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2016.08.16

【山内研っぽい1冊】『子どものUXデザイン ―遊びと学びのデジタルエクスペリエンス』

こんにちは!修士1年の江﨑 文武です。厳しい暑さが続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?
私は夏期休業に入って間もなく、出張で3週間ほどルーマニア / ドナウ・デルタとインドネシア / バリに滞在しておりまして、2日前に帰国しました。

さて、今回のブログのテーマは【山内研っぽい1冊】ということで、カバンに忍ばせていたら「山内研かな?」と思われるような1冊を紹介するというシリーズです。私が紹介するのは『子どものUXデザイン ―遊びと学びのデジタルエクスペリエンス』という本です。

これは、私が現在スタートアップで取り組んでいる幼児向け知育・教育アプリケーション開発、また、修士で研究したいと思っている「幼児向け教育・知育アプリケーション開発のデザイン」に直結する内容で、デジタル社会における子どもたちの学習環境のUX(ユーザーエクスペリエンス)について、ピアジェの認知発達理論をベースに、実践的指南となるような事例が紹介された、たいへん読みやすい本です。

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生まれた時から周りを「画面」に囲まれて育つデジタル・ネイティブ。
そんな子どもたちに、豊かなディスプレイ体験を届けるためにはどのようなデザインが必要なのか?
本書は、20世紀において最も影響力の大きい心理学者の一人であるジャン・ピアジェの認知発達理論をベースに、子ども向けのデジタル製品(アプリ、ウェブサイト、ゲームなど)の作り方のキモを具体的に解説する一冊。

4つの発達段階―感覚運動段階/前操作段階/具体的操作段階/形式的操作段階―をさらに2歳刻みに分けて論じ、すぐに成長して年齢の境界線をまたいでいく子ども特有のニーズについて、より効果的に対応できるようにした、具体的で実践的なアドバイス集。子ども向けデジタルプロダクトの製作に関わる開発者やデザイナーまたは教育関係者必読の内容。原書はRosenfeld Mediaの『Design for Kids: Digital Products for Playing and Learning』。

著者のデブラ・レヴィン・ゲルマンは、インタラクションを伴う子ども向けメディアのライターであり、リサーチャー、デザイナー、ストラテジスト。PBS Kids、Sprout、Scholastic、Crayola、NBC Universal、Comcastなどのクライアントとともに、子ども向けのサイトやアプリ、仮想世界を制作してきた。『USAトゥデイ』紙の「ベストベット賞」を受賞した『プラネットオレンジ』―小学生およびその教師と親をターゲットにした、お金に関する基礎知識を教えるサイト―では、リサーチとデザインの中心的役割を担った。 デザイン事務所や社内デザイン部門に所属して腕を磨き、その後、EPAM社で、デジタルストラテジー&エクスペリエンスデザインのチームを立ち上げに参画。現在は、このチームのユーザーエクスペリエンス部門のディレクターを務める。また、WebVision や、IA Summit、IxDA、US Lisbon、UXPAなどのカンファレンスで頻繁に講演をおこない、ワークショップを開催するほか、『A List Apart』や『UXマガジン』誌への寄稿も行っている。

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最近では2, 3歳児でも器用にスマートフォン/タブレット端末を扱えるようになっていることに加え、小学生にもなれば、動画編集、画像編集、音楽制作などもそれらの端末上でこなせる場合が多いようです。私の知人のお子さん(3歳)は、タブレット端末の操作法をいつの間にか親から見よう見まねで学び、最近では、自分の好きな海外のアニメーションをアルファベットをタイプしながら動画共有サイトで器用に検索、視聴できるようになっていたと言います。私たちが思っている以上に、現代の子どもたちは早い段階でデジタル環境に順応し、また、それらから多くを学んでいるのかもしれません。本書は、そんな新世代の「学習環境」を考える上で欠かせない一冊なのではと思っています。

