2023.04.21

自分の研究に影響を与えた書籍の紹介 (M2加藤亮介)

本を手に取ると読んだ時の風景を思い出すことがある。

私が『古代への情熱 ―シュリーマン自伝―』を読んでいたのは前職の会社の外階段だった。昼休みを早めに切り上げて、7階にあった私の職場と一つ上、最上階の8階の間にある階段、人通りの少ないあの階段に腰掛け、中古で買った文庫本を開いていた。

その本を知ったのは確か語学学習についての本を読んでいる時だったと思う。会社で英語を、趣味で中国語の勉強を続けていた私は、どこか当時の勉強に行き詰まりを感じていた。営業の仕事自体にも慣れていなかったので、自分の中で順調なものが何も見つからない。そんな時期だった。シュリーマンと言えばトロヤ遺跡を執念で発見した人物で、その語学学習の本には彼が実践した語学の勉強法が紹介されていた。勉強法を知るだけならその本だけで十分だったが、引用元が彼の自伝になっていたのが妙に印象的で、細かい勉強法をわざわざ自伝に書く人に興味がわいた。

自伝だから例のごとく幼少期の思い出から始まるが、シュリーマンの幼少期は壮絶なものだった。ドイツの地方都市の貧しい説教師の父の下に生まれたシュリーマンは、9歳で母を亡くし、11歳でギムナジウムに入学、大学への道が開かれたと思った矢先、父が停職となり3か月で退学、実科学校に転校し3年で卒業して小売店に就職する。14歳の時である。いかにも恵まれない人の境遇と言えばそうだが、その境遇を覆うようにシュリーマンの勉強への熱意がつづられている。ホメロスの英雄伝を語り、ラテン語を教える父、様々な逸話を記憶し弁が立つ村の仕立て屋、ホメロスを暗唱して聞かせる粉屋の職人。彼が幼少期に出会った誰もが社会的地位が高いとは言えない「落ちこぼれ」であった。ただ、そんな彼らに出会いによって当時は伝説と思われていたトロヤの町を発見するという夢を持ち続け、49歳でトロヤを発見することになる。15か国語を話せるようになった、という肝心の彼の勉強法はほとんど記憶に残らなかったが、自分の想いに向かってひたすらに突き進む姿に一学び手としてあこがれた。この本が決め手というわけではないが、「探究学習」や「学校外での学び」が私の中心的なテーマであり続けるのは、シュリーマンのようなどんな逆境でも目的に向かって経験を組み立てていく学習者像に惹かれているからかもしれない。

久しぶりにこの本を手に取ると、ビルの間から車が行きかうあの景色を思い出した。会社を辞めて1年、建て直しがありそのビルはもうない。それでも、あの頃にあこがれたものを今の自分が形にできているか、この本があればあの階段に腰掛けて考えることができそうだ。

(後日談)
今回の執筆にあたり少し調べてみると、シュリーマンの自伝の記述にはかなり脚色があるようで、幼少期にトロヤ発掘を志したというのは後付けの創作、実際は15か国語も話せなかったという指摘もある(『甦るトロイア戦争』)。それでも今回の本の紹介をしたのは当時私が出会った「シュリーマン」を伝えたかったからだ。

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