2006.10.13
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【ご案内】公開研究会「BEAT 'Special' Seminar」
学習科学とICTは学びのあり方を変えるか
- 高等教育の変革を事例として -
11/11(土)開催!
http://www.beatiii.jp/seminar/
主催:東京大学情報学環 ベネッセ先端教育技術学講座 (BEAT)
共催:東京大学大学総合教育研究センター
マイクロソフト先進教育寄附研究部門 (MEET)
後援:NPO法人 Educe Technologies
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11月のBEAT公開研究会は、学習科学の世界的研究者であるスタンフォード大学
Roy D. Pea先生、中京大学 三宅なほみ先生、静岡大学 大島純先生という豪華
ゲストをお迎えして、「学習科学とICTは学びのあり方を変えるか」というテーマで'BEAT
Special Seminar'としてお送りします。
インターネットの急速な普及により、教室にコンピュータや携帯電話などのテクノロ
ジーがある姿はめずらしいことではなくなりました。しかしながら、これらのテクノ
ロジーが学習環境に統合され、人々の学びを支えているかといえば、全くそうなっ
ていないのが現状です。
その原因として、人はどのように学んでいて、どうすれば支援できるのかという原
理を意識せずにテクノロジーを導入していることがあげられるでしょう。このセミ
ナーでは、学習科学の第一人者が「人はいかに学ぶか」に関 する学習科学の知見を
援用しながら、ICTを導入して教育実践を改善しているケースをご報告いただき、学
びの場の構成において重要な原則を共有したいと思います。
事例は高等教育ですが、学習の原理そのものは子どもから大人まで共通したものが
多いですので、多様なフィールドに示唆が得られる研究会になると思います。ICTを
用いた学習環境に興味がある方は「必見」の研 究会です。多くの方のご参加をお待
ちしております。
企画責任者:山内祐平(東京大学情報学環/BEATフェロー)
―――――――――【第6回 公開研究会 概要】――――――――――――
■日時
2006年11月11日(土曜日)
午後2時より午後5時30分まで
■場所
東京大学 本郷キャンパス 工学部2号館北館 213大講義室
http://www.beatiii.jp/seminar/seminar-map26.pdf (定例会場と同じ建物の1Fです)
■定員
200名
(最近、BEATの公開研究会は〆切前に募集停止になることが多くなっています。お早
めにお申し込みください。キャンセルの場合は、お手数でもsato@beatiii.jpまで
メールをいただければ幸いです。一人でも多くの方に ご参加いただくため、ご協力
をよろしくお願いいたします。)
■参加方法
参加希望の方は、BEAT Webサイト
http://www.beatiii.jp/seminar/ にて、ご登録をお願いいたします。
■参加費
無料
■内容
●企画趣旨
pm2:00-pm2:10
山内 祐平 (東京大学)
【第1部】
●プレゼンテーション1
"The need to understand life-wide learning across contexts"
pm2:10-pm3:00
Roy D. Pea (スタンフォード大学)
(同時通訳がつきます)
休憩10分
●プレゼンテーション2
「大学における教員養成系プログラムの改革:知識構築共同体を目指して」
pm3:10-pm3:40
大島 純 (静岡大学)
●プレゼンテーション3
「大学生の協調学習とICT」
pm3:40-pm4:10
三宅なほみ (中京大学)
休憩10分
【第2部】
●グループディスカッション
pm4:20-4:50
(参加者の方にグループで話し合って質問を出していただきます)
●パネルディスカッション
pm4:50-5:30
メンバー
・Roy D.Pea
・大島純
・三宅なほみ
コーディネータ
東京大学 山内 祐平 (BEATフェロー)
※終了後、懇親会を開催します。カジュアルな会で、発表者と参加者が交流できるも
のですので、ぜひご参加ください。
2006.10.08
岡田猛・田村均・戸田山和久・三輪和久(編著) (1999) 科学を考える 人工知能からカルチュラル・スタディーズまで14の視点. 北大路書房, 京都.
この本は,「科学を科学する」ことによって科学を考えている本です.そしてタイトルにあるとおり,「科学を科学する」といっても,単一の視点からではなく,各章でアプローチが異なっています.
第一部は認知心理学,認知科学,人工知能,教育心理学のアプローチからなる計五章,第二部は図書館情報学,科学社会学・科学技術社会論,カルチュラル・スタディーズ,科学史のアプローチからなる計六章,最後の第三部は科学哲学のアプローチからなる計三章で構成されています.
