BLOG & NEWS

2009.10.20

【エッセイ】"Doing Science"を学ぶ教師

教員の専門性向上は、日本のみならず世界的な課題になっています。コロンビア大学では、NSF(National Science Foundation)の財政支援を受けて、CUSRP (Columbia University's Summer Research Program for Secondary School Science Teachers)という、中高の理科教員に対するインターンシッププログラムを提供しています。このプログラムは、大学にある最先端の知識よりも「科学するための一般的技能 (Generic Skills of Doing Science)」の育成を志向し、サマープログラムを中心としながら2年間のプログラム構成されている点に特徴があります。

NSFによれば、このインターンシッププログラムの効果として、学生の成績に対しても直接的な効果が確認されたそうです。(テストの通過率の10%程度の向上)

日本とアメリカの教員の資質は異なっているので、このシステムが直接的に日本で有効であるかどうかはわかりませんが、大学と初等中等教育の連携の可能性として、試してみる価値はあるでしょう。

[山内 祐平]

2009.10.16

【学びの大事典!】「実践共同体の中の学び」


みなさん、こんにちは。
様々な学習理論をわかりやすく紹介していくシリーズ【学びの大事典!】.
第3回は修士2年の岡本絵莉が担当いたします。

今回紹介するのは「実践共同体の中の学び」です.

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実践共同体の中の学びを説明する前の前提として、ちょっと歴史の話になりますが...
1980年代頃に始まった「状況論的アプローチ」と呼ばれる研究の流れがあります。
このアプローチで「学習」というテーマに立ち向かった研究者たちは、それまでのように、「学習とは、個人が知識を獲得すること」という考え方をしませんでした。
そうではなく、「学習とは、周囲の社会的システム(人間関係、道具...)全体に分かちもたれて達成されるもの」と考えたのです。

<分かりにくいので例を使って説明します>

私は今、山内研究室の中で日常生活を送り、修士の研究をしています。(物理的にも、精神的にも。)
研究室に来てから1年半が経ちましたが、そこで私は研究室の中の人間関係(先生、先輩、同級生、後輩...)や道具(本、パソコン、言葉...)を使いながら研究を進めてきました。
その中で、私自身も変化しています。
たとえば、研究室に来たばかりの時とは、研究室の中での人間関係が変わってきています。
たとえば、研究室に来たばかりの時とは、私自身の自分に対する見方も変わっています。
たとえば、研究室に来たばかりの時とは、研究や研究室での生活についての熟達度が変わってきています。

こうした私の変化は、研究室というコミュニティ無しでは成立しませんでした。
...というより、これは研究室というコミュニティ(共同体)への「参加」そのものです。

このように、ある個人の学習を、あるコミュニティへの「参加」として捉えるのが、実践共同体の中で学びを考える研究者の立場です。
そして「参加」していく先のコミュニティのことを、実践共同体と呼んでいます。
実践共同体って、組織とは違うの?チームとは違うの?という話は難しいのですが、あえて説明を試みてみます。

確かに私は学生として大学組織に「所属」してはいますが、そこに私が「参加」していると言うにはやや単位が大きすぎますし、他のメンバーと共有しているものが少なすぎます。
また、例えば研究科対抗のソフトボール大会のためにチームが結成されたとしても、それは大会が終われば消えてしまい、そこに継続して「参加」することは現実的に難しいでしょう。

実践共同体と、そこへの参加として学習を捉える理論を提唱したウェンガーという研究者は、自身の理論は、ある前提にもとづいて、学習のある側面を語っているものである、としながらも、

「実践共同体はどこにでもある。それは"学習"というなじみ深い経験を体系的に語る上で役に立つ。」

と言っています。
日常生活の中で常に起きている学びについて私たちが考えてみる上で、有用な概念だと言えると思います。


参考文献:
・Etienne Wenger,1999,Communities of Practice: Learning, Meaning, and Identity,Cambridge University Press
・ジーン レイヴ・エティエンヌ ウェンガー(著), 佐伯 胖 (翻訳) ,1993,状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加,産業図書
・ケネス・J. ガーゲン (著), 東村 知子 (翻訳) ,2004,あなたへの社会構成主義,ナカニシヤ出版


