2015.07.30
みなさまこんにちは!毎日暑くて何もかもが溶けそうな勢いですね・・・
暑さにめげず、本テーマの最終回はD3佐藤(朝)が担当いたします。
「最近接発達領域(zone of proximal development:以下ZPD)」、私が初めてこの概念に触れた時、「うんうん、あるよね~」的な、軽く分かった気になっていました。本当にごめんなさい!!!当時子育て真っ盛りの私は、実践の中でZPDを実感してたのかもしれません・・・
そして月日が流れ・・・博論執筆の過程において、ヴィゴツキーが提案したZPDの概念は、激突する壁を突破するための強力な拠り所になりました。
今回は、このZPDの私にとっての深イイ話を紹介したいと思います!
■ZPDとは?
ヴィゴツキーは著書の中で、
子どもの発達の最近接領域は、自主的に解決される問題によって規定される子どもの現在の発達水準と、大人に指導された自分よりも知的な仲間と協同したりして子どもが解く問題によって規定される可能的発達水準とのあいだの隔たりのことです[1]。
と述べています。さらにヴィゴツキーは説明を続けます。
発達の再近接領域は、まだ成熟していないが成熟中の過程にある機能、今はまだ萌芽状態にあるけれども明日には成熟するような機能を規定します。現在の発達水準は昨日の発達の成果、発達の結果を特徴づけますが、発達の最近接領域は明日の知的発達を特徴付けます。・・・発達の再近接領域は、明日の発達に何が起こるかを予言することを可能にします[1]。
改めて、子どもの発達の支援を考える際、この視点は大変重要かつ確固たる拠り所になるのだと実感しています。子どもが何を獲得しているか、ではなく、何を学ぶことができるのか、その可能性を近似的に明らかにしようとすること、これは私の研究において、子どもの話す力を測るだけではなく、他者へ伝える語りを習得するための支援方法を模索するアプローチにオーバーラップするものです。
■ZPDからはじまる社会・文化・歴史的視点
ZPDの「誰かに助けられながら、誰かを助けながら」という前提は、人が社会的なつながりの中にあること、社会的に媒介されていることを意味します。ヴィゴツキーは、個人の機能が発達する社会的・文化的・歴史的プロセスに焦点を当てるべきだと述べています[2]。
そして、ヴィゴツキーは文化的活動の蓄積結果である「道具」の使用やこの道具に媒介され(支えられ)ながら精神活動を形成し、技能として高めていくことを通して、歴史・文化の諸変数が人間の発達や精神活動にどのような形で作用しているか明らかにしてきました。その中で、道具としての言葉について言及しています。言葉はコミュニケーションの道具となるとともに人間の思考や認識活動の道具となり、さらには意識全体を変えることにもなることを、ヴィゴツキーは系統発生と個体発生の両面から明らかにしました[3]。
この社会・文化・歴史的な経緯を反映した言葉を、子どもが習得していく過程でZPDが重要な概念となるわけです。
ZPDには、働きかける主体の意図を読み取る子ども側の心の動きも重要とされています。意味も分からないまま言葉の模倣を強制する教育のあり方を「ことば主義」とヴィゴツキーは批判しています。これらの見解は「話す力」に着目している自身の研究にも鋭く突き刺さります。
■レッジョ・エミリア・アプローチに見るZPD
昨今注目されているイタリアレッジョ・エミリア市の幼児教育では、理論的な基礎の1つとしてヴィゴツキーの理論を根底に置いているそうです。創始者のマラグッチは、子どもと大人のあいだでの相互交流と共同性のための豊かな可能性を開く重要なものとしてZPDに触れています[4]。
有名な「ディノザウルス・プロジェクト(※)」で保育者ロベルタは、子ども自身に情報を与えること、子ども同士が関わりあう機会を提供しました。ロベルタが具体的に行ったこととして下記が挙げられています[5]。
・注意して聞くこと-待つこと
・グループの討論で焦点となることについての個々の考えを探し出すこと
・子どもがしたことや考えたこと、決めたりしたことを思い出すように援助すること
・子どもに情報やアイディアを提供すること
・子どもの思考が外にデないようにして社会的・認知的な過程が続くように十分介入すること
