2011.12.29
皆様お久しぶりです!
修士1年の河田承子です。
クリスマスも終わり、街中はすっかりお正月気分に変わってしまいましたね。今年も残すところわずかとなり、1年はあっという間だなと感じている今日この頃です。
今回、私が選んだ一冊は、小西行郎の「早期教育と脳」です。この本を知ったのは、研究室の先輩から頂いた事がきっかけでした。タイトルからして私の興味をそそるものだったのですが、読み始めると共感するところが多く、時間がたつのを忘れてしまいました。
著者で小児科医の小西行郎は、長年様々な親子を見てきた中で、子どもの発達を「脳」のみで捉える最近の早期教育に疑問を呈しています。
少子化と言われているにも関わらず、0歳〜未就園児の「乳幼児教育市場」が1500億にのぼり、英才・能力開発教室や英会話教材が1位と2位を独占している実態から、子どもの「脳」に対する親の期待や関心の高さが伺えます。
このような現状に対して、まず著者が指摘していることが「臨界期」という考え方です。本来、生物にとっての「臨界期」とは、「生物が環境に適応するために脳が柔らかい状態で生まれ、それぞれの環境に合わせて生きていけるように脳の機能を柔軟に作り替え、それを定着させることのできる時期」を意味します。この「環境を合わせて生きていける」のが重要で、算数や英語といった知能を教科することのみに与えられた能力ではありません。ところが、現在の早期教育の風潮では、人間の発達の一つの側面であるに過ぎない「臨界期」を、「教育的効果の高い時期」といった範囲で捉えていると述べています。本来の意味とは異なり、「この時期を逃したら手遅れ」という「臨界期」のイメージが、親が早期教育に走る原因になっているのでしょう。
更に、著者が第2章で挙げていたものが、「乳幼児と英語教育」です。経済のグローバル化に伴い、小さい頃から英語を学ばせようという動きが高まってきています。書店では幼児向け英語雑誌が売られ、子どもが喜びそうな音やリズムを中心としたビデオ教材や知育玩具、キッズ英会話教室などが流行しており、親はそういった様々な情報を集めています。私は学部時代に、幼児向けの英語スクールで働いていたのですが、そこでは生後6ヶ月位のお子さんが通っていました。まだハイハイもおぼつかない子どもが、その時期から英語を始めることにびっくりしたのですが、そういった時代の流れがあったのだな、とその頃を振り返りながら感じました。
このような現状に対して、著者は英語教育は第一言語を習得した後で始めるべきであり、早期教育をするのであれば、親にも根気と覚悟が必要だ、と説いています。早期教育をすると、子どもの効果を求めてしまいがちですが、あまり効果を求めるのではなく、英語を通して親子の関係を深めることが大切ではないか、と提言されています。
意外なことに、今のところ早期教育において信頼できる科学的データが報告されていません。さらに、どういう刺激を、どの程度、どの年齢に与えれば効果的かる安心できるものなのか、ということも分かっていないそうです。早期教育にはまだまだ解明されていないことがあります。勿論、効果を求めたい気持ちはあるとは思いますが、親が刺激を与え続けるのではなく、子どもの自発的な発達を見守りながら、彼らの世界を広げていければ望ましいなと、この本を読んで思いました。
私は現在、修士研究で「親と育児情報」をテーマに、親が子育ての中で育児情報をどのように活用しているのかを研究しています。本書で示されていたような言語能力や早期教育についての情報が、子育でどのように活用されているのか、これから詳しく見ていきたいです。
<参考文献>
小西行郎(2004) 早期教育と脳
2011.12.28
ミサワホームと一緒に、「ラーニングコモンズ」のある家をデザインしました。
発達段階に応じてリビングまわりに学習スペースを設けるとともに、中学生ぐらいから家族と一緒に学べる部屋として「ホームコモンズ」をもうけているのが特徴です。子どもが一人で部屋にこもって勉強するというスタイルから、親や兄弟、ゲストを招いてともに学ぶという文化へのきっかけになればと思います。
また、ホームコモンズは、子どもだけでなく、親も変化する時代に応じて学び続けることを強く意識しています。子どもだけに勉強部屋があり、親は食卓で学ぶというのは不自然です。家族全員が充実した環境で学べる家が今後重要になってくると考えています。
子どもの成長に合わせて"学び空間"をステップアップする「ホームコモンズ設計」を新提案
HYBRID 自由空間 Edu(エデュー)
【山内 祐平】
2011.12.23
皆様こんにちは。
修士2年の土居由布子です。
いよいよ2012年まで10日を切りました!
