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2009.09.15

【エッセイ】大学でのTwitter利用

アメリカの教育業界向けeNewspaperであるFaculty Focusが、大学でのTwitter利用に関して調査した結果を公表しています。

Twitter in Higher Education: Usage Habits and Trends of Today's College Faculty
http://bit.ly/sEtBh

この報告によると、対象となった約2000名の教員のうち、Twitterを利用しているのは30.7%で、その7割が今後利用を増やしたいと回答しているそうです。しばしば利用している使い方としては、同僚とのコミュニケーションが37.4%、学生との情報交換が25.9%、授業での学習ツールとしての利用が16.6%となっています。

日本ではゼミ中心の教育体制をとっている大学が多いので、今後日本の大学でTwitterの利用が増える場合は、違った傾向が出てくるかもしれません。個人的には、安定した学習共同体を持っており、徒弟制を重視する日本型の方が、Twitterの教育的意義を出しやすいと考えています。

[山内 祐平]

2009.09.10

【山内祐平のゼミズバッ!】大学の今とこれから

院生の研究テーマに関連して,山内先生に研究のトレンドをインタビューする【山内祐平のゼミズバッ!】第7回は修士1年の伏木田がお送りします。

私は,問いかけを通して理解が共有・深化されるプロセスに興味を持っています。大学の授業が問いかけを軸に「話し合う場」として機能することで,学生の学びたい気持ちが引き出され,新しい気づきや充足感へとつながっていくのではないかと考えています。
近年,大学は大きな転換期に突入していると指摘されており,それに伴って教員の在り方も変化しつつあるように感じます。教員の役割,学びとその支援といった大きな視点からお話を伺いました。


■大学教員に求められる役割には,どのようなものがあるのでしょうか?

大学の教員の仕事は大きく3つに分けられると思います。そして,この3つの専門性を同時に満たすことが,これからの大学教員に求められている役割だと考えています。 
  (1) 研究:新しい知見,アイディアを生み出す
  (2) 教育:研究で培った専門性をもとに次世代を担う人々を育てる
  (3) 社会との関係性づくり:社会の中で一定の役割を果たすことが期待されている
社会から見たとき,大学の教育機能が前面に押し出されがちです。そこへの圧力も可視化されやすい。けれども,教育だけに精を出して研究をしなくていいのかというと,そう単純な話ではないでしょう。個人的な意見ですが,大学の教員が教育において専門性を発揮しようとすると,研究をきちんとすることが大切になると考えています。大学に期待されているのは,「何かを生み出すことを教える」ということです。課題解決や課題発見の意義や方法を学生に伝えるためには,教員自身が日頃から実践していないとなかなか難しいでしょう。つまり,教育の専門性をある程度の水準以上に高めるためには,研究という行為を通して,何か問題を見つけて真摯に向き合うことが背景として重要なのです。
「教える・学ぶ」は複雑で大きい事象なので,教育方法だけに還元するのはいかがなものかと感じています。もっと対極的でマクロな見方をした方がいいのではないかというのが私の考えです。断片化された知識以上のことを学生が学ぶためには,「何か新しいものを生み出そう」という意欲を教員が持ち続けることが大切だと考えています。


■社会との関係づくりをどのように捉えていらっしゃるのでしょうか?

研究が何に役立っているのか,その意義が社会になかなか伝わっていない現状があるからこそ,先に指摘した専門性の(3) が大切だと考えています。学問領域は多種多様なので,すべての領域で短期的に役立つことは必要とされていません。今は何に役立つのかさっぱりわからないけれども,50年後,100年後の人類の知的財産として重要だと主張できればよい分野もあるでしょう。社会が成熟するにつれて,大学を維持する社会との関わりをきちんと考える必要性が出てくると思います。
大学院を修了した人材がかならずしも大学の教員になるわけではありません。けれども,自分が持っている専門的知識を,それを媒介していない人に伝えることがまったく必要のない職場というのはないでしょう。だからといって,伝えることに必要な技術を,教育方法という形で特別に教育するのがよいというわけではありません。教員は本来,問題解決が出来る人が多いですし,世間で言われるよりも教育に興味・関心を持っているからです。
大切なのは,対話の中でお互いの知識を共有することであり,そういった経験は日頃から積んでおいた方がよい。また,大学はその機会を保障するのが望ましく,CSCD(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/)でのワークショップの実践もそのひとつです。「やりたいこと・やってきたことを説明する力」をすべての学生が身につけ,そういった力をベースに社会と関係をつなぐことを出来た方がよいと考えています。


■教員の学びをどう支援していくことが求められているのでしょうか?