これらはまさにZPDに働きかける方法、「足場づくり(scaffolding)」の素晴らしい一例と捉えることができます。子どもが複数いれば、子どものZPDもまた複数あり、適切に働きかけをするためには、働きかけをする側にも多くのことが求められます。子どもの学習環境を考えていくには、子どもからの働きかけを的確に捉え、介入する大人のスキルにも着目すべきことが分かります。
※恐竜に興味を持った子どもたちが恐竜について調べていくうちに、実物大の恐竜を園庭に描く、と いうことに発展したプロジェクト。
■子どもとメディアとZPD
ヴィゴツキーが活躍した時代も、映画や通信機器などメディアの大きな変化があり、ヴィゴツキーは内言との関連でメディア研究に関する議論をしていたそうです。
けれど近年の乳幼児の スマートフォンやタブレット端末用アプリの提供が増加の傾向、「スマフォで子守り」と危惧される状況を目の当りにしたら、どのような議論をされるのでしょうか。
ZPDに働きかける教育、例えば上記のロベルタが行っていた観察や言葉がけを見れば、複雑でスキルが必要とされる業で、 どんなに優秀なエージェントでも現在の技術では到底達成できるものではないことが分かります[6]。乳幼児期のメディア利用は、やはり介在する大人の存在が重要で、巻き込む形態での学習環境デザインを検討していく必要性を感じています。
以上、独断と偏見ですが、ZPDにまつわる深イイ話を紹介しました。改めて振り返ってみると、ZPDは現在進行形で私の前にも存在していることが実感されます。まさに指導教官やゼミメンバーからの働きがけが、博論執筆にチャレンジしている私のZPDにうまく作用している感触があったりしています。
来週からはブログのテーマが変わります。どうぞお楽しみに!!
【佐藤朝美】
2015.07.24
皆さま、こんにちは。
M1の原田悠我です。
(ちなみに、今日が誕生日です!!)
昨日は夏学期最後のゼミが無事終わり、夜は納会で焼き肉でした。美味しいお肉を食べつつ研究室の方々とお話をするなかで、研究に対するモチベーションも高まったので夏休みも頑張れそうです。そんなわけで頭の中は完全に夏休みモードなのですが、学生である私には夏休み前最後の壁「試験」があります。大学院生にもなると「持ち込みあり」の試験や「レポート堤出」など試験にも様々なバリエーションがあります。
そこでこの記事では学びの「評価」について、【未来の学びの準備 (Preparation for Future Learning)】をキーワードに考えていきたいと思います。先ほど大学院では様々なバリエーションの試験があると書きましたが、一般に多くの人が想像する試験とは「1人で他の資料などは利用せず問題に向き合い解く」ようなイメージではないでしょうか? 例えば私の友達にアラビア語の授業を受けている人がいるのですが、その人が試験時間中に「インターネットで調べる」ことや「アラビア語を話す留学生を連れてくる」ことはCheating(不正行為)になります(注1)。
■ 隔離された問題解決(Sequestered Problem Solving)
このような新しい問題を解くために他のテキストや友達に助けを求めることができない環境での問題解決は「隔離された問題解決(Sequestered Problem Solving); 以下SPS)」と呼ばれています(Bransford & Schwartz 1999)。SPSはある文脈で学んだことを別の新しい文脈で活かす「転移」の研究で多く利用されてきました(転移について詳しくはBransford et al. 1999,もしくは過去の記事を御覧ください)。このようなSPSのパラダイムでは、以前に学んだことを新しい状況や問題に直接適用できるか(Direct Application; 以下DA)が問われます。
■ 未来の学びの準備 (Preparation for Future Learning)
一方で、SPSやDAとは異なる考え方としてBransford & Schwartz は【未来の学びの準備 (Preparation for Future Learning); 以下PFL)】を提案しています(Bransford & Schwartz 1999)。PFLでは知識が豊かな環境での人々の学びを評価することに焦点が当てられています。例えば新しい社員を雇う場合どんなことを求めるか考えると、会社のことを全て知っていることではなく、リソース(例えば、テキストやコンピュータプログラムや同僚)を利用しながら、学ぶことができることができるかだと思います。つまり、将来の学びに対してより良い準備ができているか(新しい学びのスピードや質)を考えているわけです。
