。

山内 祐平

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