[岡本 絵莉]

2009.10.13

【エッセイ】FreeRiceモデルの可能性

Twitterの情報を追いかけていくうちに、新しいタイプの学習サイトを見つけました。

Free Rice: http://www.freerice.com/

Free Riceでは、クイズに1問正解する度に飢餓に苦しむ人々に10粒づつ米が寄附されるようになっています。クイズは、芸術、化学、言語(英語、フランス語など)、地理、数学から選べます。問題にはレベルが設定されており、正解するとどんどん難しくなりますが、途中でやめてもそこまでの米が寄附される仕組みになっています。(この記事を書く前に、アートクイズで220粒寄附しました。)

このサイトを運営しているのはWFP(国連世界食料計画)で、Harvard大のBerkman Center for Internet & Societyがパートナーになっています。2007年にはじまったこのサイトは、記事執筆時点で69,256,048,100粒の寄附成果をあげています。(寄附はバナー広告の売り上げから行われています。)

このモデルの特徴は、学習の成果と社会変革を接続している点にあります。行われる学習はクイズとフィードバックですので、50年前の技術です。ただ、今までは「よくできました」というメッセージが表示されるだけだったところを、「社会にとって望ましい行為」である米の寄附につなげる仕組みを作ったところにオリジナリティがあります。

子どもの学習は、将来に備えるために行われるものが多く、「なぜ勉強するのか」と聞かれたときに、社会的な価値につながることを説得することに苦労します。FreeRiceモデルはこの本質的な困難に技術的な解をあたえることができる可能性を持っています。
ただ、現在の構成では、学習の持つ内容価値と社会貢献で行われる価値がずれているため、外発的動機付けとしてしか機能しません。食糧問題についてより深い学習をした場合に、評価によって米が寄附される量が決まるという仕組みにした方が、より内発的な学習につなげられるでしょう。

[山内 祐平]

2009.10.09

【学びの大事典!】「有意味受容学習」

みなさん、こんにちは。
様々な学習理論をわかりやすく紹介していくシリーズ【学びの大事典!】、
第2回は、修士2年の大城が担当させていただきます。

今回紹介する学習理論は「有意味受容学習」です!

■学習を捉える2つの軸
Ausubel & Robinson(1969 / 1984)は、学習を分類するのに次の2つの軸を用いています。

軸1:受容学習―発見学習
軸2:有意味学習―機械的学習

1つ目の軸は、学習内容をどうやって学習者の意識に近づけるか、という方法を基にした軸です。これによれば、受容学習は、学習内容が最終的な形で提示されて行う学習を指すのに対し、発見学習は、学習内容が最終的な形では提示されず、学習者自身がそれを発見しなければならない学習を指します。

たとえば、「三角形の内角の和は180度である」という学習内容があった時に、そのことを直接教える場合には受容学習となり、そうではなく、三角形の角度を測る活動などを通じて、内角の和が180度となることを自力で発見させる場合には発見学習となります。

2つ目の軸は、学習者が、学習内容を自分が既に持っている認知構造に関係づけようとするか否かを基にした軸です。これによれば、有意味学習は「学習者が既知のことに関係づけて保持し、それによって『意味づけ』ようとする」場合を指すのに対し、機械的学習は、「自分がいまもっている知識への関係づけなしにこの観念を覚えようとするだけ」の場合を指します(Ausubel & Robinson 1969 / 1984)。

前述の例で言えば、「2つの直線が並行である時、錯角は等しい」という、既に学んだ内容を思い起こして、三角形の頂点Aを通り、辺BCに平行な直線を引いて、三角形の内角の和は180度となることを示せる場合には有意味学習が行われており、「なぜかは分からないけれど、とにかく三角形の内角の和というのは180度になるものらしい」という理解の仕方をすれば、それは機械的学習が行われているということになります。

