2007.08.30
吉見俊哉『カルチュラル・スタディーズ』、岩波書店、2000年
2007/8/23に,平野さんが文末で薦められていた,吉見俊哉『カルチュラル・スタディーズ』をご紹介したいと思います.
2004年,学環の入試要項を手に取った私の目に「カルチュラル・スタディーズ」という言葉が飛び込んできました.その言葉をはじめて見た私は(工学部出身),ズバリ「カルチュラル・スタディーズ」というタイトルのこの本を院試の準備として読んだというわけです.今回は,当時,読みながらとったメモを読み返しながらご紹介したいと思います.
まず,吉見先生は1章の「問題としての文化」で,「文化をすでにそこにあり,固有の内容を含んだものとしてみなすところから出発するのではない.」とし,以下のようなことを仰っています.
- 権力が作動し,経済と結びつき,言説の重層的なせめぎあいの中で絶えず再構成されているものとして問題化していくこと
- カルチュラル・スタディーズは,歴史理解の不可欠の次元として文化に注目するというだけではない.
- 文化という次元自体の存立規制,それが,一定の言説と権力のマテリアルなインフォメーションとして成立し,再生産されていることに瞠目し,問題化する.
つまり,カルチュラル・スタディーズは,単なる学際的なアプローチではなく既知のシステムそのものをを考え直す,ひいては学問をするということ自体をも考え直していくものなのだと仰っています.
本書は,「メディア」「サブカルチャー」「人種・エスニシティ」「ジェンダーとセクシュアリティ」「歴史の政治学」の6つのテーマがどのように研究されてきたのか,またそのテーマを代表する研究者をコンパクトに紹介してくれていることから,私のようにカルチュラル・スタディーズにはじめて触れる方におすすめです.また入学後,ここで紹介された研究者に講義やゼミの中で再会するのではないでしょうか.
[寺脇由紀]
2007.08.28
8月25日(土)に、BEAT Seminar "「オープンエデュケーションが切り開く未来~ Education 2.0:OCWの次にくるもの」が開催されました。
パネラーとして、MIT上級副学部長のVijay Kumarさん、カーネギー財団の飯吉透さん (飯吉さんはBEATの客員教授でもいらっしゃいます。)をお迎えし、学習管理システムや教育コンテンツを中心に進んできた教育のオープン化の流れが、今後どのような方向に進んでいくかという情報提供をしてもらいました。ここでは、お二人の話の中で印象に残ったプロジェクトを簡単にご紹介します。
iLab Project (MIT)
http://icampus.mit.edu/ilabs/
iLabは、実験環境をオンラインでコントロールできるようにするための基盤であり、遠隔実験や実験データの共有などが可能になります。ソフトウェアは自由にダウンロードできます。
Connexions (Rice University)
http://cnx.org/
Connexionsは、教員がオープンコンテンツを自由に組み合わせて自分なりの教材を作ることができるサイトです。オンデマンド出版でテキストにすることも可能です。
KEEP Toolkit (Carnegie Foundation)
http://gallery.carnegiefoundation.org/gallery_of_tl/keep_toolkit.html
KEEP Toolkit は、教員が自分の授業を設計したり改良したりするプロセスを共有し、よりよい授業構築のために知識を交換するための仕組みです。
これらの事例から見えてくるのは、教育に関するオープン化が、LMSなどの教育システムや授業映像などのコンテンツから、授業プロセスそのものに達しつつあるという動向です。
まだ日本では類似例はほとんどありませんが、大学の柱である授業プロセスそのものが開かれることになれば、社会的に大きな影響力を持つことになるでしょう。
[山内 祐平]
2007.08.23
広田照幸(2004)『教育(思考のフロンティア)』岩波書店
半年間ブログ上で連載してきた「受験生に薦める一冊」シリーズですが、とうとう昨日、筆記試験が終わりましたね。私たちも、来年度どのような方が入学されるか、楽しみにしているところです。さて今回は、来週の面接試験までに読めるような小さな本、しかし考えさせられる一冊を紹介したいと思います。