また、Schwartz & Martin はPFLの考えに基づき実践しSPSとPFLの評価の違いを明らかにしました(Schwartz & Martin 2004)。中学3年生の統計の授業で偏差の公式について理解する授業を題材に以下の様な実験を行いました。まず全体を「発見学習(Invent instruction)」をする群と「直接教示(Direct instruction)」をする群に分けます。「発見学習」の群は異なるばらつきが生じる4つのピッチングマシンの結果を元に、ピッチングマシンの信頼性の指標を学習者自身で考案する活動を行いました。さらに各群を、テストに共通するリソースを利用した活動が「ある群(PFL)」と「ない群(SPS)」の2つに分けます。つまり2つの群(発見学習と直接教授)2つの群(共通するリソースあり、なし)の合計4群が作成されました(図1)。
実験の結果は図1のように「発見学習」の後に「(テストに共通する)リソースがある群」が最も転移課題に対する正答率が高かったことがわかります。このことからSchwartz & Martinは「発見学習」が「直接教授」に比べて学ぶ準備ができており、転移課題を解くことができたと考えています(Schwartz & Martin 2004)。また、SPSでは違いが明らかにならなかったことがPFLでは明らかになることも、「(テストに共通する)リソースがある群」と「リソースがない群」を比較することでわかります。(とても綺麗な実験ですね)
このように、DAやSPSを採用した場合には見過ごしがちな転移の根拠をPFLの視点で考えると明らかにすることができます(Schwartz & Martin 2004)。つまり、いままで時間の無駄だと考えられていた活動も、学びの準備だと捉えると効果的な活動なのかも知れません。また、Schwartz & Arenaはより良いPFLのためそして評価のためにGame-based learningが有益な場合があるとしています(Schwartz & Arena 2013)。例えばArena & Schwartz は統計を学ぶためのゲーム「Stats Invaders」を開発しています。Web上で公開されており、ダウンロードして遊ぶことができます(Javaが利用可能なMac or Windowsで動作可能とのこと)。私もやってみたのですがなんとなく懐かしい感じがしました(インベーダーゲームは中学生ぐらいのころ復刻版で遊んだことがあります)。
以上、未来の学びの準備 (Preparation for Future Learning)でした。なんとなく大事だと思っていた学習者主体の活動を上手く評価する方法や教師からの学習資源の提供方法(タイミング)を考えるきっかけになりました。ちなみにですが、なんと驚くべきことに偶然?この記事に何度も登場したSchwartz先生が明日(7月25日)東京大学に来られます。詳しくは【お知らせ】公開研究会「学習テクノロジーの未来」を御覧ください。まぁ実のところ、この記事は公開研究会のための準備(Preparation for Future Meeting)になればいいなと思いながら書きました。公開研究会には私も参加します。当日読者の方とお話できることを楽しみにしています。
次回は佐藤さんの記事です。お楽しみに!!
注1 : 以前で紹介されたNormanもこの問題について言及しています(Norman 2001)。
【原田悠我】
2015.07.17
みなさま、こんにちは。M1の長野香織です。
今日は台風の影響で私の地元である"晴れの国岡山"も大雨が降っているようで、とても心配です。
事故も増えますので、みなさま十分にお気をつけください・・・。
さて、子ども、大人ということに関わらず、教育について考えるとき、最も重要かつ難しい課題の1つに「やる気」の問題があると思います。自分がやる気を持って何かの活動に取り組めることはとても素敵なことですよね。そこで、今回は「動機づけ」研究の中から【内発的動機づけ】と【外発的動機づけ】という2つのキーワードをピックアップして紹介したいと思います。
*外発的動機と内発的動機の違いとは?
