2020.04.28
D4の平野智紀です。私は「美術鑑賞における協調学習のデザインに関する研究」というタイトルで博士論文を執筆しています。美術館や学校で、あるいは企業でも、広く行われるようになってきた対話型鑑賞について、アートならではの学習を引き起こす方法論を探究しています。対話型鑑賞では、ナビゲイター(ファシリテーター)が司会進行役として、複数の鑑賞者が話し合いながらアート作品の解釈を深めていきます。
これまで、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)によるACOP:アート・コミュニケーションプロジェクトをフィールドに、2つの実証研究を行ってきました。
1本目の研究「対話型鑑賞における鑑賞者同士の学習支援に関する研究」では、ナビゲイターによる働きかけに加え、鑑賞者が他の鑑賞者の発言を引用して話すことに着目し、4名のナビゲイターによる2回の異なる作品鑑賞における発話を比較する研究を行いました。
対話型鑑賞における鑑賞者同士の学習支援に関する研究
https://doi.org/10.24455/aaej.36.0_365
2本目の研究「対話型鑑賞のファシリテーションにおける情報提供のあり方」では、ナビゲイターが鑑賞中に行う情報提供について、提供された情報の分類とその意図を整理した上で、その情報が鑑賞者の鑑賞の役に立っていたか、という視点で、9名のナビゲイターによる同一作品の複数回の鑑賞における発話を比較する研究を行いました。
対話型鑑賞のファシリテーションにおける情報提供のあり方
https://doi.org/10.15077/jjet.43034
博士論文では、これら2つの実証研究を統合し、美術鑑賞における協調学習のデザインに資する知見を導出することが求められます。とくにゼミで指摘をいただいているのは、アートの領域における学習ならではの知見を導く必要性です。他者の意見を踏まえること(研究1)、必要に応じて情報提供をすること(研究2)、というだけでは、一般的な学習の原則にしかなりません。
絵を見るとはどういうことか。福原義春編『100人で語る美術館の未来』(慶応義塾大学出版会、2011年)に、まさにそうしたタイトルで、佐伯胖先生による基調講演の様子が掲載されています。作品の世界に出たり入ったり、この試行錯誤が、複数人で対話を通して鑑賞するときのおもしろさのひとつだと感じます。
事例報告で紹介されたガードナー美術館の映像では、先生が生徒に「What's going on?」と質問していました。それは「何が起こっている?」というところの世界に自分自身を投入してみる、もっと中に入ることです。それを私は鑑賞(appreciation)と呼びます。そういう、世界の中に入り込んで、そこで生きてみるというとらえ方に対して、その次の段階があります。つまり、意味理解に立ち止まる段階です。さきほど、「統合による分析」の話をしましたが、統合ということは、自分で決めてしまったら、その統合の中で部分を解釈します。ところが部分の座りがよくないときに、もう一回統合のし直しをします。全体とは異なるものの集まりなのではないか、あるいは、ここのまとまりを一つのまとまりと見るとどうだろうか、むしろこういう大きなまとまりの一部だったのかもしれない、というように、まとまりそのもののとらえ直しを瞬間的に行うときに一瞬立ち止まります。省察(reflection)ともいうんですが、「これってどういうことなんだろう」と、もう一度見直す瞬間がある。p.39
コロナ禍により、人が集まって対話をすること自体が難しい世の中になっておりますが、私はまたアートを介した対話を楽しめる日が来ることを信じて、研究を進めたいと思います。