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2018.11.30

【私の研究テーマ】美術鑑賞は役に立つのか?

D2の平野です。私の研究テーマは、「美術鑑賞における協調学習のデザインに関する研究」になります。現在、対話型鑑賞のファシリテーションにおける情報提供について今年初頭にデータ取得を終えて分析を進めています。9月の教育工学会で研究発表を行い、そこでの意見も踏まえて投稿論文を作成しているところです。今回は、そもそも何のために美術鑑賞をするのか、という点から考えてみたいと思います。

学習指導要領の改訂をきっかけに、アクティブ・ラーニングの一環として美術館や大学・NPOと連携して授業内外で対話型鑑賞を取り入れる学校が増えています。所沢市立三ヶ島中学校では、校長先生のリーダーシップのもと、学校を挙げて「朝読書」ならぬ「朝鑑賞」に取り組まれています(前屋2017)。最近では『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?』(山口2017)などの本も出版され、大人の美術鑑賞も脚光を浴びつつあります。私もビジネスパーソン向け講座を担当させていただいたことがありますし、研究フィールドとして関わらせていただいている京都造形芸術大学アート・コミュニケーション研究センターでも、数多くの企業研修を行われています。

アートは仕事や学習の役に立つのでしょうか。私は、先行研究からも、アートの定義からも、現状NOと答えざるを得ません。

OECD教育研究革新センター(2016)『アートの教育学』では、アート(音楽・美術・演劇・ダンス等)に関する教育実践が汎用的な能力向上に寄与するかどうかを、膨大な研究レビューをもとに検討されています。まず、こうした研究が行われてきたのは、学校教育の中でも周縁的な位置づけにあるアートという領域が、自身の存在意義を主張する際に、アート教育は他教科にも通じる汎用的な能力向上に寄与するのだ(だから必要である)という議論を展開したかったためでしょう。しかし、書籍の結論として述べられているのは、美術鑑賞教育が批判的思考力に転移した等の報告(Housen 2002)が一部あるものの、総体として、アート教育が汎用的な能力向上に結びついたエビデンスは(まだ)存在しない、というものです。

美学事典によると、アート=芸術とは、「予め定まった特定の目的に鎖されることなく,技術的な困難を克服し常に現状を超え出てゆこうとする精神の冒険性に根ざし,美的コミュニケーションを指向する活動」であるといいます(佐々木1995)。つまり、アートの意味とは作品そのものではなくそれを媒介とするコミュニケーションにあり、既存の価値観や枠組みに疑問を呈するものであると言えます。もちろん、「地域アート」(藤田2016)あるいはソーシャリーエンゲージドアートと呼ばれる動向は、地域のにぎわい創出や関係人口増加にアートが寄与することを示しており、北川フラム氏を総合ディレクターとする大地の芸術祭や瀬戸内国際芸術祭は、その成功例として国際的にも認知度の高いプロジェクトとなっています。しかし、アートはそもそも何かの役に立つためにあるものでしょうか?

私は、学習という視点から「役に立つ」を超えた美術鑑賞の意味を問うていきたいと思います。芸術の定義からも、アートは仕事や学習といった特定の目的のために存在するものではありません(cf: インフォーマル学習)。アートがそれをみる鑑賞者やコミュニティに対してリフレクションを迫ることもあり、それはしばしば痛みを伴うものでもあります(cf: 変容学習)。美術鑑賞を通じてまだ世の中にないアイデアが生まれることもあるでしょう(cf: 知識構築)。

「アートは役に立つ」という語り方自体が、「役に立つアートがよい」、という前提に基づいており、そうでないアートを排除する考え方に囚われていると言えるかもしれません。

平野智紀/内田洋行教育総合研究所

2018.11.22

【私の研究テーマ】「ナラティブ・物語」産出への足場かけ

今週のブログを担当させて頂きます、D5の佐藤朝美です。

博論では、「ナラティブ・物語」産出への足場かけを研究テーマとしています。やまだ(2006)は「ナラティブ・物語」を「経験を有機的に組織したり、意味づける行為」、 編集し、構成し、秩序づけ、意味づけすることにより成立すると説明しています。「ナラティブ」は物語とも訳されていますが、幼児の研究では特に自伝的想起を指す場合もあれば、一般的な物語を指すこともあります。自伝的想起の主語が自分であることに対し、「物語」は登場人物が主語となり、第三者的に描写を語っていく必要があります。

発達的に見ると、「自分語り」より、「登場人物を主語とした語り」の方が少しハードルが高いのですが、空想・イマジネーションの入ることにより、楽しさが増すからかもしれません。幼児期には、絵本の続きを話したり、絵を描きなから物語を語り始める姿が多く見られます。

そして、想像的な世界を作り出す楽しさに加え、文章を産出する点に着目すると、自分の頭の中で描いた世界を言葉にしていく活動は、発達的にとても重要な活動であることが分かります。私の博論のテーマは、幼児を対象にこの物語産出部分をどのように足場かけできるか、物語を表現する媒体や聞き手の親も含め学習環境デザインの原則を明らかにすることです。

ヴィゴツキーは、言語の発達を「外言」や「内言」という用語で説明しています。
乳児期には、思ったこと、感じたこと等を誰となく外に向かって独り言のように発話する(外言)の段階があります。それらが、自分の頭の中で考えられるようになり(内言)、言葉が私達の思考の道具になっていくというのです。

