2016.10.20

【Research Plan】Community Building for xMOOC in Post-MOOC Era

Hi everyone! This is M1 Zhou Qiaochu from China. I start my master in ITASIA program at the University of Tokyo this fall and am lucky to be at Yamauchi Laboratory with all of you.

I graduated in 2016 with B.A. in Teaching Chinese as a Foreign language. It was my internship in an International School and the popularity of our generation utilizing the online learning that aroused my great interest in MOOC studies. Having been to the seminar twice after enrollment, I am really inspired by the diversity of research fields in our laboratory. I will also exert myself for the research.

【Overview】

Stepping into the post-MOOC era, xMOOC where the x stands for extended (as in TEDx, edX) is expected to gain more momentum than cMOOC. It is revolutionizing the way the knowledge is distributed. However, xMOOC has encountered several impediments, most notably, an excessive dropout rate, less effective results and the lack of specific and effective teaching structure. My study, then, will consider the effectiveness of community building in online courses to address some of these problems.

One tentative answer can be, not everyone can learn in a purely digital environment. In other words, technology will not automatically afford specific learning outcomes. The most important thing that helps students succeed in an online course can be the interpersonal interaction and support. The "empathy" theory by Holmberg was among the earliest attempts to stress emotional affordance in distance education. Now, even more powerful influence between participants on the creation of empathy in MOOCs, the community, is garnering attention.

As for community in xMOOCs, it does have direct correlation with emotional effects and improved completion rate. With interaction online or offline, learners find a sense of belonging. Because there is non-academic or social side in the learning processes, to reinforce group membership, being perceived as an in-group member, making MOOC a connectivist learning platform where interactions among participants are the pillar of knowledge creation. Ultimately, for best results, it should be community of learning and community of practice.

【Focus and Goal】

The specific focus of my research is the importance and thus improvement of community support in the virtual learning environment especially with the following questions. First, to what extent can community support improve xMOOC effectiveness? Second, to what extent will a balance between online and offline community building efforts improve xMOOC effectiveness? Third, what features of social interaction are currently absent from xMOOC? Fourth, in what ways, if any, will building online community be potentially counterproductive?

The ultimate goal of this research is to explore possible answers to the above questions, with sample from established online international education sites such as edX, Coursera, Udacity and other major Chinese xMOOC sites as well as representative individual surveys. I wish to fulfill the goal during my two years master. Also, I would improve my Japanese to get better understanding for everything here. 皆様、これから宜しくお願い致します!


【Zhou Qiaochu】

2016.10.10

【山内研っぽい1冊】『インターネットの子どもたち』

こんにちは!修士1年の林です。
10月に入って、天気もどんどん涼しくなってきましたね。キャンパスの中にも銀杏の匂いが漂っていて、秋の到来を感じました。
日本では、読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋......色々ありますね。みなさんは、どんな秋を過ごしていきますか?(ちなみに私は食欲の秋が一番好きです。)

さて、今回のブログのテーマは【山内研っぽい一冊】ということです。
このシリーズでは鞄の中に入っていたら「もしかして山内研の人ですか?」と言われてしまいそうな1冊を紹介するシリーズです。今回私が紹介したいのは『インターネットの子どもたち』という本です。

著者は認知科学者の三宅なほみさんです。他にも、『学習科学とテクノロジ』、原田先輩が紹介した『教室にマイコンをもちこむ前に』など、学習とテクノロジに関する本を編著していました。
本書は1997に出版されました。私はまだ保育園に通っていて、インターネットの普及が始まった時代です。子どもたちの学びや遊び、コミュニケーションなどがインターネットの普及によって、変化し始めました。そんな現状を報告しつつ、どうしたら子どもたちがコンピュータを自己表現のための創造的メディアとして使いこなせるようになるかを考えるのが本書です。


本書の7つの章で構成されています。読んで特に興味深い感じる章を紹介していきたいと思います。

第2章「インターネットで学びが変わる」は、認知科学の観点から、インターネットが学ぶことにもたらす変化について議論しています。
「人が持っている知というものも、一人の頭の中に何がどれだけ詰め込まれているかでその質が決まるのではなくて、どんな時にどれだけ引き出せるか、引き出して結果がどれだけ他の人の知と相互作用を起こしてよりよく変われるか、というような側面が大事だということになってきつつあります。(p.40)」
このような「知のネットワーク」という見方は、今の私たちに対しては当たり前のことではないでしょうか。協調学習における知識共有、知識構築などの過程は、インターネットのおかげでより簡単にできるようになってきます。
したがって、このような情報化時代に求められる能力も変わりつつあります。情報を覚えることよりも、情報をいかに手に入れ、活用し、さらに他人と伝え合うかの能力が大事になってきます。

