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2016.03.28

【本年度を振り返って】じっくりと考えた1年

皆さま,こんにちは
M1の原田です.

 先週は学位記授与式でした。東京を離れる先輩や逆に地元の九州から来る友人がいて春は出会いと別れの時期だなと強く感じています.私が人を賢くする道具を開発したいと思って山内研究室に入ってきたのが4月で,気付けばもう1年が経とうとしています.今回のブログのテーマは「本年度を振り返って」なので慌ただしく走り回りあっという間に過ぎたこの1年間を,少しだけ立ち止まって振り返ってみようと思います. 
 今年度を振り返ってみると,9割ぐらい文献レビューをして1割ぐらい現場の話を聞くような1年間でした.私は教育システム開発論文をイメージしながら修士研究に取り組んでいます.そこで今年度の前半は今後開発するシステムで解決する問題を見極めるために文献のレビューをしてきました.論文や本などの文献を読みそれが自分の研究に関係するかしないかを判断し,文献が言いたいことを理解する.それだけでなく,複数の文献を統合して理解する必要があり慣れていない私は大変苦労しました.今でも苦労していまが振り返ってみると,入学した頃よりは多少は上達したと感じています(思いたいだけかもしれないです).
 そうして今年度の後半には修士研究で解決する問題を絞るため,文献を読みながら考えた問題を現場の人に聞いてもらっていました.4月のテーマから少し変わり,現在は研究対象をプログラミング学習に絞って研究の計画を立てています.そのためレビューから考えた問題を,プログラミングを教えている大学の先生に聞いてもらいに行ったり,プログラミング教育をしている現場をみたり,エンジニアの友達に今考えていることを聞いてもらったりしています.その他にも授業や研究会で知り合った方にアドバイスを頂いたりと,自分一人で考えていて行き詰ったときにはとにかく様々な方から話を聞いて行き詰まりから抜けだそうともがいてきました.
 そんなこんなであっという間に1年が過ぎてしまいました.振り返ってみるとインプットにじっくりと時間をかけていた(かけれていた)貴重な1年だったと感じます.インプットしてじっくり考えてきたことを,上手くまとめ修士論文を書き上げられるよう1日1日を大切に走り抜きたいと思います.(とりあえずは4月にこのブログで研究計画を公開できるように頑張らないとです...)

次の担当はlianさんです!!
お楽しみに

【原田悠我】

2016.03.21

【本年度を振り返って】研究の難しさに直面して

皆さま、こんにちは。M1の長野です。
最近少しずつ暖かくなってきて、春の訪れを感じますね!先輩方の卒業式を24日に控えた寂しさと自分がM2になることに対する不安を日々感じて生きています。今回のブログのテーマは「本年度を振り返って」ということで、この1年間のまとめをしたいと思います。

最初に赤門をくぐったとき、私にとって研究の世界というのは完全に未知なる世界でした。学部生のときに本腰を入れて研究をしてこなかったせいで、研究とは何をすることなのかも分からないまま入学し、私の院生生活が始まりました。そこで私が最初にぶち当たった壁は「研究は経験では語れない」ということでした。入学当初、学問的なバックグラウンドのなかった私の強みになるものは4年間続けてきた塾講師の経験だけで、何を話すときにも経験からしか話せませんでした。しかし、それは研究の世界では通用しません。自分の研究を他の研究の中に位置づけ、そこから語れるようにならなければなりませんでした。私にとってこの1年は、研究発表でイタいところを突かれるたびに自分の知識不足、考えの浅薄さを痛感してはまた研究に戻る、この繰り返しだったと思います。まだまだ思うようにはいかないことばかりですが、修士生活が終わるまでに日本の誰よりも不登校の研究に精通していたいなと思いながら、これからも1つ1つの研究に丁寧に向き合っていきたいと思っています。

