2017.09.20

【印象に残っている本の一節】貞観政要(M1 中野生子)

こんにちは。M1の中野生子です。だいぶ季節が秋らしくなってきました。大学の夏休みも今週で終わり、来週からまた後期授業が始まります。
今回も引き続き「印象に残っている本の一節」というテーマでお送りします!

■ 私が選んだ一節
私が選んだのは「貞観政要」という、唐の太宗と臣下達との政治に関する言行を記録した書物です。北条政子や徳川家康の愛読書だったとも言われています。尊敬する経営者に「貞観政要は最高のビジネス書である」とオススメいただいたのがきっかけで、苦手な漢文の書に目を通してみました。もちろん、解説付きで笑。
中でも一番印象に残ったのは、三鏡と呼ばれる一節です。

「太宗、嘗て侍臣に謂ひて曰く、夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正す可し。古(いにしへ)を以て鏡と為せば、以て興替を知る可し。人を以て鏡と為せば、以て得失を明かにす可し。朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過ちを防ぐ。今魏徴徂逝し、遂に一鏡を亡へり、と。・・・其の逝きしより、過つと雖も彰すもの莫し。朕豈に獨り往時に非にして、皆茲日に是なること有らんや。故は亦庶僚苟順して、龍鱗にふるるを難る者か。・・・言へども用ひざるは、朕の甘心する所なり。用ふれども言はざるは、誰の責ぞや。斯れより以後、各々乃の誠を悉くせ。若し、是非有らば、直言して隠すこと無かれ、と。」

少し長い一節ですが、意味は「太宗はあるとき侍臣たちに語って言われた『いったい銅を鏡とすれば(姿を映して)人の衣冠を正すことができる。昔を鏡とすれば(歴史によって)世の興亡盛衰を知ることができる。人を鏡をすれば(その人を手本として)善悪当否を知ることができる。我は常にこの三つの鏡を持って自己の過ちを防いでいた。ところが今、魏徴が死んで、とうとう一つの鏡をなくしてしまった』と。・・・『彼が死んでから後は、たとい過っても明らかにしてくれるものがない。我は、なんで(魏徴が生きていた)往時にだけ非があって、今日はすべて是であるということがあり得ようか。そのわけは多くの役人たちが、むやみに順従して天子の御機嫌を損なうことをはばかるからであろう。・・・臣下が言っても天子が用いないからであるという非難があるならば、我は甘んじてその責任を負うものである。しかし、我が用いても言わないのは、いったい誰の責任であるか。今後、各自がその誠意を尽くせよ。もし、悪いことがあれば、はばからずに直言して隠すことがあるな』と。」

■ なぜ印象に残っているのか
特に三鏡の三つ目、自分の行動の是非は人に言ってもらわないと分からない、人間は自分のことが一番わからないから、耳が痛いけれど正しいことを言ってくれる人をどれだけ持てるかが重要というメッセージに、どの時代も人間の本質は変わらないのだなと思ったのが印象に残っています。
魏徴のように何百回も言い続けてくれる人(友人・仲間・同僚等)を得るには、常に耳の痛いことを謙虚に受け入れる姿勢を持ち続けなければいけないなと痛感した一節でもありました。

■ まとめ
この一節のみならず、貞観政要の中での太宗と臣下のやり取りは、言葉は違えど似たような、そして重要なメッセージが様々な表現で収録されています。人間は同じことを何回も何回も言われなければ分からない、月に1回良いことを言われても伝わらない、しかし同じ表現で言われても飽きて聞かなくなるから色んな表現で具体例を出しながら伝えていく必要がある、そんな学びを得た本でした。
また太宗と臣下の会話は、唐の時代のものなのに、現代の人間が読んでも通じるものばかりです。人間の本質は古代よりあまり変わらない、だからこそ昔から良本と言われる本を読む価値は多分にある、と思い知らせてくれて一冊でもあります。
人の学びについて考える時、どうしても自身の経験から語ってしまうことがありますが「人間は古代より本質的に変わらない」という点を踏まえると、自分が研究しようとしている「学び」について、その分野の論文レビューのみならず100年単位で人間がどういう思想のもとにどういう学びを得ようとしてどういう失敗をしてきたのか、そういう観点で見ていかなければいけないんだろうな、と思いました(遠い目笑)。
貞観政要は一節一節読み進めるだけでもためになる本です。古典に興味がある人はぜひ読んでみてください。

【M1 中野生子】

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