第5章「インターネットで英語を学べるか」は、英語教育のあり方とその真実性(authenticity)について議論しています。自分の研究テーマにも関係ありますので、興味深く読みました。
ネットで英語教育といえば、書いた英文文章を送ると添削してくれる「文法教室」のようなものはネット上にたくさんありますが、それより、実際のコミュニケーションが生まれることが期待されています。
「英語教育に真実性を持たせるためにインターネットの役割が期待されています。......インターネットが利用できれば、本物のコミュニケーションのための英語が教室に居ながらにして学べるではありませんか。(p.123)」
そして、著者は英語教育に「足場かけ」という考え方を持ち込むと、英語教育観はまた変わると述べました。インターネットを利用し、自分が興味を持っているテーマのプロと英語でコミュニケーションを取ることになったとしましょう。その場合は、自分の英語がちょっとおかしくても、おそらく向こうがプロだからわかってくれるでしょう。それで情報交換ができるのです。このようなプロセスを繰り返すことによって、その領域に関する用語には強くなるでしょう。「これは、この教育実践の場が、先に問題にした真実性を大事にしていればなおさらそうなるはずです。......教育の場の真実性は増し、豊富で質の高い手助けを大量に与えられて、学習者はどんどん英語でのコミュニケーションが得意になっていくはずです。(p.128)」
私自身の経験から言うと、日本に来る前に日本語は喋れますが、教育工学に関する専門用語はまったく知りませんでした。そして、日本に来てから、ゼミに参加して、研究室のメンバーたちと教育について議論する中で、自分の語彙量が増えたと強く感じています。インターネットの環境で、海外に行かなくても世界中の専門家と話すことができるから、真実性のあるコミュニケーションが取れるのではないでしょうか。

この本はおよそ20年前の本ですが、その中の考え方は今日読んでもすごく心に響きました。まさに予言みたいに、本の中に書かれたように、インターネットで私たちの学びは大きく変わりました。MOOC、SNS、アプリなど、たくさんの学習メディアが溢れているこの時代、これから学びはどう変わっていくのを楽しみにしています。


【林怡廷】

2016.10.04

【山内研っぽい1冊】佐伯胖『理解とは何か』

ブログ更新がすっかり空いてしまい、失礼をいたしました。
大学院は8月9月が夏期休業期間で9/26から秋学期が始まっています。私たち修士1年の学生は自分の研究に加えて8月〜9月上旬:夏合宿とそれに向けた準備(フィールドワークの調整、古典の読み込み)、9月中旬:学会への参加 といった形で夏休みを過ごしました。その様子も機会があればぜひ紹介したいと思います。
皆さんはどのような夏を過ごされたでしょうか...?


さて、残すところわずかとなってきた「山内研っぽい1冊」。
このシリーズでは鞄の中に入っていたら「もしかして山内研の人ですか?」と言われてしまうような1冊を紹介しています。今回は認知科学者の佐伯胖氏が編集し、各分野の著名な研究者が執筆している『理解とは何か』をご紹介します。


---


「理解できた?」と当たり前のように私たちは「理解」という言葉を使いますが、「理解している」とはどういうことか...?
実はかなり難しい問題だということに、本書のタイトルを見た瞬間に気付かされます。そして本書を読み終わった後に「理解とは何か」ということに対する明確な答えを手に入れることは残念ながらできません。


本書は5章から成っています。
様々な専攻の方が「理解」について語る、認知科学寄りながらもやや学際的な構成です。


1章は科学思想を研究されている村上陽一郎氏。
これまでの科学において「理解」がどう作られ、どう変わってきたかを紹介します。新しい科学的発見がそれまでの常識をひっくり返す瞬間を考えてみると、理解はその時々の状況に依存するのではないか、という問題提起がされます。


2章では代数学の研究者で数学教育に取り組まれた銀林浩氏が、算数・数学が「できる」ことと「わかる」ことの関係について論じます。
小学校低学年の子どもは「できる」ことを重視するが学年が上がるにつれて「わかる」ことが気になってくる。それらは人が物事をどうイメージするのかと関連しているのではないかと言います。


3章担当は認知科学、学習科学の研究者三宅なほみ氏。
彼女の博士論文を元に人の理解がどう作られ、どう揺さぶられて再構成されるか、理解の過程で他者がどのように関わっていくかが細かく描写されています。


4章は米心理学者マイケル・コール氏による「書くことの起源」や「アルファベットの習得」から見た理解の話です。
IQは通常なのにアルファベットが理解できない子どもの事例を通じて理解の多様性について探ります。


5章は編者佐伯胖氏が、理解の研究史を紹介します。
「理解」の研究はピアジェの頃から始まったとされますが、その後知識・思考・行動といった様々な概念が下支えとしてあってようやく初めて理解の研究が出来るようになったと佐伯氏は指摘します。また「理解」しているかをどのように測るかも長年の課題として残っていると言っています。


このように、「理解」という私達が何気なく使っている言葉でも、
 ・真正面から迫ることは実は難しく
 ・様々な先人たちの努力があって初めてその意味が少しづつ見えてくる
 ・そして研究が進んだからといって「理解とは何か」の答えは分からず逆にますますよくわからなくなっていく、

ということがこの本を読むとじわじわと伝わってきます。
「理解」って奥深い...(月並み)


---


山内研が専門とする領域の一つに教育工学という分野があります。
教育工学は学習活動に対する支援を行うことが重視されますが、それと同時に研究としてそれを成り立たせることが重要です。