明後日はクリスマスですが,今日からの三連休を皆様満喫されているでしょうか?
さて,第3回【読書感想文】として私が選んだ1冊は,私の進路に大きな影響を与えた、
菅谷明子「未来をつくる図書館ーニューヨークからの報告ー」です。
実は7年も前に読んだ本です。山内研究室の本棚には図書館に関する本がたくさんあり,その中にこの本もありました。この本を読むまでは図書館には全く興味もなかった私ですが,これを読んで大学の専攻を「図書館情報専門学群」に決めました。それほど衝撃的な1冊だったんです。
この本ではニューヨーク公共図書館のあらゆるサービスやその仕組みについて書かれています。図書館といえば「本を貸してくれる場所」と認識される方がほとんどだと思います。でも本書で報告されているニューヨーク公共図書館では,企業や芸術の支援,医療情報などが充実しているんだそうです。そしてニューヨーク公共図書館を利用する多くの人が「図書館がなかったら今の自分はなかった」と感じているそうです。地域密着の運営,独自のイベントやITを活用した情報提供はどのようにして可能なのか。個人の力を伸ばし,コミュニティを活性化させる活動とその意義が報告されています。図書館が揃える資料の数,図書館運営の為の資金の集め方,サービスのあり方,司書に求められること,そこで生まれるストーリー,何もかもが新鮮でした。
この本を読むまでは私も「図書館は本を貸してくれる場所」であってそれ以外のサービス等考えたこともありませんでした。ところがニューヨーク公共図書館でのサービスを通して様々なビジネス,文化,芸術が数多く巣立っていて,ゼロックスのコピー機やポラロイドカメラもその一つだというのです。
ニューヨーク公共図書館の一つで,多くの起業家を支援してきた「シブル」と呼ばれる「科学産業ビジネス図書館」について紹介されています。メキシコから無一文同然で移民してきた男性は,データベース,インターネット,レファレンスの助けを借りて情報収集し,更にこの図書館で開かれる無料セミナーでビジネスを学び,ネットワークを作り,情報交換して企業準備を進めてきたそうです。
この図書館の更なる魅力として紹介されている「NPOなど外部組織との提携サービス」の事例として,リタイアした元経営者らが無料でビジネスのカウンセリングに応じるNPOの「SCORE」とシブルが提携し,その出張所を館内に設け,あらゆる問題の解決をサポートしていることが紹介されていました。
このように様々なサービスが提供されていること自体驚きでしたし,そんな図書館なら是非行ってみたいと思った私でしたが,更に驚いたのは本著でシブルの図書館部長が優れた図書館サービスの必須条件として「豊かなコレクションに加えて,ユーザーとコレクションを結びつける優秀な司書の存在だ」と言い切っており,「司書は幅広い知識と専門性を持ち,情報収集や電子メディアが得意なだけではダメで,『企画能力』にも長け,『コミュニケーション能力』と『ネットワーク能力』を持ち合わせていること」だと言っていることでした。更にシブルの司書の条件として「ビジネスとは何かを理解し,実際に自分もビジネスをやってみたいと思うようなチャレンジ精神とリスクを恐れない前向きの人であればなお良い」とも語られたそうです。
それまで私は司書に企画能力やネットワーク能力などそれほど必要だと思ったことはありませんでした。「まじめさ」や「緻密さ」等,そういったことばかり想像していた私にとっては本当に意外な条件でした。ちなみに,アメリカで司書というのは「大学院で図書館学を学び修士号を収めた人」を指すそうです。その基準の高さにも驚きました。
この本を読んだのは高校三年生の夏で,ちょうど短期のオーストラリア留学が決まっていました。この本に影響されて,留学先のオーストラリア(ブルーマウンテンズ市)の図書館を訪ね,司書にインタビューをしました。同じように地元の図書館のサービスと司書の方の話を聞いて比較レポートを書きました。そして,これを機に当時志していた海外大学から筑波大学の「図書館情報専門学」に進路を変更したわけです。卒業後に1年間シアトルに留学した際も,シアトルの公共図書館を訪ね,サービスやシステム,建物や空間のデザイン,様々なイベント企画,レファレンスの対応の良さに驚かされました。元々図書館嫌いな私が「かっこいい」と思ってしまったほどです。図書館としての資料の豊富さも圧倒されましたが,図書館なのに,ミュージシャン達の無料コンサートが聞けることにびっくりしました。外観も内装もそこで開かれている活動も全部クリエイティブでした。私が声をかけずとも司書の方から私に近づいてきて一緒に必要な情報を捜してくれたことには感動しました。当時は院試にむけて,自身の研究計画をたてるために必死でしたから本当に助かりました。願書提出2か月前に思い立った状況だったので,不安だったのですが,それがやる気へと変わった出来事でした。本に書かれていたことは,ニューヨーク公共図書館に限らずで,本当に魅力的だと実感しました。卒業して研究者という立場を離れても,世界中の図書館を訪ね歩こうと思っています。