Deci(1975)によると、内発的に動機づけられている活動とは「その活動そのもの以外に何も明らかな報酬がないもの」です。つまり、内発的な意欲を持つ人は"活動そのものから得られる楽しみのためにその活動に取り組んでいる"、"おもしろいから学んでいる"と言うことができます。
子どもの頃に昆虫が好きで夢中になって昆虫図鑑を読んでいたような経験を思い浮かべると理解しやすいかなと思います。
その一方で、外発的に動機づけられている人は、活動そのものから得られる楽しみではなく、その活動の先にある報酬のために取り組んでいるとされています。外発的に動機づけられた活動そのものも楽しめないものだとは限りませんが、それが主たる理由ではない場合に「外発的」という言葉があてはまります。すなわち、活動以外に真の目的があるわけです。たとえば"ご褒美がほしいから学ぶ"とか"怒られたくないから学ぶ"という状態です。憧れの大学に行きたいから受験勉強を頑張る。これも外発的動機づけと言うことができると思います。
一般的に、学習などの高次の活動には、外発的動機づけよりも内発的動機づけの方が効果的であると言われます。その理由の1つとしては、外発的動機づけは、その目的がなくなった時に活動への意欲が低下する可能性があるからです。テストがないと勉強しなくなったり、テストの点数を気にしてテストに出る範囲以外勉強しなかったりするのは、その例ですね。
*どうすれば人は内発的に動機づけられるのか?
内発的動機づけの源として重要だと考えられているのが「知的好奇心(epistemic curiosity)」と「自律性(autonomy)」です。
知的好奇心を提唱したのは、心理学者であり教育学者のブルーナーです。ブルーナーは新しいことを学ぶこと自体に感じるおもしろみや興味を「知的好奇心」と捉えています。このような知的好奇心を活用した学習法として「発見学習」というのがあります。この学習法は主に学校で用いられるもので、教師が体系化された知識を教えるのではなく、生徒自身が自分で仮説を立て、その仮説を検証することによって主体的に学んでいく学習法です。
一方、心理学者であるデシは、内発的動機づけの源として自律性が重要であることを指摘しています。自律性とは、自分が周囲の環境を効果的に処理することができ(自己の有能さ)、自己の欲求をどのように充足するかを自由に決定できる(自己決定)と感じている状態のことです。
これらに基づいて考えると、内発的動機づけを高めるためには、知的好奇心を活かせるような自由な環境をつくっていくことと、その環境の中で自分で欲求を満たす方法を自由に決定できるようにすることが重要ということになります。
一方、外発的動機づけが次第に内発的動機づけに変わっていくこともあります。最初は嫌々始めたことでもだんだん楽しくなって、夢中になれることってありませんか?このように人間が周囲の規範や価値を自分のものとしていくことを、デシは「内在化(internalization)」と呼んだりもしています。
振り返ってみれば私も中学生〜高校生の頃はテストで良い成績を取ると、父母に褒められたり、ご褒美がもらえたりするのが嬉しくて、そのために勉強を一生懸命頑張っていたような記憶があります。大学受験も第一志望の大学に合格するために勉強をしていましたし、塾講師のアルバイトも最初は収入を得るために取り組んでいました。しかし、私は大学生活を送る中で教育に対して関心を持ち、教育に関する本を読んだり、様々な取り組みを調べたりするようになりました。塾講師のお仕事も楽しいから行く、という意識に変化していきました。
このような私の経験も、外発的に動機づけられた要求事項をこなしていったことが、後に内発的に動機づけられた活動ができる機会につながっていった1つの例かなと思います。
以上、簡単ではありますが、内発的動機づけと外発的動機づけについて説明しました。最近では、MOOCのようなサービスも増えてきて、ますます自分の興味関心に基づいて学ぶ機会が増えているように思います。それらをうまく活用して、自分なりの学びを進めていきたいですね。
それでは次回の原田くんの記事もお楽しみに!