研究を行うにあたって求められることの一つに「用語・概念をきちんと定義する」ということがあります。今回取り上げた「理解」もそうですが、他にも「学力」や(自身の研究の場合では「学び方」など)とは何か?を説明する必要があります。
そうした用語を説明しようとすればするほど、理解しようとすればするほど分かったような分からないような気分になっていくものだ...ということを感じる毎日です。


そうした研究の厳しさ、楽しさを感じるのに(勿論、理解とは何かを考えるのにとても良い本です)オススメな1冊です。


【根本紘志】

2016.09.03

【山内研っぽい1冊】『民主主義と教育(上)』

こんにちは!修士1年の花嶋 陽です。
夏休みは、結局海にもプールにも花火にも行けず、気付いたらあと半分しかないという事実に、世の中の侘び寂びを感じる今日この頃です。
やりたいことがありすぎて、逆にどれも選べず何もできないという摩訶不思議ワールドから脱兎のごとく脱出することができるよう、妥協せず蛇行せず、現状を打破していきたいと思います。

さて、今回のブログのテーマは【山内研っぽい1冊】ということで、カバンに忍ばせていたら「山内研かな?」と思われるような1冊を紹介するというシリーズです。山内研っぽいということで同輩・先輩方が「学習環境」に関連した書籍を紹介している中、天邪鬼の私は少し変化球で臨みたいと思います。というのも「多様性」もまた山内研の特徴では?というテーゼを示さんがためです。決して合宿での学者レビューの参考資料を使い回ししているわけではありません。

ということで、私が紹介するのはJ.デューイ著作の『民主主義と教育(上)』という本です。
デューイは言わずと知れた19世紀後半〜20世紀前半のアメリカにおける哲学を支えた巨頭の一人です。彼は、あらゆる知識や観念は、疑わしい状況や不確かな状況の中での問題を解決する仮説として機能し、実際に「試みて」、その有効性を「検証する」ことによって確かな知識や観念を獲得するということを唱えました。そして、このような認識論に基づいて教育に関しても様々な理論を提唱しており、その内容は現在でも「経験学習」などの形で受け継がれています。

さて、今回この本をご紹介している理由は、「なぜ勉強しなければならないのか?」という誰もが答えに窮する問いについて考えるのに役立つと思ったからです。

というのも、「なぜ勉強しなければならないのか?」という問いについての思考はいくつかの前提が無意識のうちに滑り込んでいます。すなわち、教育とは何で、学校とは何で、学ぶとはどういうことかということです。しかし、それらの前提は所与ではなく、作り出されたものであり、時代によって異なります。それらの前提を問い直すことで、自分の思考を相対化し、それによって自分の思考をより客観的な根拠の上に構築することができるはずです。
そういった諸前提を問い直す上での視座を与えてくれるのがこの本です。前置きが長くなりましたが、この本の中で印象に残った文章を抜粋してご紹介としたいと思います。

「学校教育の目的は、成長を保障する諸能力を組織することによって教育の継続を保障することだ、ということである。生活そのものから学ぼうとする意欲、そして、すべての人がその生活の過程で学ぶことになるように生活の諸条件をととのえようとする意欲こそ、学校教育のもっとも立派な成果なのである。(p.89)」

「教育とは経験を絶え間なく再組織ないし改造することである、(中略)経験のどの段階でもその段階において実際に学びとられたものこそがその経験の価値を成すのだという意味で、(中略)幼児期も青年期も成人の生活もみな同様の教育適齢段階にあるのである。(p127)」

「ニュートンが彼の引力理論を思いついたとき、彼の考えの創造的側面はその資料の中には見出されなかった。それらの資料は、よく知られているものであって、それらの多くは平凡な事ー太陽、月、惑星、重さ、距離、質量、数の平方ーだったのである。これらのものは独創的な考えではなくて、それらは確証されている事実だったのである。彼の独創性は、これらのよく知られている知識を、未知の関係の中に導入することによって、利用したことにあったのである。(p252)」

観念も、観念として、ある人から他の人へと伝達することは決してできない、ということである。それが語られるとき、それは、語られた人にとっては、もう一つの与えられた事実なのであって、観念ではないのである。(中略)問題の情況と直接に取り組み、自分自身の解決法を捜し、見出すことによってのみ、彼は思考するのである。(p254)」

今日、教育環境はその「目的」においても「手段」においても大変革の時期にあります。
そのような中で我々は、目新しさ、「学習効果」、経済性といったものに目を奪われて、その「本質」を見失いがちです。
マクロにおいてもミクロにおいても、子供達の学習環境を整える上で、
「学びとは何であるか、そしてどうあるべきか。」
についての信念を持たねばならないのではないかと思っております。

【花嶋陽】

2016.08.16

【山内研っぽい1冊】『子どものUXデザイン ―遊びと学びのデジタルエクスペリエンス』

こんにちは!修士1年の江﨑 文武です。厳しい暑さが続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?
私は夏期休業に入って間もなく、出張で3週間ほどルーマニア / ドナウ・デルタとインドネシア / バリに滞在しておりまして、2日前に帰国しました。