■有意味学習の成立要件
名前だけ一見したところでは、受容学習=機械的学習、発見学習=有意味学習、と対応するように思えるかもしれませんが、これは大きな誤りです。

有意味学習の学習が成立するための要件として、Ausubel & Robinson(1969 / 1984)は以下の3つを挙げています。

(a) 学習材料そのものが、ある仮説的な認知構造に非恣意的で実質的な仕方で関連づけ可能でなければならない。
(b) 学習者は、その学習材料を関連づけるべき関連観念をもっていなければならない。
(c) 学習者は、これらの観念を認知構造に非恣意的で実質的な仕方で関連づけようという意図をもたなければならない。
(Ausubel & Robinson 1969 / 1984より引用)

つまり、有意味学習が起こるためには、学習内容そのものが、(たとえば無意味な数字や文字の羅列などではなく、)論理的有意味性を持っており(a)、学習者の側にも、学習内容に対して必要な知識があり(b)、かつ、その知識と学習内容とを関連づけようとするという構えがある(c)という条件が必要になります。

Ausubel & Robinson(1969 / 1984)は、この2つの軸を基に、学習を次の4つの型に分類しています。

有意味受容学習
有意味発見学習
機械的受容学習
機械的発見学習

このように、受容学習と発見学習、それぞれに有意味な場合と機械的な場合が起こり得ます。つまり、教師が学習内容をその最終形でポンと提示したとしても(=受容学習)、学習者が何らかの形で、自分が既に持っている概念に関連づけることができれば、それは有意味学習となり、逆に、試行錯誤などを通じて学習者が一般的な原理に自力でたどり着けたとしても(=発見学習)、自分が既に持っている概念と関連付けずに、ただ覚え込もうとすれば、それは機械的学習となるのです。

■有意味受容学習を促進する仕掛け:先行オーガナイザ
ここでは有意味受容学習についてもう少し見て行きたいと思います。有意味受容学習、と言っても、実際にはどのようにして学習が行われるのでしょうか?ポンと提示された最終形の学習内容と、学習者自身の認知構造との間にはギャップがあると考えられます。このギャップを埋めて、学習内容を学習者の認知構造に適切に結び付けるのを支援するものとして、先行オーガナイザという仕掛けが挙げられます。

先行オーガナイザとは、「学習すべき(有意味)教材の本体に先立って、関連するつなぎとめ観念の入手可能性を確かなものとするために学習者に提示される」ものです(Ausubel & Robinson 1969 / 1984)。

先行オーガナイザには、「概説的オーガナイザ」と「比較オーガナイザ」の2種類があります。1つ目の「概説的オーガナイザ」は、学習者にとって新奇な学習内容を扱う場合に用いられるものであり、学習内容全体の一般的で包括的な記述を指します。2つ目の「比較オーガナイザ」は、学習者にとって新奇でない学習内容を扱う場合に用いられるものであり、たとえば、ダーウィンの進化論を既に学んだ学習者に対してラマルクの進化論を提示する場合に、2つの理論の類似点や相違点を指摘する、ということを指します。いずれの場合も、学習者が学習内容を自分の認知構造と関連付けられるようにするために、学習内容のどんなところに、どのように注目すれば良いか、そのヒントを与えていると言えるでしょう。

■まとめ
このように、学習者にとって有意味な学習が起こるようにするためには、学習者が学習内容を自分の認知構造に、時としてその認知構造を大きく変化させながら、うまく取り込めるように支援することが必要だと言えます。

【参考文献】
Ausubel, D. P., & Robinson, F. G. (1984). 教室学習の心理学(吉田彰宏・松田彌生 訳).名古屋: 黎明書房. (Original work published 1969)

