2016.08.02

【山内研っぽい1冊】『教室にマイコンをもちこむ前に』

 皆さん,こんにちは.修士2年の原田です.
 今回のブログのテーマは【山内研っぽい1冊】です.鞄に忍ばせていたら「もしかして、あなた山内研ですか...?」と言われてしまいそうな1冊を紹介するというシリーズです.山内研究室のメンバーは山内研究室に関心を持ったきっかけも学部時代の専攻もバラバラです.そんな山内研究室に山内研っぽさを感じるとするならば,杉山くんも書いてくれたように共通して「学びを支える環境(空間・活動・共同体・人工物)をどのようにデザインすれば学習を有効に支援できるのか?」に関心があるところだと思います.また,山内研究室に関心を持ってくれる人を思い出しても,学びを支える環境に関心がある人が多かったという印象を受けます.
 本年度の入試は7月14日に受付を終了しました.そのため,最近は研究室に訪問してくれる人も減りましたが,4月や5月は多くの受験生が研究室に足を運んでくれました.そのなかで私は情報工学部出身ということもあり人工物の開発に興味があるため,同じように人工物をどのようにデザインするかに関心がある方と意見を交わす機会が多くありました.「ゲームを利用した教育方法に興味がある」という人や「スマートフォンを利用した教育に感心がある」という人など人工物と言っても関心は様々です.一方で,Twitterを眺めたりWebを検索してみると,新しい教材やテクノロジーが次から次へと多く開発されていることがわかります.そんな情報の波に埋もれないように,「どのような教育的議論が学びを支える人工物に関してなされてきたのか?」について少し立ち止まって考えてみたいと思います.
 そこで4回目となる今回は「人工物」ここでは特にコンピューターにまつわる議論が書かれた「教室にマイコンをもちこむ前に」という本を紹介したいと思います.編著者は建設的相互作用でおなじみの三宅なほみ先生です.出版されたのが1985年ですので私の生まれる前に出版された本になります.ではいったい1985年はどのような時代だったのでしょうか?
 いろいろな文献を見てみると,コンピューターを教育に利用しようとする試みが国内国外を問わず広がりつつあった1980年代だったと感じます.例えばSeymour Papertによる「Mindstorms」が出版されたのは1980年になります(Papert 1980).Mindstormsではプログラミング言語LOGOを利用して子供たちが絵を書きながら数学について理解を深めていく様子が描かれています(詳しくは過去の記事).また日本でもこの時期にコンピュータ教育がはじまり,コンピューターをはじめとする教育機器が学校に導入されることになりました(佐伯 1992).つまり,プログラミング教育をはじめとするコンピューターを利用した新しい教育が夢見られ模索され,そして実践されてきた時代だったのでしょうか.
 一方で,1985年前後のプログラミング教育研究を眺めてみると,プログラミング教育の効果について調査する実証的な研究も行なわれていたことがわかります.例えばLOGOとCAIを比較しながら効果を検証したClements and Gullo 1984,プログラミング教育で向上すると考えられていたプランニングの能力について検証したPea and Kurland 1984,5歳児の学習過程を丁寧に追った子安 1987の研究があります.これらの研究ではプログラミングの効果が認められた結果が報告された一方で,思い描いていたような効果が出ないという結果も報告されました.
 そんなコンピューターを利用した教育に多くの注目が集まっている1985年にこの本が出版されました.少しだけこの本の内容に触れると「子供たちの目標(やりたいこと)と教師の目的(やらせたいこと)をどのように関連付けるか?」についての議論が2章3章でなされています.デニスニューマン(2章)および波多野(3章)は両者とも「学び手の主体性」を大切にしながらも,教師の役割の重要性についても主張し,「構成主義が伝達主義にならないよう教授者が歯止めをどこに設定するか?」について議論を進めています.一方で,6章では戸塚によって,小学校での「ヒマワリの成長をLOGOでシミュレーションして追いかけようとした試み」や「LOGOで図形を描くことで数学に対する理解を深めていった実践」など実践的な報告がなされています.

「私にとって、教育におけるコンピュータの役割を考えるということは、コンピュータを使っていかに効率よく教育するかを考えることではありません。それはコンピュータというシンボル操作システムを使うと、どのような新しい「教え方」「学び方」ができるのかを考えることでなければならないと思います。そして、そのような新しい「教え方」「学び方」の可能性を探ることそのものが、私たち自身の「教えるとは何か」「学ぶとは何か」という問いに対する答えを深めていくようなものでなければならない、だから、私達はコンピュータを問題にする必要があると思っています。」(三宅 1985 p.1)

 この本の第1章で「なぜコンピューターを問題にするか」について三宅先生が書かれた内容です.
 それから30年が過ぎて2016年になりました.上でも述べたように確かに当時より安価で高性能なコンピューターを手に入れることができるようになりました.また様々な教育用ツールも開発されています.コンピューターをつかうといったいどのような新しい学びが支援できるのか?コンピューターを導入するときにはいったいどのようなことを考えないといけないのか?今後,私自身がコンピューターの導入が有用だと考えるようになるにせよコンピューターの教育利用は早過ぎる有用ではないと考えるようになるにせよ,もしこのような教育的議論や授業実践に目を向けないならば,「学ぶとは何か」そして「学びを支援する環境はどのようなものか」に対して理解を深めることはできないのだと感じました.

「もしかして、あなた山内研ですか...?実はコンピューターと教育の関係について興味があるんです」と話しかけられたら,この本を元に対話できればよいなと思います.

・三宅なほみ (1985) 教室にマイコンをもちこむ前に 新曜社
・Seymour Papert (1980) "Mindstorms" Basic Books
・佐伯 胖 (1992) コンピュータで学校は変わるか 教育社会学研究
・Clements, D. H., & Gullo, D. F. (1984)Effects of computer programming on young children's cognition. Journal of Educaitonal Psychologoy
・Pea, R. D., & Kurland, D. M. (1984). Logo Programming and the Development of Planning Skills. Technical Report No. 16.
・子安増生 (1987) 幼児にもわかるコンピュータ教育 ーLOGOプログラミングの学習 福村出版

原田悠我

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