さて、今回のブログのテーマは【山内研っぽい1冊】ということで、カバンに忍ばせていたら「山内研かな?」と思われるような1冊を紹介するというシリーズです。私が紹介するのは『子どものUXデザイン ―遊びと学びのデジタルエクスペリエンス』という本です。

これは、私が現在スタートアップで取り組んでいる幼児向け知育・教育アプリケーション開発、また、修士で研究したいと思っている「幼児向け教育・知育アプリケーション開発のデザイン」に直結する内容で、デジタル社会における子どもたちの学習環境のUX(ユーザーエクスペリエンス)について、ピアジェの認知発達理論をベースに、実践的指南となるような事例が紹介された、たいへん読みやすい本です。

------

生まれた時から周りを「画面」に囲まれて育つデジタル・ネイティブ。
そんな子どもたちに、豊かなディスプレイ体験を届けるためにはどのようなデザインが必要なのか?
本書は、20世紀において最も影響力の大きい心理学者の一人であるジャン・ピアジェの認知発達理論をベースに、子ども向けのデジタル製品(アプリ、ウェブサイト、ゲームなど)の作り方のキモを具体的に解説する一冊。

4つの発達段階―感覚運動段階/前操作段階/具体的操作段階/形式的操作段階―をさらに2歳刻みに分けて論じ、すぐに成長して年齢の境界線をまたいでいく子ども特有のニーズについて、より効果的に対応できるようにした、具体的で実践的なアドバイス集。子ども向けデジタルプロダクトの製作に関わる開発者やデザイナーまたは教育関係者必読の内容。原書はRosenfeld Mediaの『Design for Kids: Digital Products for Playing and Learning』。

著者のデブラ・レヴィン・ゲルマンは、インタラクションを伴う子ども向けメディアのライターであり、リサーチャー、デザイナー、ストラテジスト。PBS Kids、Sprout、Scholastic、Crayola、NBC Universal、Comcastなどのクライアントとともに、子ども向けのサイトやアプリ、仮想世界を制作してきた。『USAトゥデイ』紙の「ベストベット賞」を受賞した『プラネットオレンジ』―小学生およびその教師と親をターゲットにした、お金に関する基礎知識を教えるサイト―では、リサーチとデザインの中心的役割を担った。 デザイン事務所や社内デザイン部門に所属して腕を磨き、その後、EPAM社で、デジタルストラテジー&エクスペリエンスデザインのチームを立ち上げに参画。現在は、このチームのユーザーエクスペリエンス部門のディレクターを務める。また、WebVision や、IA Summit、IxDA、US Lisbon、UXPAなどのカンファレンスで頻繁に講演をおこない、ワークショップを開催するほか、『A List Apart』や『UXマガジン』誌への寄稿も行っている。

------

最近では2, 3歳児でも器用にスマートフォン/タブレット端末を扱えるようになっていることに加え、小学生にもなれば、動画編集、画像編集、音楽制作などもそれらの端末上でこなせる場合が多いようです。私の知人のお子さん(3歳)は、タブレット端末の操作法をいつの間にか親から見よう見まねで学び、最近では、自分の好きな海外のアニメーションをアルファベットをタイプしながら動画共有サイトで器用に検索、視聴できるようになっていたと言います。私たちが思っている以上に、現代の子どもたちは早い段階でデジタル環境に順応し、また、それらから多くを学んでいるのかもしれません。本書は、そんな新世代の「学習環境」を考える上で欠かせない一冊なのではと思っています。