この本に出会ってなければ,「図書館」に興味を持って海外の図書館を訪れることも,「図書館」を専攻することもなかったと思います。映像制作ワークショップに興味を持つようになったのもその専攻の中で巡り会ったことです。そして今,インターネット上で映像を編集して作品を制作される人々の学びについての論文を書いておりますが,こないだのゼミの文献でも「図書館」がテーマになり,不思議な気持ちになりました。勝手な妄想ですが,就職後,何かの巡り会わせで図書館作りに関われるのではないかとかそんな気分にもなりました。
本は私たちの知恵や考え方,視野を広げると言われていますが,皆さんはどのような本に出会い,進路や人生観にどのような影響を受けられたでしょうか。
本が苦手な方もたくさんいると思います。私も得意ではありませんが,そんな私に素敵な本と出会わせてくれた母に感謝しております。「これからの情報化社会は図書館が基盤になる」といって母が紹介してくれた本がこの本です。
余談ですが,妹には「これからは都市計画が面白い」「地域活性化の鍵だ」といってそれらの本を読ませて,妹は現在都市計画を専攻し,建築関連を学んでおります。どこまで冗談なのか分かりませんが,私と妹で,いつか理想的な図書館をつくれとよく言います。とりあえず実家にある本(段ボール100箱分以上)を電子化して欲しいとか,そのデータベースを作って欲しいと言われます。笑
母がくれた1冊の本が,私の人生をどう誘うのか,これからが楽しみです。
それでは皆さん良いお年を!
Merry X'smas!!
[土居 由布子]
--参考--
*菅谷明子. (2003). 未来をつくる図書館--ニューヨークからの報告--
*Seattle Public Library, http://www.spl.org/
2011.12.20
12月17日(土)に、BEAT Seminar 「デジタル読解力を育てる情報教育」 を開催しました。当日の様子については、IT Proの記事になっていますので、ご参照ください。
今こそ必要な「デジタル読解力」、求められるのは「批判的読解」 東京大学大学院情報学環 ベネッセ先端教育技術学講座(BEAT)セミナー
セミナーの中で聴衆のみなさまからいただいた疑問について、時間的に十分議論できなかったものがいくつかありますが、そのうちの一つが、「なぜ日本は学校のデジタル環境の整備や授業での利用が遅れているのに、4位なのか」という問題です。
前提として確認しておいた方がよいのは、このデジタル読解力調査が19カ国・地域を対象にして行われており、紙ベースのPISA読解力調査の65カ国・地域よりも少ないことです。紙ベースでは日本より上位にいるフィンランドやカナダが参加していませんので、参加国が変われば順位は変わる可能性があります。
ただし、参加国の変動を差し引いたとしても、日本の得点はOECD平均よりかなり高く、上位グループにいることは間違いありません。この点について説明可能な要因としては以下の2点があげられます。
1)紙ベースの読解力との高い相関
デジタル読解力は、ウェブ上にあるテキストを批判的に読み解く能力を測定しています。この能力の中には、ナビゲーションや情報ソースの批判的検討など、情報リテラシー、メディアリテラシー的な能力も含まれますが、核になるテキストの解釈は紙ベースの読解力と共通しています。そのため、紙ベースの読解力の成績の高い(65カ国中8位)日本は、デジタル読解力でもよい成績をとる可能性が高くなります。
2)自宅でのインターネット利用
OECDの分析によって、調査に参加した17 カ国及びパートナーの全てで、自宅でのコンピュータ利用はデジタル読解力の成績と関係しているが、学校でのコンピュータ利用は必ずしも関係していないことが明らかになっています。つまり、今回の結果は学校教育でのデジタル機器を利用した指導の成功を意味していません。日本の順位が高い理由のもう一つとして日本のインターネットインフラが世界的に見るとトップクラスにあり、子どもたちが自宅でケータイやPCなどにアクセスしていることが寄与している可能性があります。
また、順位が4位だとしても内実を見ると手放しで喜べる状況にはありません。デジタル読解力の習熟度レベルは5段階ではかられていますが、上位グループでレベル5以上の生徒の割合を見ると韓国(19%)、ニュージーランド(19%)、オーストラリア(17%)に対して日本は6%しかありません。これは、標準レベルのデジタル読解力がある生徒は多いが、高度で批判的なデジタル読解ができる層が極端に薄いことを意味しています。