大学院にいて「科学」とは無関係であるということはなかなか難しく,このブログを読まれる人の大半にとって,「科学を考える」というテーマをもつこの本は興味深く読めるのではないかと思われます.
しかしながら単に,多くの人にとって興味深いはずだからこの本を薦める,というわけではありません.
おそらく,山内研究室周辺においては,第一部は興味深く読めるだけでなく,学べることも多くあるのではないかと思います.
というのは,第一部には「科学する人」を研究対象とした研究が並ぶのですが,それでも研究手法の重複があまりみられません.認知心理学的実験,質問紙調査,参加型観察手法,インタビュー手法,計算機シミュレーションと,教育工学分野で用いられそうな研究手法のオンパレードです.
基本的な研究対象が共通していながら,その中での目的の差異によって研究手法が使い分けられている事例は,特にこれから修士研究を進めていくM1の方などには,自分にとって必要な研究手法を考える良い材料になるのではないかと思います(山内研究室の春合宿にはその目的がありますが).
もちろん,第一部だけ読めば十分というわけではなく,第二部,第三部も読む価値が十分にあります.
特に学際領域にいる人間には,第二部のジャーナルシステム・妥当性境界の話などは,重要な意味をもつのではないかと思います.
僕以外の方が読まれれば,また別の良さが見出せるのではないでしょうか.
ともかく,いろいろな味わい方のできる良書です.[北村 智]
2006.10.05
DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部(編・訳)(2005)動機づける力. ダイヤモンド社, 東京
雑誌「ハーバード・ビジネス・レビュー」の動機づけに関する論文を集めた本です。
最近、日本の企業でも動機づけへの関心が高まっています。モチベーションを専門とする会社もあるほどです。でも、心理学や教育学で蓄積されてきた動機づけに関する知見(知的好奇心や自己効力感の重要性など)は、案外、経営の分野には活かされていないように思います。その一方で、経営分野における動機づけの理論や手法も、心理学や教育学ではあまり知られていないのではないでしょうか。
そこで、経営における動機づけの動向を知りたい人にはこの本がお勧めです。2005年の出版ですが、ハーズバーグの「衛生理論」や、リビングストンの「ピグマリオン効果」など、一度は名前を聞いたことのある有名な理論に関する論文も読め、おトクです。
衛生理論とは、仕事に対する満足と不満足は、それぞれ異なる要因によってもたらされるものであることを指摘した理論です。労働条件や人間関係などの衛生要因は、それが悪化すると仕事への不満足につながります。しかし、衛生要因を改善しても、それらは仕事への不満足を軽減するだけで、仕事に対する動機づけとはなりません。仕事への動機づけとなるのは、こうした衛生要因ではなく、達成感や承認といったより高次の欲求なのです。ピグマリオン効果とは、「人は周囲から期待されたように振舞う」効果を表した概念です。仕事の生産性や動機づけは、マネジャーがその人に何を期待するかによって左右されるといいます。マネジャーが部下に、「高い業績を達成できる」という期待感を抱かせることができれば、その部下は仕事へのやる気を持って、本当に高い業績を達成できるというのです。
各理論の詳細は本を読んでいただくとして、この本には他にも、目標管理制度や部下を動機づけるリーダーの条件など、企業で社員を動機づける手法について論文が載せられています。そして最後には、実際のビジネス・リーダー達(HPのフィオリーナ会長やBMWのディレクターなど)が社員を動機づけるための知恵も、一言ずつ述べられています。
ところで、動機づけとは、そもそも科学の対象足り得るのでしょうか?この本でも、やる気を高める手法について様々な角度から科学的な検討を加えています。そして、部下の仕事へのやる気はマネジャーのマネジメントに拠る、というのがこの本の一貫した主張のようです。マネジャーは、部下に対して、やる気を引き出し高めるような接し方をする必要があります。もちろん、それにはコーチングなどの効果的な手法を学ぶ必要があるのでしょうが、最後のビジネス・リーダー達の格言を読むと、「偉大さに訴える」、「矜持を与える」など、科学的手法というよりはどちらかといえば信念のような言葉が並んでいます。結局のところ、人の動機づけを高めるには、コミュニケーションや属人的な知恵に頼らざるを得ない部分もあるのかもしれません。
とはいえ、そんな曖昧なテーマに、科学的、実証的に答えようとした研究者達の努力にはとても共感できる部分があります。このように、人の仕事への動機づけとは、一見科学的でありそうで実はそうでもないという境界に存在するテーマのように思います。だからこそ、多くの人の関心を惹きつけてやまないものなのかもしれません。その点で、「キャリア」の問題と似ているようにも思いました。
仕事へのやる気をいかに高めるかは、誰もが必ず直面する身近なテーマです。この本を読みながら、時にはちょっと立ち止まり、自分のやる気について「あの時やる気が出たのはこうだったのか」「あの人とではやる気が出なかったのは、こういうせいかもしれないな」と、考えてみるのも面白いと思います。[荒木淳子]
2006.09.27
エドワード・W・サイード(浅井信雄・佐藤成文(訳)(1981)イスラム報道.みすず書房,東京
異文化に住んでいる人びと・他者に対して、私たちが抱くイメージや知識は、どのように創られているのでしょうか?