【長野香織】
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参考文献
・Deci. E. L. (1975) Intrinsic Motivation. New York: Plenum Press.(=安藤延男・石田梅男訳 『内発的動機づけ:実験社会心理学的アプローチ』、誠信書房)
・Deci. E. L. and Flaste. R. (1995) Why we do what we do. Putnam Publishing Group.(=桜井茂男 監訳、『人を伸ばす力ー内発と自立のすすめー』、新曜社)
・波多野誼余夫 (1980) 自己学習能力を育てる:学校の新しい役割.東京大学出版会
・John M. Keller (2010). Motivational Design for Learning & Performance: The ARCS Model Approach. New York: Springer. (=鈴木克明 監訳、『学習意欲をデザインするーARCSモデルによるインストラクショナルデザインー』、北大路書房)
・中原淳 (2006) 企業内人材育成入門. ダイヤモンド社
2015.07.15
こんにちは。M1の杉山です。早いもので、夏学期が残すところわずかとなりました。一学期間、先行研究を調べる作業を続けてきましたが、自分の研究関心が本当のところどこにあるのか迷いが生じてきたり、一方で当初は注目していなかった分野に関心が出てきたりと、多くの変化を経験しました。これもしっかり学習になっていると良いな。
【最近気になっているキーワード】、今回とりあげるのは熟達化(expertise)です。辞書には、熟達とは「熟練して上達すること。なれて、上手になること」だと記されています。熟達化の研究は、「上手になること」とは具体的にどのような知識や能力を獲得することなのかを明らかにしたり、その要因は何かを特定しようとしたりする試みだと言えます。
■ 熟達化の領域
私たちが日常的に行っている行動、転ばずに歩いたり、文字を読んだりするようなことも、熟達の結果として可能になったものです。その意味で、熟達化はあらゆる領域が対象だとも言えますが、研究の多くは熟達者が限られている領域を対象にしています。例えば、チェスや碁などの競技ゲーム、スポーツ、美術や音楽、演劇などの芸術分野が挙げられます。研究では、こうした分野の熟達者(expert)と、初心者(novice)を比較することで、熟達化の特徴を明らかにすることができます。
■ 熟達者の特徴
熟達者の種類には、手際のよい熟達者・定型的熟達者(routine expert)と、適応的熟達者(adaptive expert)があるとされています。前者が、同じ手続きを効率的に行うのに長けているのに対し、後者は課題や状況の変化に柔軟に対応したり、創造性をもたらしたりすることに長けています。熟達化研究は、長らく手際のよい熟達者の効率性(早さや正確さ)に注目してきましたが、現在では適応的熟達者の研究も蓄積されつつあるようです。
岡田(2005)によれば、熟達者がもっている知識には、構造化・体系化された領域知識と、メタ認知能力の二つの側面があります。熟達者は、やみくもに知識が多いのではなく、パターンやまとまりをもった知識をもっています。それゆえ、効率的な記憶ができたり、新たな課題に直面した時に適切な戦略を組み立てたりすることができるのです。同時に、熟達者は、いま自分がどのような能力をもっていたりパフォーマンスをあげたりできているのか、自ら評価することができます。熟達者は、多くの有用な知識をもっているだけでなく、自分ができることと、できないことを客観的に理解できる人だと言えます。
■ 熟達者になるには
一つの領域において熟達者になるには、おおむね1万時間の訓練が必要だと言われ、「10年ルール」という言葉になっています。また、その訓練では、個人のレベルにあっていて適切なフィードバックが与えられるような「よく考えられた練習 deliberate practice」が欠かせないと言われています。ほかにも、作品発表や試合などの重要な状況に直面したり、熟達者と同じ共同体で一緒に活動したりすることが、効果をもたらすとされています。
岡田(2005)は、創造的領域における熟達化において必要なこととして、ある程度の才能、内発的動機づけ、課題にかける時間、よく考えられた練習、知識の構造化のための自己説明、社会的サポート(良い教師やメンターの存在)、社会的な刺激を挙げています。長い時間をかけた活動は、その活動が好きでないと続かないし、周りの人々の応援もないと続けられないでしょう。熟達者(上手な人)は、才能のおかげで熟達者になったとは、一概には言えないのです。
以上、簡単にですが、熟達化の概要をご紹介しました。今回とりあげたのは、熟達化のごく一般的な特徴ですが、各領域によって熟達者の知識は異なってきます。私が関心のある舞台芸術においても、音楽家や俳優、ダンサーの熟達化研究がなされています(例として、安藤 2011)。
熟達化について記事を書いていて感じるのは、「初心者〜中堅くらいの人のことが知りたい」ということです。熟達者のことは分かった、では、そういった人たちに近づいていくための道筋は、私たちに用意されているのだろうか。いまその途上にある人たちはどのような経験をしているのだろうか。あるいは、私は「アマチュア」に関心があるけれども、熟達化においてアマチュアはどう位置づけたら良いのだろうか。このような思いを強めました。山内研のOGである森玲奈さんの研究は、初心者からベテランに至るワークショップデザイナーの熟達過程を明らかにされていて、そのような関心に答えている研究だと感じます。これから修士研究を固めていくなかで、熟達化に対する自分の関心もうまく取り込んでいきたいと思います。
杉山昂平
参考文献
安藤花恵(2011)演劇俳優の熟達化に関する認知心理学的研究. 風間書房.