今後、日本の学校において、デジタル読解力を育成するポイントは、ウェブにあるテキストを「字面として」理解するだけではなく、その背景にある意味を考え、自分なりの意見や考えを持つことにありそうです。
*デジタル読解力の定義や問題例、結果については、文部科学省「OECD生徒の学習到達度調査(PISA2009)デジタル読解力調査の結果」についてにまとめられています。
【山内 祐平】
2011.12.16
みなさま、こんにちは。
修士2年の柴田アドリアーナです。
山内研メンバーが日頃どのような本を読み、どのようなことを考えているのかについて紹介するシリーズ【読書感想文】の第2回をお送りいたします。
今回紹介したい本はかなり前に読んだ、ノーマン( Donald A. Norman )の『The Design of Everyday Things』です。(*オリジナルタイトル: The Psychology of Everyday Things)
ノーマンはアメリカの認知科学者で、人間中心設計のアプローチを提示し、ヒューマン・インターフェイスやユーザビリティに多大な貢献を果たした方です。
"I push doors that are meant to be pulled, pull doors that should be pushed, and walk into doors that should be slid."
『The Design of Everyday Things』はこのドアの例をはじめとして、家具や生活環境のデザインをアフォーダンス知覚の点から論じて、"Perceived Affordance" の概念を紹介しています。
"Affordances specify the range of possible activities, but affordances are of little use if they are not visible to the users. Hence, the art of the designer is to ensure that the desired, relevant actions are readily perceivable."
ノーマンがこの本を著したのは1988年であり、書かれている内容の多くは家具やプロダクトデザインに関連されているが、現在使われているタブレットやスマートフォンにデザインするときの基本原理にも応用できると思えます。
人間が物の使い方を間違えたり,使い方をすぐに忘れたりするとき、自分を責めることが多いと思います。しかし、著者によるとその態度は間違いであり、原因は人間の記憶ではなく、その物のデザインにあると論じています。つまり、 使い方の学習に問題を生じたら、デザイナーはその人に合わせてデザインをしなければならないと述べています。彼はこのことを「ユザー中心のデザイン」と呼んでいます。
"Everyday activities are conceptually simple. We should be able to do most things without having to think about what we're doing. The simplicity lies in the nature of the structure of the tasks."
今回、修士研究で開発した教材を実際にブラジル人学校でユーザーテストを実地しました。ユーザーテストを振り返るとこの本のことを思い出し、今回のブログに書くことにしました。
子供たちが実際に教材を使っている要素を観察すると、毎回新しい発見があります。その観察から、教材の使い方や周りからの影響などについて考慮でき、これからの教材の改善に導くと思いますので楽しみです。
参考
・Norman, D. A. (1990). The Design of Everyday Things. New York: Doubleday. (Originally published under the title The Psychology of Everyday Things)
→日本語版: 誰のためのデザイン? - 認知科学者のデザイン原論
・Affordance, Conventions and Design
[柴田アドリアーナ]
2011.12.14
研究室出身で情報学環助教の佐藤朝美さんが、こども環境学会で優秀ポスター発表賞を受賞されました。
社会性を育む保育環境デザイン-ごっこ遊び遊具の提案
佐藤朝美 (東京大学大学院情報学環)
山内祐平 (東京大学大学院情報学環)