さらにヴィゴツキーは、「内言」の構造について触れています。「内言」は、話し言葉とは別の構造の上に構築された、速記録的なもので、非文法的、電報の文体にも似た言葉だと述べています。子どもが「書く作業」に困難さを感じるのは、最大限に圧縮された「内言」を最大限に展開されたことば「書き言葉」に翻訳するという課題があるからだと説明しています。

その状態を物語産出に照らした場合、頭の中に浮かんでくる物語も、モヤッとして、構造化されていない状態と言えます。決して理路整然と文章が浮かんでいるのではありません。それらの表象を聞き手に理解してもらえるように紡ぎ出すという課題があります。そして、聞き手の役割も重要で、子どもの頭の中に描いている物語を(間主観的に)想像・共有しながら、語り手が本当に語りたい内容を適切に述べられる言葉かけをすることが求められます。

さらに、頭の中に豊かな物語世界を広げられるよう足場かけすることも重要な点と考えます。絵本の絵や自分で描写した絵から、子どもは刺激され、語りが生まれます。この点にデジタルメディアの特性を適用することで、大きな可能性が生まれると考えます。博論では、開発研究を実践し、物語行為を足場かけする学習環境デザインを検討し、そんなこんなで、現在いよいよ最終章をまとめる段階に入っています。

博論執筆は完了しないままですが、未だ「物語・ナラティブ」に魅せられ、現在進行形で研究を続けてます。そして・・・対象やアプローチは異なるものの、「物語・ナラティブ研究」に魅せられた研究者にもまた魅せられることが分かりました。語りを引き出し、形にしていくこと、モヤモヤしたものを1つの物語として作り上げること、他者がやるのも自分がやるのも楽しく達成感を感じる活動です。今後もこの研究テーマを大切にしていきたいと思います。

ヴィゴツキー(柴田義松訳)(2001)『新訳版 思考と言語』新読書社
ヴィゴツキー(土井捷三, 神谷栄司訳)(2003)『「発達の最近接領域」の理論』三学出版
やまだ ようこ (2006)『人生を記録すること・物語ること』システム/制御/情報 50(1), pp.33-37

■過去の研究計画
2017年研究計画
2016年研究計画
2015年研究計画
2008年研究計画

佐藤朝美

2018.11.05

【今年度の研究計画】文字式の数量表現を支援するゲーム教材の開発と評価 -プロセプト的思考に着目して-

こんにちは!本実践真っ最中の修士2年、花嶋陽です。
自分の研究テーマは、「文字式の数量表現ができない子をどのようにできるようにするか」です。
文字式の数量表現というのは例えば下記のようなものです。
 
① ある数nの3倍より5小さい数はいくつか?(誤答率:22.6%)
② 赤色のテープの長さは 2b cmで、青色のテープは赤色のテープ より 3 cm長い。青色のテープの長さは何cmか?(誤答率:28.9%)
 
実際に、今年の6月に中学3年生350名程に行なった文字式のつまづき調査テストでは、2~3割程度が上記のような基礎的な文字式による数量表現問題ができないことが明らかになりました。(上の誤答率はその時のもの)
実際にどのような間違いが多いかというと、例えば①では、答えを3n-5としなければならないところを、-2nや2nとしてしまっていたり、②では2b+3としなければならないところを5bや5などとしてしまうものが、誤答のうち3~5割ほどになっています。また、そもそも無答の比率も高くなっています。
ここからわかるのは、「文字式を『一つの数』と見ることができない(計算の式としてしか見れない)」ということです。
つまり、「答えに+が残っていると計算の途中だと思う」や「『いくつか?』と数を聞かれた時に、文字式を答えられない」などといったことは、このことを要因としています。
 
これは、先行研究の中でも本質的な要因として指摘されており、”Process-Product dilemma”や”Process-Object duality”と呼ばれていて、
数学的概念には、手続き的な見方と、対象物としての見方の二面性があり、その両方を柔軟に切り替えてみれるようになる事が重要と言われています。
この対象物としての見方が、文字式でいうと、「一つの数」としてみるという事で、本研究ではこれを達成する支援をすることによって、文字式の数量表現をできるようにしようと考えています。
 
その「手続き的な見方と、対象物としての見方の二面性があり、その両方を柔軟に切り替えてみれるようになる」に至る発達段階を示したのが、D.Tallのプロセプト理論で、彼は、手続き的な見方から、異なる手続きの同値性を認識する事で、対象物としての見方を獲得し、両者を柔軟に切り替えて見える事ができるようになる事を述べています。
 
今回は、このプロセプト理論に依拠し、その発達段階に応じた支援をゲームに埋め込んでいます。
ゲームの具体的な内容は、以下のリンクから確認して頂ければと思います。
https://drive.google.com/file/d/1qh-eh_LcJTa8sbfaq8KKjuAVq9e8DJYD/view?usp=sharing
 
ゲームは以下のリンクからダウンロードできるので、みていただけたら幸いです。(iosのみ対応です)
https://testflight.apple.com/join/RokdrwM0
 
現在、本研究の実践にご協力いただける先生を探しています!もし、ご興味がありましたら、yohanashima@gmail.comまでご連絡頂ければと思います!
 
【修士2年 花嶋陽】

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