それでは次回もお楽しみに。

【江﨑文武】

2016.08.02

【山内研っぽい1冊】『教室にマイコンをもちこむ前に』

 皆さん,こんにちは.修士2年の原田です.
 今回のブログのテーマは【山内研っぽい1冊】です.鞄に忍ばせていたら「もしかして、あなた山内研ですか...?」と言われてしまいそうな1冊を紹介するというシリーズです.山内研究室のメンバーは山内研究室に関心を持ったきっかけも学部時代の専攻もバラバラです.そんな山内研究室に山内研っぽさを感じるとするならば,杉山くんも書いてくれたように共通して「学びを支える環境(空間・活動・共同体・人工物)をどのようにデザインすれば学習を有効に支援できるのか?」に関心があるところだと思います.また,山内研究室に関心を持ってくれる人を思い出しても,学びを支える環境に関心がある人が多かったという印象を受けます.
 本年度の入試は7月14日に受付を終了しました.そのため,最近は研究室に訪問してくれる人も減りましたが,4月や5月は多くの受験生が研究室に足を運んでくれました.そのなかで私は情報工学部出身ということもあり人工物の開発に興味があるため,同じように人工物をどのようにデザインするかに関心がある方と意見を交わす機会が多くありました.「ゲームを利用した教育方法に興味がある」という人や「スマートフォンを利用した教育に感心がある」という人など人工物と言っても関心は様々です.一方で,Twitterを眺めたりWebを検索してみると,新しい教材やテクノロジーが次から次へと多く開発されていることがわかります.そんな情報の波に埋もれないように,「どのような教育的議論が学びを支える人工物に関してなされてきたのか?」について少し立ち止まって考えてみたいと思います.
 そこで4回目となる今回は「人工物」ここでは特にコンピューターにまつわる議論が書かれた「教室にマイコンをもちこむ前に」という本を紹介したいと思います.編著者は建設的相互作用でおなじみの三宅なほみ先生です.出版されたのが1985年ですので私の生まれる前に出版された本になります.ではいったい1985年はどのような時代だったのでしょうか?
 いろいろな文献を見てみると,コンピューターを教育に利用しようとする試みが国内国外を問わず広がりつつあった1980年代だったと感じます.例えばSeymour Papertによる「Mindstorms」が出版されたのは1980年になります(Papert 1980).Mindstormsではプログラミング言語LOGOを利用して子供たちが絵を書きながら数学について理解を深めていく様子が描かれています(詳しくは過去の記事).また日本でもこの時期にコンピュータ教育がはじまり,コンピューターをはじめとする教育機器が学校に導入されることになりました(佐伯 1992).つまり,プログラミング教育をはじめとするコンピューターを利用した新しい教育が夢見られ模索され,そして実践されてきた時代だったのでしょうか.
 一方で,1985年前後のプログラミング教育研究を眺めてみると,プログラミング教育の効果について調査する実証的な研究も行なわれていたことがわかります.例えばLOGOとCAIを比較しながら効果を検証したClements and Gullo 1984,プログラミング教育で向上すると考えられていたプランニングの能力について検証したPea and Kurland 1984,5歳児の学習過程を丁寧に追った子安 1987の研究があります.これらの研究ではプログラミングの効果が認められた結果が報告された一方で,思い描いていたような効果が出ないという結果も報告されました.
 そんなコンピューターを利用した教育に多くの注目が集まっている1985年にこの本が出版されました.少しだけこの本の内容に触れると「子供たちの目標(やりたいこと)と教師の目的(やらせたいこと)をどのように関連付けるか?」についての議論が2章3章でなされています.デニスニューマン(2章)および波多野(3章)は両者とも「学び手の主体性」を大切にしながらも,教師の役割の重要性についても主張し,「構成主義が伝達主義にならないよう教授者が歯止めをどこに設定するか?」について議論を進めています.一方で,6章では戸塚によって,小学校での「ヒマワリの成長をLOGOでシミュレーションして追いかけようとした試み」や「LOGOで図形を描くことで数学に対する理解を深めていった実践」など実践的な報告がなされています.

「私にとって、教育におけるコンピュータの役割を考えるということは、コンピュータを使っていかに効率よく教育するかを考えることではありません。それはコンピュータというシンボル操作システムを使うと、どのような新しい「教え方」「学び方」ができるのかを考えることでなければならないと思います。そして、そのような新しい「教え方」「学び方」の可能性を探ることそのものが、私たち自身の「教えるとは何か」「学ぶとは何か」という問いに対する答えを深めていくようなものでなければならない、だから、私達はコンピュータを問題にする必要があると思っています。」(三宅 1985 p.1)

 この本の第1章で「なぜコンピューターを問題にするか」について三宅先生が書かれた内容です.
 それから30年が過ぎて2016年になりました.上でも述べたように確かに当時より安価で高性能なコンピューターを手に入れることができるようになりました.また様々な教育用ツールも開発されています.コンピューターをつかうといったいどのような新しい学びが支援できるのか?コンピューターを導入するときにはいったいどのようなことを考えないといけないのか?今後,私自身がコンピューターの導入が有用だと考えるようになるにせよコンピューターの教育利用は早過ぎる有用ではないと考えるようになるにせよ,もしこのような教育的議論や授業実践に目を向けないならば,「学ぶとは何か」そして「学びを支援する環境はどのようなものか」に対して理解を深めることはできないのだと感じました.