何か問いを作り,それに対して真摯に向き合うことはある種の文化であり,知識やスキルと同じように伝えていくべきものです。「物語る」というのは非常に重要な行為で,例えば,自分が学んでいることの意味や,研究することの面白さ,なぜそのテーマを取り扱っていているのかといったことを教員が学生に伝えるのはとても大切なことです。
研究のきっかけやポイント,失敗などを,研究内容それ自体と合わせて語ることで,大学の教育活動は完結すると考えています。本来はその両者が有機的に組み合わされることが理想ですが,それはなかなか難しい。実際,今日の大学では,先輩や教員との語りをはじめとする「研究室の文化」の中で,そういったつながりが成り立っていると言えるでしょう。つまり,フォーマルな授業よりも,研究室で行われているインフォーマルな学習の方が,いろいろな点で重要な役割を果たしているかもしれないということです。
研究室の運営や授業の組み立ては,大学に就職する前に細々と説明されたからといってすべてを理解できるものではありません。新しく来た教員が,自分なりの授業のやり方を開発していくのを支援するためには,出会いの場を設けて他の教員の体験談を聞けるようにするのも良い方法でしょう。最近よく言われるFD(Faculty Development)とは,教員の可能性が開発されることを指していると考えています。

‐‐‐
教育をするための背景として研究を捉え,研究から得られた知見だけでなく,自分と研究との結び付きを物語ることで大学教育が完結するというダイナミックな考え方に心躍るひとときでした。知見・技・語り,この3つの要素が詰まった研究室(ゼミ)の文化を探るのも,学生および教員の学びを考える上で面白そうだと感じました。

[伏木田稚子]

2009.09.08

【エッセイ】イノベーションは誰のため?

9月5日(土)に 「日本の教育オープン・イノベーション:世界に貢献できる人財づくりと教育富国を目指して」と題して、マサチューセッツ工科大学教育イノベーション・テクノロジー局 上級ストラテジストである飯吉透氏、立命館副総長(新戦略・国際担当)の本間政雄氏、京都大学教授・高等教育研究開発推進センター長の田中毎実氏を迎えてBEAT Seminarを開催しました。
3人の講演者からは、大学教育の未来像について熱いお話しをいただき、恒例のグループディスカッションももりあがりましたが、最後に私がパネラーのみなさんに投げかけた「イノベーションやそれに付随する改革のメリットを学習者に向かって説明してください」という質問に少し面食らっていらっしゃったようです。
この質問は会場のディスカッションから出てきたものですが、私自身すぐに答えてくださいと言われたら困っていたと思います。自戒をこめて、こういう問題は供給側の論理になりがちで「学習者にとって」という議論にならないからです。
その上であえて自分なりに答えるとしたら「学びの機会が多様になります」ということでしょうか。MIT Go Global プログラムのような国際研修プログラムは、学習者に自らのキャリアと学習の関係を考えてもらう絶好の機会となるでしょう。国際化というと留学生を受け入れる方向に目が向きがちですが、本当に重要なのは受け入れと同じ量の学生を「外に出す」プログラムだと思います。
また、OpenCouseWareをはじめとするITを利用したオープンイノベーションは、今受けている授業の"Second Opinion"を創り出したといえます。長期的にはリアルタイムの国際共同授業も展開され、大学の垣根は徐々に低くなっていくでしょう。これにより、学生が受けられる授業の幅は格段に広がります。
もちろん、現時点での多様性は「学習機会」に関するものであり、学習の質が保証されているわけではありません。今後大学では、オープン化によって得られる機会の多様性を学習者の成長につなげていくための、コーディネーターの役割が重要視されるようになっていくと考えています。
[山内 祐平]

2009.09.03

【山内祐平のゼミズバッ!】研究の道を志す外国人留学生

院生の研究テーマに関連して、山内先生に研究のトレンドをインタビューする【山内祐平のゼミズバッ!】第6回は修士1年のテイがお送りします。

母語の異なる学習者が相手から学び合うランゲージエクスチェンジを研究する私も、この東京大学においては、ひとりの外国人留学生です。そこで、本日は日本の大学院で研究の道を志す外国人留学生という切り口で、先生にお話をお聞きしました。

