2017.02.21

【山内研 今年度のまとめ】結局どうやって問うたのか(M2 杉山 昂平)

M2の杉山です。前回の記事よりお送りしている2016年度の振り返りを書こうと思います。

今年度はなんといっても、修士論文の執筆が大きな出来事でした。問題を設定し、調査を行い、分析・執筆を行う、という研究のプロセスをはじめてちゃんと経験したことで、大変だったけど少しだけ勝手が分かったかな、という気分にもなっています。

昨年度の振り返りを見返してみると「問うべき問いを問うために」とタイトルをつけ、M1の自分は「アマチュアを研究する意義はどこにあるのか」を述べるのに苦労していました。実はこの問題は本年度に入っても相変わらず私を苦しみ続け、4月、5月とかなり悩む日々が続きます。「研究したいから研究する」「自分が知りたいことを学術用語で言い換えてみただけ」のような状態は、昨年の秋どころか、今年に入っても続いていました。「なんでアマチュアを研究する必要があるのかわからない」と面と向かって指摘されたこともありました。

修士論文を書き上げた今、その問題には一応の解決を与えることができたように思います。どのようにして解決することができたのか。それを考えてみると、「アマチュアを包含するカテゴリーに出会った」ことが重要だったように思います。そのカテゴリーとはすなわち「余暇」です。修士論文は「アマチュア・オーケストラ団員たちの興味の深まり――余暇における追求と学習環境」というタイトルになりましたが、余暇の生き方のひとつとして「アマチュアとして趣味を追求すること」を位置づけたことで、「アマチュアを研究する意義」をとても考えやすくなりました。近現代の人間にとって余暇を生きることは生活における主要な関心のひとつですが、そのなかで気晴らしでも休息でもなく追求という余暇の生き方をとり、仕事とは別の形で自らの生活・人生をつらぬく意味を見出すことに価値を見出す人は必ずやいるだろう――という言い方ができるようになったのです。

考えてみれば当然なのですが、「Aというものに注目する意義」を述べるには、A以外のBやCといった選択肢を比較したうえでAの価値を見出すのが自然なやり方です。そしてこの方法を使うには、AやB、Cを包含するようなXというカテゴリーが必要になります。Xがなければ、A、B、Cを同じグループとして比較することはできないからです。私の場合Aに当てはまるのがアマチュアですが、アマチュアに注目する意義を述べることは、余暇というXがあって初めて可能になったのでした。これがなければ、いつまでたってもAだけを取り上げて「大事だから大事」「研究すべきだから研究する」という駄々をこね続けなければならなかったでしょう。

もちろん、Xに入るものを「余暇」に限定してしまう必要はありません。たとえば「芸術家の身分」というXのもとに、「プロフェッショナル」や「アマチュア」を並べてみると、どんなことが考えられるでしょうか。仕事としてこなさなければならない活動から離れて、自分の興味にしたがって創作に打ち込める「アマチュア」という身分は、もしかしたらプロよりも魅力的に見えるかもしれません。

このような「考えるための方法」に気づけたことは、2016年度の大きな収穫のひとつです。ほかにも修士論文の執筆を通してさまざまなことを学びましたが、研究をすることは自己の成長でもあるのだなと実感することが多かったように思います。研究を通してお世話になった多くの方に感謝しないといけないな、と素直に感じています。

【杉山昂平】

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