それでは次回もお楽しみに。

【江﨑文武】

2016.08.02

【山内研っぽい1冊】『教室にマイコンをもちこむ前に』

 皆さん,こんにちは.修士2年の原田です.
 今回のブログのテーマは【山内研っぽい1冊】です.鞄に忍ばせていたら「もしかして、あなた山内研ですか...?」と言われてしまいそうな1冊を紹介するというシリーズです.山内研究室のメンバーは山内研究室に関心を持ったきっかけも学部時代の専攻もバラバラです.そんな山内研究室に山内研っぽさを感じるとするならば,杉山くんも書いてくれたように共通して「学びを支える環境(空間・活動・共同体・人工物)をどのようにデザインすれば学習を有効に支援できるのか?」に関心があるところだと思います.また,山内研究室に関心を持ってくれる人を思い出しても,学びを支える環境に関心がある人が多かったという印象を受けます.
 本年度の入試は7月14日に受付を終了しました.そのため,最近は研究室に訪問してくれる人も減りましたが,4月や5月は多くの受験生が研究室に足を運んでくれました.そのなかで私は情報工学部出身ということもあり人工物の開発に興味があるため,同じように人工物をどのようにデザインするかに関心がある方と意見を交わす機会が多くありました.「ゲームを利用した教育方法に興味がある」という人や「スマートフォンを利用した教育に感心がある」という人など人工物と言っても関心は様々です.一方で,Twitterを眺めたりWebを検索してみると,新しい教材やテクノロジーが次から次へと多く開発されていることがわかります.そんな情報の波に埋もれないように,「どのような教育的議論が学びを支える人工物に関してなされてきたのか?」について少し立ち止まって考えてみたいと思います.
 そこで4回目となる今回は「人工物」ここでは特にコンピューターにまつわる議論が書かれた「教室にマイコンをもちこむ前に」という本を紹介したいと思います.編著者は建設的相互作用でおなじみの三宅なほみ先生です.出版されたのが1985年ですので私の生まれる前に出版された本になります.ではいったい1985年はどのような時代だったのでしょうか?
 いろいろな文献を見てみると,コンピューターを教育に利用しようとする試みが国内国外を問わず広がりつつあった1980年代だったと感じます.例えばSeymour Papertによる「Mindstorms」が出版されたのは1980年になります(Papert 1980).Mindstormsではプログラミング言語LOGOを利用して子供たちが絵を書きながら数学について理解を深めていく様子が描かれています(詳しくは過去の記事).また日本でもこの時期にコンピュータ教育がはじまり,コンピューターをはじめとする教育機器が学校に導入されることになりました(佐伯 1992).つまり,プログラミング教育をはじめとするコンピューターを利用した新しい教育が夢見られ模索され,そして実践されてきた時代だったのでしょうか.
 一方で,1985年前後のプログラミング教育研究を眺めてみると,プログラミング教育の効果について調査する実証的な研究も行なわれていたことがわかります.例えばLOGOとCAIを比較しながら効果を検証したClements and Gullo 1984,プログラミング教育で向上すると考えられていたプランニングの能力について検証したPea and Kurland 1984,5歳児の学習過程を丁寧に追った子安 1987の研究があります.これらの研究ではプログラミングの効果が認められた結果が報告された一方で,思い描いていたような効果が出ないという結果も報告されました.
 そんなコンピューターを利用した教育に多くの注目が集まっている1985年にこの本が出版されました.少しだけこの本の内容に触れると「子供たちの目標(やりたいこと)と教師の目的(やらせたいこと)をどのように関連付けるか?」についての議論が2章3章でなされています.デニスニューマン(2章)および波多野(3章)は両者とも「学び手の主体性」を大切にしながらも,教師の役割の重要性についても主張し,「構成主義が伝達主義にならないよう教授者が歯止めをどこに設定するか?」について議論を進めています.一方で,6章では戸塚によって,小学校での「ヒマワリの成長をLOGOでシミュレーションして追いかけようとした試み」や「LOGOで図形を描くことで数学に対する理解を深めていった実践」など実践的な報告がなされています.

「私にとって、教育におけるコンピュータの役割を考えるということは、コンピュータを使っていかに効率よく教育するかを考えることではありません。それはコンピュータというシンボル操作システムを使うと、どのような新しい「教え方」「学び方」ができるのかを考えることでなければならないと思います。そして、そのような新しい「教え方」「学び方」の可能性を探ることそのものが、私たち自身の「教えるとは何か」「学ぶとは何か」という問いに対する答えを深めていくようなものでなければならない、だから、私達はコンピュータを問題にする必要があると思っています。」(三宅 1985 p.1)

 この本の第1章で「なぜコンピューターを問題にするか」について三宅先生が書かれた内容です.
 それから30年が過ぎて2016年になりました.上でも述べたように確かに当時より安価で高性能なコンピューターを手に入れることができるようになりました.また様々な教育用ツールも開発されています.コンピューターをつかうといったいどのような新しい学びが支援できるのか?コンピューターを導入するときにはいったいどのようなことを考えないといけないのか?今後,私自身がコンピューターの導入が有用だと考えるようになるにせよコンピューターの教育利用は早過ぎる有用ではないと考えるようになるにせよ,もしこのような教育的議論や授業実践に目を向けないならば,「学ぶとは何か」そして「学びを支援する環境はどのようなものか」に対して理解を深めることはできないのだと感じました.

「もしかして、あなた山内研ですか...?実はコンピューターと教育の関係について興味があるんです」と話しかけられたら,この本を元に対話できればよいなと思います.

・三宅なほみ (1985) 教室にマイコンをもちこむ前に 新曜社
・Seymour Papert (1980) "Mindstorms" Basic Books
・佐伯 胖 (1992) コンピュータで学校は変わるか 教育社会学研究
・Clements, D. H., & Gullo, D. F. (1984)Effects of computer programming on young children's cognition. Journal of Educaitonal Psychologoy
・Pea, R. D., & Kurland, D. M. (1984). Logo Programming and the Development of Planning Skills. Technical Report No. 16.
・子安増生 (1987) 幼児にもわかるコンピュータ教育 ーLOGOプログラミングの学習 福村出版

原田悠我

2016.07.31

【山内研っぽい1冊】『デジタル社会の学びのかたちー教育とテクノロジの再考』

皆さんこんにちは。
やっと関東でも梅雨が明けましたね!夏は受験の天王山と言いますが、M2にとっても「修論の天王山」と言えます。27日には情報学府の中間発表を終え、いよいよ本格的に調査に踏み出そうとしている今日この頃です!
ちなみに29日は夏学期のゼミが最後だったので納会がありました♪おいしいお肉をたらふく食べて最高に幸せな気分でした!!

