2026.10.21
大学院学際情報学府の冬季入試の案内が学環ウェブサイトに掲載されました。
https://www.iii.u-tokyo.ac.jp/admissions#guidelines
山内は文化・人間情報学コースに所属しておりますので、受験希望の方は募集要項と入学試験案内をご参照ください。
これに伴い、研究室説明会を以下の日程で開催します。
(Zoomによるオンライン開催)
11月12日(木)16時30分から17時30分まで
16時30分〜16時45分:研究室の概要説明と質疑応答 ※1
16時45分〜17時00分:大学院生・スタッフの自己紹介
17時00分〜17時30分:大学院生・スタッフとの個別相談 ※2
※1 受験の公平性を確保するため、研究計画に関するコメントはできません。
ゼミの運営や研究プロジェクトについて質問を受けます。
※2 研究室の雰囲気や研究の内容について聞いてください。
大学院生・スタッフは審査に関わりませんので、研究計画について意見を求めてもかまいません。
参加を希望される方は、こちらからお申し込みください。
なお、山内は11月1日(日)14時より開催される文化人間情報学コース説明会にも出席します
研究室説明会のご都合があわない方はこちらへのご参加をご検討ください。
2026.10.16
皆さんこんにちは、M1の藤堂祥太朗です。
修士の1年目では先行研究を徹底的にレビューし、RQ(リサーチクエスチョン)を決めることが研究のメインになります。大学院に入学してから半年が経ち、レビューのやり方を少しずつ掴んできました。今回は、現在どうやってレビューをしているかと、しながら感じた「ディグ」との共通点について書いてみます。
【「ディグる」とは?】
DJが、時間の経過や入手可能性の低さによって埋もれたレコードやCDを探しまわることを、英語圏では”dig”と言います(Welburn, 2013) 。このスラングが日本にも輸入され、リスナーが音楽配信サービスで新たな音楽を探したり、服好きが掘り出し物の古着やスニーカーなどを探す行為を「ディグる」と言うようになりました。
【先行研究の探し方】
先行研究をいざ読むとなっても、数は膨大です。そこで、読む文献をうまく絞って読んでいく必要があります。私は主に3つの絞り方を使っています。
①テーマやキーワードで絞る
自分の研究に関わるキーワードをGoogle Scholar等に入れ、ヒットした文献にあたる方法です。私であれば「ESD 課題」「教育 価値観 対話」のように、キーワードを組み合わせて検索していました。研究を始めたての時は、このやり方が一番ハードルが低いと思います。まず世の中にどのような論文があるか、少しずつ全体像を見ることに繋がります。
音楽や服のディグも同じです。「80年代 シティポップ」「HIPHOP US Chill」「モード系 レザージャケット」「テック系スニーカー ブラック」というように、まずは気になるジャンルやカテゴリーで調べると、趣向にあったものが沢山出てきます。
②著者で絞る
ディグを続けていると、「このアーティストは自分の好みに合う曲が多いな」「このブランドの服のスタイルは自分に合っているな」というのが段々分かってくるかと思います。好きなアーティストの昔のアルバムを聴いたり、トップスが好きなブランドのボトムスも見てみよう、とディグが進みます。
これは研究も同じだと思います。ひたすら先行研究にあたっていると、「この著者の視点は自分に近いな」「この著者がよくアプローチしている課題は自分と近いところにあるな」と分かれば、その著者が過去に出した文献を漁ることで、レビューが更に強固になっていきます。
また、共著者となっている著者の文献にあたることもあるでしょう。音楽や服の文脈でも、コラボしているアーティストやブランドをディグすることで、更なる出会いが待っています。
③先行研究の先行研究にあたる
著者で絞るのと似ていますが、先行研究がどのような先行研究を用いているのかは重要です。「この研究をするならこの論文は読んでおいた方がよい」というものと出会うことができます。目の前の研究が、どういう変遷でこのRQに到達したのかは、そのまま自分の研究にも参考になります。そこからどのように新規性を加え、学術的潮流の中でどう位置づくのかを考えることにも繋がるでしょう。