星野俊樹 (ミサワホーム総合研究所)
星野裕之 (ミサワホーム株式会社)
中川正男 (ミサワホーム株式会社)
発表論文はこちらからアクセスできます。
【山内 祐平】
2011.12.09
みなさま、こんにちは。修士2年の菊池裕史です。2011年も残すところ1ヶ月弱となりましたね。僕たちM2は、来たる年明けの修士論文提出に向けて、日々アクセル全開で過ごしています。
さて、今日からblogのテーマが【読書感想文】に変わります。「なぜこの時期に読書感想文?」「もう読書の秋は終わったじゃないか。」といった声が聞こえてきそうですが、僕たち大学院生に季節は関係ありません!ということで、この読書の冬に、山内研メンバーが日頃どのような本を読み、どのようなことを考えているのかということを紹介する新しいシリーズをお送りいたします。
菊池が担当する第1回は、イヴァン・イリッチ(訳:東洋・小澤周三)の『脱学校化の社会』を紹介します。イリッチは1926年にウィーンで生まれ、ニューヨークでカトリックの助任司祭、プエルトリコのカトリック大学の副学長をした後に、メキシコのクエルナバーカに国際文化資料センターを設立した方です。
イリッチは『脱学校化の社会』の中で、学校教育で行われている教育方法を「幻想」として批判し、学校教育に対するオルタナティブを提案します。学校教育にある「幻想」とは、「学習のほとんどが教えられたことの結果である」という幻想であり、実際には人は学校の外で知識の大部分を身につけるのである、ということをイリッチは主張します。具体例としては、外国語を上手に習得するひとは、学校教育からではなく、外国にいる祖父母の家で生活をしたり、海外旅行をするといったことによって学習しているという例が挙げられています。
では、学校の外でどのように学習をするのかというと、たとえば「技能」に関しては、反復的な練習がその方法として示されています。なぜなら、「技能」は定義可能であり、かつ予測可能な行動を習得することを意味しているからです。具体的な教授方法としては、その技能が使われている環境のシミュレーションに頼ることが挙げられています。
また、イリッチは、「学校に依存しないということは、人々に学習をさせる新しい考案物をつくることではない」と主張します。彼の言葉で言えば、学校に依存しないということは、人間と環境の間に新しい様式の教育的関係を作り出すことであり、この様式を育てるためには、成長に対する態度、学習に有効な道具、および日常生活の質と構造が同時に変革されなければなりません。
僕がこの本を読んで最初に感じたことは、「あれ、この主張どこかで見たな...。」という既視感でした。それは、以前にこのblogでも紹介した、シーモア・パパートの『マインドストーム』の中で見られる主張だったのですが、パパートは『マインドストーム』の中で、「知識構造は教師から教わるものではなく、学習者によって建設されるものだ」という主張をしています。パパートが『マインドストーム』の中で、学校教育について直接言及することはありませんが、イリッチが主張した、人間と環境との間に新しい様式の教育的関係を作り出すことの重要性にはおそらく同意をしており、その関係を構築する道具として、コンピューターの可能性を追求したのではないかと捉えることができます。
イリッチが『脱学校化の社会(Deschooling Society)』を著したのは1973年であり、もちろん、家庭に今のようなコンピューターがあるような時代ではありませんでした。パパートが『マインドストーム』を書いた1980年でさえ、「コンピューターが家庭に1台あるような学習環境は実際的には実現不可能である」という記述が、パパート自身によって行われています。しかし、パパートの時代では、イリッチが行うことができなかったであろう、具体的な未来の学習環境への仮定・想像が十分に行われています。哲学者が未来の社会を予測し、計算機科学者が実現可能なレベルに具体化するという、異なる分野の二人の接続の在り方に、僕は必然性と美しさを感じました。
では、パパートが実現不可能だと言っていた学習環境が当たり前のものとなった今、未来の学習環境はどのようなものに変化していくのでしょうか。そのような楽しい未来を想像しながら、今度は自分が哲学者となって空想にふけっていくことも、冬の読書の楽しみかなと思います。
2011.12.06
東京大学大学院情報学環は教育部研究生を募集しています。メディア・ジャーナリズム、情報産業、情報社会、情報技術について学べる学部副専攻相当の教育プログラムです。他大学の学部生や社会人の方も受験できます。山内も「教育と情報」に関する授業を担当する予定です。
詳しくは以下のページをご覧ください。
平成24(2012)年度 東京大学大学院情報学環 教育部研究生入学試験の概要
