2016.07.21

【山内研っぽい1冊】生田久美子(2007[1987])『「わざ」から知る』

 M2の杉山です.前回より【山内研っぽい1冊】というテーマでブログをお届けしています.鞄の中に忍ばせていたら「もしかして、あなた山内研ですか...?」と言われてしまいそうな1冊を紹介していきます.今回私が紹介するのは,生田久美子(2007[1987])『「わざ」から知る』です.

 山内研っぽいとは何か,私が考えるのは単に学習や教授ではなく学習「環境」がテーマであることです.すなわち,どこで(空間)・誰と(共同体)・何をする(活動)中で学習が起きているのか,に関して自覚的であることです.学校や教室での学習を扱うのならば,学校というのはどういう現場なのか.あるいは前回のブログで紹介された「インフォーマル学習」ならば,ミュージアムや会社,ワークショップまで,それぞれの環境の特徴は何なのか.それを考えた上で,生起している学習について記述したり支援をしたりするのです.だからこそ,社会や文化について問題にしている情報学環のお隣の研究室たち――社会学やメディア論,カルチュラルスタディーズ――と,環境という共通項において議論する基盤が生まれるのだと考えています.

 学習「環境」に自覚的である際に,私が最も重要だと考えているのが「学習することの意味や価値は何か」を問うことです.あることを知ること,あることができるようになることがどういう意味をもつのかは,学習者が置かれた環境によって異なります.上手くラップができることは,学校の授業においては全く価値がないかもしれませんが,休み時間やストリートにおいては多くの称賛を集めるかもしれません.これはいわゆる「状況的学習論」の問題ですが,そもそも学習について研究をしようとする人すべてにとって,自らの研究の意義を説明するうえで欠かせない視点です.

 生田久美子(2007[1987])『「わざ」から知る』は,まさにその点に気づかせてくれる本なのです.本書は日本の伝統芸能や武道において,入門者が「わざ」を習得していく過程を記述したものです.ですが,本書はただ「身体的技能」の獲得を問題にしたものではありません.そうではなく,「わざ」を身につけることとは,師匠や先輩の模倣からはじめて,その芸事の世界が有している価値観や意味が分かるようになることなのです.「世界全体の意味の把握とは,自らが潜入している空間に存在する有形,無形の事柄の意味連関を身体全体を通して把握することであり,また学習者は自らが模倣しているところの『形』の意味をその連関の中で実感していくということなのである」(p. 88)と著者は書いています.日本舞踊なら日本舞踊,長唄なら長唄の世界独自の意味や価値を見出していくことこそ学習であり,またそれがあるからこそ身体的技能の獲得も意味をもつのです.

 本書が提示した学習の見方は,決して伝統芸能に限定されるものではありません.私たちがどこかにいるとき,誰かと一緒にいるとき,何かをしているとき,私たちは何らかの世界に位置づいているはずです.学習することは,その世界に学習者がどのように出会うかによって意味をもつのです.これを自覚的に研究をしていくことは,学習「環境」をテーマにする山内研っぽいものだと思います.

【杉山昂平】

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