このことは、「サンプリング」に一番近いのではないかと思います。研究の文脈でも使われる語ですが、音楽や服のカルチャーでは端的に「既存の創作物を素材として新たに創作すること」という意味で使われます(諸説あり)。音楽ではDaft Punkの“Harder, Better, Faster, Stronger”をサンプリングしたKanye Westの“Stronger”など、ファッションではヴィンテージアイテムをアレンジしたもの(例:MA-1)などが該当します。これはどちらかというと創作者側の視点になると思いますが、過去の作品や知見を素材として扱い、新しいものを生み出す点で共通項が見いだせると思います。
【質の良い「ディグ」をするために】
先行研究のレビュー、音楽や服をディグる中で、「なぜこれが良いか・悪いか」を言語化することを意識しています。論文のどこを有用だと感じるのか、何が論文の質を担保する核として機能しているのかに注目することで、研究課題を特定するための見方がより洗練されるように思います。また、自己分析にも繋がります。私は一時期「コンシャス・ラップ(社会問題を題材とするラップ)」をディグしていました。これは歌詞に特徴のある音楽のジャンルですが、意外と自分は音楽性の方を重視していることに気がついた、なんて経験がありました。研究においても「これは違う」という相対化により、より方向性を明確にすることができます。
余談ですが、この考え方はもっと広く使えるものでもあるなと思います。私はこの春から上京しましたが、都内のおいしい飲食店を探したり、最近は修士卒業後の進路を調べたりする中でも「ディグ」している感覚があります。
ぜひ皆さんも、先行研究を「ディグ」していきましょう。
最後までお目通しいただきありがとうございます。
少しでも先行研究レビューの実態がイメージしやすくなれば、幸いです。
参考文献
Welburn, William C.(2013)Digging the Digital Crates. Imagine, Innovate, Inspire: The Proceedings of the ACRL 2013 Conference, 148–156
2026.10.08
こんにちは。修士1年の上林山です。
大学院に入って半年が過ぎ、最近改めて感じているのが「ご学友」のありがたさです。
研究の相談ができることはもちろん、授業で困ったときに「ちょっと教えてほしい」と声をかけられる人がいると、大学院生活の安心感はずいぶん違うように思います。
合同研究会で感じたこと
先日、大阪大学との初めての合同研究会がありました。普段とは異なる研究室の皆さんと話す機会をいただき、大学や研究室を越えて、同じ時期に学んでいる仲間とつながることの大切さを感じました。
印象に残ったのが、山内先生が学生時代の同年代の方々とのつながりが励みになっていたとお話しされたことです。
当たり前の事かもしれませんが、研究を導いてくださる先生方にも、仲間とともに学び、悩みながら研究を乗り越えてきた期間があったようです。
先生方の若い頃の写真を見ながら、「ここにあの人がいる」と楽しそうに話される様子には、少しうらやましくもなりました。
私もいつか、今の仲間と写真を見返しながら、あんなふうに話せたらと思います。
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授業で実感した「聞ける人がいる」安心感
ご学友のありがたさは、研究会の場面だけではありません。最近は、選択必修の授業で、講義からディスカッションまですべて英語という授業に出くわし、絶賛苦戦中です(スマートグラスか同時翻訳できるAirPodsを買うか真剣に迷いました…笑)。
そんな時に「困ったら聞ける人がいる」と思えることは、大きな安心につながります。一人で抱えていると大きく感じる困りごとも、人と話すことで、何が分からないのかを整理できることがあります。
分からないことを抱え込まず、助けを求められることも、学び続けるためには必要なのだと感じています。
研究テーマが違っても、貴重な仲間
社会人として働いていると、人とのつながりを仕事や役割だと割り切って捉えることが多くなりました。その中で、同じ学生として悩みを話せる関係は、研究テーマや経験が違っても貴重だと思います。