今井むつみ・岡田浩之・野島久雄(2012)新・人が学ぶということ:認知学習論からの視点. 北樹出版.
森玲奈(2015)ワークショップデザインにおける熟達と実践者の育成. ひつじ書房,
大浦容子(1996)熟達化. 波多野誼余夫(編)認知心理学5 学習と発達, 東京大学出版会, pp.11-36.
岡田猛(2005)心理学が創造的であるために:創造的領域における熟達者の育成. 下山晴彦(編)心理学論の新しいかたち, 誠心書房, pp.235-262.
2015.07.07
7月25日(土)、FLIT(東京大学大学院情報学環 反転学習社会連携講座)第4回 公開研究会「学習テクノロジーの未来」を開催いたします。
今回のFLITセミナーでは、ダニエル・シュワルツ氏(スタンフォード大学 AAALab)をゲストにお招きし、シュワルツ氏が取り組まれている社会的エージェントを用いた学習支援(Teachable Agents)の試みなど、最新のプロジェクトについてお話しいただきます。シュワルツ氏はテクノロジーを用いた学習支援の世界的権威であり、米国科学アカデミーが2017年度に出版予定のHow People Learn IIにおいて、新設されたテクノロジーと学習のセクションの編集担当になるなど、今後この業界の鍵となる研究者です。人工知能など最先端の技術を活用しながら教育的に価値がある革新的な研究をつぎつぎと生み出しており、世界的に高い評価を得ています。
また、学習科学を専門とする白水始先生(国立教育政策研究所)より、シュワルツ氏の講演内容を踏まえ、日本の現場の状況に引きつけて話題提供をしていただきます。後半では、会場の皆さまから質問をだしていただきながら、学習テクノロジーの未来について議論を深めていきたいと考えています。
ご関心のある方は、是非お気軽にお越し下さい。みなさまのご参加をお待ちしております。
参考:スタンフォード大学 AAALab
http://aaalab.stanford.edu/
○日時:
2015年 7月25日(土)14:00 - 17:00(13:30開場)
1. 趣旨説明:山内祐平(東京大学大学院 情報学環 教授/FLIT)
2. 講演:ダニエル・シュワルツ(スタンフォード大学 教授)※同時通訳付き
3. 話題提供:白水始(国立教育政策研究所 初等中等教育研究部 総括研究官)
4. 参加者によるグループディスカッション
5. 質疑応答 ※同時通訳付き
司会:山内祐平
パネラー:ダニエル・シュワルツ、白水始
○場所:
東京大学 本郷キャンパス 情報学環・福武ホール(赤門横)地下2階 福武ラーニングシアター
http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/access/
○参加費:
無料
○定員:
180名(先着順)
○参加にあたってのご注意
本イベントの様子は写真や映像で記録させて頂きます。写真記録はブログなどでイベントレポートとして掲載する場合があります。目的外使用は致しません。
○主催:
東京大学大学院情報学環 反転学習社会連携講座(FLIT)
○お問い合わせ:
反転授業社会連携講座(FLIT)事務局
flit.contact[at]iii.u-tokyo.ac.jp
※atを@に変えてください。
○参加方法:
申し込みフォームから、7月18日(土)までにお申し込み下さい。
※申し込み後に確認のメールは届きません。送信ボタンをクリック後「お申し込みが完了しました」と表示されましたらお申し込みは正常に完了しています。
2015.07.06
みなさま、こんにちは。
M2の松山です。
夏が近づいてきましたね!
研究に集中できるように、今年は夏バテ対策をがんばりたいと思います。
さて、【最近気になっているキーワード】ということで、私が紹介したいワードはこちら!
「アフォーダンス」と「シグニファイア」です。
人工物やUIなどに興味がある方は、アフォーダンスという言葉には聞き覚えがあるのではないでしょうか。
イス、ドアノブ、スマートフォン、WEBページ...
