2024.12.20
M1の山﨑聡一郎です。
今春のブログで触れたとおり、私は2つの大学で学び、社会人を経て3つ目の大学として東京大学に入りました。様々な研究環境を経験する中で、研究と向き合う哲学のようなものにもいくつか触れてきました。
それぞれが意義深いものだなと感じる一方、それらには一見すると矛盾のようなものも含まれているように感じ、自分の中で今ひとつ折り合いをつけられずにいました。
東京大学に入学して半年、様々な学生や先生、そして学びに触れる中で、自分の中で「なるほど」と思えるフレームワークに出会えたので、今更と感じる人もいるかも知れませんが、この記事でご紹介したいと思います。
異なる研究文化との出会いと葛藤
しかし、次の大学院で出会った研究文化は、まったく異なるものでした。そこでは、「研究の意義は先行研究に付加する知見の積み重ねそのものであり、社会実装は必ずしも研究者の責任ではない」という考え方が主流でした。最初はこの哲学に戸惑いましたが、徐々に先行研究を深く掘り下げ、その中から新たな課題を見つけることの重要性を実感しました。これにより、研究の多面性を理解し始めましたが、一方で異なる哲学を持つ環境に身を置くことで、内心で矛盾を感じる場面も多くありました。
学問の意義に関する考察
宇宙工学の進歩は天文学の知見なしには成し得ません。ロケットが向かう宇宙空間の特性を理解するには、天文学的な研究が必要不可欠です。人間の発達段階や精神・心理の性質を理解しなければ子どもの年齢・学齢に応じた適切なカリキュラムを設計することはできませんし、画像生成を支援する技術としてのGPUが仮想通貨のマイニングやAIの運用で注目を浴びているように、特定の研究成果や技術が予期しなかった発見や時代の潮流によって、当初の想定とは全く異なる形態や程度の脚光を浴びることもあります。このように、役に立つ学問とそうでない学問の境界線を引くことは、極めて難しいのです。
研究の分類と自己分析
振り返ってみると、私の学部時代の研究はエジソン型に近く、実用的な社会実装を目指すものでした。実際に、現在世に出ている私の著書は、学部時代の研究の延長にあるものが殆どです。一方、前の大学院ではボーア型の基礎研究に近い性質の研究をしていたと感じています。その研究では、いじめに直面した生徒の援助要請行動の促進要因と阻害要因、ザックリといえば「子どもはいじめに直面したとき、どういう経験を重ねていればSOSが出しやすくなるのか」ということを調査したのですが、「だから先生はこういう取組をしましょう」のような提言までが研究で完結していたわけではありません。
現在の東京大学での研究は、まだ模索中ではありますが、エジソン型か、場合によってはパスツール型に向かうのかなと感じています。この分類それ自体が研究を後押ししてくれている訳ではないかも知れませんが、自分の研究スタイルを客観的に捉え、今まで感じていたモヤモヤを整理することができました。
東京大学での学びと多様性
Donald E. Stokes “Pasteur’s Quadrant: Basic Science and Technological Innovation” (1997, Brookings Inst. Pr.)
高田仁『「パスツール型」研究者と大学発ベンチャーの関係性に関する考察』研究 技術 計画, 2020, 35巻, 3号, pp305-315