こうした何気ない交流は、研究者としての歩みにも関わるようです。Wuestman らの研究(2023)は、数学分野の博士課程学生およそ9万人を対象に、周囲の仲間が将来のキャリアにどう影響するかを分析しています。
それによると、同じ指導教員の下にいる仲間とは、キャリアの初期に競争が生じやすい一方で、指導教員を共有しない仲間、とくに同期からは、支えとなる効果が見られました。
一つの分野のデータではありますが、研究室の違う同期との何気ない会話が、長い目で見て自分の研究を支えてくれる可能性があるというのは、心強い知見でした。
入学式の言葉と、これから
今年4月の入学式で、藤井総長は、新たに出会う友たちと語り合う時間をつくってほしいと呼びかけていました。時間効率が重視される中でも、あえて対話の時間を大切にしてほしいというメッセージだったと受け取っています。
とはいえ、日々の予定に追われると、授業が終わればすぐ帰ってしまったり、知っている人の顔を見かけても、声をかけようか迷っているうちに通り過ぎてしまう日もあります…。そんな時は迷って通り過ぎず、なるべく自分から声をかけていきたいです。
自戒も込めて、今、一緒に学べる皆さんとの時間を大切にしていきたいね、という振り返りでした。
【参考】
藤井輝夫「令和8年度東京大学大学院入学式 総長式辞」(2026年4月13日)https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2026_05.html
Wuestman, M., Wanzenböck, I., & Frenken, K. (2023). Local peer communities and future academic success of Ph.D. candidates. Research Policy, 52(8).
2026.10.02
D3の田中冴です。
前回の自分の担当ブログでは、AIを使ったシステム開発の過程で気づいたことについて書きました。
AIとの開発日記 (D2 田中冴)
今回は、その延長で、この一年ほど考えていることについて書きます。
今年の4月から大学に就職した関係もあって、AIやコンピュータを使ってものをつくるということについて、話したり実演したりさせていただく機会が増えてきました。
そこでつくづく考えることになったのが、「コンピュータのこと何もわかってないのにAIにコード書かせて作っちゃっていいの?」的な問いへの回答です。
私はこれまで、「とりあえずつくってみたらいいんじゃない? (プログラミングの教科書を1ページ目から読み始めて挫折するくらいなら) 」という立場をとってきました。
しかし、改めて「なぜつくるところからはじめるべきなのか」と問い直されると、結構説明が難しく、その再説明を試み続けてきた半年でした。
現状私が言葉にしたのは、「つくることは、形にして、考え進められるようにする作業である」、ということです。
頭の中にある「こういうものが欲しい」は、最初は曖昧で、条件の抜けや具体性の欠如に気付きにくいものです。
実際に動くものが⽬の前に出ると、「ここが違う」「これ要らない」「この場合はどうなる?」と、具体的に考えられるようになります。
AIの出してきたダメな叩き台に「こうではなくこうだ」と細かくNoを説明しているうちに、遡及的に自分のつくりたいものを知ることになります。
少なくとも、AIに叩き台を出させるまでは知らなかった場所には進むことができます。
AIは必要条件ではないけど、ものづくりのループの中に入り込むことを、たしかに易しくしてくれる道具であると思います。
ナオミ・S・バロン(2025)『書くことのメディア史―AIは人間の言語能力に何をもたらすのか』古屋美登里・山口真果訳、亜紀書房 より
たとえば、上がってしまった車のバッテリーをジャンプスタートさせる場合を想像してみてほしい。バッテリーが動かなければエンジンは回転しない。人間が文章を書くときにこれと同じことがおきる。それがアイデアの枯渇やスランプだ。バッテリーや人間の脳が動き出すためのきっかけを与えるには、外部から刺激を与えなければならない。つまり手を貸してくれる親切なドライバーのバッテリーであり、AIツールだ。