少し話題を変え、内面的な話をしますと、大学院生としての生活は正直つらいことが多かったです。塾講師として働いてみて、不登校の子どもたちの学習をサポートすることが大事だと思って研究を始めたのに、「なんで心の支援じゃないの?」、「不登校の子にとって学習って本当に必要なの?」と悲しくなるほどに言われ続けました。私は心の支援はもちろん大切だと思っていますし、学ぶことを強制しているわけでもありません。ただ、子どもには学ぶ権利があって、学びたいと思った時に学べる環境があるといいなと思うだけです。私の中では答えは出ているんです。でも、どこにいってもその言葉を投げかけられ、何度も自分がやろうとしていることに自信がなくなりました。
ただ、そんな私を支えてくれたのは、「人」の存在でした。私はこの1年間幾度と無く大阪に帰り、そこで研究のきっかけをつくってくれた元生徒に会いました。イキイキとしたその子と話をしているうちに自然とやる気が出て、「まだまだ頑張らないと」と思わせてくれました。また、この1年でかけがえのない新たな出会いにも恵まれました。それは2月に多様な学び実践研究フォーラム(http://aejapan.org/2016/)に参加したときのこと。私はそこで多くの不登校の子どもを持つ保護者の方と実際にフリースクールに通う子どもたちに出会いました。そのときに頂いたのは「長野さんがこの研究をしてくれて、本当に嬉しい。」という言葉でした。私の研究に理解を示してくれる保護者の方、私の研究を必要だと言ってくれる子どもたちがたくさんいて、その方たちと出会えたことは私にとって、本当に大きな支えとなりました。

1年間はあっという間で、もうすぐ修士生活も2年目になります。授業もなくなるので研究に打ち込める時間が圧倒的に増えますが、生活をしっかり管理していかないと何も達成できずに終わってしまうんだろうとも思います。1年後に「こうしておけばよかった」という後悔をしないように、やりきったと思える研究をするために、毎日を精一杯過ごしていこうと思っています。

皆さま、1年間ありがとうございました!
次の担当は原田くんです!

p.s.
3月18日(金)に今年度私が関わってきたモバイル教材『動物と自然とわたしをつなぐ どうぶつ大冒険』(http://www.d-bouken.jp/)がリリースされました!小学生のお子さんをお持ちの方、ぜひ動物園に行かれる際にはご利用ください!

【長野香織】

2016.03.12

【本年度を振り返って】問うべき問いを問うために

M1の杉山です。私の【本年度を振り返って】を書きたいと思います。

本年度を振り返ってみて、M1としての1年間、これまで辿ってきたのは「何を問うことに価値があるのか」を探す道のりだったと感じます。来月に修論構想発表を控え、修士研究の枠組みがそろそろ固まる時期ですが、そこでは何をリサーチクエスチョンに据え、それの解明や実現に取り組む意義がいかにあるのかを明示しなければなりません。なんでもかんでもいいから問いを立てる、ということは簡単にできますが、それが果たして「問うべき問い」なのか、立場を明確にしてはじめて、リサーチクエスチョンになります。

私は一貫してアマチュア芸術活動における学習に関心をもち、この一年間文献のレビューも行ってきましたが、アマチュアという存在はとかく学術領域では扱われにくい存在だと感じます。音楽でいえば、学校の授業として行われる音楽活動と、音楽院などの高等教育機関や仕事で行われるプロ・エリートの専門的な音楽活動に関しては、教育や学習の文脈でよく研究されてきました。しかし、大人たちが、趣味や余暇として―暇つぶしというよりは真剣な活動として―行っている音楽活動というのは、ほとんど対象になってこなかったのです。

なぜ対象になってこなかったのでしょうか。一つの要因には「それが私的な活動だから」ということがあると思います。学校教育やある領域の専門家は、かなりの程度、公の事柄としての性格をもっています。音楽を学校でどう教えるべきか、これからの音楽家はどうあるべきか、という問題は、個人的な問題を越えて、社会的なイシューになりやすいし、それに対し教育的・工学的に介入する根拠も主張しやすいと思います。それに対し、アマチュアの音楽は「人それぞれ」「好きでやっているから」というイメージをもたれやすく、なかなか研究する「意義」、問いの「価値」を語りにくい性格をもっています。