「もしかして、あなた山内研ですか...?実はコンピューターと教育の関係について興味があるんです」と話しかけられたら,この本を元に対話できればよいなと思います.

・三宅なほみ (1985) 教室にマイコンをもちこむ前に 新曜社
・Seymour Papert (1980) "Mindstorms" Basic Books
・佐伯 胖 (1992) コンピュータで学校は変わるか 教育社会学研究
・Clements, D. H., & Gullo, D. F. (1984)Effects of computer programming on young children's cognition. Journal of Educaitonal Psychologoy
・Pea, R. D., & Kurland, D. M. (1984). Logo Programming and the Development of Planning Skills. Technical Report No. 16.
・子安増生 (1987) 幼児にもわかるコンピュータ教育 ーLOGOプログラミングの学習 福村出版

原田悠我

2016.07.31

【山内研っぽい1冊】『デジタル社会の学びのかたちー教育とテクノロジの再考』

皆さんこんにちは。
やっと関東でも梅雨が明けましたね!夏は受験の天王山と言いますが、M2にとっても「修論の天王山」と言えます。27日には情報学府の中間発表を終え、いよいよ本格的に調査に踏み出そうとしている今日この頃です!
ちなみに29日は夏学期のゼミが最後だったので納会がありました♪おいしいお肉をたらふく食べて最高に幸せな気分でした!!

さてさて、今回のブログのテーマは【山内研っぽい1冊】ということで、カバンに忍ばせていたら「山内研かな?」と思われるような1冊を紹介するというものです。今回私が紹介するのは『デジタル社会の学びのかたちー教育とテクノロジの再考ー』という本です(https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784762827907)。これは私が修士1年生でホームスクーリングについて文献を読んでいたときに教えてもらった本で、教育の新たな可能性について考えるための手がかりとなった1冊です。

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デジタル社会と言われる今、どのように教育はあるべきなのでしょうか?
ーこの問いに対して真摯に向き合い、答えようとしているのが本書です。

これまで私たちの中では学びは学校で起こるものだと認識されてきました。産業革命以降、学校での教育は指導要領として決められていることを教え、学ばせることに徹してきました。どれだけ時代が変化しても、フォーマルな学習環境は変わらずに在り続けてきたのです。

しかしながら、新たなテクノロジはそのような学校教育の在り方に疑問を投げかけています。

社会では、学習というものが生涯を通じた営みだと認識され始め、インフォーマルな場ではすでに新たな教育制度が芽生えているのです。本書では【生涯学習、ホームスクーリング、職場での学習、遠隔教育、成人教育、ラーニングセンター、教育向けのテレビやビデオ、コンピュータを用いた学習用ソフト、技能資格、そしてインターネットカフェ】などをキーワードとし、その中でテクノロジが一人ひとりの学習者の関心やニーズ、学習スタイルに合わせた学びを支援してきたことを指摘しています。

そのような状況を受け、著者らは学校教育で築かれてきたものと学校外で築かれつつあるものを改めて捉え直すことで、始めの問いに答えようとしています。

具体的な本書の構成としては、まず初めに様々な研究や理論、事例を紹介しながら教育にテクノロジを取り入れてくことに対する推進派の意見と懐疑派の意見についてそれぞれ検討し、テクノロジと学校教育の間にいかに深い溝があるかを論じます。続いて、その溝が出来上がってしまった背景として、「学校教育制度の歴史的発達」と「学校外の学習機会の拡大」というフォーマル・インフォーマル両方の観点から丁寧に説明をしています。そのように学校教育の発達を歴史的に捉えることで、公教育にしか果たしえない役割や価値があることに気付き、その視点を持った上で学校外の新たな学びの芽に着目することで、テクノロジが学習にもたらしうる新たな可能性に気が付きます。両者がうまく折り合いをつけていくことが、全ての人にとっての充実した学習機会を保障することにつながるというわけです。それらを全て含め、最終章では「教育とはどうあるべきか」という問いにもう一度向き合い、考えていきます。

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これだけ時代が変化していく中で、私たちがこれまでに受けてきた教育のイメージを未来の教育の姿にそのまま当てはめて考えることはできません。教育現場の「今」を知ると同時にこれからの教育の可能性について考えるためのヒントがこの本には詰まっています。

それでは次回もお楽しみに。

【長野香織】

2016.07.21

【山内研っぽい1冊】生田久美子(2007[1987])『「わざ」から知る』

 M2の杉山です.前回より【山内研っぽい1冊】というテーマでブログをお届けしています.鞄の中に忍ばせていたら「もしかして、あなた山内研ですか...?」と言われてしまいそうな1冊を紹介していきます.今回私が紹介するのは,生田久美子(2007[1987])『「わざ」から知る』です.