【山内 祐平】
2011.12.03
山内研の大学院生の日々の暮らしを紹介する【山内研メンバーの一日】シリーズ、最終回は博士課程2年目の池尻良平がお送りします。
時間が大量にある院生にとって、日々の研究のライフスタイルを確立することはとても大事なことです。先にざっくり話してしまうと、僕は大学院に入ってからこのスタイル確立を3つ試してみました。1つ目は「突貫工事スタイル」、2つ目は「研究日確保スタイル」で、どちらも失敗したスタイルです。ただこの失敗自体は良い経験で、試行錯誤の結果4年目にしてようやく最適な「博士課程専用ライフスタイル」が見つかりました。
ちょっと長いので、時間のない人は(3)博士課程専用ライフスタイル だけ読んでもらえればと思うのですが、院生の人には失敗例もぜひ読んでほしいなと思います。
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(1)修士課程の頃の失敗:突貫工事スタイル
僕の所属する東京大学大学院学際情報学府は、それはそれはハードな授業が多いところで、例えば僕はM1の頃に週8コマ取ったのですが、発表に向けた文献調査やグループでのミーティング、プロジェクトの準備や実施などが重なってパンクしそうになりました。しかもそれとは別に、自分の研究を進めないといけません。そこでかろうじて編み出したスタイルが「突貫工事スタイル」でした。
このスタイルはどういうものかというと、山内研では大体1.5ヶ月に1回ゼミでの発表があるのですが、最初の1ヶ月間は授業やプロジェクトの対応をしつつ文献や論文をひたすら収集し、ゼミの2週間前になったら睡眠時間を削ってでも一気に読みまくるというやり方です。元々高校でもこういうスタイルで勉強していたので特に体を壊すこともなく、まあ研究もそれなりに進捗していたので、このモデルを2年間続けていました。
では、なぜこのスタイルを失敗と判断したのか。それは修論を書き上げた時のことです。僕の代にはとても優秀な同期が2人いて、2人とも尋常じゃないくらいのコツコツタイプだったんです。で、細かく話すと長くなるので結論だけ書くと、同期は修論の最後の「課題と展望」の厚み・深みがすごかった。僕の場合、背景や先行研究のレビューはそこそこ厚かったものの、最後に出した知見をメタな領域に組み込んで考察する「課題と展望」で使える文献が不足気味でした。一応修論自体は優秀賞をもらえたのですが、最後の「課題と展望」で弾切れしたのが悔しくて、何で2人はあんなに底力を持っていたんだろうと考えていました。
それでわかった原因がライフスタイルの違いでした。限られた時間で一気に読む突貫工事スタイルの場合、時間に余裕がないことが多々あるのでそれに連動して読む文献も関連性の高い文献に偏ってしまい、読んだ文献に「余裕」がなくなってしまうことが多々ありました。一方同期の2人はコツコツ読んでいたので、読んでいる文献にも余裕が生まれたのではないかと考えました。
この仮説が正しいかどうかはさておき、ちょうど博士課程に上がることが決まった時だったので、このままじゃ近視的でダメな研究者になると思い、突貫工事スタイルを捨てることにしました。
(2)博士課程1年目の頃の失敗:研究日確保スタイル
博士課程に上がると授業も週1コマになり、ほとんどの時間が自由に使えるようになった一方、自分でライフスタイルを確立しないと本当にグチャグチャになるなとも思っていました。そこで取ったスタイルが「研究日確保スタイル」です。
よく先輩や先生から「論文を読んだり自分の研究について考える時はまとまった時間が必要だよ。だから、週に2、3日は研究日を作った方が良い」ということを聞いていたので、特定の曜日を3つ選んでその日は一切用事を入れずに研究に充てるというスタイルを試してみました。
ところが最初の頃はうまく機能していたものの、半年も経つとこのスタイルも失敗だなと判断するようになりました。その理由は簡単で、研究日なんて作れないからです。
僕の場合、研究の裾野を広げるために勉強会を複数抱えたり、プロジェクトに参加したり、先生方と面会をすることが多かったのですが、大体自分が考えている研究日とバッティングするんです。で、相手が自分より目上の人だったり、多忙でその日しか予定が空いていない人だったりした場合、断れないじゃないですか。その結果、研究日は細かい予定で分断されていき、その合間の時間もメールのやり取りでさらに分断されていくという現象が増えてきて、徐々にまとまった研究時間を確保できなくなりました。
一応、博士課程1年目の間はこのスタイルを続けてみたのですが、冬頃にはほとんどこのスタイルが機能しなくなり突貫工事スタイルに戻りつつあったので、この研究日確保スタイルも捨てることになりました。