僕は学部時代には教育社会学を学んでいたのですが、当時お世話になっていた広田照幸先生の本を紹介します。広田先生は、歴史の中でしつけや教育がどのように語られてきたかを分析しながら現在の教育を論じている歴史社会学者です。著書に『日本人のしつけは衰退したか』(1999)、『教育には何ができないか』(2003)など。2006年からは日本大学文理学部に移られています。
この本では、教育を語る言説を〈社会化〉と〈配分〉という観点から捉えなおし、現在の教育を問題化する語り方をいくつかに分類・整理した上で、「個人化」と「グローバル化(新自由主義)」の時代における、未来のための教育を形作るための一つの提案を行っています。100ページ程度の分量ですが決して教科書的な記述にならず、最新の研究に基づいて、示唆に富む内容をめいっぱい詰め込んだ、意欲的な本です。巻末の参考文献案内も充実しています。
教育工学の分野はおもに「現在行われている教育をテクノロジを用いてどう良くするか」を考えており、教育社会学的な視点からすると、〈配分〉やそれに伴う〈階層化〉(苅谷剛彦先生の専門分野ですね)に関する議論が欠けてしまっていることが多いです。教育工学的な研究でモノを作る際にも、現在の教育があくまで歴史の中の一形態に過ぎないこと、そして、そのような教育はさまざまな権力の網の目の中で行われている営みであることを認識しておかなければならないでしょう。その上で、未来を形作る教育を実現していくべきだと思います。
この『教育』に限らず、「思考のフロンティア」シリーズには、「フロンティア」という名前どおり、その分野の第一人者による意欲的な作品が数多く見られ、その分野を研究するための基本的な視座を手に入れることができます。たとえば、社会の中の営みとしての教育を考えるために、斎藤純一『公共性』、市野川容孝『社会』、それに吉見俊哉『カルチュラル・スタディーズ』などを併せて読んでみてもいいかもしれません。
[平野智紀]
2007.08.21
BEATで開発してきたMonogatariシステムの実験運用が神奈川県立生命の星地球博物館で始まりました。学環研究員の久松さん、BEAT助教の北村さん、大学院生の平野さんと私の4名で動かしているプロジェクトです。
Monogatariは、持ち方によってモノが語りを変えるというシステムです。三葉虫の化石レプリカにRFIDを埋め込み、指輪型アンテナを用いて化石レプリカの持ち方を判定し,持ち方に対応した映像コンテンツを提示します。
8月16日に、生命の星地球博物館で一般のお客様に使っていただくことができました。待ち行列ができるほど人気があったので、少し安心しました。
実際のユーザーに触ってもらって改良するというプロセスは、形成的評価 (Formative Evaluation) とよばれ、非常に重要です。この日も人によってセンサーの感度にばらつきがあったり、箱が塗料のにおいでくさい(笑)など、いろいろなフィードバックがありました。
システムを改良して、9月には第2弾の評価を行う予定です。
[山内 祐平]
2007.08.17
柴田義松 (2006) 「ヴィゴツキー入門」寺子屋新書
現代において教育/学習を研究しようとするものが,ヴィゴツキーを知らない,という訳にはいかないでしょう.さまざまな研究を行っている山内研究室の中でも,ヴィゴツキーへの言及は多く為されます.ヴィゴツキーを避けてはなかなか通れない.
ただし,ヴィゴツキーの理論はとても美しい一方で,難解な部分もあります.日本語訳が手に入りますが,なかなか原著は手強いです.
そんな時の1冊として,今回はヴィゴツキー研究の第一人者でもある柴田義松先生の「ヴィゴツキー入門」をお勧めしたいと思います.
ヴィゴツキーの生い立ちから始まる本書は,単にヴィコツキー理論の解説に終始するのではなく,時代背景を追いながら,他の理論や研究者との違いを丁寧に示してある点で,とてもわかり易いものとなっています.
例えば,ヴィゴツキー理論の中でも外言と内言の関係や,それに基づいた発達の最近接領域は重要な部分です.これらがピアジェの言葉,ピアジェ理論との違いから説明されることで,とてもわかり易くなっています.
また,現在広く入手可能なヴィゴツキーの日本語訳は,多くが柴田先生によって訳されたものである点も,入門書としての本書の価値を高めるものとなっているでしょう.
事実,僕自身もこの本を読んだ後に「思考と言語」がより良く読めるようになったと感じました.
故波多野誼余夫先生が,これからの学習研究においては,認知メカニズムと,社会/文化的な要因がどうか関わっているのかをより明らかにしていくことが大事だと仰っていました.本書を読む度,私自身もそんな研究が出来ればと思います.そんなことを考えさせてくれたりする,そんな本でもあるのかもしれません.