さてさて、今回のブログのテーマは【山内研っぽい1冊】ということで、カバンに忍ばせていたら「山内研かな?」と思われるような1冊を紹介するというものです。今回私が紹介するのは『デジタル社会の学びのかたちー教育とテクノロジの再考ー』という本です(https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784762827907)。これは私が修士1年生でホームスクーリングについて文献を読んでいたときに教えてもらった本で、教育の新たな可能性について考えるための手がかりとなった1冊です。

***
デジタル社会と言われる今、どのように教育はあるべきなのでしょうか?
ーこの問いに対して真摯に向き合い、答えようとしているのが本書です。

これまで私たちの中では学びは学校で起こるものだと認識されてきました。産業革命以降、学校での教育は指導要領として決められていることを教え、学ばせることに徹してきました。どれだけ時代が変化しても、フォーマルな学習環境は変わらずに在り続けてきたのです。

しかしながら、新たなテクノロジはそのような学校教育の在り方に疑問を投げかけています。

社会では、学習というものが生涯を通じた営みだと認識され始め、インフォーマルな場ではすでに新たな教育制度が芽生えているのです。本書では【生涯学習、ホームスクーリング、職場での学習、遠隔教育、成人教育、ラーニングセンター、教育向けのテレビやビデオ、コンピュータを用いた学習用ソフト、技能資格、そしてインターネットカフェ】などをキーワードとし、その中でテクノロジが一人ひとりの学習者の関心やニーズ、学習スタイルに合わせた学びを支援してきたことを指摘しています。

そのような状況を受け、著者らは学校教育で築かれてきたものと学校外で築かれつつあるものを改めて捉え直すことで、始めの問いに答えようとしています。

具体的な本書の構成としては、まず初めに様々な研究や理論、事例を紹介しながら教育にテクノロジを取り入れてくことに対する推進派の意見と懐疑派の意見についてそれぞれ検討し、テクノロジと学校教育の間にいかに深い溝があるかを論じます。続いて、その溝が出来上がってしまった背景として、「学校教育制度の歴史的発達」と「学校外の学習機会の拡大」というフォーマル・インフォーマル両方の観点から丁寧に説明をしています。そのように学校教育の発達を歴史的に捉えることで、公教育にしか果たしえない役割や価値があることに気付き、その視点を持った上で学校外の新たな学びの芽に着目することで、テクノロジが学習にもたらしうる新たな可能性に気が付きます。両者がうまく折り合いをつけていくことが、全ての人にとっての充実した学習機会を保障することにつながるというわけです。それらを全て含め、最終章では「教育とはどうあるべきか」という問いにもう一度向き合い、考えていきます。

***
これだけ時代が変化していく中で、私たちがこれまでに受けてきた教育のイメージを未来の教育の姿にそのまま当てはめて考えることはできません。教育現場の「今」を知ると同時にこれからの教育の可能性について考えるためのヒントがこの本には詰まっています。

それでは次回もお楽しみに。

【長野香織】

2016.07.21

【山内研っぽい1冊】生田久美子(2007[1987])『「わざ」から知る』

 M2の杉山です.前回より【山内研っぽい1冊】というテーマでブログをお届けしています.鞄の中に忍ばせていたら「もしかして、あなた山内研ですか...?」と言われてしまいそうな1冊を紹介していきます.今回私が紹介するのは,生田久美子(2007[1987])『「わざ」から知る』です.

 山内研っぽいとは何か,私が考えるのは単に学習や教授ではなく学習「環境」がテーマであることです.すなわち,どこで(空間)・誰と(共同体)・何をする(活動)中で学習が起きているのか,に関して自覚的であることです.学校や教室での学習を扱うのならば,学校というのはどういう現場なのか.あるいは前回のブログで紹介された「インフォーマル学習」ならば,ミュージアムや会社,ワークショップまで,それぞれの環境の特徴は何なのか.それを考えた上で,生起している学習について記述したり支援をしたりするのです.だからこそ,社会や文化について問題にしている情報学環のお隣の研究室たち――社会学やメディア論,カルチュラルスタディーズ――と,環境という共通項において議論する基盤が生まれるのだと考えています.

 学習「環境」に自覚的である際に,私が最も重要だと考えているのが「学習することの意味や価値は何か」を問うことです.あることを知ること,あることができるようになることがどういう意味をもつのかは,学習者が置かれた環境によって異なります.上手くラップができることは,学校の授業においては全く価値がないかもしれませんが,休み時間やストリートにおいては多くの称賛を集めるかもしれません.これはいわゆる「状況的学習論」の問題ですが,そもそも学習について研究をしようとする人すべてにとって,自らの研究の意義を説明するうえで欠かせない視点です.

