2015.07.30

【最近気になっているキーワード】「最近接発達領域」の深イイ話

みなさまこんにちは!毎日暑くて何もかもが溶けそうな勢いですね・・・
暑さにめげず、本テーマの最終回はD3佐藤(朝)が担当いたします。

「最近接発達領域(zone of proximal development:以下ZPD)」、私が初めてこの概念に触れた時、「うんうん、あるよね~」的な、軽く分かった気になっていました。本当にごめんなさい!!!当時子育て真っ盛りの私は、実践の中でZPDを実感してたのかもしれません・・・

そして月日が流れ・・・博論執筆の過程において、ヴィゴツキーが提案したZPDの概念は、激突する壁を突破するための強力な拠り所になりました。
今回は、このZPDの私にとっての深イイ話を紹介したいと思います!

■ZPDとは?
ヴィゴツキーは著書の中で、

子どもの発達の最近接領域は、自主的に解決される問題によって規定される子どもの現在の発達水準と、大人に指導された自分よりも知的な仲間と協同したりして子どもが解く問題によって規定される可能的発達水準とのあいだの隔たりのことです[1]。

と述べています。さらにヴィゴツキーは説明を続けます。

発達の再近接領域は、まだ成熟していないが成熟中の過程にある機能、今はまだ萌芽状態にあるけれども明日には成熟するような機能を規定します。現在の発達水準は昨日の発達の成果、発達の結果を特徴づけますが、発達の最近接領域は明日の知的発達を特徴付けます。・・・発達の再近接領域は、明日の発達に何が起こるかを予言することを可能にします[1]。

改めて、子どもの発達の支援を考える際、この視点は大変重要かつ確固たる拠り所になるのだと実感しています。子どもが何を獲得しているか、ではなく、何を学ぶことができるのか、その可能性を近似的に明らかにしようとすること、これは私の研究において、子どもの話す力を測るだけではなく、他者へ伝える語りを習得するための支援方法を模索するアプローチにオーバーラップするものです。


■ZPDからはじまる社会・文化・歴史的視点
ZPDの「誰かに助けられながら、誰かを助けながら」という前提は、人が社会的なつながりの中にあること、社会的に媒介されていることを意味します。ヴィゴツキーは、個人の機能が発達する社会的・文化的・歴史的プロセスに焦点を当てるべきだと述べています[2]。

そして、ヴィゴツキーは文化的活動の蓄積結果である「道具」の使用やこの道具に媒介され(支えられ)ながら精神活動を形成し、技能として高めていくことを通して、歴史・文化の諸変数が人間の発達や精神活動にどのような形で作用しているか明らかにしてきました。その中で、道具としての言葉について言及しています。言葉はコミュニケーションの道具となるとともに人間の思考や認識活動の道具となり、さらには意識全体を変えることにもなることを、ヴィゴツキーは系統発生と個体発生の両面から明らかにしました[3]。

この社会・文化・歴史的な経緯を反映した言葉を、子どもが習得していく過程でZPDが重要な概念となるわけです。

ZPDには、働きかける主体の意図を読み取る子ども側の心の動きも重要とされています。意味も分からないまま言葉の模倣を強制する教育のあり方を「ことば主義」とヴィゴツキーは批判しています。これらの見解は「話す力」に着目している自身の研究にも鋭く突き刺さります。


■レッジョ・エミリア・アプローチに見るZPD
昨今注目されているイタリアレッジョ・エミリア市の幼児教育では、理論的な基礎の1つとしてヴィゴツキーの理論を根底に置いているそうです。創始者のマラグッチは、子どもと大人のあいだでの相互交流と共同性のための豊かな可能性を開く重要なものとしてZPDに触れています[4]。

有名な「ディノザウルス・プロジェクト(※)」で保育者ロベルタは、子ども自身に情報を与えること、子ども同士が関わりあう機会を提供しました。ロベルタが具体的に行ったこととして下記が挙げられています[5]。

・注意して聞くこと-待つこと
・グループの討論で焦点となることについての個々の考えを探し出すこと
・子どもがしたことや考えたこと、決めたりしたことを思い出すように援助すること
・子どもに情報やアイディアを提供すること
・子どもの思考が外にデないようにして社会的・認知的な過程が続くように十分介入すること

これらはまさにZPDに働きかける方法、「足場づくり(scaffolding)」の素晴らしい一例と捉えることができます。子どもが複数いれば、子どものZPDもまた複数あり、適切に働きかけをするためには、働きかけをする側にも多くのことが求められます。子どもの学習環境を考えていくには、子どもからの働きかけを的確に捉え、介入する大人のスキルにも着目すべきことが分かります。

※恐竜に興味を持った子どもたちが恐竜について調べていくうちに、実物大の恐竜を園庭に描く、と いうことに発展したプロジェクト。


■子どもとメディアとZPD
ヴィゴツキーが活躍した時代も、映画や通信機器などメディアの大きな変化があり、ヴィゴツキーは内言との関連でメディア研究に関する議論をしていたそうです。
けれど近年の乳幼児の スマートフォンやタブレット端末用アプリの提供が増加の傾向、「スマフォで子守り」と危惧される状況を目の当りにしたら、どのような議論をされるのでしょうか。

ZPDに働きかける教育、例えば上記のロベルタが行っていた観察や言葉がけを見れば、複雑でスキルが必要とされる業で、 どんなに優秀なエージェントでも現在の技術では到底達成できるものではないことが分かります[6]。乳幼児期のメディア利用は、やはり介在する大人の存在が重要で、巻き込む形態での学習環境デザインを検討していく必要性を感じています。


以上、独断と偏見ですが、ZPDにまつわる深イイ話を紹介しました。改めて振り返ってみると、ZPDは現在進行形で私の前にも存在していることが実感されます。まさに指導教官やゼミメンバーからの働きがけが、博論執筆にチャレンジしている私のZPDにうまく作用している感触があったりしています。

来週からはブログのテーマが変わります。どうぞお楽しみに!!

佐藤朝美



【参考文献】
[1] ヴィゴツキー,L.S.(2003)「『発達の最近接領域』の理論 : 教授・学習過程における子どもの発達」土井捷三・ 神谷栄司(訳).三学出版.
[2] 茂呂雄二, 田島充士, 城間祥子(2011)「社会と文化の心理学ーヴィゴツキーに学ぶ」世界思想社.
[3] ヴィゴツキー,L.S.(2001)「思考と言語」新訳版.柴田義松(訳).新読書社.
[4] バーク,L.E.・ウィンスラー,A. (2001)「ヴィゴツキーの新・幼児教育法―幼児の足場づくり」 田島信元・玉置哲淳・田島啓子(訳).北大路書房.
[5] ヘンドリック,J. (2000)「レッジョ・エミリア保育実践入門―保育者はいま、何を求められているか」石垣恵美子・玉置哲淳(訳).北大路書房.
[6] 松尾豊(2015)「人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの」KADOKAWA/中経出版.

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