2025.09.22
D2の田中です。
この春〜夏にかけて、新たな学習支援システムを開発し、最近そのシステムの評価実験を行いました。
ここ最近は開発に時間をかけることが多かったので、今回はそれについて書こうと思います。
今回の開発から、本格的に開発補助として生成AIを利用し始めました。
しかし不思議なことに、AIの補助が入って自分がコードを書くコストは減っているはずなのに、開発にかかる時間や労力は一向に減らず、むしろたぶん相当増えたような気がします(AI補助を使わなかった2023年の前回の開発と比べて)。
何が起きていたのかを考えたのですが、AIにいろいろやらせてみても、結局自分が「映画監督みたいな仕事」をしないといけないので、より大変になってるんじゃないか、という気がしています。
映画監督の仕事をちゃんと知らないのでイメージでものを言いますが、一番最後にYes / Noを言う仕事というイメージがあります。
撮影や脚本を担当するスタッフがいても、最後にそれが全体の設計と矛盾しないかについてYes / Noを言う監督という仕事は別で存在する世界観なんだろうと想像します。
私はAI補助を使う開発で、何回か回答を生成したり、同時並列に複数のスレッドをつくってその返答を比較したりして、その複数のサンプルを自分が参考にして、自分が判断する、ということをやっています。
開発だろうと文章執筆だろうと、自分の研究に関わるもので、AIの出してきたものがそっくりそのまま自分のお眼鏡にかなうということはなかなか少なく、AIの出してきたものに細かくNoを説明することになります。
全体の設計と矛盾しないか、研究の意図するデザインに合致しているか、結局最終判断でYes / Noを言うのは私であり、仮に補助AIやスタッフがどんなに優秀であっても、その監督業的な仕事がなくなるわけではないようです。
むしろ、自分1人でコードを書いている時よりも、補助を入れた時の方が、その判断をする瞬間は爆発的に増えるので、だからこんなに大変だったのかもしれません。
ちなみに、開発に使った(と記録していた)GPTとのやり取りのターン数を、履歴データからカウントアップしてみたところ、7719回とのことでした。
何千回と判断し続けることは、どうしようもなく大変ではありますが、しかし少なくとも自分は、この何千回もの判断のループ無しにモノをつくれる自信はありません。
というのも、この細かいループの中で、自分が自分のつくりたいもの、もしくはつくりたくないものに気づいていくことがたくさんあるためです。
これも不思議なことですが、出来てみると、目の前で動く状態になってみると、その瞬間に、それが自分のつくりたいものではないことがわかる、ということがよくあります。
目の前に出てくるまでは、それがダメであるという視点を持たないのですが、目の前に出てきてみると一瞬でダメだとわかることがあります。
つまり、先に注文書を完全に書き切ってしまえるのであれば、AIやスタッフや業者に完全に一任し、監督業は不要になりますが、その「注文書を先に書き切る」ということが私にとっては難しく、AIにNoを説明し続ける中で自分が自分の注文(何をつくりたいのか)をわかっていくという作業が必要でした。
作りながらでないと注文書を書いていけないので、本当の意味で一任するということはできず、結局自分が全体の設計やデザインの意図を考え続け、そうでないものを判断し続けるという仕事は私に残り、この4ヶ月ほど私はそれをやっていたんじゃないかと思うようになってきました。
まとめると、AIを使った方が、使う前よりたくさん考え、判断することになるので、より時間がかかったし疲れた、というオチでした。