 山内研っぽいとは何か,私が考えるのは単に学習や教授ではなく学習「環境」がテーマであることです.すなわち,どこで(空間)・誰と(共同体)・何をする(活動)中で学習が起きているのか,に関して自覚的であることです.学校や教室での学習を扱うのならば,学校というのはどういう現場なのか.あるいは前回のブログで紹介された「インフォーマル学習」ならば,ミュージアムや会社,ワークショップまで,それぞれの環境の特徴は何なのか.それを考えた上で,生起している学習について記述したり支援をしたりするのです.だからこそ,社会や文化について問題にしている情報学環のお隣の研究室たち――社会学やメディア論,カルチュラルスタディーズ――と,環境という共通項において議論する基盤が生まれるのだと考えています.

 学習「環境」に自覚的である際に,私が最も重要だと考えているのが「学習することの意味や価値は何か」を問うことです.あることを知ること,あることができるようになることがどういう意味をもつのかは,学習者が置かれた環境によって異なります.上手くラップができることは,学校の授業においては全く価値がないかもしれませんが,休み時間やストリートにおいては多くの称賛を集めるかもしれません.これはいわゆる「状況的学習論」の問題ですが,そもそも学習について研究をしようとする人すべてにとって,自らの研究の意義を説明するうえで欠かせない視点です.

 生田久美子(2007[1987])『「わざ」から知る』は,まさにその点に気づかせてくれる本なのです.本書は日本の伝統芸能や武道において,入門者が「わざ」を習得していく過程を記述したものです.ですが,本書はただ「身体的技能」の獲得を問題にしたものではありません.そうではなく,「わざ」を身につけることとは,師匠や先輩の模倣からはじめて,その芸事の世界が有している価値観や意味が分かるようになることなのです.「世界全体の意味の把握とは,自らが潜入している空間に存在する有形,無形の事柄の意味連関を身体全体を通して把握することであり,また学習者は自らが模倣しているところの『形』の意味をその連関の中で実感していくということなのである」(p. 88)と著者は書いています.日本舞踊なら日本舞踊,長唄なら長唄の世界独自の意味や価値を見出していくことこそ学習であり,またそれがあるからこそ身体的技能の獲得も意味をもつのです.

 本書が提示した学習の見方は,決して伝統芸能に限定されるものではありません.私たちがどこかにいるとき,誰かと一緒にいるとき,何かをしているとき,私たちは何らかの世界に位置づいているはずです.学習することは,その世界に学習者がどのように出会うかによって意味をもつのです.これを自覚的に研究をしていくことは,学習「環境」をテーマにする山内研っぽいものだと思います.

【杉山昂平】

2016.07.19

【山内研っぽい1冊】『インフォーマル学習』

暑い夏がやってきていますね!みなさまいかがお過ごしでしょうか。
夕方から夜のゲリラ豪雨がときたまあるので、いつもビクビクしながら帰路についているM2の青木です。

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今回から、新しいテーマ、【山内研っぽい1冊】が始まります。
鞄の中に忍ばせていたら「もしかして、あなた山内研ですか...?」と言われてしまいそうな1冊を紹介するということだそうです。過去には、【山内研の必読図書】というテーマがあったようですが、ここよりは少しライトな書籍でもよいということです。

といいつつも、一発目の私は、ライトな本というよりも、学術書を紹介したいと思います。
それは教育工学選書シリーズの、『インフォーマル学習』です!