(3)博士課程専用ライフスタイル
ここまで失敗して気付いたのが、博士課程は普通のライフスタイルじゃダメだということでした。ちょっとここで、院生ならでの問題点と研究を進めるのに必要なことをまとめてみます。
院生ならではの問題点
・予定が変動的に入ってくる
・その結果、特定の曜日を休みにできない
・週末にイベントがあることが多く、疲れを取れる日が減る
研究を進めるのに必要なこと
・コツコツ研究できる日を作る
・まとまった時間を確保する
・疲れた時に休めるようにする
こんな感じでしょうか。ところが、ちょっと考えてみてほしいのですが、上の問題点を克服しつつ、下の必要なことを達成するのは以外と難しい。そこで自分なりに色々と考えてみた結果、博士課程専用のライフスタイルを作るには「一日の単位を変える」ということと「平日と週末の概念を捨てる」ことが必要だなと感じ、「午前中は研究する日」、「午後は変動的な予定に対応する日」にし、「1週間のうち午前と午後それぞれの好きな2回を週末にできる」というルールを作ってみました。つまり、1週間を倍の日数に見立てて、いつでも週末にできるというスタイルです。
わかりにくいかもしれませんが、例えばこんな感じの1週間になります。
(日)午前中:平日 午後:週末
(月)午前中:平日 午後:平日
(火)午前中:週末 午後:平日
(水)午前中:平日 午後:平日
(木)午前中:平日 午後:平日
(金)午前中:週末 午後:週末
(土)午前中:平日 午後:平日
このうち「平日」になっている午前中はほぼ固定で研究をして、午後はほぼ固定で変動的な予定に対応するというスタイルです。
博士課程2年目になってからこのスタイルを試してみたのですが、今のところ特に問題も起こらず、毎日研究も進捗し、体調も壊さないとかなりうまく機能しています。ということでようやくですが、僕の最近の1日を紹介したいと思います。
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7時〜9時
起床。この時点でしんどいなと思ったら、その日は週末扱いにして午前中はたっぷり寝ます。それ以外の時は朝ご飯を食べてからメールをチェックし、今日読む文献を持って8時半頃に家を出ます。
9時〜12時
大学近くのカフェに行ってコーヒーを注文し、大体英語論文3本か本を読みます。研究の時期によっては、教材のデザインやデータ分析をすることもあります。
写真だとMacを置いていますがこれは記録用で、この時間はアンプラグドにしてTwitterもFacebookも極力見ないように心がけています。この時間は好きなBGMを聞きながら進められるし誰にも干渉されないので、一日で一番好きな時間だったりします。
12時〜19時
お昼ご飯を食べたら研究室へ。ミーティングなどはほぼ午後に集中させているので、13時から19時まではミーティングをしたり、自分の研究とは直接関係がないけど読まないといけない資料に目を通したり、発表資料を作成したり、メール対応をしたりします。大体土曜日はシンポジウムやイベントに参加しています。
特に用事がない時はメール対応だけして図書館に行って研究を進めたり、気分が乗らない時は週末扱いにしてフラッと買い物に行ったりします。
19時〜
夜は基本的に自由時間にし、ストレスを発散させるのに充てています。大体誰かと飲んでいる気がしますが、面白い本と出会えた時は夜にまたカフェに行ったりもします。
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これで週の研究時間が午前だけで最低15時間、午後の分と合わせると合計25〜30時間くらい確保できて、それとは別に研究会や発表の準備、ゼミ文献を読んだりもできるようになりました。それに加えて、何曜日でも予定を受け入れられるし、研究の邪魔をせずに他のタスク処理も一括して行えるし、土曜日が毎週潰れてもちゃんと休むことができます。
後、これが大事なんですが、このスタイルはどんな予定が入ってきても柔軟に対応できるし、自分の体調に合わせることもできるので、「しわ寄せ」が減ってストレスがほとんど溜まらなくなりました。おかげで研究する時はいつもポジティブな感情で臨めるので毎朝カフェに行くのも楽しみになり、9ヶ月間このスタイルをほぼ維持して走り続けられています。修論の時の悔しさを繰り返さないよう、良い博論が書けるまでこの調子で走り続けたいなと思っています。
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ということで長くなりましたが、大学院のライフスタイルが安定しない人やなかなか研究時間を作れない人にとって、ちょっとでも参考になれば幸いです。
おしまい。
[池尻 良平]