2009.08.20
院生の研究テーマに関連して、山内先生に研究のトレンドをインタビューする【山内祐平のゼミズバッ!】第4回は修士1年の安斎がお送りします。
僕は「ワークショップにおける学び」を研究テーマにしているのですが、ワークショップのような自由で創造的な学びのスタイルには近年注目が集まってきています。そこで、今回は思い切って「創造性教育」の未来について山内先生にインタビューしてみました。
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【安斎】
創造性教育はこれからどうなっていくのでしょうか?
【山内先生】
これまで創造性を育てる実践は沢山ありましたが、それは一般的な教育とは切り離された「特殊な教育」として考えられてきました。しかし、これからは、「全ての教育の一側面」として創造性教育がなされていくと思います。今までに無い価値を生み出すためのスキルや知識の教育として、あらゆる教育が創造性教育として統合されていくはずです。これはワークショップだけではなく、大学教育でも重要視されていくでしょうね。つまり、いきなり「創造性」というのは対象が大きすぎるので、他の何かを創造性の一つの表出形態として捉えていくのです。
例えば、ここ最近「考える力」などの高次思考の研究が流行しましたよね。これは従来の教育では教えられなかったもので、「良い先生にあたれば、先生とのインタラクションの中で磨けるもの」でしたが、今後は創造性の基礎として、高次思考が教育されるようになるでしょう。例えば「課題発見」というのも創造性の一種ですよね。課題を発見するというプロセスは、課題解決に比べて遥かに創造的なプロセスで、簡単に記述が出来るものではありません。あるいは、例えば、コミュニケーションの教育の中でも、他者とのインタラクションの中で創発的なコミュニケーションが起きていれば、それは創造性の一つの表出形態として捉えることが出来るでしょう。
このように、教育者たちが「創造性教育」と捉えていなかったものが、気付けば創造性教育として統合されていく。そういうことが今後、同時多発的に世界中で起こっていくと思います。
【安斎】
なるほど。確かにそうして実践は増えていくかもしれませんが、創造性教育を研究していく上では「評価」の問題がつきまとうと思います。何らかの教育を施して、事前事後の評価をすることで創造性の評価は出来るのでしょうか。
【山内先生】
創造性を、創発を生み出すための能力や行動要因として定義してしまうと、評価は難しくなると思います。私は、そもそも創造性は「神話」だと考えています。ここ1000年くらいの創造性研究を見ると、私たちは個人の頭の中に創造性というものがあるものとして考えてきました。しかし「創造性」という本来は目に見えないものが、個人の中に実在すると仮定してしまうと、どうしてもそれを測りたくなるし、測らなくてはいけないと思ってしまう。そう考えている限り、研究にはなりません。目に見えない創造性を測るのではなく、観察可能な創造的行為や作品を測るという立場に立てば、この宗教問題は回避することが出来ます。例えばどのような社会的ネットワークが創造的プロセスを支えているか、ということであれば研究することが出来ますね。逆に言えば、そこまでのレベルに落とし込まなければ研究は出来ないということです。しかし、こうしたところから研究していくことが現実的であり、価値のあることだと思います。
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評価の問題は、研究をする上でも実践をする上でも非常に重要な問題です。学力や点数の向上であれば数値で評価することが出来ますが、創造性のように目に見えないものはなかなか可視化することが出来ません。しかし、そこで「だから評価は出来ないんだ」「研究するのは難しい」と考えるのではなく、評価が可能になるように「視点を変えること」が重要なのだと感じました。これは創造性教育に限った話ではありませんね。これからの教育を発展させるためにも、創造的な視点を持って研究していくことが大事なのかもしれません。
[安斎 勇樹]