[三宅 正樹]
2007.08.14
先日飲み会でMacの話をしていたら、ほとんどの人がHyperCardを知らないということに気づいて、少々ショックを受けました。
「HyperCardは、ハイパーテキストを実現した最初の商用ソフトウェア。1987年にアップルコンピュータのビル・アトキンソンが開発した。Macintoshで動作し、ゲームの制作、簡単なプログラムの開発等に利用される。
ハイパーテキストのノードとしてカードを用い、カードとカードをつなぐリンクとしてはボタンを用いる。カードの上にはボタンの他にテキストやグラフィックをおくことができた。プログラムを記述するにはHyperTalkと呼ばれるスクリプト言語を用いる。 ボタンを押すと各ボタンに対応付けられたカードにジャンプするか、HyperTalkで記述されたプログラムを実行する。HyperCardを使えばプログラムを直接記述しなくても簡単なアプリケーションを作ることができたので、マルチメディアオーサリングツールとして使用された。」(Wikipediaより引用)
今では、リンクをたどりながら情報を探索していくことはウェブの専売特許になっていますが、1987年にはまだウェブは存在していませんでした。(最初のブラウザであるNCSA Mosaicが開発されるのは1992年です。) ウェブが日常化した今では想像もつかないような話ですが、20年前には全く異なった情報環境が存在していました。それがHyperCardです。
HyperCardはカードに埋め込まれたボタンで情報を探していくという意味ではウェブブラウザーに近いのですが、裏側にHyperTalkという言語が組み込まれており、一種の開発環境でもありました。今の感覚だと、ウェブとFlashとカード型データベースをあわせたような感じです。
HyperCardはとっつきやすい開発環境だったので、多くの教員が自分たちで教材を作るようになりました。ネットがなかった時代、彼らはユーザーグループというコミュニティを作り、フロッピーディスクで自作の教材を交換していました。これは一種のオープンソース、クリエイティブコモンズ的な発想といえるでしょう。
しかも、HyperCardは奥が深い開発環境で、外部コマンドを使うことによってハードウェアを制御することもできました。このため、教材開発の専門家もこのツールを愛用していました。
かくいう私も、修士論文で、子どものマルチメディアプレゼンテーションの設計過程を支援する"Presentation Designer"という環境を作りましたが、これはHyperCardをベースにしたものです。
現在30代後半から40代後半の世代で教材開発に関わっている人は、HyperCardに育てられたといっても過言ではないでしょう。
時は過ぎ、HyperCardは忘れ去られ、時代はウェブやFlashに移りました。しかし、HyperCardに熱中した世代は、いまだにデジタルな世界に新しい風を吹かせたいと努力している人が多いように思います。HyperCardは、まだ彼らの心の中に生きているのかもしれません。
[山内 祐平]
2007.08.11
大島純・野島久雄・波多野誼余夫(2006)『教授・学習過程論』
前回「学習科学とテクノロジ」について紹介がありましたが、今回はそれと関連して「教授・学習過程論」という本を紹介したいと思います。
本書も、前回同様、「学習科学」に関連するトピックを概観できる教科書的な本といえると思います。目次を見ていただくと、扱うトピックの概観、さらに「学習科学とテクノロジ」では紹介されていないトピックがあることがわかると思います。
1.学習研究と学習科学
2.比較認知科学から見たヒトの学習
3.言語獲得の諸相
4.素朴理論獲得における生得的制約と経験
5.熟達化
6.日常的認知と非公式の教育
7.文化の中の学習
8.帰納推論と学習メカニズム
9.学習の認知神経科学
10.学びにおける協調の意味
11.学習環境のデザインと原則
12.授業研究と教師教育
13.情報テクノロジの教育への導入
14.教育評価-新しい学びの視点-
15.学習科学の展開
「学習科学とテクノロジ」では、実際に行われた様々なプロジェクトを紹介するという形で進められていましたが、本書では、より基礎的な学習プロセスに関して、前半部分で説明しています。
具体的には、2章から9章あたりがそれに当たります。学習を考える上で大切な「熟達化」などといった概念についても、コンパクトながらもその概観をつかめるようになっています。
また、後半部分を見ても、12章に「教師教育」というキーワードがでており、これに関する部分も「学習科学とテクノロジ」よりも詳しく記述されています。
本書と「学習科学とテクノロジ」は重なる部分が多くありながらも、力のいれてある部分が少しずつずれており、両方を読む事で、より学習科学の概観というのをつかむことができると思います。
入門書としておすすめの1冊です。
[舘野泰一]
2007.08.06
オープンソースの文化は、プログラムを超え、コンテンツの領域にまで広がり、教材や教育システムの形も大きく変わろうとしています。
