2023.01.01
皆さま、あけましておめでとうございます!
少し遅くなってしまいましたが、この記事では、夏の合宿研究会2022の学者レビューでヴィゴツキーを担当したD2増田、M1田中が、レビューの内容や感想について紹介していきます。
ヴィゴツキー(1896-1934)は、十月革命後のソビエト連邦を生きた心理学者です。37歳で結核で病死するまでの短い研究期間の中で、現代の教育学や心理学につながる数々の業績を残しました。主な業績としては、人間の心理発達について説明した「文化-歴史的理論」、またそれを教授-学習過程に適用した「発達の最近接領域」などが有名です。その他にも、芸術作品の構造分析を通じて、芸術作品が人間の心理に与える法則性を明らかにしようとした「芸術心理学」など、業績は多岐にわたります。
【田中の感想】
田中は主に、ヴィゴツキーの生涯と、文化-歴史的理論について調査しました。
ヴィゴツキーが生きた時代のソビエトで支配的であった心理学派は、反射学や反応学といった、人間を機械論的に説明しようとする立場のものでした。これらの心理学は「意識」を主観的であるという理由で心理学の対象から除外してしまいます。このような情勢の中、ヴィゴツキーは一貫して、人間の高次な心理機能である「意識」を科学的に説明することがこれからの心理学の進む道であるという立場をとりました。
彼の文化-歴史的理論は、この背景を色濃く映し出したものとなっています。ヴィゴツキーは、意識の発達における言葉の被媒介性に着目することで、意識の発達を弁証法的に説明しようとしたのです。子供は生まれてから徐々に、自分の思考や行動を言葉によってコントロールできるようになっていきます。これが、言葉を媒介とした意識の発達であるということです。
このように、言葉によって自身の思考をより自覚的かつ随意的に支配できるようになっていく過程が、言語を用いる人間固有の意識の発達過程ということです。そして、より高次な自覚性と随意性の領域の発達は、より低次な具体性と経験の領域の発達と両輪の関係にあるとされています。例えば、より高次な概念である科学的概念を学校で学ぶ中で、それがより低次な概念である生活的概念(生活の中での経験から身につけていくもので、自覚性・随意性に欠ける)と結びついていくように、高次・低次な領域において、反対方向の発達が起こるというのです。
この心理発達の法則を教授-学習過程に適用したものが、発達の最近接領域の概念です。生徒の生活の中で、まだ未発達な特性である自覚性・随意性は、彼らの発達の最近接領域(今日一人ではできないが他人の助けを借りればなし得る領域)にあり、これは大人の思想との協同のなかで顕現し、活動をはじめます。つまり、教授の本質とは、学校で生徒が今はまだ理解できない(自覚的・随意的に扱えない)科学的理論を、理論を理解している大人と一緒に、ちょっと無理して学ぶことによって、生徒の発達の最近接領域を作り出している点にあるというのです。ヴィゴツキーはこの理論をもとに、教育者は子供が今日できることをよりも、今日まだできないことに目を向ける必要があると主張します。テストで今日できるかを確かめるのではなく、子供が今日まだ一人ではできないことを教室でみんなでやるというところに、学校教育の意義を見出したわけですね。
私はレビュー前、ヴィゴツキーの業績といえば「発達の最近接領域」である、というのを、キーワードレベルでぼんやりとしか認識していませんでした。今回のレビューで、この発達の最近接領域の概念と、ヴィゴツキーの生きた時代の背景、それを強く反映した心理学的理論を自分の中で繋げられたことで、発達の最近接領域概念をより深く理解できたという点が、個人的に一番の収穫だったかなと思います。
【増田の感想】
増田は、ヴィゴツキーと芸術との関わりを担当しました。
ヴィゴツキーといえば「発達の最近接領域」ですが、芸術関連の方であれば、彼の著作である「芸術心理学」を思い浮かべる方も多いはずです。学生時代から文学や歴史経済など多方面の研究を行っていたヴィゴツキーですが、芸術との関わりも深く、彼の卒業論文はシェイクスピアをの作品を扱ったものでした。
1925年に脱稿した「芸術心理学」は、芸術作品の構造の分析から、芸術が人間の真理に呼び起こす美的反応の法則性を明らかにしようとしたものでした。このようにヴィゴツキーは芸術とは何かという視点を持ちつつ、その教育にも関心をもっており、1926年に出版された「教育心理学講義」では芸術教育の目的・方法・意義についての議論を展開しています。
教育においては、美意識は「認識・感情・道徳」を教育する手段であり方法として扱われてきていることにヴィゴツキーは疑義を呈します。例えば、童話や物語が学校で道徳教育として読み聞かせられることがありますが、そのように多様な解釈の可能性のありうる芸術作品を、一定の道徳的な解釈に落とし込むことは美的な感情を失わせるものであるとヴィゴツキーは言います。
ヴィゴツキーは芸術教育における3つの課題を挙げています。
1つ目が「創造性の教育」、2つ目が「技術を教える教育」、3つ目が「芸術作品の鑑賞教育」です。これらはそれぞれ独立しているものではなく、相互に関連しており、結びついて行わなければならないことをヴィゴツキーは強調します。また、特にこの中では3つ目の「鑑賞教育」はこれまで検討されることが少なかった問題であることを指摘し、普通教育の重要課題であることを指摘します。思い返せば、私も高校までの美術や音楽の時間に、作品をどのように「鑑賞」すればいいのかを授業で習った経験はありませんでした。美術界では、今でこそ教養や新たなビジネスセンスを育むものとして美術作品の鑑賞(このような美意識と関係のない課題や目的に芸術を使うことをヴィゴツキーは批判していますが)が注目されていますが、「どのように芸術を受容すればいいのか」という課題は、ヴィゴツキーの言うように「見て聞いて喜びを得ることになに特別な教育は必要ないと思われていた」ゆえに、これまで見過ごされてきたように思われます。
田中さんも書かれているように、私もヴィゴツキーといえば発達の最近接領域のイメージを強くもっていました。しかし今回ヴィゴツキーの芸術教育に関する意見に触れ、現代の芸術教育の現状にも通ずるアクチュアルな問題提議をされていることに驚くと同時に、これらの問題が未だ芸術教育のなかで課題として残り続けていることも強く感じます。
参考:
中村和夫(1998)ヴィゴーツキーの発達論―文化‐歴史的理論の形成と展開. 東京大学出版会.
柴田義松(2006)ヴィゴツキー入門. 子どもの未来社.
柴田義松(2006)新訳版 芸術心理学. 学文社.
柴田義松(2005)ヴィゴツキ―教育心理学講義. 新読書社.