[大城 明緒]

2009.10.06

【エッセイ】Connectivismの先にあるもの

教育に限らず、人文社会系の研究領域には、○○主義 (-ism)というやっかいな概念があります。「主義」は、研究者に共有されている人間や社会に対する仮説の集合で、行動主義・認知主義・構成主義・構造主義・構築主義などがその例です。
最近、○○主義の新しいレパートリーとして、学習研究者を中心にConnectivismという言葉が使われはじめています。

Siemens(2005)によれば、Connectivism(まだ訳語がないので、原語で表記します。)は、「カオス、ネットワーク、複雑系、自己組織化に関する理論を統合」したものであり、学習を「個人の制御下にあるものではなく、変化する中核要素から成り立つ混沌とした環境で生起する過程」としてとらえており、以下のような原理から構成されています。

・学習と知識は意見の多様性に基づいている。
・学習は特定のノードや情報源を連結する過程である。
・学習は人間以外の装置に起きる可能性がある。
・現在知っていることよりも、より多く知ることができる容量の方が重要である。
・連結を維持し育てることが、学習継続の支援にとって必要である。
・領域、アイデア、概念の連結を見る能力が、中核となるスキルである。
・流通(正確に言うと、知識の更新)は、Connectivistの学習活動の目標である。
・意志決定はそれ自体学習過程である。学ぶべきことや、入ってくる情報を選択する行為は、変化するリアリティのレンズによって認識されている。今正しいことは、意志決定に影響する情報が変わることによって、明日には間違っているかもしれない。

原理から明らかなように、これは、ソーシャルメディアによって大きく変化しつつある社会において、学習をとらえるための仮説を求めているものと考えられます。Connectivismという言葉が定着するかどうかはわかりませんが、今までにない「主義」が必要とされていることは間違いないでしょう。

[山内 祐平]

2009.10.02

【学びの大事典!】「転移」

みなさん、こんにちは。
今週から、様々な学習理論をわかりやすく紹介していく新シリーズ【学びの大事典!】が始まります。記念すべき第1回は修士2年の池尻良平が担当させてもらいます。

今回紹介する学習理論は「転移」です!

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■「転移」ってなに?
 まず、転移を体験するための実験をしてみましょう。次の文章を読んでみて下さい。

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「あなたは、胃に悪性の腫瘍がある患者を受け持つ医者です。患者に手術をすることはできません。けれども、なんらかの手段で腫瘍を死滅させなくてはその患者は死んでしまいます。その手段の1つとして、放射線治療が考えられます。一度に強い放射線を照射すれば、悪性の腫瘍を死滅させることができますが、同時にまわりの健康な細胞も破壊してしまいます。弱い放射線を照射すると、健康な細胞には危険はありませんが、悪性の腫瘍には効果がありません。悪性の腫瘍を死滅させ、なおかつ健康な細胞を破壊しないためには、どのような方法で放射線治療を行えばよいでしょうか?」

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 さてみなさん、答えは浮かんだでしょうか?浮かばなかったらここからが本番です。解けなかった人は次の文章を読んでみて下さい。
(ちなみに実際の実験では、この段階で正しい答えを導けた人はごく少数だったようです。)

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「将軍は、国の真ん中にある要塞をなんとか占領したいと思っています。その要塞からは、たくさんの道が四方八方に出ていて、すべての道には地雷が埋められています。このため、小隊ならばその道を安全に渡ることができますが、大きな隊になると地雷を爆発させてしまうおそれがあります。したがって、全隊での総攻撃は不可能です。そこで、将軍がとった方法は、軍隊をいくつかの小隊に分け、各隊を違う道から進めて要塞において集結させることでした。」

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 さて、ここで先ほどの放射線治療の文章に戻って、腫瘍を死滅させる方法を考えてみて下さい。...どうでしょうか?答えが浮かんできたでしょうか?

