2006.11.23
アルバート=ラズロ・バラバシ 青木薫訳(2002)『新ネットワーク思考-世界の仕組みを読み解く』NHK出版
原題は"Linked - The New Science of Networks"。ものごとをノードとリンクによるネットワークという視点から見ると、あらゆることが理解可能であることを提案します。
これまでのネットワーク論は、ランダム・ネットワークを前提にしたものが主流でした。たとえば、いわゆる「6次の隔たり」という考え方があります。これは、6人の知り合い(リンク)をたどって行けば世界中のあらゆる人とつながり合ってしまうというものです。つまり、安倍総理もブッシュ大統領も、少なくともあなたの知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの知り合いになっているわけです。
しかし、たとえば今のインターネットにおいて、全てのリンクが等価でランダムにつながり合っているわけではないことは、現状を見ればもはや自明となっています。インターネットはYahoo!やGoogleといった多くのリンクを集める少数の「富豪」とそれ以外の大多数の「貧乏人」から成り立っている自己組織的なスケールフリー・ネットワークであると著者は言います。実はこのスケールフリー・ネットワークが、世界をネットワークとして理解するための鍵になるのです。インターネットの脆弱性、キリスト教の伝道、エイズの急速な広がり、アルカイダの組織のシステムまで、あらゆることがスケールフリー・ネットワークとして説明できます。
これまでの学問は、ものごとを最小単位にまで分解することに躍起になってきました。現在までに、多くのものごとが最小単位にまで分解されましたが、分かったのは、それでも分からないことがたくさんあるということです。ものごとは複雑につながり合っています。この本は、ネットワークという視点からものを見ることで、全く新しい学問のあり方を示しているということができるでしょう。読みやすい流麗な文章で、世界の見方をまるごと変えてくれるエキサイティングな本です。[平野智紀]
2006.11.16
人はなぜコンピューターを人間として扱うか—「メディアの等式」の心理学バイロン・リーブス著 クリフォード・ナス著 細馬 宏通訳 (2001)
今回紹介する本は、学部のころに読んだ本の中で、とても印象に残っている一冊です。
この本の内容は、タイトルの通り、「人はなぜコンピューターを人間として扱うのか」ということについて書かれています。ふーんと思いますが、よく考えてみると変ですよね。
「そもそも、コンピューターを人として扱うなんてことがあるのかな??」
っていうことだと思います。僕もそう思います。しかし、私たちは無意識のうちに、コンピューターなどのメディアに対して、人間同士で行うコミュニケーションに似たふるまいをしているのだということを実験において明らかにしているというのがこの本の内容です。
具体的な例をひとつだしてみましょう。
例えば、人間同士のコミュニケーションを考えてみます。僕が授業などで発表をしたとして、「今日の発表どうだった?」ということを友達に聞けば、「ああ、よかったんじゃない」というような言葉が返ってくるかもしれません。それはある意味礼儀のようなものです。もし、僕じゃない人が聞けば、もう少し低い評価をするかもしれません。
この本が面白いのは、これが人とパソコンとの関係でも成り立つのかということを実験している点です。細かい実験の手順は省きますが、なにか作業を与えられ使用したパソコンの評価を、その同じパソコンを使って評価するときと、別のパソコンを使って評価するというときで、結果に差がでたというのです。
それはつまり、コンピューターに対しても、本人(作業したコンピューター)の前では、礼儀的に、低い評価を出さなかったということなのです。
これはひとつの例ですが、この本の中には、さまざまな実験がのっています。また、その実験の結果から、インタフェースのデザインなどにいくつも面白い指針を示しています。
こうした結果は、教育工学のような分野にとっても、非常に示唆的なものなのではないでしょうか。私たちは、必ずしも、「リアル」で「ハイテク」で、「高機能」なものだけに対して、対話的であるのではなく、もっと素朴ななにかについて、対話的にかかわりあっているということです。
こうしたうまいコミュニケーションができる道具というのを考えてみると、もっともっと使いやすく、面白いものがうまれてくるのではないでしょうか。
[舘野泰一]
2006.11.11
中田力 (2001) "脳の方程式 いち・たす・いち" 紀伊国屋書店
今回は僕の専門となる(と思われる)学習科学からは少し離れていますが,僕の母体でもある認知科学の近くにいる,脳関連から1冊紹介します.