しかし、それはアマチュアを「研究する意義がない」ということでは決してないと思う、ということが、この1年言いたくてなかなか明瞭に言い切れないことでした。実際のところ、今でも言い切れてはいません。特に秋ごろまでは「研究したいから研究する」「自分が知りたいことを学術用語で言い換えてみただけ」のような状態が続いて、学術領域に自分の研究を位置づけることも、ままなりませんでした。それに比べれば、今は多少前進してきたような気もするのですが、満足はできていないです。とはいえ、そこに拘泥して研究ができないのもしょうがないですから、考えながら走り回るというのが目下の課題です。アマチュアにも豊かな学習があるということは、自分の経験からも、周りの友人たちを見ていても確信するところですから。

吉見俊哉先生が近著『「文系学部廃止」の衝撃』で書かれた一節が、最近頭の片隅にいつもあります。曰はく、「文系の知は、既存の価値や目的の限界を見定め、批判・反省していくことにより新しい価値を創造することのできる知です」。何かを問う価値は、既存の価値観の枠組みだけが保障するものではないはずです。では、いかにして、新しい価値観を創造しながら、問いを立てていくことができるか。とても難しい課題ですが、この先研究を続ける中で、少しずつ実践していければと思います。

【杉山昂平】

2016.03.08

【お知らせ】アクティブラーニングのデザイン

3月1日に東京大学のアクティブラーニングの試みをまとめた「アクティブラーニングのデザイン」が東京大学出版会から発売になりました。山内は第1章を担当させていただきました。

1章 アクティブラーニングの理論と実践(山内祐平)
 1 アクティブラーニングとは
 2 アクティブラーニングの技法
 3 経験から学ぶ
 4 課題を設定して学ぶ
 5 他者とともに学ぶ
 6 大学教育とアクティブラーニング

http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-053087-3.html

2016.03.01

【本年度を振り返って】研究したいことを研究すること

みなさま、こんにちは。
M2の松山です。
修論審査が終わりほっと息をついていたら、もう春がそこまで近づいていました。
年度末のブログテーマは恒例の【本年度を振り返って】です。

本年度、私は以下のようなことに取り組んでいました。

・研究計画書をつくる
・開発物のアイデアを固め、開発をする
・実験の協力者を募集し、実験の手続きをする
・実験を行い、データ収集をする
・データを分析する
・修論を執筆する

修士の開発研究では、このような作業をすべて自分で行います。
あたりまえのことのように思えますが、実際に取り組んでみるとなかなか大変でした。
人によって、開発経験が豊富だったり、人を集めることが得意だったり、文章を書くことが好きだったりと、それぞれ自分の進めやすい作業があると思います。
しかし修士研究ではそれだけでなく、経験のないことや苦手なことにも取り組まなければならないため、うまく前に進めずに焦りばかり増していく...という時期があったりもします。
特に私はほぼすべての作業が苦手だったので、毎日いろいろなところで躓いていました。
そんな私ですが、困っているときに手を差しのべてくださった方々のおかげで、なんとか一歩ずつ進んでいくことができました。

修士論文を書き終えたとき、まずはじめに思ったのが、「やりたいことをやらせてもらったなあ」ということでした。
自分が一番興味のある対象に向けてコンテンツを開発し、対象である子どもたちに実際に自分のつくったものを使ってもらうという日々は、大変なことももちろんありましたが、すべて私が望んでいたことでした。
研究したいことを研究することは、とてもつらく、そしてとてもしあわせなことだと思います。
自分の好きで研究しているからこそ、誰にも言い訳をすることができないので、ふと孤独を感じてつらくなることもあります。
それでも、自分の興味関心にもとづいて研究していると、自分がおもしろいと思う事例に出会ったり、昔から考えていたことが形になったりと、喜びを感じる瞬間もたくさんありました。
研究したいことを研究する機会と環境をいただいたことのありがたさを、今あらためて噛み締めています。

修士研究に取り組むにあたり、本当にたくさんの方にお世話になりました。
何もお返しできていないことが心苦しいのですが、みなさまに与えていただいたこと、教えていただいたことを活かし成長していくことを、今の私ができる精一杯の恩返しとさせていただきます。
2年間本当にありがとうございました。


