2017.03.22

【山内研 今年度のまとめ】修士1年を振り返って

こんにちわ。M1の花嶋です。
私がまとめとして伝えたいこと、また修士生として1年間研究というものに触れて最も強く感じたことは、「学術研究の深さ」です。
私は、「数学苦手者にどのように教えたらいいのか」について研究をしているのですが、「どのように教えればよいのか」を考えるには、「なぜ生徒ができないのか」を知らなければならないということで、その点に関する先行研究を読み漁りました。

その結果実感したことは、
① とてつもない量の研究がすでになされており、その知見が過去の莫大な研究の中に眠っている。
② 同じようなつまづきが課題として繰り返し指摘されている。
の2つです。

例えば、「りんご1個100円で、x個買った時の値段は?」に答えられない生徒がどうしてわからないのか、以前の私は、「問題の意味が分かっていない」、「文字の意味が分かっていない」ということぐらいしか答えられませんでした。
しかし、「意味が分かっていない」とはどういう状態なのか、その時の生徒の頭の中では何が起きているのか、それが分からないで教え方を考えても、それは病状が分からないけどとりあえず苦しんでる患者に闇雲に手術をするようなものです。

先行研究を読む時間は、「なるほど、そういうことだったのか!」の連続でした。
自分の疑問が解消されていく興奮を感じながら、と同時に「ここまでのことが今までの研究で明らかになっているのか!」と深く感銘を受けました。そしてさらに同時に、(少なくとも数学学習において)人の思考の根本的な原理となる仕組みについての知見、つまり先人が明らかにしてきた偉大な知見が、一般の人たちの目の届いていないということを実感しました。

知見を知るということは、使える「眼鏡」を増やすということです。
サッカーを20年間やってきた人と、サッカーを初めて見る人と、同じサッカーの試合を見ても「見え方」はまるっきり違います。それは、「何を、どのように」見ればよいかを知っているからです。

勉強が苦手な生徒を見る上でも同様で、どのように見ればよいのかを見る「眼鏡」を持っているかどうかで、生徒が何につまづいていて、どのように対処すべきなのかを思いつく可能性は違ってきます。(そこから適切な指導法を思いつく段階にもまだ壁はあるのですが、、、)

先行研究を読むまで自分が全くこれらの知見の存在をしらなかったこと、そして同じようなつまづきが繰り返し指摘されている状況を鑑みるに、これらの知が一般の人のみならず、教育関係者の間にも完全には広まっていない(様々なコスト的に実行できないという問題も大きいですが)という可能性が伺えます。

学際的な視野のスコープは、ビジネスと研究活動の境界にも及ぶべきものだと、思ったりした今年度でした。

M1 花嶋陽

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