【テイ】今年度は、大学院新入生のうち、留学生が500人もいると聞いていますが、この数値についてどう思いますか。

【先生】外国人留学生は確かに増えていますが、東京大学が世界から優秀な頭脳を集め国際的な競争に勝ち残っていくことを考えると、この数値は十分とはいえません。MITでは外国人学生の割合は4割近くになります。東京大学も将来的に3割近くになっても不思議ではありません。

【テイ】MITのような英語を使う大学とは違い、日本の大学に来る外国人には日本語が要求されるのではないでしょうか。

【先生】必ずしもそうとは言えません。東京大学はGlobal 30プログラムに参加し、入学から大学院修了まで英語で指導を受けられる体制を整えつつあります。理系では、このような傾向は今後顕著になってくるでしょう。ただ、文系の、文化や言語に依存する領域では、日本語の重要性は下がらないと思います。
実際に研究室に配属された場合は、日常会話の壁を乗り越えても、大変なことがあります。それは、論文を読んだり、書いたりすることができる学術日本語の能力です。日本人学生にも専門用語がよく分からずに入学してくる学生がいますが、やはり母語ということで、慣れるのが早いようです。留学生にはこの点でハンディがあります。

【テイ】専門用語をマスターするだけではなく、専門領域で人のつながりを読み取るのもなかなか難しいと思いますが、何かご意見、アドバイスいただけないでしょうか。

【先生】確かに、人のつながりは研究を進める上でとても重要な情報です。人のつながりは横と縦と分けることができます。研究プロジェクトのネットワークである横のつながりは、論文をたくさんと読むことによって、だんだん分かってきます。読み取りにくいのは縦のつながりですね、つまり誰がどの先生のもとで学んだかという情報です。これは学会などで懇親会に参加し、話のはしばしから手に入れるのがよいでしょう。

【テイ】外国人留学生のなかには、自分の母国と日本の対比で研究する人がいますが、研究テーマが重なる可能性も高くなりますね。オリジナリティを求める際には、どうすべきだと思いますか。

【先生】研究を進めるために、それぞれの人が持っている有利な条件を生かすのは外国人留学生には限りません。ですから、留学生が母国との比較研究をすること自体は問題ないと思います。ただし、対比そのものに研究のオリジナリティを求めるのではなく、新規性の高い研究テーマを設定した上で、実現するための方法として考えるべきでしょう。

2009.08.31

【エッセイ】幸福を善意の行動につなげる

ウェブ上には、Q&Aコミュニティやオープンソースによる情報提供など、人々の善意を基盤とした学習支援の仕組みがたくさんあります。このような善意による寄附のシステムはどのようにして維持されているのでしょうか。
この問題を考える上で興味深いレポートが、Harvard Business Schoolから出されました。

Feeling Good about Giving: The Benefits (and Costs) of Self-Interested Charitable Behavior.

http://www.hbs.edu/research/pdf/10-012.pdf

この報告書では、善意の寄附による行為が発生し持続するメカニズムについて、著者らの研究を含めた様々な領域の実証研究のレビューから明らかにしています。

要点をまとめますと、以下のようになります。

1)自分のことを幸福だと感じている人はより慈善的行為を行う傾向があり、慈善的行為を行うことは、幸福だと感じるレベルを引き上げる。このふたつはポジティブフィードバックの関係にある。

2)慈善的行為に対して、金銭や記念品を贈る等のインセンティブを与えることは、寄付行為に対する長期的な意欲を損なう恐れがある。感情的な利得(より幸福になった)などを意識化させるやり方であれば、意欲は減衰しない。

これらの知見は内発的動機付け/外発的動機付けの理論とも類似した構造を持っており、興味深いものです。

善意の行動を持続させるための鍵は、"Happiness(幸福感)"にありそうです。人間の根本にあるこの感情を善意の行動につなげることは、社会を変革する鍵になるかもしれません。

[山内 祐平]