松山彩香

2016.02.21

【本年度を振り返って】巡り巡った研究テーマ

すっかり花粉の季節になったようで、マスクをした人が増えたように感じる今日この頃です。私自身はまだ花粉症ではないのですが、時間の問題といわれ戦々恐々としている、M2の逆瀬川愛貴子です。

さて、本年度を振り返ってというテーマでお送りしている山内研ブログですが、私は今年で大学院を卒業するということもあり、2年間の修士生活を振り返ってみたいと思います。


このブログを書くにあたって、これまでの研究生活がつまったポートフォリオを見返してみると、お粗末すぎて目を瞑りたくなるレジュメもあり、くすぐったいような気持ちになりました。


私は、リサーチクエスチョンがきちんと決まったのはM2の7月と遅く、それまではあれでもないこれでもないと研究計画をつくっては練り直すことを繰り返していました。
何もすがるものがない状態で自分がこれからすることを自分自身で選択していくことは、私にとってはじめての経験であり、自分の研究に自分で責任を持つということがなかなかできずにいました。


なにが面白い研究なのか、どんなものがいい研究となるのかわからず、自分の選択に自信を持てなかった私は、他の人から批判的な意見を受けるたびに、また別の便利そうなアカデミックワードに飛びつき、研究テーマを二転三転していました。
その期間は、このままリサーチクエスチョンが決まることが永遠にないような気もして、とても苦しいものでした。


でも今こうして自分のポートフォリオを眺めてみると、右に左にと揺れに揺れていたように見える過去の研究テーマたちも、
「多様な生徒が一緒に学ぶ教室空間の課題を乗り越えたい」
という問題関心が根底にはあり続けていたことに気づきました。


興味関心も学力もパーソナリティもバラバラな生徒が存在する学校の教室で、より良く学ぶためにはどうしたらいいのかについて考えてきた2年間だったように思います。


入学して3ヶ月ぐらいで研究向いてないなぁと悟り悲しみに暮れていた私ですが、今手元にある自分の修士論文を見ると、わずかながらも自分の問題関心に一歩近づくことができたように思えて、諦めずに続けて良かったと思うことができます。


リサーチクエスチョンもなかなか決まらず、先行研究の海をふらふらと彷徨い歩いていた私に、いつの日も変わらず、きびしくも温かいコメントをくれた研究室のみなさま、まだ固まりきっていない研究案にも関わらず協力を快く引き受けてくださった先生をはじめとする学校関係者の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
それ以外にも、多くの方がいろんな形で修士生活を支えてくれました。


これから少しでも恩返しができればいいなと思います。

2年間本当にありがとうございました。
そして、これからも細々とよろしくお願いします。

さて、次は松山さんの担当です。


逆瀬川愛貴子

2016.02.07

【本年度を振り返って】エスノグラフィの難しさ

まだまだ寒い日が続きますね。
M2の青木翔子です。

本年度最後のblogシリーズは【本年度を振り返って】というタイトルでお送りします。

修士1年の頃は、自分自身の研究テーマにあわせて先行研究をレビューすることが主でしたが、
今年度は、エスノグラフィという研究方法の難しさに直面した1年でした。
エスノグラフィとは、フィールドワーク(参与観察)において、その現場で見聞きしたことについての記録をフィールドノーツに書き留め、それをもとに現場の社会や文化を記述した報告書(もしくはその調査方法・プロセス)のことです。
そのエスノグラフィを行なっていく上で直面した困難についてまとめたいと思います。

◼︎現場に入ること
フィールドワークでは、研究者はその現場に関わる程度によって参加のタイプが異なります。現場への関わりは、その現場の人と同じように参加するような完全な参加(インサイダー)から、現場の活動の場面には居合わせるが参加しない傍観者、活動に参加しない(アウトサイダー)というあり方まで多様にあります。
私は多くの場合、「中程度」から「積極的な」参加をしてきました。参与の度合いが大きかったため、観察者としての役割と参与者としての役割の葛藤がありました。
最初は、現場のことがそもそもまだわからないし、どこまで現場に踏み込んで良いのかもわからない、自分自身が現場に与えている影響も考慮しなければならない・・・と考えるべきことで頭がいっぱいになりながら、探り探りで日々を過ごしていました。しばらくすると現場に慣れることはできましたが、今なにが起きていて、次にどうすればよいのか、次に何をみるか等の判断を、現場にいる一瞬一瞬において決めていかなければならないという困難はなくなりません。まだまだ難しさを感じますが、徐々に上達していきたいです。