山内研は、他の教育工学の研究室に比べるとインフォーマル学習を研究している人が多いのではないかと思います。
編著者も山内先生ですので、山内研っぽい一冊になるかと思います。

学習ときくと、学校での学習が一番に思いつきますが、そういった公的に設計された学習以外にも、わたしたちは、日々博物館やイベントに参加したり、オンラインコンテンツを読んだり、働いたりしながら学んでいます。そういった公式の学習以外の学習形態を、広義のインフォーマル学習と呼びます。

近年は、こういったインフォーマル学習の研究への注目が世界的にも集まっています。以前、池田さんもYlabのブログで紹介してくださいました。

そんななか、この書籍では、インフォーマル学習に対して、これまでどのような研究がなされ、今後どのような研究を積み重ねていくのか?について、幅広いテーマから論じられています。

<<目次はこちら>>
序 章 教育工学とインフォーマル学習
第1章 生涯学習施設とインフォーマル学習
第2章 職場とインフォーマル学習
第3章 大学教育とインフォーマル学習
第4章 子どもの発達とインフォーマル学習
第5章 ワークショップとインフォーマル学習
第6章 ICTとインフォーマル学習
終 章 変化する社会とインフォーマル学習

特に、私が気になっているのは、フォーマルとそれ以外の活動をどのように結びつけていくかということです。
たとえば、反転学習も1つのフォーマルとインフォーマルの接続のあり方です。従来、学校外で行っていた課題(宿題)を学校で対面にて行い、知識のインプットを学校外で行うというやり方は、フォーマルとインフォーマルの新しい融合の仕方といえます。他にも、美術館・博物館と、学校、地域がネットワークされていく事例や、学校外で自主的に学んだことが学校の中の新しい活動に活かされた事例などの研究もなされています。
今後は、フォーマル、インフォーマルといった切り分けではなく、学びの生態系に目を向けていくことが大事なのではないでしょうか。

この本の終章において、山内は、今後の社会を生き抜いていくためには、「学校で学ぶことと学校外で学ぶことがゆるやかにつながり、総体として豊かで高度な学習を実現」する必要があると述べています。そして、そのような学びの実現のために、教育工学では、具体的な方法や技術を研究していく必要があると述べています。
実際に、これからの修士研究でもこのことはしっかり意識していかなければならないなあ、と感じています。

ですので、インフォーマル学習を研究したい方はもちろんのこと、総合的な視野をもって学校での学習を研究したい方にもオススメの1冊です!

【青木翔子】

2016.07.07

【今年度の研究計画】幼児のNarrative Skill習得のための物語行為支援システムに関する研究

 うっとうしい梅雨が続きますが、明けると猛暑の夏がやってくるというのは悩ましいですね・・・今週のブログ、D3佐藤が担当します。

 私は、子どもが遊びで熱中する物語づくりという行為に着目し、支援を通じてお話しする力を育むことができないか、という関心のもと研究に取り組んでいます。

 3歳頃から見られるようになる「物語」を語る行為。幼児期後期になると、かなり複雑な物語ができるようになります。けれど、想像上の物語を楽しむ様子は微笑ましいものの、その話には、脱落や飛躍があり、筋や脈絡に一貫性が認められないことも多いようです。頭の中には何らかの表象があり、表現しようという動機があるらしいのですが、うまくことばで表現できないように見える時期があるのです・・・

 この発達段階、壮大な博論という物語を書いている私の現状に重なります・・・統括性のある博論の生成に必要な知識、博論の筋を生成するための技能はどのようなもので、どのように習得できるのでしょうか。

 渦中の私にはメタ的な見通しが出来ず、指導教官、助教の方々、研究室のメンバー達の、発達の再近接領域への働きかけにより、緩やかに発達している状況(のはず)です。ともあれ、せっかくの貴重な体験なので、子どもに負けず、嬉々として語っていきたいと思います!


【タイトル】
幼児のNarrative Skill習得のための物語行為支援システムに関する研究

【研究の背景】
 人にとって「物語」を伝える事、読む事、語ることは重要な営みである。発達途上にある幼児にとっての物語行為にも、いくつかの重要な意味がある。発達心理学の領域で着目されているNarrative Skill(話す力)は、言葉をうまく使う力にとどまらず、体験や自分の考えを一連のまとまった物語として他者に伝える力であり、幼児期に著しく発達するという。そして、幼児期の物語る行為は、Narrative Skill(話す力)の習得のための活動として重要な役割を果たしている。いっぽう、これらの習得は、思考の道具、自己の確立、文化への参入方法の理解等の要素があり、支援の意義は大きいものの、語彙や文法の支援など従来の支援方法では難しい。さらに、社会・文化・歴史的な状況を反映するもので、物語を導く大人の役割が大きく、その関係性を保ちながら支援する道具を検討していく必要がある。「子ども」・「親」・「道具」の3点を踏まえたNarrative Skill(話す力)習得のための物語行為の支援を検討することが求められている。