2009.08.28

【山内祐平のゼミズバッ!】大学院生の「いま」に目を向ける

院生の研究テーマに関連して、山内先生に研究のトレンドをインタビューする【山内祐平のゼミズバッ!】第5回は修士1年の帯刀がお送りします。
中高生がどのようにしたら教科に興味を持ち、かつ実力を伸ばすことができるのか。このような研究に関心を寄せる私は、今回学びの場を大学院に移して「学生の過去と現在の研究スタイル」という切り口からお話を伺ってまいりました。研究を志す学生のみなさまに向けた貴重なメッセージも収録!!それではさっそくまいりましょう。
―――
【帯刀】
大学院生時代は、どのような研究生活を送っていらっしゃいましたか?
【山内先生】
私は、大阪大学大学院の教育技術学研究室というところで水越敏行教授のもと研究をしていました。修士論文は、金沢と大阪の小学校に協力を仰ぎ、自分が作ったシステムを授業で使ってもらって評価するという研究を扱いました。
この研究室、何かのプロジェクトに携わった場合に、院生がチームを組んでどこかの学校にごそっと出かけていくことがしばしばあったのです。例えば、金沢の小学校に毎月7,8回も通っては泊まりこむ...そういう生活をしていましたね。フィールドワークというほど本格的なものは院生のときはまだやっていませんでしたけれど、いろんな学校に行って授業を見たり研究したり手伝ったりしていました。
【帯刀】
ご自分の学生生活と、現在の学生と比べて違いはありますか?
【山内先生】
(山内研において)今は割と学生自身の興味にまかせて出かけて現場の話を聞いてくるという形をとっていますが、私の院生の時は行く場所が強制的に決まっていたのです。
これはなかなか画期的でした。強制的に行くということは、先生も含め皆で行くということですから、同じ対象を皆が見ることになります。色々な見方ができるという良い点があるわけです。
今の私の研究室の学生を見てみると、ワークショップに興味のある人が2,3人で一緒にワークショップ実践を見に行くということはあるにせよ、学年を超えて皆で1つのものを見るという機会はほとんどありませんよね。そういう意味では、研究室の半分ぐらいがごっそり金沢に行くというような経験をした私の院生時代と現在の学生では、ちょっと違うかなと思うのです。
一方で現在のようなやり方をとると、学生の数だけアンテナが立つので情報を広く捉えることが出来るようです。(最近山内研では)ワークショップを見ている学生もいれば、歴史の授業を見ている学生や、研究室を見ている学生もいますね。情報の幅広さという面では私の研究生活とは比較にならないくらいありますよ、今のほうが。
色々な人が色々な所に行って、色々な情報をとってくるので、研究として見えている範囲は以前に比べてはるかに広くなってきたといえます。そういう意味では、善し悪しあって、どちらがいいとは一概に言えないわけですが。
【帯刀】
研究に携わる学生に向けてメッセ―ジをお願いいたします。
【山内先生】
研究を形にするには2つしかポイントがないのです。
ひとつは「人がやっていない新しいことをやる」ということ。もうひとつは「本当にやっていることがあっているのか、誰でも納得できる」ということ。つまり新規性と妥当性、この2つにつきるのです。
妥当性は、もう頑張って勉強するしかありません。どんな研究の方法を使えばいいかとか、ゼミでディスカッションすることでカバーできますよね。
問題は「新しさをどこに出すか」という部分で、研究を志す人が一番苦労するところなのです。自分がやろうとしている研究は新しいことなのか、本を読んだり論文を調べたりしないと確認はできません。ですからレビューはとても大事。でも新しさって、「こういうことがやりたい」とか「こういうことが出来れば素敵なことが起こるはずだ」というインスピレーションみたいなものがベースにないとなかなか生まれないんですよ。
この2つのポイントは、片方備えていれば良いというものではなく、どちらもなくてはなりません。きちんと文献で調べた上で、自分が持っているインスピレーションとの相互作用というか往復運動...そういうものを上手に出来るようになると研究を楽しめるようになると思います。
―――
今回は大学院生の研究スタイルについて山内先生ご自身の研究生活をもとにお話しいただきました。
先生の学生時代には、開発なさったシステムが授業実践の前日までうまく動かないということも少なくなかったそうです。その度に心臓が痛くなるけれど、思考錯誤して乗り越えられた時、やりがいとHard-Fun(苦楽しい)を感じられたとのこと。
様々な領域の研究において、トレンドを生み出していく次世代の研究者を目指す学生のみなさま、きっと「素敵なことが起こる」と信じてチャレンジングな研究生活を送ってみませんか。

[帯刀 菜奈]