◼︎データに向き合うこと
フィールドノーツの質を上げることも難しいですが、それを分析し、現場の背景にある文化や現象を解釈していくことも現在の課題の1つです。自分自身のとったフィールドノーツやインタビューのデータに対して、なぜ?これは何と関係している?目的は?どの段階のこと?と問いかけながら、現象を深く理解していかねばなりません。「現場に密着した」コードをつけその背景を探っていくということは、正解があるわけでもなく、その現場にいた私自身で考えていくしかありません。先生 方のアドバイスをいただきながら、そのような分析的な思考方法を模索しました(しています)。
いろいろな本には、分析をする方法が書いてあるかと思います(たとえば、KJ法やエクセルを使う、ペンで書き込む等)。しかし、その方法が自分にあっているとは限りません。自分自身がより分析的に深く思考できる方法をみつけることも大事だと思いました。

◼︎まとめ
エスノグラフィの結果として出される論文や書籍を読んだり、方法論の本を読むととても的確に、そしてわかりやすくまとめてあります。それらを読んでいるとなんとなくわかった気がしてしまいます。しかし、実際にやってみると、本当に雲をつかむような気持ちになりました。
どの方法もそうだと思いますが、エスノグラフィは特に実際にやってみることが学ぶための一番の方法だと思います。まだまだ勉強していかなければなりませんが、あと1年ほど修士論文をかくまでに時間をいただけることになったので、来年はこの一年の模索を通じて得たものを生かして修士研究に邁進したいと思います。


どうぞ宜しくお願いいたします。

【青木翔子】

2016.01.24

【本年度を振り返って】


厳しい寒さが続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
M2の池田めぐみです。
早いもので、2015年度も終わろうとしていますね。本年度最後のblogシリーズは【本年度を振り返って】というタイトルでお送りします。

ーーーーー
私にとって2015年度は、おぼろげなリサーチクエスチョンを整えて行き、調査を行ない、修士論文を書き上げるという、1年でした。
この1年のなかで気づいたことについて記していきたいと思います。

■「批判を糧に」を大切に
 本年度を振り返るなかで、1番に感じたことは、「批判的なコメント」をこわいものだと思わないことの大切さに気づいたことだと思います。

1年くらい前自分の研究に対する他者からのコメントが恐怖でしかありませんでした。他人からのコメントが怖いので、人前で自分の研究の方向性や研究計画を話すことは極力さけて一方でいました。
一方で、今年1年を通じて批判的なコメントは、研究に対する怖い否定ではなく、研究をよくしていくためのアドバイスなのだと気づけるようになりました。
自分の頭では考えられることに限界もあるし、論理が破綻していることも多々ある。そういうことに気づかさせてくれる批判やアドバイスには本当に大切ですよね。
今までは、人からのコメントを恐れ、ゼミでもびくびくしていましたが、
最近では、他者のコメントやアドバイスにできるだけ早く出会いたい、それをもとに本当にこれでいいのか、自分で見極めながら研究を進めていきたいと思えるようになりました。

これが1年間で一番変化したことなのではないのかなと思います。

ーーー

さて、この1年間とてもたくさんの人にお世話になりました。
修士研究にご協力してくださった、学生の皆様と先生方、
この素晴らしい学習環境を提供してくださった山内先生、ゼミでいつもファシリテーターとして、研究の様々なフェーズにおいてご丁寧な指導をしてくださった伏木田さん、ゼミの時やインフォーマルな場でも様々な面で助けて下さった助教の皆様と、同期、後輩達、本当に本当にありがとうございました。

修士論文を書ききることができたのは、皆様のお陰です。口頭審査もがんばらないとな!

