2022.10.24

2022夏 合宿研究会 学者レビュー振り返り(バフチン班)

こんにちは、D3の井坪とM1の仲沢です。
前回の田中さんの記事であったように、これから数回にかけて各学者レビューの内容と、担当者の感想をご紹介していきたいと思います。


私たちがレビューしたのはロシアの学者、ミハイル・バフチンです。
バフチンはドストエフスキー小説を扱った文学研究者としての側面が有名かもしれませんが、それ以外にも美学・記号学・哲学・・・と、「対話」の原理を大きな背景として、学際的な知を形成していました。

バフチンは、自分と一体化・融合することのない別の人間を「他者」とし、自分と他者の「差異」を大切にしたとされています。バフチンが考える「対話(ダイアローグ)」は、他者との相互作用という出来事であり、単に話を交える行為以上の出来事そのもの、世界そのものでした。そして、その動的な関係の中で生じている意味や価値を重視していたのです。
興味深いのは、ともすればお互いに分かり合うために譲歩しあうプロセスと見なされかねない対話について、バフチンは「理解行為においては闘争が生じるのであり、その結果、相互が変化し豊穣化する」と述べている点です。能動的な同意・不同意には意味があるとしつつも、相互の溶解や混合が起こった時点で、ダイアローグはモノローグになってしまうと解釈していたのでした。
ダイアローグがモノローグにならないためには、バフチンが注目していた対話における聴き手の「能動性」の考え方が参考になりそうです。バフチンは、受動的な理解は、理解されている言葉を複製するのみで豊かにはしないということを述べており、実際に世界で起こっている能動的な理解は両者のあいだに新たな意味が見出されるものだと考えていました。相異なる他者との相互作用のなかにおける同意・共鳴と不同意・不協和は、バフチンにとっては同等に価値あるものだったのでしょう。相手との差異を操作的に統合しないような能動的理解とは、具体的にどのような実践になるのか、バフチンの理論を能動的に理解しながら考えてみたいです。


以下、レビュー担当者からの感想です。

「バフチンの考え方は、近年、外国語教育といった分野にも応用されており、一般的・普遍的な言語はなく、言葉は他者のコンテクストの中から獲得して自己のものとしなければならないといった形で解釈をされています。その背景にあるのは、バフチンが言う"他者"の異質性かと思います。人間は各個人違う背景や文脈を背負っており、異質なものであるけれども、そこでインタラクションを諦めるのではなく、異質だからこそ言葉を紡ぎ、対話をすることが重要だと解釈しました。」(井坪)

「バフチンは、ドストエフスキーの小説やラブレーの小説を対象として分析することをとおしてこの世界の相互作用を探究しました。
ドストエフスキー小説における〈ポリフォニー〉は、複数の対等な意識が融合しないまま組み合わさって動的な統一体を為すものだと説明されます。また、ラブレー小説における〈笑い〉や〈カーニヴァル〉は、両極的な価値や立場が統合されておりその二極の交替のプロセスそのものを祝うものだと解釈できます。このように一言で説明してしまうと、バフチンの分析対象やそこから生成された概念はかなり特殊なものに思えてしまうかもしれません。しかし、バフチンはこのような特殊例も我々の生活も同じ対話原理が貫いていると考えていました。すると、私たちにできることは、シングルケースの研究から気づきを得るように、特殊事例を切り離して考えず、バフチンが生んだ概念を元にして具体的な実践や生活をデザインしていくことだと思います。
個人的な関心と紐付けると、バフチンが分析対象とした対話事例が小説という芸術作品であったことは見落とせない点だと考えています(バフチン自身もそこに言及しています)。もしかすると、実践の中で〈ポリフォニー〉や〈カーニヴァルの笑い〉が実現する際には、芸術的な表出が必要になるのかもしれません。ワークショップにおけるグラフィックレコーディングの絵の要素やSTEAM教育のArtの要素の意義は、まだ明らかになっていない部分が多く残されていますが、非記号的な芸術的表出によってこそ成し得ることを探究していきたい思いです。その探究の過程で、バフチンの思想からはおおいに刺激を受けました。」(仲沢)


以上、バフチン班からのレポートでした!


【参考文献】
桑野 隆(2020)バフチン : カーニヴァル・対話・笑い 増補版.平凡社
立本秀洋(2019)「 ミハイル・バフチン: 外国語学習と了解者」英語表現研究, 36, 49-63.

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