例えば、映画やテレビで描かれ、ニュースで報道されるアラブやイスラムの人びとや世界から、私たちはどのような印象をうけているのでしょうか?
エドワード・サイードは、主著『オリエンタリズム』の中で、西洋の研究者やメディアが、長い歴史の中で、アラブやイスラムに対するイメージを、その実像とは関係なく作り上げ、ネガティブなレッテルを貼り、かえって事実を覆い隠してきたと膨大な資料から歴史的に分析・批判しました。
この『イスラム報道』では、「イスラム」を題材に、とりわけアメリカのマスメディアや研究者・専門家などが、イスラム世界の出来事をどのように研究・報道してきたかの綿密な分析と批判を行っています。イスラムを伝え解説する人たちがどのような権力や企業等との関わり合いを持っていたのか。どのような役割を果たしたのか。その渦中で「イスラム」はどう解釈され、知識が生み出されたか。
サイードは、人間社会に関するあらゆる知識が、自然界に関する知識と異なって歴史的なものであることを説きます。知識は人間の判断と解釈に基づくものなのです。解釈は、誰によって解釈されたのか、誰に対し、何の目的で、また歴史のどの時点でそれがなされたのか、ということに大きく関わっています。全ての解釈された事象は状況の産物なのです。
これは「イスラム」の問題に限った話ではありません。幅広い意味で「他者」に関して言えることなのです。そしてこの問いは、私たち自身にも跳ね返ってきます。
1981年に出版されたこの本は、インターネットが地球を覆い、多様に解釈された知識が様々なメディアを駆けめぐっても、今なお、大切な視点を与えてくれます。メディア・リテラシー、情報教育など、メディアと学びに関わる全ての人びとに、有益な古典です。[酒井 俊典]
2006.09.22
大学で学習をする上で,多くの人が悩み,格闘するのは統計ではないでしょうか.今回は,ちょっとテイストを変えて,学習に関する研究をする上で,質的研究を志す人でも,是非手に取っていただきたい(そしていつもそばに携えていただきたい)書籍を2冊紹介したいと思います.
●田中 敏,山際 勇一郎 (1992) ユーザーのための教育・心理統計と実験計画法―方法の理解から論文の書き方まで.教育出版.
この書籍で扱っている統計処理の範囲はちょっと狭いです.分割表・相関・重回帰・分散分析程度までしかカバーしていません.したがって,多変量解析やノンパラメトリック検定を志向する人にはちょっと不満があるかもしれません.
ですが,この本のミソは,次のようなところにあります.
1.初心者が取り扱いを間違いそうな尺度の違い(名義尺度/間隔尺度/順序(順位)尺度)にフォーカスをし,分析の際に注意できるように指南している点
2.事例を交えることによって,どのようなケースで当該の分析手法を利用すればよいかを分かりやすく説明している点.
3.論文においてどのように統計の結果を示せばよいか,文章記載例を示している点.
ある程度統計を使うようになっても,ぜひ参照したいのは第3の点です.論文に統計データを書く際によく参考にするのは,自分のテリトリーの学会論文誌だと思います.ですが,掲載された論文でも,読者にとって必ずしも十分に記載していない場合もあったりします(それは審査の結果ですからしようがないのですが).そんなときに,確認の意味を込めてこの本を手に取るとよいでしょう.細かい表現からきっと参考になります.