【目的】
 本研究では、「物語る行為」の発達が著しい段階にある幼児を対象に、Narrative Skill(話す力)習得のための物語行為支援システムを開発する。システムは、「子ども」だけでなく、子どもをスキャフォルディングする「大人(親)」、さらには「子どもと大人(親)」の対話を支援するものとする。その要件として、物語を「表現(外化)・共有」することが可能な現在のテクノロジー技術を用いることとする。
 開発した支援システムを評価実践し、検証により得られた知見から、物語行為を通したNarrative Skill習得支援形態のデザイン原則を導き出すことを目的とする。

【方法】
 「子ども」の物語行為を賦活するための設計要件、「親」の語りの引き出し方の向上を支援するシステム開発のための設計要件、文化的道具として物語行為を支援するための要件の定義から、2つの支援形態(開発研究1と2)が導出される。

■開発研究1:
 「幼児の物語行為を支援するソフトウェアの開発」

 http://ci.nii.ac.jp/naid/110006792153/

■開発研究2:
 「幼児のNarrative Skill 習得を促す親の語りの引き出しの向上を支援するシステムの開発.」
 
 http://ci.nii.ac.jp/naid/110007520570/

 まず開発研究1では、システムにより素材を提供することで物語を賦活し、システムを操作しながら物語るという形態で、物語の産出に注力できるよう認知機能を考慮した物語産出の「外化(表現)」を支援する。次に開発研究2では、外化されたものを録画し、他親子と物語産出過程を「共有」することで、子どもに合わせた多様な語りの引き出し方の実践知を習得することにより親の語りかけの向上を支援する。

【進捗状況と予測される結果】
 先行研究により導き出された2つの支援形態、開発研究1・2は、開発・実践・評価が完了しており、効果は検証されている。システム開発により「外化・共有」の機能を実現し、2つの活動の支援を行うことで、子どもの「Narrative Skill」の習得を支援することが可能になることが明らかとなった。一方で、定義された目標以外の教育効果やいくつかの課題も残されている。それらも考慮した上で知見をまとめ、幼児のNarrative Skill習得のための物語行為を支援するシステムの要件を整理し、デザイン原則を導き出す予定である。

【研究の意義】
 幼児期において、社会や文化への参入方法を理解する上で、物語は重要な役割を果たすとともに、物語の産出の過程で大人のやり取りを通じで意味形成を行っていくことも重要な活動である。そのような背景を踏まえ、物語の産出スキルであるNarrative Skillについて、その発達段階やメカニズムの解明を試みる数多くの研究が行われている。いっぽう、言語獲得の支援を超えた学習の支援原理が要求されるNarrative Skill向上の支援に関する先行研究は少ない。
 本研究では、発達段階やメカニズムに関する発達心理学、認知心理学の知見をもとに、教育工学的なアプローチでシステムを開発している。子どもが1人でシステムを使用するのではなく、子どもの支援に重要な役割を果たす親を含めた道具のあり方を含めて検討し、新たなテクノロジーを用いてこれまで行われなかった支援方法を実現している点で意義があると考える。物語産出の「外化」を支援することと、物語産出過程を「共有」することをシステムで実現することにより、新たなメディアによる対話形態の支援・コミュニケーションスタイルの提案を行っている。

佐藤朝美

2016.07.03

【今年度の研究計画】大学での正課外活動におけるキャリアレジリエンスの獲得に関する調査

暑い日が続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
博士課程1年の池田めぐみです。今回のテーマは今年度の研究計画ということなので、私の研究計画について紹介させていただきます。

 私は、ざっくり言うと、「環境の変化に適応し、ネガティブな仕事状況に対処する個人の能力」であるキャリアレジリエンスを、大学生は正課外活動*の中でいかにして学ぶのか、ということについて研究しています。*正課外活動とは、サークルや勉強会のような単位の出ない授業外の活動のことです。

 現在、日本では大学生が就職することがバブル崩壊以前よりも難しくなっています。また、働いていく中で、ストレスを感じる人の割合や、離・転職など働く上での大きな変化を経験する人も多い状況です。

 このような中で、「環境の変化に適応し、ネガティブな仕事状況に対処する個人の能力で」あるキャリアレジリエンスの重要性が主張されはじめています。キャリアレジリエンスは文部科学省の唱える「生きる力」とも互換的に用いられており、高等教育においても、この力を育むことが望まれていると言えます。キャリアレジリエンスの構成要素としては、問題解決に関する能力やチャレンジ精神、適応力、楽観性、自己効力感、ソーシャルスキル、自己理解力、新奇・多様性などがあげられています。

