2017.06.15

【今年度の研究計画】成人による趣味の追求を支える学習環境の解明(D1 杉山昂平)

 D1の杉山です.昨年度修士論文(「アマチュア・オーケストラ団員たちの興味の深まり――余暇における追求と学習環境」)を提出しました.修論は情報学環・学際情報学府専攻長賞をいただくことができ,公刊に向けて現在投稿作業を進めています.今年度は修論の成果をふまえつつ,博士論文を完成させるための次なる研究を計画することになります.

 大人が趣味を追求することを環境はいかに支えるのだろうか,という問題が私の基本的な研究関心です.誰でもすぐにできる一過的な気晴らしとしての余暇活動とは異なり,趣味(hobby)にはオーケストラならオーケストラ,サッカーならサッカー独自の専門性を実践していくことに特徴があります.それゆえ,趣味を継続して追求するには,必然的にその活動自体を深めていく「学習」が含まれるわけです.演奏スキルや音楽理論の知識も求められるし,何より活動に対する「興味(interest)」が深まらなければ,わざわざ自発的に行う活動である趣味の面白さを味わうことはできないでしょう.そこで,趣味における学習のプロセス(私の研究では「興味の深まり」)を環境(学習環境)はいかに支えるのかを問うことが,意味をもつのです.

 博士論文として「大人が行う趣味における興味の深まりを学習環境はいかに支えるのか」という問題を考えるうえで,「個と共同性」に着目することが有効ではないかと現在見通しをつけています.この視点は,もともとはテキサス大学オースティン校の学習科学者であるFlavio Azevedo氏によって提起されたものです.彼はアマチュア天文学やモデルロケットリーといった趣味のフィールドワークを行っていました.教育心理学では「興味」は個々人に特有な(idiosyncratic)ものであると考えられています.興味は人それぞれであって,だからこそ興味は個人差の源泉であるというわけです.しかし一方で,人間の学習一般に妥当するように,興味もまた環境との相互作用のなかで発展し,深まるものです.そして,学習に関する社会・文化的アプローチの研究は,学習は人々がつくりあげる共同体によって何らかの方向づけを受けていることを指摘してきました(古典的な研究がLave&Wengerの正統的周辺参加論です).そうすると,次のような疑問が沸いてきます.「個人的で多様であろうとする興味と,変化を一定に方向づけようとする共同体は,結局のところどのような関係性を結んでいるのだろうか」ということです.全くもって共同体から自由に興味が深まることも考えにくいし,しかし共同体によって興味の深まりがすべて規定されているというのも非現実的です.では,興味をめぐる「個と共同性」の関係は大人の趣味活動においてどのような姿をとっているのか.それを博士課程では考えたいと思います.

 実は「個と共同性」という問題は,19世紀から20世紀にかけて近代的で都市的な余暇活動が生まれてくる際にも存在していました.オーケストラにせよスポーツにせよ,個人的な興味をもった余暇活動をするというスタイルは伝統的な農村にはほとんどありません.多様な興味をもった民衆が都市に居住し,自由な移動手段で集うことができるからこそ,アソシエーションを組織して自分の興味のある活動をすることができるのです.そこには,「個人的興味を実践するには共同体が必要だ」という関係性が見られます.とはいえ,ソシアビリテの社会史を研究してきた二宮宏之氏が言うように,共同性は絆にもなるし,しがらみにもなる.自分が「本当にやりたいこと」と共同体のあいだで齟齬が生じることもあるでしょう.余暇活動をめぐる「個と共同性」は,学習環境の問題にとどまらない広がりをもっているようです.

 修論で扱ったアマチュア・オーケストラが「団体活動」だったことの重要性を念頭におきつつ,比較対象としてどのような趣味を扱うかを考えながら研究を進めていこうと思います.

杉山昂平

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