 もし放射線治療の文章だけでは答えが浮かばなかったのに、要塞の文章を読んで答えが思い浮かんだなら、学習の「転移が起こった」ということになります。
 このように、転移とは、「人の先行する経験と知識が、新しい状況における学習あるいは問題解決に影響したときに起こる」現象だと定義されています。
(ちなみに答えは「弱い放射線を複数の角度から当てて、腫瘍のところで交わるようにする」です。)

■学習目標のゴールとしての転移
 私たちが学校で知識を暗記したり、特定の問題を解けるように訓練する目的は、それを応用して社会で役に立たせるためです。しかし、学校で知識を使う訓練をしてきた状況と、社会で知識を使う状況は同じとは限りません。
 例えば、上で読んだ要塞の文章を学校で習っていても、実際の手術の場面でこれを思い出して活かされなければ、学校で覚えたことも無駄になってしまいます。
 だからこそ教育の最終目標として、以前学習した内容を新しい状況で使えるようにさせる、つまり「転移を起こす」ことは重要だと考えられてきました。実際、転移を促進させる条件を探る研究は100年前から行われ、重要な知見や問題点がどんどん発見され、今なお論争を生む研究領域になっています。

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 最近では、あらゆる教科で「活用」という言葉が重視されるようになっていますが、生徒が活き活きと知識を使えるような学習をデザインする際には、おそらく「転移の促進条件」というキーワードは外せなくなると思います。
 じゃあ、どうやったら転移を促せるの?転移にはどんな困難があるの?転移の評価はどうするの?といった疑問を持った方は、ぜひ参考文献をご覧下さい。
 
 みなさんが転移の新たな研究を生み出し、いつか子供達が学校で習ったことを100%社会で活かせられる教育が実現されるのを夢見ています。


参考文献:『授業を変える』米国学術推進会議編著 森敏昭・秋田喜代美監訳(北大路書房)2002


[池尻 良平]

2009.09.29

【エッセイ】芸術活動の学習への影響

アート系ワークショップがさかんになるにつれ、それらの活動が学習にとってポジティブな影響があるのかという議論がなされるようになってきています。
ワークショップに限らず、学校教育でも同じ議論が繰り返されてきました。図工・美術・音楽などの教科は、あまり役に立たないものとして取り扱われがちです。

この問題を考えるときに興味深い研究が、1999年にアメリカで行われた、芸術活動の学習への影響に関する研究です。Catterallらが、教育省の持つ25,000名の生徒の成績を分析したところ、以下のことが明らかになりました。

・芸術活動に頻繁に参加している学習者は、そうでない学習者に比べて、高い成績をおさめる傾向があること。
・低所得者層に限って見ても、芸術活動に参加している層とそうでない層の成績に統計的有意差があること。
・低所得者層の方が、高所得者層よりも、芸術活動による成績の差が大きいこと。
・音楽と演劇については、数学と読解の成績と高い相関があること。

この知見は、ヨーロッパやアメリカの困難校で芸術教育を推進する動きと符合します。もちろん、芸術活動はそれ自体で人生を豊かにするという価値がありますが、芸術活動が学習全体によい影響をもたらすことは、芸術の社会的基盤としての重要性をあらわしているといえるでしょう。

[山内 祐平]