 キャリアレジリエンスをどのようにして育むかということについては、今までビジネスパーソンを中心に考えられてきました。そのため、大学生がどのようにしてキャリアレジリエンスを育むのかという視点の研究はあまりなされてきていません。一方で、レジリエンスを高める上で成功体験を積むことや、類似した困難な経験を乗り越えることの重要性が主張されており、環境の変化に適応し、ネガティブな仕事状況に対処するのに類似した経験を積むことが、大学生のキャリアレジリエンスを高めることにつながるのではないかと予想されます。

 それでは、大学生はどのような環境でこういった経験をすることが可能なのでしょうか。この問いについて考えると、自分の想定を超えた他者や事象に直面する場であり、教員からの指示があまり与えられない環境で、困難が生じても自身の力で乗り越えなければならない正課外という場が有効なのではないかと考えられます。

 実際に正課外活動に関する先行研究を見ていくと、キャリアレジリエンスという単語そのものは登場しないものの、問題解決能力や適応力など、大学生がキャリアレジリエンスの構成要素の一部を獲得していることが示されてきました。

 しかしながら、大学生が、正課外活動にどのように取り組むこと(例:運営に関わる、積極的に関与する)がキャリアレジリエンスに影響するのかについては明らかにされてきていませんでした。そこで、修士研究ではこのことを明らかにすることを目的に質問紙調査を実施し、他のメンバーと密にコミュニケーションをとりながら活動に参加すること、活動に質的にも量的にも多く関わること、また、活動で得たことや活動そのものについてしっかり振り返えることがキャリアレジリエンスを育む上で重要だというこことを明らかにしました。

 修士研究において、正課外活動とキャリアレジリエンスの関係性の一部は明らかにすることができたものの、学生がいかにキャリアレジリエンスを育んでいくかという視点に立った時に、まだまだ明らかにしなくてはいけないことが多いのが現状です。博士研究では、正課外活動において学生が直面する困難の大きさや、周りから得られるサポートなどに着目し、大学生がどうすればキャリアレジリエンスを高めていくことができるかについてより立体的に明らかにしていくことができればと考えています。
長いようできっと短い博士課程の3年間、しっかり頑張らないとですね!


池田めぐみ

2016.06.23

「Research Theme (2016)」 Specificity in Ambiguity

Theme: Meso-level Support for ICT for Education (ITC4Ed) in Rural Southern Philippines

Hola, chicos y chicas!

Is hasn't been long since I last wrote about my research theme. Back then, it had also been my first blog post. I had yet to read about related literature, and had little knowledge on the topic at hand. Wide-eyed and optimistic, I tried to fit a topic relevant to current events and the global trend. Although I am still quite far from a concrete and perfect research plan, I believe output has sharpened a bit to something more tangible, plausible, and empirical. From national level to a rather more specific level: I attempt to cover a large scope in terms of universality so it is not only exclusive to the case study, but can be applied to similar schools in dire need of similar reforms.

At the moment, we are looking at working with a school from a partially urban area in rural Philippines. This encompasses a case where a rather sub-urban school is transitioning from traditional to mixed methods pedagogy. Moreover, I would like to provide assistance and support for school administrators of similar backgrounds to help themselves in raising their game, especially when they already have a fair amount of resources. Fair in this case would probably be less than what is recommended, but nonetheless, we would like to acknowledge that the first step would probably take the most amounts of push and initiative. Displeasing learning curve would likely influence teacher motivation, especially to those of ripe age.

Admittedly, it might be difficult to assess the situation especially because of the difference in background between (1.1) private, (1.2) special public institutions (from whence I had grown up in), and (2) the reasonably rural arena. The most challenging to append to the vast list of considerations in a heterogeneous population, is the individual circumstances of which school is merely a mid-level priority. A country whose populace would be deemed lucky just to even finish [primary schooling], regardless of ICT integration, would be extremely hard to coerce in utilization of new technology. That being said, should the school/s have menial problems such as power saving and budget constraints, understandably the use of personal computers would instead be looked down upon as troublesome.

In a consecutive turn of events, I will be in pursuit of evaluating the situation in various gazes, ideally based off learnings and work ethics I have picked up while dabbling with the social sciences. I do believe that by majoring in interdisciplinary studies, there is inclination that acquired knowledge is rather shallow compared to focused, compartmentalized studies. However, what really helped me over anything else is the outlook I honed in gaining appreciation for all disciplines and being flexible enough to be open-minded with both arts and sciences. Globalization intertwined with diversity is a beautiful phenomenon, and ultimately the successful proliferation of ICT use even in the most perverse areas is my goal.