私たちの日常的に使っている人工物は、常に誰かの手によってデザインされています。
これらのデザインについて考えるとき、非常に重要になるのがアフォーダンスやシグニファイアといった概念です。
しかし、このふたつの概念は混同されやすく、誤用されることもよくあります。
認知科学者のD.A.ノーマンは、デザインについて考えるとき、ふたつを区別することが重要であると主張しています。
ということで今回は、アフォーダンスとシグニファイアについて説明していきます。
◯アフォーダンス
心理学者のJ.J.ギブソンが「afford(~を与える、~できる)」からつくった造語です。
アフォーダンスは、物理的なモノと主体の関係を指しています。
たとえば、目の前に椅子があるという状況を想像してみてください。
その椅子には、「人」が「座る」というアフォーダンスが存在するはずです。
その他に、「人」が「持ち運ぶ」というアフォーダンスもあるかもしれません。
しかし、もしその椅子が持ち運べないほど重い長椅子だった場合、後者のアフォーダンスは存在しません。
また、もしその椅子がパイプ椅子だったとしても、主体が3歳の女の子だった場合は、やはり後者のアフォーダンスは持たない可能性が高いでしょう。
ここからわかるように、アフォーダンスは性質ではなく関係性なのです。
アフォーダンスは、主体が何かとどうインタラクションできるかの可能性を示します。
ここで重要なのは、アフォーダンスは、それが知覚されていなくとも存在するということです。
椅子の例で言うと、たとえ主体者が「持ち運ぶ」ことを思いつかなくとも、もしくは「持ち運べない」と思っていても、それが主体者に持ち運べる以上、持ち運ぶというアフォーダンスが存在するということになります。
◯シグニファイア
シグニファイアはノーマンが提唱した言葉で、アフォーダンスが存在することを示す特性を指します。
たとえば、目の前に何もついていない真っ平らなドアがある状況を考えてみます。
このドアには「人」が「押す」というアフォーダンスがあるとします。
しかし、人はこのドアの前に立ったとき、「開くのかどうか」、「開くとすれば、自動なのか、手動なのか」はわかりません。
では、このドアの、ちょうど手を伸ばすと触れるあたりの位置に、手のひらより少し大きめの平らな板がついていたらどうでしょうか。
「このドアは押せば良い」ということが瞬時に理解できるはずです。
これがシグニファイアです。
つまりシグニファイアは、「これはこのように使えますよ」と伝えてくれる、知覚可能な手がかりと言うこともできます。
また、シグニファイアは、ドアの例のように意図的なものもあれば、偶発的なものもあります。
たとえば、「雪道につけられた足跡から、歩くことのできる道筋を知ることができる」といった場合の足跡もシグニファイアと言えます。
違いがわかったでしょうか?
ノーマンは、ふたつの概念の役割について、今年出版された『誰のためのデザイン? 増補・改訂版』で以下のようにまとめています。
"アフォーダンスは、どのような行為が可能かを決定する。
シグニファイアは、どこでその行為が行われるべきかを伝える。
我々にはどちらもが必要だ。"(pp.18-19)
ノーマンの本を読んで、「今までアフォーダンスだと思っていたものはシグニファイアだった!」と驚かれた方もいるかもしれませんね。
私も学部生のころ、アフォーダンスという言葉を間違えて認識していました...。
こういったデザインに関する知識は、教育工学の分野でも役立つと思います。
特に私は開発研究をしているので、自分が開発したものをユーザがどう使うように促すべきか考えることはとても重要です。
というわけで、気になっているキーワードとして紹介させていただきました。
次回からはM1のターンです。
引き続きお楽しみに!
【松山彩香】
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参考文献
Norman, D. A. (2010). Living with Complexity, The MIT Press.(=2011, 伊賀総一郎・岡本明・安村通晃訳『複雑さと共に暮らすーデザインの挑戦』, 新曜社)
Norman, D. A. (2013). The Design of Everyday Things: Revised and Expanded Edition, Basic Books.(=2015, 岡本明・安村通晃・伊賀総一郎・野島久雄訳『誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ー認知科学者のデザイン言論』, 新曜社)