(この本が脳科学の本であるかどうかを判断することは,専門外でもありますので,差し控えます.)
正直なことを言えば,細かい話は僕には良くわかりませんでした.それでも,なんだか良くわからないけれど,すごく面白そうだ,と思ったのを覚えています.統一理論として,脳機構からこころを語る!なんだか壮大なドラマを読み進めていくような,そんな感覚でした.
脳の方程式と題されたこの本は,アインシュタインのサイコロから始まります.20世紀を代表する科学的知見のひとつでもある量子力学の話は,ノイマンを通してビットで構成される脳科学をくぐり抜け,シャノンの情報理論から熱力学へ,オイラー積からリーマン幾何学へ….
一見とめどもなく縦横無尽に科学史を並べていく著者のストーリーは,しかしながら収束点へと向かって加速していきます.プランクからシュレディンガーやディラック,ゲルマンを通して物質をエネルギーの世界へと導き,ローレンツによって複雑系の世界が開かれることで,物語は最終章へと向かいます.
脳におけるエネルギーの動きが,遺伝子の作り出す決定論的なシステムに揺らぎを与えること,それこそが意識であるとした著者の結論は,それ以上の解説がないよりもむしろ,僕のつたない知識では判断出来ない為,正しいかどうかを論じ得ません.
しかしながら,科学の王たる物理学を基礎としたこころの統一理論への挑戦は,どんなフィクションよりも上質な知的好奇心を味わせてくれます.
事実は小説よりも奇なり,全てのカガク好きに勧める1冊です.
2006.11.02
King , G. , Keohane, S. & Verba (1994) Designing Social Inquiry : Scientifitic Inference in Qualitative Research, Princeton Univ.Press : 真渕勝監訳(1997) 社会科学のリサーチ・デザイン:定性的研究における科学的推論, 勁草社
「学際的な研究」といっても、やはりどこかのが学問体系からの系譜があるわけで、その根っこにあるアカデミックな文化を意識しないで進めていくことはできない、と思う今日この頃。
そんなわけで、M1の冬あたりから、方法論の本をよく読むようになった。
今回、ここで紹介するのは、「科学的な研究の方法」について、示唆を与えてくれる本である。
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■著者たちと執筆の背景について
3人とも政治学者であるが、異なったアプローチで研究を行っている。
3人は、ハーヴァード大学政治学部での「社会科学における定性的分析の方法」という大学院の演習を共同で担当。本書は、そこでの学生たちとのやりとりなどを基にまとめられたものである。
■本書の書かれた目的
定性的な研究(数字による測定が不可能であったり望ましくないような研究)において、妥当な因果的推論や記述的推論を行うための統一的なアプローチを発展させることを目的としている。
また、定性的研究者に対して、科学的推論について真剣に考え、科学的な推論を自らの研究に取り入れるように促すことを目指している。
■こんな人に読んでほしい・・・
定性的なフィールドワークに従事する研究者から統計分析を行う研究者まで。
学部1年生からベテランの研究者まで。
政治学とは一見異なった形をとっている学問領域の人にも応用できる。
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「定量的」研究と「定性的」研究、この2つはかなり異なった、時には対立するもののような扱われ方をよくする。
しかし、筆者は、この2つを結びつけ、「両者の違いは主としてスタイルや具体的な手法の違いに過ぎない」と述べている。
さらに、科学的であるか否かを分けるのは、記述的な研究であるか因果に関する研究であるかではなく、妥当な手続きに従って推論が行われているか否かだ、と主張する。
この主張は私の日頃抱えているモヤモヤを、少しだけはらしてくれるものだった。
秋の夜長、この本を通して、何げなく使っている「科学」「モデル」「理論」「方法」といった言葉について、ゆっくり考えてみるのも良いのではないだろうか。