 生田久美子(2007[1987])『「わざ」から知る』は,まさにその点に気づかせてくれる本なのです.本書は日本の伝統芸能や武道において,入門者が「わざ」を習得していく過程を記述したものです.ですが,本書はただ「身体的技能」の獲得を問題にしたものではありません.そうではなく,「わざ」を身につけることとは,師匠や先輩の模倣からはじめて,その芸事の世界が有している価値観や意味が分かるようになることなのです.「世界全体の意味の把握とは,自らが潜入している空間に存在する有形,無形の事柄の意味連関を身体全体を通して把握することであり,また学習者は自らが模倣しているところの『形』の意味をその連関の中で実感していくということなのである」(p. 88)と著者は書いています.日本舞踊なら日本舞踊,長唄なら長唄の世界独自の意味や価値を見出していくことこそ学習であり,またそれがあるからこそ身体的技能の獲得も意味をもつのです.

 本書が提示した学習の見方は,決して伝統芸能に限定されるものではありません.私たちがどこかにいるとき,誰かと一緒にいるとき,何かをしているとき,私たちは何らかの世界に位置づいているはずです.学習することは,その世界に学習者がどのように出会うかによって意味をもつのです.これを自覚的に研究をしていくことは,学習「環境」をテーマにする山内研っぽいものだと思います.

【杉山昂平】

2016.07.19

【山内研っぽい1冊】『インフォーマル学習』

暑い夏がやってきていますね!みなさまいかがお過ごしでしょうか。
夕方から夜のゲリラ豪雨がときたまあるので、いつもビクビクしながら帰路についているM2の青木です。

ーーーーーーーー
今回から、新しいテーマ、【山内研っぽい1冊】が始まります。
鞄の中に忍ばせていたら「もしかして、あなた山内研ですか...?」と言われてしまいそうな1冊を紹介するということだそうです。過去には、【山内研の必読図書】というテーマがあったようですが、ここよりは少しライトな書籍でもよいということです。

といいつつも、一発目の私は、ライトな本というよりも、学術書を紹介したいと思います。
それは教育工学選書シリーズの、『インフォーマル学習』です!

山内研は、他の教育工学の研究室に比べるとインフォーマル学習を研究している人が多いのではないかと思います。
編著者も山内先生ですので、山内研っぽい一冊になるかと思います。

学習ときくと、学校での学習が一番に思いつきますが、そういった公的に設計された学習以外にも、わたしたちは、日々博物館やイベントに参加したり、オンラインコンテンツを読んだり、働いたりしながら学んでいます。そういった公式の学習以外の学習形態を、広義のインフォーマル学習と呼びます。

近年は、こういったインフォーマル学習の研究への注目が世界的にも集まっています。以前、池田さんもYlabのブログで紹介してくださいました。

そんななか、この書籍では、インフォーマル学習に対して、これまでどのような研究がなされ、今後どのような研究を積み重ねていくのか?について、幅広いテーマから論じられています。

<<目次はこちら>>
序 章 教育工学とインフォーマル学習
第1章 生涯学習施設とインフォーマル学習
第2章 職場とインフォーマル学習
第3章 大学教育とインフォーマル学習
第4章 子どもの発達とインフォーマル学習
第5章 ワークショップとインフォーマル学習
第6章 ICTとインフォーマル学習
終 章 変化する社会とインフォーマル学習

特に、私が気になっているのは、フォーマルとそれ以外の活動をどのように結びつけていくかということです。
たとえば、反転学習も1つのフォーマルとインフォーマルの接続のあり方です。従来、学校外で行っていた課題(宿題)を学校で対面にて行い、知識のインプットを学校外で行うというやり方は、フォーマルとインフォーマルの新しい融合の仕方といえます。他にも、美術館・博物館と、学校、地域がネットワークされていく事例や、学校外で自主的に学んだことが学校の中の新しい活動に活かされた事例などの研究もなされています。
今後は、フォーマル、インフォーマルといった切り分けではなく、学びの生態系に目を向けていくことが大事なのではないでしょうか。

この本の終章において、山内は、今後の社会を生き抜いていくためには、「学校で学ぶことと学校外で学ぶことがゆるやかにつながり、総体として豊かで高度な学習を実現」する必要があると述べています。そして、そのような学びの実現のために、教育工学では、具体的な方法や技術を研究していく必要があると述べています。
実際に、これからの修士研究でもこのことはしっかり意識していかなければならないなあ、と感じています。

ですので、インフォーマル学習を研究したい方はもちろんのこと、総合的な視野をもって学校での学習を研究したい方にもオススメの1冊です!