2009.09.25

【お知らせ】Open Access "Friday & Night" 2009

▼Open Access "Friday & Night" 2009でお話させていただくことになりました。
ご関心のある方はぜひご参加ください。

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Open Access Week 2009 セミナー「Open Access "Friday & Night" 2009」の
ご案内
【テーマ】
オープンアクセスの多様な可能性:
e-Research, OpenCourseWare , Social Network
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2009年10月19日~23日は、オープンアクセスに関する認識と理解を深める「オープンアクセス週間 (Open Access Week)」として設定されることになりました。
これは2008年に「オープンアクセスの日 (Open Access Day)」として始まったものが、今年から「週間」に拡大されたものです。SPARC (the Scholarly Publishing & Academic Resources Coalition)、PLoS (The Public Library of Science)、Students for FreeCulture、OASIS (the Open Access Scholarly Information Sourcebook)、OAD (Open Access Directory)、eIFL.net (Electronic Information for Libraries)が参加しています。
日本においても、SPARC Japanによって2009年10月20日にOpen Access Week 2009 セミナーが開催されますが、オープンアクセスに関心を持つ有志により「オープンアクセスの多様な可能性:e-Research, OpenCourseWare, Social Network」というテーマで、以下のような会を企画いたしました。
一部(Friday)では、学術雑誌論文のオープンアクセスだけではない、多様な研究・教育に関わる情報のオープンアクセスを含めて、ある種の問題意識を共有しながらも、なかなか同じ場所で話すことの少ない領域の方々からお話しいただき、オープンアクセスが持つ広がりと可能性を考えてみたいと思います。
二部(Night)では、ドリンクを片手に、オープンアクセスの広がりについて主催者・講演者・参加者の皆様と語り合い,交流を深めます。
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【概要】
日程: 2009年10月23日(金)18:00~21:00
場所: 東京大学 情報学環・福武ホール
一部(Friday): 福武ラーニングシアター
二部(Night): UT カフェ
定員: 事前登録制(申込締切: 2009年10月15日(木)13:00)
一部(Friday): 180名
二部(Night): 100名
参加費:
一部(Friday): 無料
二部(Night): 2,000円(ドリンク+フィンガーフード)
主催: Open Access "Friday & Night" 2009
共催: 「オープンアクセス、サイバースカラシップ下での学術コミュニケーションの総合的研究」プロジェクト(科学研究費基盤研究(B))、
クリエイティブ・コモンズ・ジャパン
後援: NPO法人エデュース・テクノロジーズ、コンテンツ学会
事務局: My Open Archive
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【プログラム】
【一部(Friday): 18:00~20:00】Open Access Friday 2009
a. オープニング(18:00~18:10)
坂東 慶太(My Open Archive, Managing Director)
b. セッション-1(18:10~18:25)
「e-Researchとデータアーカイブ(仮)」
高久 雅生(独立行政法人物質・材料研究機構, 科学情報室 主任エンジニア)
c. セッション-2(18:30~18:45)
「文書・データの保存と著作権(仮)」
調整中(クリエイティブ・コモンズ・ジャパン)
d. セッション-3(18:50~19:05)
「OpenCourseWareとオープンアクセス(仮)」
山内 祐平(東京大学, 大学院 情報学環 准教授)
e. セッション-4(19:10~19:25)
「e-Researchとオープンアクセス(仮)」
倉田 敬子(慶應義塾大学, 文学部 人文社会学科 図書館・情報学専攻 教授)
f. パネルディスカッション(19:30~20:00)
「オープンアクセスの多様な可能性:
e-Research, OpenCourseWare, Social Network」
モデレーター: 林 和弘(社団法人日本化学会, 学術情報部 課長)
【二部(Night): 20:00~21:00】Open Access Night 2009
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【申込方法】
こちらより必要事項を入力の上、お申し込み下さい。
受付は先着順とし、定員に到達次第終了とさせて頂きます。
(申込締切: 2009年10月15日(木)13:00)
登録頂いた個人情報は、セミナー受付けや前後の連絡以外に利用することはありません。「受付票」を返送しますので、当日ご持参ください。
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【Open Access "Friday & Night" 2009 発起人】
倉田 敬子(慶應義塾大学, 文学部 人文社会学科 図書館・情報学専攻 教授)
林 和弘(社団法人日本化学会, 学術情報部 課長)
渡辺 智暁(クリエイティブ・コモンズ・ジャパン, 理事)
生貝 直人(クリエイティブ・コモンズ・ジャパン, 理事)
坂東 慶太(My Open Archive, Managing Director)
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【お問い合わせ先】
Open Access "Friday & Night" 2009 事務局
坂東 慶太(My Open Archive, Managing Director)
info@openaccessweek.jp
http://www.openaccessweek.jp/
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2009.09.22