2009.08.24

【エッセイ】オンライン学習の効果

オンラインで学習すること自体は特別なことではなくなりましたが、未だに対面学習に比べて効果を疑問視する声があるようです。
先日アメリカ合衆国教育省から出された報告書は、こうした疑問に答える研究レビューになっています。

http://www.ed.gov/rschstat/eval/tech/evidence-based-practices/finalreport.pdf

報告書のExecutive Summaryから主要な知見を引用します。

・対面状況よりも、一部または全てオンライン学習を受講した学生の方が成績が高い。
・オンラインと対面を組み合わせた教授は、対面だけ、オンラインだけよりも効果が高い。
・オンラインが対面よりも効果が高い理由は、学習時間が延びたからである。
・効果は内容や学習者の特性に依存しない。

オンライン学習の効果が確認されたことも大きいですが、その主要因が学習時間であるという知見は、今後の教育システム開発に大きな影響を与えそうです。より学習時間を担保するために、学習文脈をどう作るかということが課題になるでしょう。

[山内 祐平]

2009.08.20

【山内祐平のゼミズバッ!】創造性教育研究はこれからどうなるのか?

院生の研究テーマに関連して、山内先生に研究のトレンドをインタビューする【山内祐平のゼミズバッ!】第4回は修士1年の安斎がお送りします。

僕は「ワークショップにおける学び」を研究テーマにしているのですが、ワークショップのような自由で創造的な学びのスタイルには近年注目が集まってきています。そこで、今回は思い切って「創造性教育」の未来について山内先生にインタビューしてみました。

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【安斎】
創造性教育はこれからどうなっていくのでしょうか?

【山内先生】
これまで創造性を育てる実践は沢山ありましたが、それは一般的な教育とは切り離された「特殊な教育」として考えられてきました。しかし、これからは、「全ての教育の一側面」として創造性教育がなされていくと思います。今までに無い価値を生み出すためのスキルや知識の教育として、あらゆる教育が創造性教育として統合されていくはずです。これはワークショップだけではなく、大学教育でも重要視されていくでしょうね。つまり、いきなり「創造性」というのは対象が大きすぎるので、他の何かを創造性の一つの表出形態として捉えていくのです。

例えば、ここ最近「考える力」などの高次思考の研究が流行しましたよね。これは従来の教育では教えられなかったもので、「良い先生にあたれば、先生とのインタラクションの中で磨けるもの」でしたが、今後は創造性の基礎として、高次思考が教育されるようになるでしょう。例えば「課題発見」というのも創造性の一種ですよね。課題を発見するというプロセスは、課題解決に比べて遥かに創造的なプロセスで、簡単に記述が出来るものではありません。あるいは、例えば、コミュニケーションの教育の中でも、他者とのインタラクションの中で創発的なコミュニケーションが起きていれば、それは創造性の一つの表出形態として捉えることが出来るでしょう。

このように、教育者たちが「創造性教育」と捉えていなかったものが、気付けば創造性教育として統合されていく。そういうことが今後、同時多発的に世界中で起こっていくと思います。

【安斎】
なるほど。確かにそうして実践は増えていくかもしれませんが、創造性教育を研究していく上では「評価」の問題がつきまとうと思います。何らかの教育を施して、事前事後の評価をすることで創造性の評価は出来るのでしょうか。

【山内先生】
創造性を、創発を生み出すための能力や行動要因として定義してしまうと、評価は難しくなると思います。私は、そもそも創造性は「神話」だと考えています。ここ1000年くらいの創造性研究を見ると、私たちは個人の頭の中に創造性というものがあるものとして考えてきました。しかし「創造性」という本来は目に見えないものが、個人の中に実在すると仮定してしまうと、どうしてもそれを測りたくなるし、測らなくてはいけないと思ってしまう。そう考えている限り、研究にはなりません。目に見えない創造性を測るのではなく、観察可能な創造的行為や作品を測るという立場に立てば、この宗教問題は回避することが出来ます。例えばどのような社会的ネットワークが創造的プロセスを支えているか、ということであれば研究することが出来ますね。逆に言えば、そこまでのレベルに落とし込まなければ研究は出来ないということです。しかし、こうしたところから研究していくことが現実的であり、価値のあることだと思います。

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評価の問題は、研究をする上でも実践をする上でも非常に重要な問題です。学力や点数の向上であれば数値で評価することが出来ますが、創造性のように目に見えないものはなかなか可視化することが出来ません。しかし、そこで「だから評価は出来ないんだ」「研究するのは難しい」と考えるのではなく、評価が可能になるように「視点を変えること」が重要なのだと感じました。これは創造性教育に限った話ではありませんね。これからの教育を発展させるためにも、創造的な視点を持って研究していくことが大事なのかもしれません。