次のblog担当は青木翔子さんです。

【池田めぐみ】

2016.01.07

【私の20%の過ごし方】越境から得られるもの

あけましておめでとうございます!今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2016年Ylabの初ブログ、D3の佐藤が担当します。

私の研究テーマは「子どもとデジタルメディア」に関することです。賛否両論ある領域ですが、テクノロジーを付加することで、これまでになかった豊かな体験、子どもや家族の楽しく宝物になる時間を創出する・・・そんな環境を自ら産みだしてみたいという衝動に駆られ、現在も試行錯誤している状況です。

一方で、心惹かれるアナログな活動があります。一見真逆の方向に見えるかもですが、「木育」です。

岐阜に一年赴任している間、ありがたいご縁で、岐阜森林文化アカデミーの松井勅尚先生率いる木育メンバーと交流することができました。松井先生は、時代を遡るのではなく、進化する社会に合わせながらも子どもを真ん中に据えた街づくりに木育を取り込むべく、地域の幼稚園・保育園の先生方とレッジョエミリアを視察されたり、革新的な活動を続けていらっしゃいます。

■岐阜県立森林文化アカデミー
http://www.forest.ac.jp/

「木育」とは、人と、森や木との関わりを主体的に考えられる豊かな心を育てたいという思想から生まれた用語です。これまで当たり前だったことを改めて言及せねばならない状況、その必要性を問う言葉の由来が「食育」と似ていると言われています。

私は、木育の玩具に初めて触れたとき、これまで憧れてやまなかった海外のメソッドやアプローチ、教具も恩物も一瞬吹っ飛びました。その繊細な木目や香り、触り心地から五感に働きかける玩具、自然物であれば1つとして同じものはない、その差を実感していく体験。それらを日本人の職人たちが提供していく仕組みがあるんだ!と目からウロコで、少々大げさかもしれませんが勉強不足を痛感しました。

mokuiku.jpg
つみぼぼまあるいつみき


昨年、おもちゃ美術館赤ちゃん木育ひろばチーフディレクターの石井今日子さんにインタビューをする幸運を得ることができました。子どもが夢中になるだけでなくお母さんが遊び出したり、30mmのスギ材の床にお母さん達がのんびりくつろぐ様子をうかがいながら、子どもを取り巻く一番重要な環境である親の精神状態に、ポジティブに働きかける木育環境のパワーを感じました。

そして、木育を推進する多田千尋館長の存在はとても大きいです。15年近く前、世田谷のご実家に開館されていた頃、息子と遊びに行って以来、個人的にもファンであります。5分で引きこまれてしまう世界観、何度講演を聞いても面白く心に響くお話だけでなく、木育展開への活動の様子をFBで拝見し、ただただ頭の下がる思いです。

■東京おもちゃ美術館
http://goodtoy.org/ttm/

■第3回木育サミット
http://goodtoy.org/ms2015/

■無印良品 木育広場
http://www.muji.net/kids/#mokuiku

何故「木育」に惹かれるのか?について、最近、「文化的道具」に興味があるのだと博論を執筆する中で感じるようになりました。人類が知恵を絞り、願いを込め、未来を担う子どもたちに最高の環境をつくり上げること、同時に、道具のデザインから子どもの育ちや取り巻く環境へ働きかけること、これらを考えることがたまらなく面白いと感じます。

ただ、同じ道具でも、デジタルとアナログではそこに関わる大人たちと、そこで使われる用語があまりに異なることに驚きます。たとえ、「子どもの豊かな体験とより良い育ちを願う」という根本は同じだとしてもです。けれどもその差分が多くの気づきや学びを与えてくれる、だからこそ、どちらも私にとってはかけがえのない関わりなのかな・・・考えるようになりました。

新たな時代、高次な思考活動を支える道具として、子どもたちはますますデジタルに触れる機会が多くなることが想定されます。が、そうなればなるほど、自然との触れ合いで生まれる感覚や五感をどう育んでいくのか?が重要な検討課題になると考えます。

私の20%の過ごし方、これからも広い視点で「文化的道具」を捉え、アンテナを広げていきたいと思います。


【佐藤朝美】

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