2009.10.06

【エッセイ】Connectivismの先にあるもの

教育に限らず、人文社会系の研究領域には、○○主義 (-ism)というやっかいな概念があります。「主義」は、研究者に共有されている人間や社会に対する仮説の集合で、行動主義・認知主義・構成主義・構造主義・構築主義などがその例です。
最近、○○主義の新しいレパートリーとして、学習研究者を中心にConnectivismという言葉が使われはじめています。

Siemens(2005)によれば、Connectivism(まだ訳語がないので、原語で表記します。)は、「カオス、ネットワーク、複雑系、自己組織化に関する理論を統合」したものであり、学習を「個人の制御下にあるものではなく、変化する中核要素から成り立つ混沌とした環境で生起する過程」としてとらえており、以下のような原理から構成されています。

・学習と知識は意見の多様性に基づいている。
・学習は特定のノードや情報源を連結する過程である。
・学習は人間以外の装置に起きる可能性がある。
・現在知っていることよりも、より多く知ることができる容量の方が重要である。
・連結を維持し育てることが、学習継続の支援にとって必要である。
・領域、アイデア、概念の連結を見る能力が、中核となるスキルである。
・流通(正確に言うと、知識の更新)は、Connectivistの学習活動の目標である。
・意志決定はそれ自体学習過程である。学ぶべきことや、入ってくる情報を選択する行為は、変化するリアリティのレンズによって認識されている。今正しいことは、意志決定に影響する情報が変わることによって、明日には間違っているかもしれない。

原理から明らかなように、これは、ソーシャルメディアによって大きく変化しつつある社会において、学習をとらえるための仮説を求めているものと考えられます。Connectivismという言葉が定着するかどうかはわかりませんが、今までにない「主義」が必要とされていることは間違いないでしょう。

[山内 祐平]

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