●森 敏昭,吉田 寿夫(1990) 心理学のためのデータ解析テクニカルブック,北大路書房.
この書籍がカバーしているのは,分散分析も三元配置まで,ノンパラメトリック検定や質的データの統計処理(ただし,数量化理論などの多変量解析までは踏み込んでいません)など多岐にわたります.行動計量学や数理心理学を専門としないのであれば,この一冊でかなりのことがカバーできます.
内容のテイストは,前述の「ユーザのための…」よりは2レベルくらいadvancedです.数式も書いてあり,一瞬ひるんでしまうかもしれませんね.ですが,単に数式を書いてあるだけでなく,その過程について,意味を十分丁寧に説明してくれているので,ちょっとまじめに読んでみると,とてもうれしい内容だということが分かります.近頃はSASやSPSS,Rをちょっと回せば大概の処理はできますが,何も勉強しないまま使うのはとても怖いことです.何をしてよいのか,何はダメなのかを真剣に考えるのには,数学が苦手でも十分理解可能な内容です.
とくに統計処理をするときに,各手法で「使ってはいけない場合」がありますが,そうしたことも丁寧に記述されていますので,初めて学ぶ人でもぜひ手元に置いておきたい,まさに「修論のお伴」な一冊です.
2006.09.15
仕事の中での学習 -状況論的アプローチ-
上野直樹(1999) 東京大学出版 シリーズ人間の発達9
-「状況論」というコトバを理解したいならこの1冊-
「認知科学」は、学習環境の設計をしようとする私たちに「学習」や「知る」という概念について、様々な知見を与えてくれる分野です。この本は、80年代の後半以降、その認知科学の中で大きなムーブメントとなった「状況論」についての概説書です。
この本では、例えば次のようなものを「実体」として捉えるのではなく、ヒトや道具やコトバやテクノロジーの関わりの中で相互構成されるものとして捉えていきます。
機能システム/コンテキスト/プラン/コミュニティ/“マクロ”な社会/発達や学習
上記のようなものたちは、その複雑な成り立ちゆえに、私たちがその姿を描けば、次の瞬間変質してしまうナイーブなものです。あるいは、研究者がシステムを変革しようという意図で設計した道具を持ちこんだところで、再びもととよく似たシステム等が構成されてしまうというような、堅固なものでもあったりもします。
そんな幻のような対象に対して、果たして設計という行為が従来通りの意味(設計者の優れた意図が実体としての現実を変革する)を持てるのか、あるいはそのような視点を経た後に、設計という行為はどうあるべきなのか。
ま、そこんところはヤヤコシイですが、「状況論」を知ることよって、我々が道具や環境と認知の関係についての非常に整理された見通しを得られることは間違いないかと思います。
2006.09.10
先週、ベネッセの福武会長の奥様のご招待を受けて、大地の芸術祭-越後妻有アートトリエンナーレ2006を回ってきました。
(お世話になったみなさま、本当にありがとうございました。)
以前からうわさには聞いていたものの、住民参加の現代アートイベントが本当に成立するのかと半信半疑だったのですが、想像以上にすばらしいものでした。
もちろん、作品もおもしろかったのですが、住んでいる人の関わり方に無理がなく、徐々に巻き込まれている様子が「正統的周辺参加的」で大変興味深いものでした。
写真の作品は、スーパーの袋を地元のお年寄りが花にして、廃校にかざっているものです。このような作品であれば、難解といわれる現代アートへの関わり方もかわってくるのではないかと思います。
あと、展示がそれぞれの地域の生活の場(学校や空き家)などに分散しているのがポイントだと思いました。プロデューサの北川フラムさんもおっしゃっていましたが、こうすることによって、自分の家の近くに、大量の観客が押し寄せ、「評価されている」という張り合いがでるのでしょう。
トリエンナーレですので、次は3年後ですが、3年後はじっくり時間をかけて回ってみたいと思いました。
山内祐平
2006.09.01
ここ最近の愛読書になっているのが、内田樹氏の「子どもは判ってくれない」というエッセイ集である。
これが、すこぶる面白い。
教養が無いと嘆くものには、問題は教養の不足ではなく、「教養が不足している」同時代人としか自分を比較しないことにより「自分たちには教養が不足している」という事実そのものが認知されないことを説く。