Until next time,

Lian Sabella Castillo

2016.06.13

【今年度の研究計画】「学び方」のモデル形成のための支援

みなさま、初めまして。修士1年の根本紘志(ねもとひろし)と申します。
元々法学部で政治学を勉強していたのですが、大学院より専攻をガラッと変えることにしました。

まだ右も左もわからない状態ですが、今考えていることをご紹介したいと思います。

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■テーマ
「学び方」のモデル形成のための支援

■概要
「勉強の中身だけではなく勉強の仕方を教える/身に付けることが重要」
このようなフレーズとともに一時期勉強法がブームとなった。今でも勉強法・学習法を学ぶことに対するニーズは一定以上あるように見える。

実際、中学校学習指導要領の総合的な学習の目標に「学び方やものの考え方を身につけ」ることが記載されていたり、21世紀型スキルやEUによるキー・コンピテンシーでは「学び方の学習」が主要なスキル・コンピテンシーの一つとして紹介されていたりとこうした力の重要性・必要性は国家・世界レベルでも認識されている。

「学び方の学習」といっても「どんな『学び』なのか?」「その『学び』をどのように学習するのか?」「そもそも『学び』方を学習すると何が良いのか?」ということについて考える必要がある。日本でも以前より「学び方の学習」は行われているが、それらの多くは特定の先生方のコミュニティが行っているのみで、成果は実践例として紹介されているにとどまる。

現時点では、「学び方の学習」をした人が場面に応じて「この場面ではこんな学び方をしてみると良さそう」ということを自分で考え、その学び方にそって学習を進め、その方法が適切かどうかを振り返る...そうしたサイクルを回すことができるような支援方法を提案できたらと考えている。

本研究が進められている地域の一つとしてEU諸国が挙げられる。まずはそれらの研究成果を参照しながらどのような「学び方の学習」があり得るかをまとめている。

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大学院で専攻する内容を大きく変えたのには大きく2つの理由があります。
①講義の内容(勿論面白かったです)以上に、横で肩を並べて勉強していた法学部生の勉強の仕方が様々であることに関心を持ってしまったこと(実は、元々法学部を選んだ理由も教育行政に関心があったためなのですが...)
②学部生時代に行っていた教育関係のアルバイト・ボランティアを通じて高校生や大学生が「勉強の仕方を学ぶ」ことが大事なのではないかと思ったこと


このテーマを「現場で実践するのでは無く、研究として取り組む」とはどういうことなのか?そのために何をやらなければいけないのか?を先生・先輩方に教えていただきながら勉強する日々です。

【根本紘志】

2016.06.09

【今年度の研究計画】外国語学習の継続を支援する研究

みなさま、はじめまして。
修士課程1年生の林怡廷(リン イティーン)と申します。よろしくお願いいたします。
一見、名前が読みにくいと思うかもしれませんが、実は台湾の漢字の発音です。
台湾から日本に来て一年経て、日本語はまだまだですが、これからも頑張っていきたいと思います。
さて、今年度の研究計画を簡単に紹介させていただきたいと思います。

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■テーマ
外国語学習の継続を支援する研究

■概要
大学教育において提供されている外国語授業は週に2、3コマしか行われていない場合が多く、その限られた時間で上達するのはかなり難しい。それに、一クラスの人数が多いから、学習者の発音や聞き取りの練習が授業で十分に確保されることは困難である。大人数で学ぶ環境であり、かつ授業時間が限られているため、「学習者一人ひとりが満足でき、学習意欲向上を促進できる授業」の実現が難しい状況である。ですから、外国語授業を1学期、2学期受けても使えるようになっていない人は多くいると言われている。さらに、授業の時間は限られているから、外国語を上達するには、課外の時間に外国語学習に取り組む姿勢が重要だと言える。
その問題を解決するため、ICTを使って外国語学習を支援する研究はかなり進んでいる。その中に、多くの研究はスキル面(listening, speaking, reading, writing)に焦点を当てる。一方、動機づけ・言語不安・自己効力感・コミュニケーションの意欲など心理的要因は言語学習における重要な役割を担うと示唆されているため、それらに対する支援は不可欠だと考える。そこで、本研究では外国語学習のスキル面だけではなく、心理的要因にも着目し、外国語学習の継続の支援方法を模索する。

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学部は台湾の心理学部出身で、今までは社会心理学、認知科学などを勉強してきました。教育と学習についてわからないことも多いですが、自分の外国語学習経験を活かして、日本語も勉強しながら研究に取り組みたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

【林怡廷】

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