[安斎 勇樹]

2009.08.17

【お知らせ】NHK戦争証言アーカイブス

MEET Video Explorerの研究パートナーであるNHKアーカイブスの新しいプロジェクトとして、NHK戦争証言アーカイブスが公開されました。

NHK戦争証言アーカイブストライアルサイト
http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/

戦争体験者の証言だけでなく、戦争の背景情報に関する番組も見ることができ、立体的な理解ができるように構成されています。

NHKには良質で貴重な映像がたくさんあります。これらが学習社会の基盤になるように、こういった試みを応援していきたいと思います。

[山内 祐平]

2009.08.13

【山内祐平のゼミズバッ!】教育研究はどこまで、何をできるのか?すべきなのか?


院生の研究テーマに関連して、山内先生に研究のトレンドをインタビューする【山内祐平のゼミズバッ!】第3回は修士2年の岡本がお送りします。

私の研究対象である大学研究室しかり、最近研究に取り組んでいる人が多いワークショップしかり、学校制度の中で行われるもの以外の教育や学習についての研究も、本当に多いなあという印象があります.
そこで、少し大きな話になりますが、教育の研究の範囲について質問をぶつけてみました.

【岡本(以下、岡)】将来、教育の研究は、どこまで何を扱うようになるのでしょうか?

【先生】そうですね、これから述べるのは僕の個人的見解だ、ということを断っておきます.
 「教育」には、学校と密着しているイメージがあると思いますが、それは、産業革命が起こり、均質な労働者を社会に供給する必要からでてきた近代の所産です.近代の教育というのは、近代を支える制度であり、近代の結晶なのです.ところが、情報革命によって近代が根本から揺り動かされ、狭義の教育に収まらないもの、制度的にカリキュラムで教えられるもの以外の「隠されていた学び」が、表に出ないとやっていけなくなってきました.
 社会人として自分が示すパフォーマンスのうち、学校で教えられたことは基盤の部分では大きな役割を果たしています。ですが、自分がいろいろな部分で学んだことや、人との出会いや対話の中で学んだことが果たす役割の方が、むしろ大きいということは、考えてみたら分かるかと思います。
 僕は、基本的には学習は教育に先行すると思っています.教育は、いろんなところで起こっている学習の一部を組織化して、行われている.これからも教育がなくなることはないと思いますが、「教育」だけでは社会を支えきれなくなっている.いろんなところで起こる学習を加速する方向に行かないと、ダメなんじゃないかと思っています.

【岡】その時に、教育学者や教育実践者が、いろんなところで起きている学習のどれをとりあげて加速させるべきかをどうやって決めたらいいのかが気になります.

【先生】それは誰かが決めることじゃなくて、民主的に意思決定されるべきことだと思います。自分が勝手にボランティアでやって...のであれば、社会的に意思決定する必要もないし、やればいいって話ですけど、例えば税金を投入するとか、ある種の社会的認知を得る時には、それが有意義か決めるのは、研究者だけでも実践者だけでもない。そこに関わるあらゆる人が、民主的に意思決定するべきことです.その中で研究者が調整的な役割を果たすことは、もちろんあり得ると思いますけど.

【岡】今「こういう力が大事」ということが民主的に決められたとしても、それが将来変わる、ということもあり得るかなと思うのですが、いかがでしょうか。

【先生】意思決定の素材を、きちんと示すのがわれわれ研究者の役目のひとつではある、と思いますね.未来を特異的に見通せる人もいると思うのですが、納得しないと社会は動かない.だからみんなが納得して動くためには、情報を提示した上で、みんなで決めなければならない.そのためにたぶん大学があって、大学の人は、50年先とか30年先のことを考えることを許された存在です.ある意味そういうことのためにお金を投下されてるのだから、10年先や20年先の予想を示す役割を、我々は責務として担っています.

【岡】ありがとうございました.

教え、学ぶということ自体は人間の生活に埋め込まれている一方で、学校制度として社会的に成り立っている部分も確かにあります。教育や学習について研究する際には、こうしたことについての自分のスタンスについて考える必要があると思いました。
私の研究は、大学という制度の中での、インフォーマルな営みということなのだと思います。そこにどんな問題がひそみ、私に何ができるのか...考え続けながら、研究をしていきたいと思います。

[岡本 絵莉]

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