【青木翔子】

2016.07.07

【今年度の研究計画】幼児のNarrative Skill習得のための物語行為支援システムに関する研究

 うっとうしい梅雨が続きますが、明けると猛暑の夏がやってくるというのは悩ましいですね・・・今週のブログ、D3佐藤が担当します。

 私は、子どもが遊びで熱中する物語づくりという行為に着目し、支援を通じてお話しする力を育むことができないか、という関心のもと研究に取り組んでいます。

 3歳頃から見られるようになる「物語」を語る行為。幼児期後期になると、かなり複雑な物語ができるようになります。けれど、想像上の物語を楽しむ様子は微笑ましいものの、その話には、脱落や飛躍があり、筋や脈絡に一貫性が認められないことも多いようです。頭の中には何らかの表象があり、表現しようという動機があるらしいのですが、うまくことばで表現できないように見える時期があるのです・・・

 この発達段階、壮大な博論という物語を書いている私の現状に重なります・・・統括性のある博論の生成に必要な知識、博論の筋を生成するための技能はどのようなもので、どのように習得できるのでしょうか。

 渦中の私にはメタ的な見通しが出来ず、指導教官、助教の方々、研究室のメンバー達の、発達の再近接領域への働きかけにより、緩やかに発達している状況(のはず)です。ともあれ、せっかくの貴重な体験なので、子どもに負けず、嬉々として語っていきたいと思います!


【タイトル】
幼児のNarrative Skill習得のための物語行為支援システムに関する研究

【研究の背景】
 人にとって「物語」を伝える事、読む事、語ることは重要な営みである。発達途上にある幼児にとっての物語行為にも、いくつかの重要な意味がある。発達心理学の領域で着目されているNarrative Skill(話す力)は、言葉をうまく使う力にとどまらず、体験や自分の考えを一連のまとまった物語として他者に伝える力であり、幼児期に著しく発達するという。そして、幼児期の物語る行為は、Narrative Skill(話す力)の習得のための活動として重要な役割を果たしている。いっぽう、これらの習得は、思考の道具、自己の確立、文化への参入方法の理解等の要素があり、支援の意義は大きいものの、語彙や文法の支援など従来の支援方法では難しい。さらに、社会・文化・歴史的な状況を反映するもので、物語を導く大人の役割が大きく、その関係性を保ちながら支援する道具を検討していく必要がある。「子ども」・「親」・「道具」の3点を踏まえたNarrative Skill(話す力)習得のための物語行為の支援を検討することが求められている。

【目的】
 本研究では、「物語る行為」の発達が著しい段階にある幼児を対象に、Narrative Skill(話す力)習得のための物語行為支援システムを開発する。システムは、「子ども」だけでなく、子どもをスキャフォルディングする「大人(親)」、さらには「子どもと大人(親)」の対話を支援するものとする。その要件として、物語を「表現(外化)・共有」することが可能な現在のテクノロジー技術を用いることとする。
 開発した支援システムを評価実践し、検証により得られた知見から、物語行為を通したNarrative Skill習得支援形態のデザイン原則を導き出すことを目的とする。

【方法】
 「子ども」の物語行為を賦活するための設計要件、「親」の語りの引き出し方の向上を支援するシステム開発のための設計要件、文化的道具として物語行為を支援するための要件の定義から、2つの支援形態(開発研究1と2)が導出される。

■開発研究1:
 「幼児の物語行為を支援するソフトウェアの開発」

 http://ci.nii.ac.jp/naid/110006792153/

■開発研究2:
 「幼児のNarrative Skill 習得を促す親の語りの引き出しの向上を支援するシステムの開発.」
 
 http://ci.nii.ac.jp/naid/110007520570/

 まず開発研究1では、システムにより素材を提供することで物語を賦活し、システムを操作しながら物語るという形態で、物語の産出に注力できるよう認知機能を考慮した物語産出の「外化(表現)」を支援する。次に開発研究2では、外化されたものを録画し、他親子と物語産出過程を「共有」することで、子どもに合わせた多様な語りの引き出し方の実践知を習得することにより親の語りかけの向上を支援する。

【進捗状況と予測される結果】
 先行研究により導き出された2つの支援形態、開発研究1・2は、開発・実践・評価が完了しており、効果は検証されている。システム開発により「外化・共有」の機能を実現し、2つの活動の支援を行うことで、子どもの「Narrative Skill」の習得を支援することが可能になることが明らかとなった。一方で、定義された目標以外の教育効果やいくつかの課題も残されている。それらも考慮した上で知見をまとめ、幼児のNarrative Skill習得のための物語行為を支援するシステムの要件を整理し、デザイン原則を導き出す予定である。

【研究の意義】
 幼児期において、社会や文化への参入方法を理解する上で、物語は重要な役割を果たすとともに、物語の産出の過程で大人のやり取りを通じで意味形成を行っていくことも重要な活動である。そのような背景を踏まえ、物語の産出スキルであるNarrative Skillについて、その発達段階やメカニズムの解明を試みる数多くの研究が行われている。いっぽう、言語獲得の支援を超えた学習の支援原理が要求されるNarrative Skill向上の支援に関する先行研究は少ない。
 本研究では、発達段階やメカニズムに関する発達心理学、認知心理学の知見をもとに、教育工学的なアプローチでシステムを開発している。子どもが1人でシステムを使用するのではなく、子どもの支援に重要な役割を果たす親を含めた道具のあり方を含めて検討し、新たなテクノロジーを用いてこれまで行われなかった支援方法を実現している点で意義があると考える。物語産出の「外化」を支援することと、物語産出過程を「共有」することをシステムで実現することにより、新たなメディアによる対話形態の支援・コミュニケーションスタイルの提案を行っている。

佐藤朝美

PAGE TOP