【エッセイ】ラーニングツアーの基盤としてのAR

9月19日、20日、21日と東京大学で行われた教育工学会が無事終わりました。1000名を越える方々にご来場いただきました。ありがとうございました。

教育工学会開催の直前に、博報堂DY、KDDI研究所との共同研究のプレスリリースがでました。

▼CNETによる報道の引用 http://j.mp/9zAPW

 博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所は9月25日、26日の2日間、東京大学大学院情報学環山内研究室およびKDDI研究所と共同で、KDDIが現在au oneラボで公開している周辺情報表示アプリ「実空間透視ケータイ」を使った実証実験「東京大学ARキャンパスツアー」を実施する。

 東京大学ARキャンパスツアーは利用者の位置情報を元に、周辺に存在するキャンパス内施設の情報を数十名の現役東大女子学生がナビゲーションするというもの。被験者は本郷キャンパスを初めて訪れる10代から30代の男女20名程度。なお、ARとは「Augmented Reality(拡張現実)」の意味で、実世界上のリアルな人や物体に対して、コンピュータを用いて生成されたバーチャルな情報を付加提示する技術の総称だ。

 この実証実験は、KDDIと博報堂DYメディアパートナーズが共同で開発中の携帯電話向けナビゲーションアプリ「MAWARIPO実空間透視ケータイ」を利用する。被験者に東京大学ARキャンパスツアーの専用アプリがインストールされた実験端末を持ってキャンパス内を自由に散策してもらい、インターフェースの操作性や、大学に対する好意度・理解度などを検証する。

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学習環境について研究している私が、ARのプロジェクトに関わっている理由について、ここで補足しておきたいと思います。
数年前から、BEAT (ベネッセ先端教育技術学講座)を中心に、モバイル・ユビキタス学習環境の研究を展開してきました。いくつかの研究プロジェクトを通じて見えてきたことは、この新しい学習環境の可能性が「いつでも・どこでも」という普遍性ではなく、「今・この場でしかできない学びを生み出せる」という特殊性にあるということでした。
場所と時間に依拠した強力な学習経験として、誰でも思い浮かぶのが、旅の中での学びでしょう。最近は、ラーニングツアーという形で、この可能性を新しい学習環境として構成する動きがあります。
今回のプロジェクトは、東大キャンパスツアーというミニマムな構成をとっていますが、ラーニングツアーの基盤としてARをどう活かすかという発想でデザインされています。そのため、本やネットで調べられるような情報(赤門の歴史など)をあえて取り扱わず、そこで暮らす人々(ここでは大学生)の生活に埋め込まれた物語を聞き、想像してもらうという活動を中心にしています。実証実験は来週行われますが、新しいテクノロジーによって、儀式化したツアーを変えることができるのか、楽しみにしています。

[山内 祐平]

2009.09.17

【山内祐平のゼミズバッ!】「学び」にまつわるエトセトラ。

山内先生に研究にまつわる疑問をなげかけるインタビュー【山内祐平のゼミズバッ!】
最終回は博士課程3年の森がお送りします。

私はもともと哲学科出身ということもあり、学びに関する研究に関わっていく上で、
根本的な部分について、もやもやしていたことを問いとしてぶつけてみました。
普通なかなか、こういう話は青臭くってできないですよね(笑)
この際、聞いちゃいました。

■なぜ、人は「学ぶ」のか?
それは、人が環境に適応していくためです。

ーそれは、適応して満足したら学ぶのは終わる、ということですか?