「人に迷惑をかけない」という「社会人として最低のライン」だけを守ればいいだろう、という"正論"に対しては、自分自身に「社会人としての最低ライン」しか要求しない人間は、当然だけれども、他人からも「社会人として最低の扱い」しか受けることができないのだと切り返す。
職業選択というのは「好きなことをやる」のではなく、「できないこと」「やりたくないこと」を消去していったはてに「残ったことをやる」ものだと考え、自分が何かをやりたくない、できないという場合、自分にそれを納得させるためには、そのような倦厭のあり方、不能の構造をきちんと言語化することが必要だとする。それは難しいことだが、「だっせー」等と単純な語彙で己の嫌悪を語ってすませることができる人間では、「好きなこと」を見出して、個性を実現するなどできないことだと主張する。
こんな風に、物事に鋭く切り込むことができたら・・・。
眠りにつく前、僕は、いつもほんの少しの嫉妬と焦燥を感じることを正直に吐露せざるをえない。
2006.08.25
学校がキライだった僕に、研究者になりたい、よりよい学習とは何かを考えていきたいと思わせた、僕の原点でもある1冊です。未だに悩むとこの本を手にとります。もっと勉強して、こんな本に沢山出会いたい、願わくばこんな本を死ぬまでに1冊でいいから書いてみたい、そう思わせる本なのです。
この本の主張は単純です。世の中には、沢山の"賢い学び"が存在し、ひとは誰でもが賢く学んでいる、という当たり前の事実を明らかにすること、だと言えるでしょう。
このために著者らはまず、世の中に広く信じられている"伝統的学習観"の存在を明らかにしていきます。私たちは知らず知らずのうち、"伝統的学習観"を支える前提、"学び手は受動的な存在"であり"学び手は有能ではない"という考えを受け入れてしまってはいないでしょうか。これまでの心理学的な知見もまたそれを裏付けるような証拠を出してきました。
ところが、一旦研究室の外に目を向け、普段私たちが何気なく行っている学びを考えてみると、その前提が大いに疑わしいことは明らかです。
人は世界を整合的に理解する為に、積極的に世界へと働きかけ、必要とあらば周りの環境を組み替え、自分ひとりではなく人とのインタラクションの中で能動的に学んでいくことが、様々な事例を通して明らかにされていきます。
ともすれば"伝統的な学習観"に立ち戻ってしまう僕に、より良い学びがあるよと、そっとささやいてくれる、そんな1冊です。
稲垣佳世子, 波多野誼余夫 (1989) 「人はいかに学ぶか」 中公新書
2006.08.17
<おすすめのポイント>
ヴィゴツキーが大事そうだなあと思いつつも、一歩が踏み出せない方へ。
だいたい知っているけれど、詳しく話せと言われると「ドキッ」とする方へ。
一応全体像をつかんでおきたいと思う方へ。
<書評>
山内研夏合宿シリーズで扱った流れにのせて、ヴィゴツキー本を紹介しておこうと思います。本当はもう少しヘビーな本を紹介して「おっ」と思わせたいのですが、入門本でごめんなさい。しかし、一歩目を踏み出すという意味では全体が網羅されていておいしい本ではないかと思います。
内容はというと、ヴィゴツキーの生涯、発達の最近接領域、彼のアイデアを生み出すことになった時代背景などなど、ほぼ全体を網羅しています。私は彼のアイデア自体は知っていたものの、その時代背景や彼がどんな人物であったのかということを知るという意味でとてもためになりました。
当然この一冊でヴィゴツキーを知ったというのは難しいです。ピアジェとの関連は述べられていますが、彼が批判された点、さらには彼の後にどんな人が育っていったのかという詳しい点はのっていません。しかし、全体像をつかむことはできると思います。インデックスを作るという意味で、一度読んでおくといい本ではないでしょうか。
ヴィゴツキーを勉強したところでただちに自分の研究が進むというようなものではないかもしれませんが、こうした人物について知っておくことは基礎的な体力づけに最適かなと思います。夏にじっくりヴィゴツキーと向き合うというのもなかなかオツな過ごし方と言えるのではないでしょうか。
ちなみに関連する話が、BEATのメルマガで説明されています。
BEAT -Beating Back Number-
http://beatiii.jp/beating/014.html
[舘野泰一]