その最新の動向を、合衆国の高等教育の教材開発の事例から考えるBEAT Seminarを、8月25日土曜日に開催します。特別ゲストとして、MITからDr. Vijay Kumar氏をお迎えし、オープンソースの考え方が授業映像や資料公開にとどまらず、学習を保証するサービスまで広がっている現状を報告していただきます。教材・教育システムに関係している方は必見のセミナーです。ぜひご参加ください。
—————————【BEAT Seminar 概要】—————————
■テーマ
「オープンエデュケーションが切り開く未来
—Education 2.0:OCWの次にくるもの—」
■主催
東京大学大学院 情報学環 ベネッセ先端教育技術学講座 (BEAT)
■日時
2007年8月25日(土)午後2時より午後5時まで
(9月1日から変更となりました)
■場所
東京大学 本郷キャンパス 理学部1号館内 小柴ホール
http://www.beatiii.jp/seminar/seminar-map31.pdf/?rf=bt_m004a
■定員
170名(お早めにお申し込みください)
■参加方法
参加希望の方は、BEAT Webサイト
http://www.beatiii.jp/seminar/?rf=bt_m004
にて、ご登録をお願いいたします。
■参加費
無料
■内容
1. 趣旨説明 14:00-14:10
BEATフェロー 中原 淳
2. 講演 14:10-16:10(休憩適宜含む)
●教育におけるオープン・イノベーション:
大学改革からナショナル・インターナショナルな教育開発まで
Dr. Vijay Kumar
(Director, Office of Educational Innovation and Technology, MIT)
●開化する教育・進化する教育・深化する教育
飯吉 透 (BEAT客員教授/カーネギー財団 知識メディア研究所 )
●日本の教育システムにおける諸課題とオープンエデュケーションが提起するもの
山内 祐平(BEAT併任准教授/東京大学)
3. フロアディスカッション 16:10-16:30
4. パネルディスカッション 16:30-17:00
「Education 2.0:オープン参加型の学習社会の実現を目指して」
司会: 中原 淳
パネラー 飯吉 透・Vijay Kumar・山内 祐平
2007.08.04
突然ですが。
一見つまらないように見えることでも感心したり感動できる。
自分のことをつきはなして観察できる
ある程度いい加減でずぼらだと思う。
ある程度シツコクてクドイ方だと思う。
あなたは、いくつ当てはまりますか?
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佐藤郁哉(1992) フィールドワーク:書を持って街へ出よう,新曜社,東京
冒頭の問いかけは、フィールドワークに向いている人の特徴として本書に挙げられているものです。著者である佐藤郁哉氏は、フィールドワークを行う社会学者として、また日本における定性的な研究の第一人者として著名な方です。
本書にはフィールドワークとは何か、またフィールドワークの客観性は?というようなわれわれが素朴に感じる疑問に対する筆者の見解が、わかりやすく、丁寧に書かれています。また、考え方の話のみにはとどまっておらず、技法論ともいうべきノートのとり方やハードウェアの使い方も解説されています。巻末の参考文献リストも充実しており、利用価値の高い1冊です。日本語で読める定性的(質的)研究法の優れた教科書と言えると思います。
ここで、「定性的(質的)研究法って何??」と思われた方・・・
ぜひ読んでみてくださいね。
でも、あくまで本書の著者は定性的研究法サイドの社会学者です。その辺りは注意してください。つまり、この本を読んだら、やっぱり定量的研究法の本も読んでみてほしいのです。
あなたが知りたいことは、どんな方法を使って調べることができそうか。それを知るためためには、まず、どんな研究方法があるのか。そのバリエーションを知ることが大切だと思います。
研究法はよく、「道具」というメタファーで語られます。
私は、入学したばかりのころ、「魚をさばくのにノコギリ使っちゃだめだ」と言われました。そう。切れれば良いってものじゃないですよね。でも、両方の特性を把握していないと、使用する際にどちらの道具がより適切か、判断できません。そういった意味で、本書は、インタビュー調査やフィールドワークを行う人はもちろん、定量的研究法を多用する人も、自分の研究を相対化する意味で非常に示唆に富んだ本です。
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ちなみに、この本を読んで面白かったら、著者による実際の研究成果を読まれてみることもお薦めします。邦語では『暴走族のエスノグラフィー』や『現代演劇のフィールドワーク』(日経経済図書文化賞受賞)があります。また、『フィールドワークの技法:問いを育てる、仮説をきたえる』では、常に葛藤しながら研究に取り組んできた反省的実践家としての佐藤郁哉氏を垣間見ることができます。
※なお、本レビューは上記出典へのものですが、現在では新項目を追加した『フィールドワーク 増訂版』が(2006年12月刊行)が販売されています。