制御やシミュレーションの領域では、⼈間が処理のループに⼊り込むことを、「Human in the Loop」と表現します。
今回の話に引きつければ、AIの出力を自分の目的に照らして確かめ、必要な修正を返し続けるプロセスに近いでしょう。
最近では、ライティングの領域からも参照されています(e.g. 既出のバロン 2025)。
AIと⼀緒に新しいものをつくりだすとき、それはアプリでもライティングでも、こういうデザインのループに⼊り込むというプロセスが発⽣しえます。
AIとものをつくるうえで難しいのは、⽬的と判断を⼿放さず、ものづくりのループの中に⾃分を置き続けることだったりします。
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つくりこむループに入り込めると、コンピュータやAIの知識が求められる場⾯に遭遇しやすくなるため、「必要に応じて学ぶ」ということが可能になります。
実際この半年間、プログラミングに初めて触れ、デザインループに入り込む過程で、ファイルの概念やコード中の括弧の対応関係などを結果的に知ることになった人たちに複数遭遇しました。
ダニエル・シュワルツ(2026)「適応的熟達化への道:『Efficiency(効率)』と『Innovation(創造)』の融合」国立教育政策研究所 令和8年度教育研究公開シンポジウム「生成AI時代の学校教育と教師~人間の果たすべき役割~」国際招待講演 より(動画中の和訳より引用)
彼女は学生に伝統的な設計図(ブループリント)をデザインさせました。次にAIを使って設計図を立体的な建物に変換させます。そして彼女は学生を実際に車椅子に乗せ自分たちの建物に入らせました。すると学生はトイレに行く難しさや階段付近で方向転換する難しさに気づくのです。設計図をつくる活動だけでは十分ではありません。AIツールを使うことで解決すべきリアルな問題に「ぶつかる」ことができます。
私はPCを、人間の思考のシミュレーションの道具(ミスれる環境?)だと捉えているので、順当な使い方かなとも思っています。
なお、ミスが大勢を巻き込む大事故になるような環境で「結果的に学ぶ」を前提にするのは割に合わないので、ミスっても破滅しない程度には安全を確保して欲しいです。
ナシーム・ニコラス・タレブ(2019)『身銭を切れ―「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質』望月衛監訳・千葉敏生訳、ダイヤモンド社 より
ベンチから飛び降りるのは健康や骨にとっていいだろうが、ビルの20階から飛び降りるのは違う。小さなケガは体によいだろうが、取り返しのつかない大きなケガは違う。(中略)リスクと破滅は別のもんなのだ。
さて、今年の6月に国際学習科学会に参加した際、Shayan Doroudi氏の講演で「知的徳(intellectual virtues)」という言葉を知りました。
知的徳は、哲学、特に「よりよく知る人とはどのような人か」を考える徳認識論などで論じられてきた概念らしいです。
Doroudi氏らは、知的謙虚さ・知的好奇心・知的誠実さ・知的粘り強さといった知的徳を、生成AI時代の教育につなげる研究を進めているようです。
AIとものをつくって考えることが当たり前になっていくにつれ、強烈な主体性というか、屈強な知的体力というか、なにかそういう知的な責任を、強風の中でも自分の手から離さない粘り強さの価値が、これまで以上に高まる時代になるかもしれないですね。
三宅なほみ(編)(1985)『教室にマイコンをもちこむ前に』新曜社 より
教師が教室にコンピュータを持ち込む場合、 教師の側に、 「これがしたい、これをするのにはどうしてもコンピュータがいる」という強烈な主体性がなければ、コンピュータは教室で活きないでしょう。
ただ、これを「"主体性"なり"知的徳"が、ある人はある」という議論に落ち着けては、建設的に考え進めることが難しいようにも思います。
人は必要が生じれば賢く学ぶのだと仮定すると、"主体性"なり"知的徳"が発揮されやすい、真正な問題状況をいかに準備するかが、自分の考えるべきことなのかなと考え始めています。
以上、最近考えていることでした。