2007.08.23
広田照幸(2004)『教育(思考のフロンティア)』岩波書店
半年間ブログ上で連載してきた「受験生に薦める一冊」シリーズですが、とうとう昨日、筆記試験が終わりましたね。私たちも、来年度どのような方が入学されるか、楽しみにしているところです。さて今回は、来週の面接試験までに読めるような小さな本、しかし考えさせられる一冊を紹介したいと思います。
僕は学部時代には教育社会学を学んでいたのですが、当時お世話になっていた広田照幸先生の本を紹介します。広田先生は、歴史の中でしつけや教育がどのように語られてきたかを分析しながら現在の教育を論じている歴史社会学者です。著書に『日本人のしつけは衰退したか』(1999)、『教育には何ができないか』(2003)など。2006年からは日本大学文理学部に移られています。
この本では、教育を語る言説を〈社会化〉と〈配分〉という観点から捉えなおし、現在の教育を問題化する語り方をいくつかに分類・整理した上で、「個人化」と「グローバル化(新自由主義)」の時代における、未来のための教育を形作るための一つの提案を行っています。100ページ程度の分量ですが決して教科書的な記述にならず、最新の研究に基づいて、示唆に富む内容をめいっぱい詰め込んだ、意欲的な本です。巻末の参考文献案内も充実しています。
教育工学の分野はおもに「現在行われている教育をテクノロジを用いてどう良くするか」を考えており、教育社会学的な視点からすると、〈配分〉やそれに伴う〈階層化〉(苅谷剛彦先生の専門分野ですね)に関する議論が欠けてしまっていることが多いです。教育工学的な研究でモノを作る際にも、現在の教育があくまで歴史の中の一形態に過ぎないこと、そして、そのような教育はさまざまな権力の網の目の中で行われている営みであることを認識しておかなければならないでしょう。その上で、未来を形作る教育を実現していくべきだと思います。
この『教育』に限らず、「思考のフロンティア」シリーズには、「フロンティア」という名前どおり、その分野の第一人者による意欲的な作品が数多く見られ、その分野を研究するための基本的な視座を手に入れることができます。たとえば、社会の中の営みとしての教育を考えるために、斎藤純一『公共性』、市野川容孝『社会』、それに吉見俊哉『カルチュラル・スタディーズ』などを併せて読んでみてもいいかもしれません。
[平野智紀]