環境の方が変化するから、そういう日はこないでしょう。
私は、学習は行動のソフトウェア的な進化だと考えています。
生命は突然変異と自然選択を繰り返しながら進化してきましたが、我々はハードウェア的に進化する代わりに、学習することによって環境に適応し、文化として伝えるという営みを行っているのです。

■学習と教育の関係
ーそれでは、なぜ教育は存在し、また、大事だとされているのでしょうか。学習と教育の関係について、先生のお考えをお聞かせください。

学習と教育は違う概念ですね。
なぜ国家が教育を重視するかというと環境に適応できる人間が沢山いる方が繁栄するからだと考えています。
すなわち、学習者が学習するロジックと、国家が教育するロジックは、受益者が違う。そこは重要なポイントなのではないかと思います。

ーそこは混同されていると健全ではないような気がするんですが、どうなのでしょう。

チャーチルが「民主主義は最悪の政治形態である。これまで試みられてきた民主主義以外の全ての政治体制を除けば。」と言いましたけれども、それと同じでしょうね。
今の教育と学習の関係が健全だとは思いませんが、歴史上、それを越える関係が築かれて来なかったということです。
今後、その可能性がないという意味ではありません。現代は、国家統制型の教育よりも自律的な学習の方がどんどん強くなってきています。
情報通信技術が発達してきて、国家がコントロールできない形での情報の流通、それにともなう自然発生的な学習というのが人間の全生活をしめる割合が増えているんじゃないか・・
例えば、教科書で学んだ情報と、教科書以外、メディアで学んだ情報とか。その辺の比率は多分だいぶ変わってきているんじゃないか。
今後、この力関係が変わってくる可能性はあるな、と思っています。

■徒弟制に替わる、新しい学習モデルはあるのか?
ぼんやりとは見えているのですが、良い言葉がみつからないんですね。
徒弟制っていうのは、持続的なコミュニティをベースにしていますよね。
それを否定するわけではないんですが、なんていうか、コミュニティよりも薄くって、広くって、うつろいやすい人と人とのつながりの形が大事なのではないかと思っています。
ワークショップもそうで、twitterもそうで、コミュニティみたいにしっかりした基盤はないんだけれど、偶発的に人と人とがつながってそこで情報が交換されるような。
徒弟制は残ると思いますが、そういうゆるやかなネットワークの中での学習が、徒弟的な学習と同じくらい重要になる可能性があると思っています。
このようなつながりが注目されるようになったのは、情報通信技術が出てきて、そういうつながりが、可視化されたり蓄積されたりするようになったからだと思います。
ワークショップはITの前からあったし、そういう話は今までもあったはずなんだけれども、勢いを得るまで力が伸びなかった。ところが今は、ワークショップやったあとにつぶやいて、という風に、つながりを持続させながら関係を変容させることができます。
コミュニティという図式じゃない方が上手に説明できる気がするんだけど、それをどういう言葉であらわせばよいか、まだちょっと迷っている段階です。

■「学習」と「研究」って同じ?どこが違うの?
研究は、価値創発的活動である、それだけですね、違いは。
プロセスはほとんど同じだと思います。学習には当然、知識獲得したり、思考したりすることが必要ですが、そのプロセスは必ず研究にも入っていて、だからこそ学びと創造は表裏一体なのです。
ただ、研究は社会的活動なので、そこで価値創出を保証しなけれないけない。つまり、今までこの世になかった価値をそのプロセスによって生み出していかなくてはいけない。その義務が研究にはあるけれど、学習にはない。そこが違いなんだと思います。

ーーーーー
■最後に・・・
山内研では、個々の研究テーマに、ばらつきがあります。でも、だからこそ、学習をめぐる本質的な議論を積極的に行う文化があるように思います。
こんな青臭い議論にもおつきあいいただける、それが山内先生です。

興味がある人は、先生や、私たち院生とおしゃべりしに
福武ホールのLabに来てみてくださいね!

今週末(金・土・日)は
日本教育工学会@東京大学です。
学びと教育、そして研究に携わる1学生として、私も精一杯頑張ってきます。

それでは、また!

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